橋の上の娘
劇場公開日:1999年12月11日
解説
ナイフ投げの曲芸師ガボールは、セーヌ川にかかる橋の上から自殺しようとしていたアデルをナイフの的にならないかと誘う。コンビを組んで巡業に出た2人はツキに恵まれ人気も出るが、アデルは行きずりの男たちと関係を重ねるのだった。監督は「仕立て屋の恋 」のパトリス・ルコント。アデルを「ハーフ・ア・チャンス」のバネッサ・パラディ、ガボールを「サン・ピエールの生命」のダニエル・オートゥイユが演じている。
1999年製作/90分/フランス
原題:La Fille sur le Pont
配給:シネマパリジャン
スタッフ・キャスト
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2022年10月8日
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鑑賞方法:CS/BS/ケーブル
運に見放された女(ヴァネッサ・パラディ)が自殺しようとして、ナイフ投げ師(ダニエル・オートゥイユ)に助けられる。
女が的になるナイフ投げの曲芸は好評、女は運を引き寄せる。
ナイフ投げが最高のラブシーンで息詰まる。
2022年10月7日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル
橋から身投げしようとした女性をナイフ投げの的としてスカウトした男性。
途中まではよかったが、この女性、その場のフィーリングで簡単に何人もの男に体を許してしまうという尻軽さがどうにも目に余った。
最後に再び橋の上で男女が再会するというのも都合が良過ぎる。
2018年11月14日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル
「負けを覚え、勝ちを知るべし」いい言葉だ。あと「運」というものも大切なテーマとなっていて、かなり考えさせられる。
しかし、この女性はかなりSEX好きである。ナイフ投げのコンビを組むことによって、展開としては愛が芽生えることを想像するのだが、ガボールが見てる前でも他の男とSEXしてしまう・・・商品には手を出さない、こいつはプロだ!と感じてしまう。それからガボールに愛を感じるものの抱こうとはしないので、ナイフ投げの的になることでエクスタシーを感じる(そう見えた)。
ダニエル・オートゥイユにはこういう渋い役のほうが似合いますね。前回見たのが『メルシィ!人生』だったからな・・・
いくら運が大切だからと言って、ライトを消して運転しては危ないです。
2014年12月12日
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鑑賞方法:DVD/BD
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劇場公開時に観たような、観てないような。曖昧な記憶をはっきりさせるべく、レンタルで確認。やはり観ていた。
ところが、主人公が最後に訪れる街、イスタンブールの記憶が全く残っていなかったのは不思議だ。ラストシーンは、あの街を訪れたことのある者ならば間違うことのない、ガラタ橋での再会。自分にとって思い出深いイスタンブールが映画に登場していて、それを憶えていないとは。
ヴァネッサ・パラディの好演が光る。周囲から尊重されることない不安を抱えて生きる者の辛さ、寂しさ。彼女はそれらを、出会う男たちとのセックスを通した関係で乗り越えたと思い込む。この思い込みは本人も自覚したもので、これ以外に他人との信頼関係を取り結ぶ方法を知らないだけなのだ。この無垢さと、男とみればすぐにセックスに誘う少女の魔力とを見事に両立させている。
「的とは寝ない。」ダニエル・オートゥイユのナイフ投げが出会いのときに口にした言葉はこの作品の重要なテーマとなっている。つまり、セックスでしか人間関係を築くことの出来ない少女に対する、セックス抜きで命を賭けた信頼関係を作っていく男の挑戦である。
オートゥイユはしかし、パラディが他の男と寝ることに関しては全く頓着しない。ただ、並外れた幸運を持ち合わせた彼女と行動をともにできればそれでいいのだ。地中海上を行く客船から新婚の男と消えるまではそれでよかった。ところが、彼女と離れた途端に、ナイフは新しい的の脚に刺さり、たどり着いたイスタンブールの街で落ちぶれている。
船上から逃げたパラディも、救助された軍の基地で男女の関係のもろさを知り、ギャンブルでのツキも失ってしまう。
お互いがもう一方の存在を不可欠の存在と認め合う状況になり、一緒にいたいと思う感情の横溢。あまり表情が豊かとは言えないオートゥイユの演じる中年男の佇まいが胸に迫る。公開当時にまだ20代だった私にはピンと来なかったとしても不思議ではない。そして、イスタンブールの橋の上のシーンが記憶に残っていないことも同じ理由によるのだろう。