博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったかのレビュー・感想・評価
全70件中、1~20件目を表示
時代によって色を変える作品。
◯作品全体
40年以上に渡って続くことになる冷戦。本作が公開されたころはまだ20年程度の期間だが、その時代を生きている人にとってはいつ始まるかもわからない大国同士の戦争に20年も心配し続けていることになる。
本作を見る時代によって捉え方が全然違うように感じる。公開当時からブラックジョーク作品として注目されていたようだが、冷戦真っ只中の時代にこの作品を見たとすると、今ある平和の脆さを鋭く突き付けられている感じがする。さらに言えば核戦争後の地下世界も「選ばれし人だけの世界」だと言い聞かせられているようにも受け取れる。ストレンジラブ博士のキャラクター造がフィクションであることを意識させるから嫌味っぽさはないけれど、モヤっとした感情にはなりそうだ。
だが、そのモヤっとした感情こそがブラックジョークの醍醐味なのだろう。1960年代にこの作品を見ていたとしたら、登場人物の尖ったキャラクター像の面白さと無責任さの歪みに揺さぶられていたに違いない。
2024年に見る本作は、「冷戦もの」の枠組みにある作品として映った。米ソの核戦争というIFがあり、核戦争を実行しようとするものと阻止するものの衝突がある…といったような。過ぎ去った時代は俯瞰することで構図を見てしまいがちだけど、本作を見る視点としてはもったいない視点なのだろう。冷戦の時代のさなかで、本作の当時者として見たほうが、きっとより楽しめたような気がする。
「色褪せない名作」みたいな語り口は少し似合わない作品だ。むしろ時代によって色を変える作品だろう。個人的には、戦争のくすぶる臭いを嗅ぎながら見る本作は、きっとより刺激的で魅力的だったと思った。
○カメラワークとか
・『現金に体をはれ』や『非情な罠』で印象的だった鏡の演出。本作ではリッパー准将が拳銃自殺するシーンで、実像は映さず洗面所の鏡に映るを映していた。英軍将校の「爆撃機の帰還コードを教えろ」という声掛けを無視して洗面所へ向かうリッパー准将の様子から、鏡に映ったリッパー准将が英軍将校にとって虚像のような存在となっていることがわかる。
○その他
何かにのめり込んで狂ったような行動、表情を見せる登場人物の描き方はさすがのキューブリックなのだな、と思った。リッパー准将の発する言葉や行動は「反共」という思想が根源にあって、目の前にいる人物をほとんどいない存在のようにとらえていたり、便利な道具のように使ったりする。リッパー准将の目線や口調、迷いない仕草が逆に「狂っている」表現になっていて、特徴になっているのがすごい。作戦会議室での将軍やストレンジラブ博士の芝居は少しやりすぎなような気もするけれど。
エンタメキューブリック❗️(もちろん単なるエンタメのわけがない)
若い頃にカッコつけてキューブリックに少し手を出してみたことがある。
映画青年なら一度は通る道ではないだろうか(笑)。
結果として当時の自分が感じたのは「スゴイ❗️でもわからん❗️」だった(笑)。
そんな中でこの『博士の異常な愛情』は『現金に体を張れ』と並んで、自分にとって分かりやすく面白い映画だった。
ちなみに『シャイニング』もメチャクチャ怖くて面白かったのだけれど、エンディングが原作とはまったく異なるため、なんとなく原作のエンディングを感傷的だと否定するようなキューブリックの冷徹な視線が感じられ、当時スティーヴン・キングの小説にハマっていた自分はモヤモヤしたものである(笑)。
そもそもキューブリックは「人間」に対して感傷的には絶対ならない人で、そのことは最後まで首尾一貫していたと思う。
この映画も感傷的なことは一切排し、核戦争に突き進む愚かな人間たちを描いたブラックユーモア作品であり、核問題について真剣に考えている人たちを不快にさせかねない内容かもしれない。
でも「笑い」というのは批評精神、批判精神を持つものであり、一つの思想や考え方に凝り固まっているような時にふと我に帰って冷静になったり、客観的になったりするために必要なものだと自分は考えている。
国家の狂気、特に国家が有している狂気じみた攻撃性というものに冷や水を浴びせかける装置としても「笑い」というのは必要なものではないだろうか。
たとえそれがほとんど無力なものであったとしても。たとえそれがいささか不謹慎なものであったとしても。
