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○作品全体
10年前くらいに見た時は、まったく響かない作品だった。
高そうな北欧家具を揃えられる安定した職業についておきながら、その地位を投げ捨てる主人公の振る舞いにまったくもって理解できなかったし、タイラーが主人公の作りだした別人格であることには驚いたが、それに振り回される主人公という構図も納得できなかった。自分が困ることをなぜ自分の作り出した人格がしてしまうのか。自制するもしないも自分自身の匙加減で、終盤のタイラーの暴走も茶番劇ではないか、と。
当時、居場所や日常に満足していた自分にとっては、不幸になっていく破滅主義者の物語を冷めた目で見ていたような気がする。
時は経って今の自分。別に今の居場所や日常のクオリティがあの頃より下がったとは思わないけれど、自分のやりたいことや望むことを我慢することが増えた。そしてそのストレスをお金に変えて消費することも増えた。現に数日前に別にそんなに欲しくなかったiPadを買ったりしてる。
それでもぼんやりとした心のうっぷんが残る中で、ふとこの状況で本作を今見たらどうなんだろう、と思ったのが再視聴に繋がったんだけど、まぁ、響いた。主人公自身や主人公を取り巻く環境を次々に破壊していく姿は危険な快感があった。
主人公がタイラーという別人格によって家を爆破し、職場で静かに狂っていく気持ちが、今ではわかる。今の生活に不満があるわけではないけれど、いろんなものにがんじがらめとなっている束縛感。職場での上司との関係性もそうだし、あれこれ揃えようと考えている趣味の時間もそうだ。上手くやっていかなければいけないという強迫観念みたいなものが強弱はあれど常時ある。それをぶち壊したらさぞ気持ちいいんだろうな、という主人公の感情が今の自分にならわかる気がした。
下へ、下へと向かっていく主人公はやはり破滅主義なのかもしれなけれど、本当に主人公がしたかったことは自分自身の環境も含めて「徳政令」なのだと思う。クレジットカード会社のデータを保管したビル群を爆破すること自体、まんま「徳政令」なわけだが、社会の徳政令に加えて、自分自身に積み重なった大小すべてのしがらみに対しても自宅の爆破や職場での振る舞いによって「徳政令」を行ったのだ。
主人公は物理的にも精神的にも痛みを伴いながら、いろんなものを帳消しにした。しかし「消費者」として甘い蜜を吸って過ごす人生を突き放すことができない自分は、痛みを伴ってタイラーを具現化することができない。未来を見据えて臆病になっている自分には、ラストシーンの美しさと同じくらい、ラストシーンの後の、主人公の過酷な人生を勝手に推測してしまう。しかし、だからこそ、タイラーの言うところの「所詮いろんなものを背負ったって最期は塵になる」を前提に破壊していくことの快感を映し出してくれる本作は、特別な「危険な魅力」を持っているのだと思う。
○カメラワーク
・序盤のモノローグは主人公がカメラ目線で急に話しかけてきたりコメディチックな演出なのに対して、後半は乾いた口調。終盤はモノローグがなくなる。主人公自身の冷静さのバロメーターのように感じた。序盤はがん患者の集いに安らぎを求める主人公に対して、客観視して自嘲できる余力があった、というような。
・金髪のファイトクラブ会員に対して過度に殴る主人公のシーン。タイラーと一緒に地下から階段を登っていくが、画面は天地逆さで下に降りていくような演出。下へ下へと落ちていく主人公の心情と繋がる。カメラマンが逆立ちするように正しい天地を映した状態からひっくり返るのがかっこいい。
・1コマだけ写す演出は潜在意識というよりちょっとホラーっぽい感じに見えた。
○その他
・主人公が普通の日常を歩んでいた時の「上っ面な世界」の表現が良かった。流行りの北欧家具を磨く主人公という構図もそうだし、飛行機での「一度きりの友人」に楽しみを見つけるというのも。個人的に好きなのは主人公と同じく、いろんな集いに現れるマーラに怒るシーンで「何回も練習したの?」とツッコまれるところ。上っ面の世界で生きてきた主人公にとって、怒りという本能的な感情を表に出すことが苦手なのだろう。それがマーラのエッジの効いたセリフによって表現されているのが巧いと感じた。
・以前見た時は、タイラーの常時マウントをとるような振る舞いに見えたけど、ボコボコにされる時はされるし、主人公に寄り添おうとする時にはきちんと寄り添ってくれていたんだな。主人公の作った人格だから当然なんだけど、それでも距離感というか、人間味が絶妙。