どん底のレビュー・感想・評価
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実験作なので一般向けではありません
まずは、日本語字幕をONにしないと、何をいっているのかサッパリわからないのでご注意。
特にまとまったストーリーはなし、盛り上がりもサスペンスも皆無なので、七人の侍、用心棒、天国と地獄のようないかにもダイナミックな娯楽大作を期待すると外れます。
黒澤ファンか映画研究者以外には面白くはありません。
アルトマン親分のナッシュビルみたように、どうでもいい話がダラダラ続きます。
ただ、映像的にはロングショットを多用した所謂黒澤調です。
この作品の魅力は役者陣の芸達者ぶりにありますが、映画技術としては、後の用心棒や赤ひげに繋がるパンフォーカスを駆使した精確で安定した精密な画面で構成したことです。
要するに実験作です。
ゴローロップ
明日も明後日も不幸…
いつの時代にも、金も心も豊かな者がいれば、金に貧しく心も貧しい者もいる。
そして、大体は豊かな者は豊かな者同士で、貧しい者は貧し者同士で集まって
暮らすモノだ。
そんな「全てにおいて貧しい者達」が集まった集落。 今日が不幸なら、明日も
不幸…明日も不幸なら、明後日も不幸… どうにもならない状況が、いつまでもいつまでも続く…
そんな時には、とても小さいながらも、自分達でやれる祭りでもやって、心を
慰めるしかない。 だが、そんな僅かな心の猶予の時間も、あっさり崩れ去る…
なら、また下らない人生を続けようじゃないか…
そんな「人間の業」を描いた作品。
我慢して見るべし
黒澤明はなぜこの映画を撮ったのか?黒澤は、この映画の後、立て続けにアクション映画ばかり撮ってそれが大成功して全盛期を作った。その前にこの映画をなぜ短期間で撮り上げたのかということは着目に値する点ではないかと私は思う。黒澤は三船敏郎という俳優をえてアクションを撮り始めるわけであるが作家としては本来そうではない。この作品ようなものを描くタイプなのだ。それは映画監督にデビューする前に20代で書いた「だるま寺とドイツ人」と晩年に撮った「8月のラプソディー」という映画の内容がとてもよく似ているという点からもはっきりしている。黒澤明は面白いことに作家としての資質と監督としての資質がズレているのだ。監督としてはどうしてもアクションを撮りたいのであるが作家としてはどうしても人情ものを書きたい人であったのだ。そしてこのタイミングで「どん底」を撮った。黒澤は作家としての自分を終わらせるためにこの作品を撮ったんじゃないかと思う。
さて、この映画は見る前にひとつだけ予備知識が必要である。それは決し手に汗握るとかワクワクする映画ではなく我慢して見るべき映画だという点だ。三船敏郎が出ているが決して主役とは言えない。カッコよくもない。いつもと違って感情的になりやすく頭が良さそうに見えない。この映画は群像劇なのだ。それをまず最初に知ってからじっくり我慢して見る気になってみよう。見終われば、何かよくわからんがグっとくるものが塊のように心に残ることだろう。
カメラワーク的に面白いと思ったのは一番最後のちんじゃらどんどんのシーンだ。この部分ではアップが多用されている。全体的にアップが少なめなのにここんところで大胆にも多用しているのはちょっと度肝抜かれるものがあった。アップを使うことによってそれまで江戸時代の人物たちを見ていた感じから、昭和の俳優を見ているような感じに変わった。「どうです?この俳優たち、魅力的でしょう」という監督の声が聞こえてくるような気がした。この部分の演出により暗い話が少し明るい雰囲気になり地味な映画が少し楽しめたような気分がしてくる。そして最後の締めくくりがまたアップで終わる。これは途中でアップを多用していたからこのラストが決まったんだと思う。「これは映画ですよ。劇ですよ」って感じに。
地味ではあるが白黒映画の魅力に富んだ、とても面白い映画だった。
好きだけど、もったいない
演技巧者の見事なアンサンブルに浸る。
Blu-rayで鑑賞。
原作は未読です。
棟割長屋で繰り広げられる群像劇と云うことで、黒澤明監督にしてはかなりこじんまりした作品だなと思いましたが、つくり方がとても実験的でした。「七人の侍」などで行われていたマルチカメラ方式の総決算的要素が強く、入念なリハーサルを重ねた上での本番は結構長尺な長回しで撮影され、キャスト陣の緊迫感と演技の熱量が画面越しに分かるくらいに濛々と立ち込めていて、圧倒されっぱなしでした。本作が上質なクォリティーで成立しているのは、監督の手腕だけでなく、演技巧者な俳優たちによる見事なアンサンブルの賜物だなと思いました。