人間は笑ってはいけない、と言われると余計に可笑しくなったりするもので、厳粛な葬儀の席で珍妙な出来事が起こってしまったりすると笑いを堪えるのが大変だったりするが、人間はやっぱり不謹慎な笑いというのが一番好きなのである。
空軍基地を預かる司令官なのに「共産主義者が水道水にフッソ化合物を混ぜてアメリカ人の高貴な体液を汚している」という陰謀論に取り憑かれた挙句、ソ連に核攻撃を仕掛けるリッパー准将。
リッパー准将の狂気に乗じて一気にソ連を壊滅させるといきまくタージドソン将軍。
任務を遂行しようと愚直に行動し、ロデオよろしく核爆弾にまたがって「ヒー、ハー!」と絶叫するコング少佐。
どう見ても不謹慎な感じで、笑っていいんだかなんだかよくわからないが、やっぱり笑ってしまう。
極め付けはピーター・セラーズ演じるストレンジラヴ博士。
元ナチスの科学者のため、ついつい「ハイル、ヒットラー!」と右腕を挙げそうになるのだが、その右腕を左腕で必死で止めようとして逆に右腕に首を絞められたりするのだ(笑)。
ピーター・セラーズといったら自分にとっては羽佐間道夫が吹き替えをしてた「ピンク・パンサー」シリーズのクルーゾー警部なのだか、羽佐間道夫の声の面白さがなくても、動きだけで人を笑わせられる天性のコメディアンだというのが本作を観るとよく分かる。
そして、いずれのキャラクターもデフォルメされ戯画化されていてついつい笑ってしまうのだが、戦争まで突き進んでしまう人間性というものを意外と的確に捉えているのではないかと、ふと感じてしまう。
笑ったあと、慄然とさせられる。
これはそんな映画であり、『シャイニング』で感傷的なエンディングを拒絶して自分をモヤモヤさせてくれたキューブリックの冷徹な人間観察眼がここでも炸裂している。
『2001年宇宙の旅』だけを観て、分からん❗️と怒ってキューブリックと縁を切った方がいたら、もしかしたら本作でよりを戻せるかもしれない。
中には不謹慎すぎる❗️と余計怒ってしまう人もいるかもしれないけど(笑)。
コーラはどうでもええねん!
なんやこの長いタイトル!絶対覚えられへん!と気になってはいたけれど難しそうな映画やなと思いあらすじすら読んでいなかった。今回、WOWOWで放送されたため視聴。
ジャンルはコメディと書いてあったけれど、苦味強すぎる…必死に止めようとするものと必死に作戦を遂行しようとするもの。偶然に偶然が重なり結局…。現実にありえそうと思ってしまうところが恐ろしい。最後のまた会いましょうという歌詞が最大の皮肉やなと思う。
小銭がないので大統領に電話できないとあたふたする大佐が自販機を撃つよう兵士に言い、兵士がコカコーラに訴えられると返すシーン。思わずコカコーラどうでもええねん!とつっこんでしまった😅
ピーターセラーズどこでてるんやろう?あれ?この人も似てるなあ、この人もそうやなあってぼんやり見ていたら1人三役!?いや〜参りました。
面白すぎる
恐るべしピーター・セラーズ 〜 風刺が効いてる
ピーター・セラーズが、イギリス空軍マンドレイク大佐( … 戦時下ビルマでの日本軍による残虐な体験を語る姿にドキリ。)、マフリー米大統領( … 緊急時にもかかわらず、本論に入る迄が長い。)、ストレンジラブ博士( … ナチスドイツの科学者。ドイツ語を英語に直訳した名前。不自由なはずの右腕がおもむろに上がり、ナチス式敬礼を。いきなり「 総統!」と叫ぶ事も。)と、個性的な三役を熱演。中でもクセの強いストレンンジラヴ博士のインパクトが半端ない。
飛行中のU.S.AIR FORCE機内で、雑誌『 PLAY BOY 』を眺めたり、カード遊びなどをして寛ぐ搭乗員達の元に、ソ連への報復攻撃として核基地へ核爆弾を投下する「 R作戦 」が発令される。信じ難いその命令に、「 もしかして忠誠心テストか?」と疑いたくなるのも頷ける。
ペンタゴンの戦略会議室での彼らの陳腐な言動が、事態の異常さ、危うさを一層リアルに感じさせる。
絶対に起こり得ないと断言出来ない今の世界の不安定さを改めて恐ろしく感じた。
ー 躊躇いもなく核爆弾を落とせるような奴は人間じゃない
ー もう後戻りは出来ない
NHK-BSを録画にて鑑賞 (字幕)
「われわれの高貴な体液が汚されている」
アメリカ空軍戦略航空軍団・バープルソン空軍基地司令官のジャック・D・リッパー准将(スターリング・ヘイドン)は人知れず気が狂っており、彼は独断で「R作戦」を発令します。
「R作戦」とはアメリカが核攻撃を受けワシントンが壊滅状態となり、指示命令系統が破綻した場合に、報復のために下級指揮官の判断だけで核攻撃を行う命令です。その命令を受けた34機のB-52戦略核爆撃機はソ連各地の攻撃目標を目指し飛行を続けます。
