ファウンテン 永遠につづく愛
劇場公開日 2007年7月14日
解説
病に冒された最愛の妻イギー(レイチェル・ワイズ)の命を救うため、特効薬の研究に没頭する医師のトミー(ヒュー・ジャックマン)。イギーはそんな彼に、トミーの前世を思わせる中世スペインの騎士が、不死をもたらす伝説の<ファウンテン(生命の泉)>を探す物語を残していく。そして、2人が現在とは別の姿になった遥か未来の世界でも、2人の愛は続いていた――。監督は「π」「レクイエム・フォー・ドリーム」のダーレン・アロノフスキー。
2006年製作/96分/アメリカ
原題:The Fountain
配給:20世紀フォックス映画
スタッフ・キャスト
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2014年11月28日
iPhoneアプリから投稿
難しいのか面白くないのか。最後まで意味が分かりませんでした。ただ、ヒュージャックマンのかっこいいシーンがあるので、是非そこはみて欲しいな。
2014年3月7日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD
ストーリーはそんなに好きじゃないんですが、考えさせられたのは「死は病だ」という主人公の台詞です。なんだかこれを聞くととても悲しくなります。
西洋では2元論というのが古くから支配していまして、それは簡単に言うと「あるものと別のものとの違いをはっきりさせる」たとえばYESとNOの違いをはっきりとさせて、基本的に中間を認めないという姿勢なんです。
日本人だったらその中間のあいまいな姿勢というのはありなんですが、西洋では、もし仮に中間を認めるのだったら、どれくらいの割合でどっちよりで、それはなぜか、とか、白か黒かはっきりとさせることに異常なまでの執着を示します。また本当に中間の意見をもっているのであれば、中間であるという状態を具体的に示す必要が出てくるという、大変面倒くさい文化なんです。
で、その際たるところは生と死の捉え方で、生はよいもの、その反対に死は本来あってはならないタブーとしてとらえる傾向にあるようです。日本は仏陀の「割れた器は、割れていない状態がなければ存在し得ない」という言葉にもあるとおり、死を生の続きと見てその境をはっきりとさせない傾向があります。この考えは西洋では非常に受け入れずらものです。
映画の後半でいきなりヒュージャックマンが座禅を組んで浮いてしまうのも、日本人的には失笑かもしれませんが、西洋的には西洋文化では補いきれないレベルに到達した、という表現で、一応okなんだとおもいます。
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映画でまくりのヒュー・ジャックマン。彼とレイチェル・ワイズの生と死と愛という難しめのテーマに挑んだ作品。極めて評価高いのですが、私的にはいまいちでした。
内容は中世、現代、超未来(26世紀?)に3世代にわたって、ヒュー・ジャックマンが愛するレイチェル・ワイズの死を受け入れられず・・・というお話。うむむ・・・なんだか、さめた目で見ていました。理不尽な死、というのはいつでも誰にも訪れる可能性があるという事実をいつも突きつけられているせいなのか?
ただ、レイチェル・ワイズの演じる女性の悟っているレベルまでたどり着く人間ていうのはなかなか居ないと思いますけど・・・。例えば全身に転移した癌に対して数ヶ月の延命のために入院して化学療法を受けるか?という問いに対して、私は延命なしに自宅で家族と過ごすことを選ぶと思います。多分、レイチェル・ワイズの道と一緒ですね。
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