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◯作品全体
天国と地獄、その演出の多彩さが光る作品だった。
地獄の演出はさすがデヴィッド・リンチというべきだろうか。物語自体には、例えばグロテスクに特化したような突飛なものはなかったが、地獄を表現するのに美しさを用いず、嫌悪感をも与えるような容赦なさがあった。序盤にジェフリーが耳を見つけるところは落ちている耳だけを映さず、その中をうごめく蟻を映す。さらに蟻のうごめきにクローズアップすることで、映像的なグロテスクさもさることながら耳から発するドロシーの怨嗟すら感じられる。耳の主がドロシーの夫と考えると、ドロシーとその夫を「食いもの」にするフランク達の存在をも比喩していたように感じた。映像的なツカミやショッキングなグロテスク表現という意味だけでなく、その後明らかになる真相にもリンクする巧い演出だと感じた。
ジェフリーがフランクたちに連れまわさられるシーンも救いのない地獄のシーンだ。執拗にジェフリーを小突きまわすフランクたちを映す時間はそこまで長くないけれど、フラストレーションのたまる画面は体感的に凄く長かった。いつ終わるかも知れないフランクたちの嫌がらせは、からかい交じりであることが更にイラつかせる。そこにまた地獄の表現の巧さを感じてしまった。
極めつけはドロシーが全裸で家から飛び出してくるシーンだ。Wikipediaには公開当時の人々にとってこのシーンは「美意識をいたく刺激した 」とあるけど、確かに色気とかは一切なくてグロテスクにさえ見えるのが凄い。今までドロシーの肌はジェフリーからみて天国での景色のような美しい映し方であったのに、夜影の不気味さと異質さによって全く違う印象を受けた。
天国の演出も印象的なものがいくつかあった。ジェフリーにとって日中に会うことが多いサンディは天国、というか陰と陽の「陽」の部分と言えるだろうか。サンディがジェフリーと会うことを「夢のよう」と例えて空を見上げるのが印象的で、ジェフリーと会うサンディの感情や芝居は天国を想起させる。コマドリのくだりも、いわばおとぎ話のような滑稽さもあるけれど、一方で清純さも感じる。サンディは「清純」のリアリティラインとして絶妙な造形だった。
ではジェフリーにとって天国を意味するものはというと、ドロシーだったと思う。ドロシーのアパートへ向かうジェフリーのシーンは複数回あるが、いずれも階段を登る途中のジェフリーを映す。さらに、階段に注ぐ月光を仰ぎ見るように見上げる芝居も挿入され、天国へ登る階段のような印象があった。サンディと対照的に夜にしか会わないドロシーとの逢瀬は「陰」の印象を受けるが、これはジェフリーが今まで触れてこなかった社会の暗部のモチーフに繋がっているように感じた。ジェフリーが落ちていた耳に固執するのも、この暗部への興味が根幹にあった。サンディから危険なことをやめるよう促されるシーンでも、ジェフリーは今まで触れてこなかった世界への興味を語っていた。
ジェフリーにとって、社会の暗部は好奇心くすぐる未知の世界であって、「陰」でありながら天国のような魅力的があるのだ。そして、その象徴がドロシーなのだと思う。
天国と地獄、ビジュアル的には明確に分かれていたけれど、ジェフリーからするとその境界線は曖昧だ。冷静に見ると、どう考えても近づかない方が良い世界へ近づこうとしているジェフリーだが、その世界へ触れる誘惑力を天国と地獄の演出によって描き出していたように感じた。
◯カメラワークとか
・クローゼットから主観視点で見るカットの緊張感が好きだ。見えるものが限られている緊張感。
◯その他
・全裸でサンディ家にやってくるドロシーがサンディに勝ち宣言をしてるシーンは、ちょっとおもしろい方向に行っちゃってた。文字通り口をあんぐりさせるサンディの表情もずるい。