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◯作品全体
キューブリック監督の長編作品は全部で13作品あるが、そのうち3作が戦争映画だ。初長編作品である『恐怖と欲望』、キューブリックの名を映画界に売り込んだ『突撃』、そしてビッグネームとなった後に作られた『フルメタル・ジャケット』。同じキューブリック作品だが、キューブリックのキャリア、映像演出、作品構成…様々な要素はまったく異なる3作だ。
しかし、一貫して描かれているものもある。それが「狂気」だ。これは「キューブリックの戦争映画」という枠組みにとらわれずキューブリックの根幹にある題材だが、戦争という「狂気」にまみれた舞台で描くとき、キューブリックの「狂気」を描く視点は更に多彩になると感じた。
キューブリックの戦争映画において、『恐怖と欲望』では新米兵士の精神崩壊を描くことで戦場での緊張感や非日常の過酷さを表現した。『突撃』では死へ追いやる命令や、処刑へ追いやる側・処刑される側を作る戦争の仕組みがクローズアップされる。いずれも戦争は既に始まっていて、その中で「狂気」が顕在化する部分を抽出している。
同じ監督が手掛けた戦争映画だが、語られる「狂気」が全く異なるところに、多彩、という言葉が浮かぶ。
『フルメタル・ジャケット』は前2作品とさらに大きく異なり、戦争が始まる前の「狂気」を語っている。普通の若者が各々のヘアスタイルをバリカンで刈り上げ、「狂気」といえるハートマン軍曹のシゴきがあり、「Born to Kill」のヘルメットをかぶる。過酷で、少しユーモラスな訓練シーンはとてもキャッチ―だが、普通の若者が兵士となるまでの過程は冷静に見ると「狂気」でしかない。落ちこぼれのレナードが精神に異常をきたし自殺するが、そのまま生き残って戦場で狂うか、今この場で狂うかの違いだけであることを知らしめるかのような場面だった。行き着く先は同じ「狂気」という結末。それを強烈に印象付ける前半部分だった。
『ロリータ』や『時計仕掛けのオレンジ』も本作の前半部分同様、エスカレートする狂気が描かれていたが、戦争を舞台にした本作では、また一味違ったエスカレートを見せる。そこにもまた、キューブリックの「狂気」の多彩さが垣間見えた。
後半のベトナムを舞台にした実際の戦場では、狂った倫理観を様々な登場人物を通して描く。緊張感あるシーンが続くが、兵士のアドレナリンを表現するかのような挿入歌の入れ方や登場人物の個性の付け方がユーモラスを感じさせる。登場人物たちの見ている世界が「狂ったもの」だと映させない演出のようにも感じて、ユーモアの裏にある暗さの映し方が巧い。
ラストのミッキーマウスマーチはその集大成だった。兵士のシルエットとアップテンポなミッキーマウスマーチ。普通の若者であったはずの彼らと、狂ってしまった彼らをこのワンカットで描いてしまうところに、キューブリックの凄みがあると感じた。
〇カメラワークとか
・一点透視、シンメトリーチックの画面の無機質さとハートマン軍曹の熱量のコントラストがすごかった。今までのキューブリック作品にもない演出だったような。
・前作『シャイニング』では多用していた「キューブリックステア」は本作では控えめ。レナードが狂ってからの視線くらい。
・戦闘シーンの見やすさはカメラワークの巧さがあるからだろうな。一方でスナイパーに撃たれるシーンはイマジナリーラインをめちゃくちゃにしていて、混乱っぷりが伝わるカメラワークだった。
〇その他
・「ステア」を語るシーンがあった。ジョーカーが報道部にいる時の先輩兵士が、戦場を経験している目を語る。
「1000ミリ望遠の目つきさ 長くクソ地獄にハマったときの マジに あの世まで見通す目さ」
戦争での心理的障害の一つとして「1000ヤードの凝視」があるけれど、「キューブリックステア」の意図にも近い気がした。
・カウボーイが撃たれて死ぬまでの演技が素晴らしかった。目に力が入り続けていて、いつ死んだかがわかりづらい。傷口を見せず、露骨に「死んだ」っていう演技もせずに、動かなくなったことで死がわかる。カウボーイの状態の不確かさが画面に緊張感を作ってた。