たった一人の狂気が人類全体を危機に陥れかねない核時代の恐怖を描いた本作、まさにブラックユーモアの教科書的映画として愛すべき名作です。登場人物がほとんどみんな頭おかしいし、人類存亡の危機なのにやってることはずっと茶番劇だし、振り回されるだけの大統領、ソ連の駐米大使、ナチの残党の天才科学者、カウボーイ気取りの機長とみんなキャラが立っています。機長が馬の代わりに核弾頭に乗って振り落とされないまま落下していくロデオシーンは最高です。
この映画はキューブリックという鬼才とピーター・セラーズ、ジョージ・C・スコットという名優たちが創り上げた娯楽大作、まったくのフィクションですが、核兵器は真面目な政治家と真面目な科学者たちが真面目に創り上げたまったくのリアルです。映画は人類を絶滅させませんが核兵器はそうではありません。世界を破滅に導くのは真面目な人間たちであり、真面目な人間というのは手に負えないものです。敵対勢力を「地上から消し去る!」と叫んでいる指導者も、おそらく本人は大真面目なのでしょう。
リッパー准将と同じように「われわれの高貴な体液が陰謀によって汚される!」と叫ぶ真面目な人間は今も後を絶ちません。正気を失った真面目な人間ほど始末に負えないということを本作はわかりやすく教えてくれます。そしてキューブリック亡き今、そういう人間は増え続けていくのでしょう。
コメディではなくリアリティある警告に思える
冒頭に「このような出来事は絶対に起こらないことをアメリカ合衆国空軍は保証する」とのテロップが出る。でも、映画を見終わって「本当にそうか?」と思った。軍のトップが異常な思想に染まる可能性はゼロではないし、攻撃システムを一度作動させてしまうと止めることが難しいということはあり得ると思う。
映画では大統領は適切な判断をするまともな人として描かれている。一方、現実の大統領が「選挙は不正があった」と言って議事堂の襲撃をあおるということが起きた。核のボタンを押すことができる人が異常な思想を抱くということが現実に起こっている。
映画は核の脅威を描いているけど、将来、人間の知能を超えたAIが人類を選別したり、破滅的な害を与えることがあるかもしれない。攻撃システムを止められないのと同じで、AIの暴走を止めることができなくなるかもしれない。
映画の中のドイツ系の博士は、わかりやすい異常思想で、彼に賛同する人はほぼいないと思う。でも、現実は「魔女狩りだ」などと言う大統領候補に賛同する人がとてもたくさんいる。映画を見て、今の世の中はとても怖いと改めて思った。
笑えない時代に逆戻り
アメリカ軍の将軍が勝手にソ連への核攻撃を命令、実行しようとした。
ソ連は対抗するため地球最終兵器を準備段階に進める。
ヒトラーを敬愛するストレンジラブ博士は・・・。
核は単なる抑止力から、武器としての抑止力に格上げされた今、果たして・・・。
ピーター・セラーズの一人三役は見事。
さすが キューブリック監督作品
戦争をブラックユーモア満載で皮肉たっぷりに描く!
まず本作で一番驚くのは、邦題があまりにも長いことでしょうか。それだけでもこの映画が以下に変わっているかが分かります。
司令官ジャック・リッパー将軍が精神に異常をきたし、ソ連への水爆攻撃を命令してしまい、ソ連側が保有している核の自爆装置は水爆攻撃を受けると全世界を破滅させてしまうという、とんでもないがありえそうな物語です。
たが本作は完全にコメディタッチなのです。会議室の場面がホント皮肉たっぷりなコメディ具合。水爆攻撃を機にソ連をつぶそうと考える将軍ですが、大事な時期に愛人から電話がかかってくるという緊張感の無さ…。危機的状況であろうともいがみあう両国の代表者で、冷静と思われる大統領同士の電話でさえコミカルに描かれるというブラックコメディ具合です。
そうなんです、何十億人いや地球人類の全ての命は、この緊張感が無い人間達に握られているという驚愕のシーンなのです。映画の冒頭では、アメリカ空軍が「映画はフィクションであり、現実には起こりえない」とコメントが入るのだが、映画のノリからするとそれさえも風刺と思えてしまう程です。
ストレンジラブ博士による、世界が破滅した後の人類の生き残り計画がこれまた突拍子もない。選抜された男性と性的魅力のある女性を1:10の割合で地下の坑道に避難させ核が消える100年後まで生き延びるというもの。妄想かも分からない計画に、権力者達は魅力高い女性が多いという事実に喜ぶ者まで出る始末です。いや~呆れてしまいますね。