特に、山田五十鈴の演技が目を引きました。嫉妬に狂った女の壮絶な性を表現するために、目の動きや表情など細かい部分まで徹底的につくり込んでいるように感じられて、筆舌に尽くしがたいほどの強烈な存在感を醸し出していました。
様々な事情を抱えた登場人物たちの織り成す群像は、黒沢監督の貧困への怒りと人間愛に満ちた視線によって、時にユーモラスに、時に残酷に描かれていて、ハッとさせられること度々でした。一筋縄ではいかない人間と云う生き物の複雑さが浮き彫りになり、享楽的な踊りによって高揚した気分がどん底に落とされて終わるラストシーンが印象的でした。
①会話だけの映画、 ②観てて楽しくない、 ③心が躍らない・弾まない
何を語りたいのかが置き去りになっている気がする
観ていて抜け出したくなります
文字通り名優たちの競演に一見の価値あり
江戸時代の貧乏長屋に暮らす最下層庶民の哀歓を描いた傑作映画。 それぞれの貧困の理由を抱えた住民たちの生活ぶりから「生きる」とは何かという命題を突きつけているかのよう。黒澤映画は俳優もセットも飛び抜けて魅力的だ。左卜全が演じていたわけ有り老人の存在が光った。 映画の最後の方で、長屋の酒に酔った住民たちがそろって奏でる音曲の場面は特に秀逸。今、思うと、黒澤映画はもったいないほどのそうそうたる俳優人をあまた揃えて何と贅沢に作り上げられたものか、と改めて思った。他の黒沢映画同様、一部の音声が聞き取りにくいのが残念でした。
なお、本編はロシア文学好きの黒澤明監督がゴーリキ作品を舞台を江戸時代に移して映画化したもの。「白痴」の場合同様、本場のロシア版よりも原作の本質を表現している、との評価もある。
どん底に表れた仏陀
マジどん底。観終わったあとそう呟きたくなる。なんとかして得た金はすぐ酒かバクチで溶かす、金がなければ寝るか人にたかる、真面目に働く人をバカにして足を引っ張る。そんな男が数人。昔の(多分美化された)思い出にすがるヒス女。どん底だ。
仏陀はその昔、悩める人々が自発的に悟りに至れるようなアドバイスを人それぞれ違った形で行っていた。しかも彼は一義的な教えを書にまとめることもなく死去したので、彼の教えの解釈は分かれ、宗派は分裂していった。
長屋に表れた一人の老人はさながら仏陀そのものであった。黒澤なりにゴーリキーの戯曲を日本でアレンジした結果なのだろうけど、左卜全演じる彼は見ている僕を励ましてくれているようだった。少し大袈裟かもしれないけど、長屋がこの世界の縮図としたら、彼はそんなどん底の世界で信じたい綺麗事そのものなのだ。
そして彼が去った後の長屋の様は悲惨極まりなく、でもこれでよかったのかもなとも思える。暗い話のはずなのに不思議な諦念というか、そんなものがありました。
救いのない諦めの中の退廃
総合:50点
ストーリー: 75
キャスト: 75
演出: 75
ビジュアル: 55
音楽: 60
江戸時代の庶民の生活とは現在とはあまりにかけ離れている。ましてその時代の貧困層ともなれば普通の幸せなんてどこを探してもなくて、人々はそれぞれのやり方で浮世を忘れる。売春婦は嘘と夢想の中に自分の幸せを求め、あるものは酒に逃げ、あるものは安っぽい賭博に夢中。これだけ光のさすことのない生活の中でも、人々はかろうじて自分のすがるものを見つけて現実を忘れながら生きていく。それでこの小さな社会に狂気を帯びながらも妙な均衡が出来ている。
しかしきつい作品である。登場人物は個性的だし映画として文学的価値があるとも思うのだが、もう見たいとは思わない。もし自分がこの時代の彼らの立場に生まれ、彼らの人生を自分に置き換えたらと思うと本当に恐ろしい。外国のスラム街を歩いたときに見た、どうにもならない絶望や諦めの中に生活する路上生活者の人々や貧困層の人々を思いだす。自分は安定した社会の上にいてそこから彼らを覗いているだけという、他人事の立場でこの映画を見れない。見ていてかなり辛いだけだった。経済的不況の続く現代日本にもこのような社会が少しずつまた増えているように感じる。
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