どん底

劇場公開日:1957年9月17日

解説・あらすじ

ゴーリキーの同名戯曲を、黒澤明監督と小国英雄が翻案。陽の当たらない、江戸の場末の棟割長屋に暮らす人々の人生模様をユーモラスに描いた辛口辛口群像劇。黒澤としては珍しく短期間・低予算で仕上げた作品といわれる。入念なリハーサルを繰り返し、本番では複数カメラで一気に撮り上げた。物語のほとんどが長屋の中で展開されていながら、極限の臨場感と緊張感を見るものに与える複数カメラ演出が光る。

1957年製作/137分/日本
配給:東宝
劇場公開日:1957年9月17日

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映画レビュー

4.0 【”人生のどん底で生きる男女達の負の業が炸裂するパンク群像劇。”今作は四方を壁で囲われたどん底のあばら家に住む男女達の姿をワンシチュエーションながら物凄い熱量で描いた作品である。】

2026年8月19日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

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◆感想

・今作には複数の人物が登場するが、前半での出色のキャラクターは左卜全演じるお遍路の恰好をした老人である。
 身元は良く分からないが、時に”河原の石ころの様に生きて来たから、丸くなった。”などと、仙人のような事を口にしながら、身元が知れない所や、絶妙のタイミングで諍いの場に登場する姿などは、ナカナカである。

・今作では、黒澤明監督の常連で出演時にはほぼ主役の三船敏郎をいるが、大屋の妻を情婦にしていながら、その妹かよを愛人にしようとしている屑男として登場しつつ、弾みで大屋を殺してしまい、アッサリと退場するのである。
 つまりは、今作に主役はいないのである。が、それが今作を面白くしているのである。

・作品の雰囲気としては、元パンクロッカー町田康の著作のような負の訳の分からないエネルギーが漲っているのである。
 勝手な推測であるが、町田康は今作に可なり影響を受けたのではないかと思うのである。

・まずは、メイン舞台のセットが凄いのである。
 私は、邦画の屋内意匠を観れば、その映画の実力が分かると思っているが、今作のどん底に建てられたあばら家や、その内部の意匠は凄いのである。どうやって作ったのであろうか。

・そして、そのあばら家の中で繰り広げられる人間模様の面白さよ。嫉妬、諦観、昔を懐化しつつもそれを威張る虚勢、嘘、自暴自棄、酒に溺れる人間の姿。
 今作では、人間の負の業が延々と描かれるのである。

・大家が死んだあと、お遍路の恰好をした老人は姿を消し、残った人達は酒を飲みながら、叩きものを叩きながら、チンドン屋の様に踊り回るのである。
 そこに、黒澤組ならではの大雨の中、男が飛び込んできて”役者が死んだ。”と告げるのであるが、中心で踊っていた男はそれを嘆くわけでもなく”折角の踊りをぶち壊しやがって!”と眼をひん剥いて叫んで、画は暗転するのである。

<今作は四方を壁で囲われたどん底のあばら家に住む男女達の姿をワンシチュエーションながら物凄い熱量で描いたパンクな作品である。>

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NOBU

4.0 実験作なので一般向けではありません

2025年1月14日
PCから投稿

まずは、日本語字幕をONにしないと、何をいっているのかサッパリわからないのでご注意。

特にまとまったストーリーはなし、盛り上がりもサスペンスも皆無なので、七人の侍、用心棒、天国と地獄のようないかにもダイナミックな娯楽大作を期待すると外れます。
黒澤ファンか映画研究者以外には面白くはありません。
アルトマン親分のナッシュビルみたように、どうでもいい話がダラダラ続きます。

ただ、映像的にはロングショットを多用した所謂黒澤調です。
この作品の魅力は役者陣の芸達者ぶりにありますが、映画技術としては、後の用心棒や赤ひげに繋がるパンフォーカスを駆使した精確で安定した精密な画面で構成したことです。

要するに実験作です。

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越後屋

4.0 ゴローロップ

2023年11月7日
iPhoneアプリから投稿

藤原釜足が良い。こいつは春から縁起がいい。気持ちは晴れても、そこはどん底。自らの心の波風など鎮めてしまいたい。安寧を得るために空想で長らえて何が悪いか。固執して這いずって何を得るのか?どうせそこもどん底。
セッションが如くグルーブが突き動かすラスト。届く悲報に捨て台詞から完。大昔に一度見ただけだがこの潔さは記憶に刻まれていた。

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Kj

4.0 我慢して見るべし

2022年1月12日
PCから投稿

黒澤明はなぜこの映画を撮ったのか?黒澤は、この映画の後、立て続けにアクション映画ばかり撮ってそれが大成功して全盛期を作った。その前にこの映画をなぜ短期間で撮り上げたのかということは着目に値する点ではないかと私は思う。黒澤は三船敏郎という俳優をえてアクションを撮り始めるわけであるが作家としては本来そうではない。この作品ようなものを描くタイプなのだ。それは映画監督にデビューする前に20代で書いた「だるま寺とドイツ人」と晩年に撮った「8月のラプソディー」という映画の内容がとてもよく似ているという点からもはっきりしている。黒澤明は面白いことに作家としての資質と監督としての資質がズレているのだ。監督としてはどうしてもアクションを撮りたいのであるが作家としてはどうしても人情ものを書きたい人であったのだ。そしてこのタイミングで「どん底」を撮った。黒澤は作家としての自分を終わらせるためにこの作品を撮ったんじゃないかと思う。
さて、この映画は見る前にひとつだけ予備知識が必要である。それは決し手に汗握るとかワクワクする映画ではなく我慢して見るべき映画だという点だ。三船敏郎が出ているが決して主役とは言えない。カッコよくもない。いつもと違って感情的になりやすく頭が良さそうに見えない。この映画は群像劇なのだ。それをまず最初に知ってからじっくり我慢して見る気になってみよう。見終われば、何かよくわからんがグっとくるものが塊のように心に残ることだろう。
カメラワーク的に面白いと思ったのは一番最後のちんじゃらどんどんのシーンだ。この部分ではアップが多用されている。全体的にアップが少なめなのにここんところで大胆にも多用しているのはちょっと度肝抜かれるものがあった。アップを使うことによってそれまで江戸時代の人物たちを見ていた感じから、昭和の俳優を見ているような感じに変わった。「どうです?この俳優たち、魅力的でしょう」という監督の声が聞こえてくるような気がした。この部分の演出により暗い話が少し明るい雰囲気になり地味な映画が少し楽しめたような気分がしてくる。そして最後の締めくくりがまたアップで終わる。これは途中でアップを多用していたからこのラストが決まったんだと思う。「これは映画ですよ。劇ですよ」って感じに。
地味ではあるが白黒映画の魅力に富んだ、とても面白い映画だった。

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KIDOLOHKEN