その直後に淡い曲と水爆のきのこ雲の連続するシーンが映し出され、なんとも言えない気持ちで映画は終わってしまうのでした。これから核戦争がはじまってしまうんだと言わんばかりに…。
ちなみにラストシーンでは、ソ連の大使館が会議をカメラで隠し撮りしているのですが見つかってしまい、パイ投げが始まるというラストも撮られていたみたいなのです。水爆シーンの中、パイ投げ…。さすがにブラックユーモアの度を過ぎたと感じたのか、カットされたようですね。
両国の権力者のドタバタをよそに、命令のために意地でも水爆を落とすため命を懸け水爆と一緒に落ちていくキングコング少佐の姿が妙に印象が残る映画でありました…。
狂っている人たちに操られている国家
30年ぶり位に視聴した。今となっては、東西冷戦の対立構造とは状況が異なってしまっているが、東側、西側それぞれの人物の本質、言い分に対する強烈な皮肉が込められていて、軍拡競争に対するキューブリックの考えが表現されていると思った。
米軍の攻撃指令は、共産主義者の陰謀論が、本当であると信じてしまったリッパ―准将から出される。相手を必要以上に恐れることから、敵を過大視し、思い込みから狂気に至っている。登場する軍人は、総じて好戦的で、相手を疑い、自分が罰せられないこと、自分の秘密は守ろうとして行動している。B52の機長ユング少佐は、カウボーイハットを被り、突撃に興奮する勇敢なアメリカ人として描かれ、しかし、それは神風特別攻撃隊の姿にもダブって見えた。
また、B52内の搭乗員が操作をするシーンなど、軍の動きについては、正確でリアルな感じで描かれ、指示どおりに実行しているのに対して、個々が主体的に行動する部分については、個性的で偏った趣味や思想をもった描き方であった。人間は、個々の考え方は様々で、間違えることもあって、その組み合わせ次第では、このような大事態も起こり得ると示唆をしているのではないか。
ピーター・セラーズの博士は、ヒトラーを崇めていた兵器開発者として、右手がついつい上がってしまうのが笑えた。ミサイルやICBMの技術は、ドイツの研究者を米ソ等が召喚して開発させたというのが背景にある。その殺戮を尽くして、人類を支配する野望を隠しながら、総統の夢を実現しようとするように描かれている。ナチスや神風なども取り込んで、その狂気も描きたかったのだろう。
英国製作の映画ということもあり、ピーター・セラーズを起用し、リッパ―准将の副官、米大統領、Dr.ストランジラブ(異常な愛情)の3役を見事に演じ分けていた。何とかして核戦争を阻止しようとする演技と核戦争をデザインした側が、一人の中に存在するというような暗喩もあるのかもしれない。
キューブリックは、このような核軍拡競争を、本当にバカバカしいと思っていたのであろう。痛烈に皮肉ることで、この映画を不滅なものにしている。と共に、それが歴史的に本当に起こったという事実から吾々が何を学ぶかが大切なのではないだろうか?
自分は、軍拡競争は、政治家や金融資本家らが、恐怖と対立を煽って、意図的に紛争や戦争を起こし、そこから自分たちに利益が生じて、大儲けができるように国際世界を操っていると思っている。そういう人たちも、恐らくこの映画に登場する人物たちのように、端から見ると狂っているに違いない。
コントだよね?
核爆弾という世界で1番危険なものをコントに使うなんて、皮肉が効きすぎている。
あれだけ深刻に話し合っていた(?)癖に、最後ひょんなことで爆弾を落としちゃって、ドリフかってぐらいありえないほど大爆発させていたのがブラックジョークすぎた。
こんな調子で戦争が進んでいたらと思うとゾッとするが、うっすらと現実味のあるところが恐ろしい。
We'll meet you again‼️
アメリカ軍の司令官が、ソ連への水爆攻撃を命令した。周囲は司令官の狂気を止めようとするが、事態は国際問題となり既に手遅れ。そして大統領自らソ連に撃墜を依頼するが・・・叫び声を上げながら、爆弾に股がって地上に落下していく兵隊‼️炸裂するアトミックボム‼️美しく不気味で巨大なキノコ雲‼️世界滅亡のその時に甘く流れるラブソング "また会いましょう" ‼️原爆という重いテーマを、これほどまでにブラックな笑いの対象として料理できるスタンリー・キューブリックの "神様の視点" はホント素晴らしい‼️ヒコーキブンブンのジェスチャーのジョージ・C・スコットも狂演してますが、やはりピーター・セラーズですよね‼️副官、大統領、ストレンジラブ博士をひとり3役で怪演する彼のことを一時期本気で3つ子だと信じ込んでました‼️
皮肉と狂気が入り混じり素直に笑えないコメディ
全70件中、1~20件目を表示