レミーのおいしいレストランのレビュー・感想・評価
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スタンディングオベーションをしたくなっちゃった
感動で体中の力が抜けてしまい、
席から立つことができなくなってしまいました。
でも、スタンディングオベーションしたくなったんですけどね(苦笑)
「野ねずみがシェフになりレストランを開く」
文字だけ見れば荒唐無稽な、お話なんです。
でも、途中から、そんなことはどうでも良くなってしまう。
「やってみなければ始まらない」
「不可能を可能にする」
「大切なのは勇気」
「誰もが名シェフ」
ポジティブで力の湧く数々の言葉が並ぶ。
美味しい料理を作ろうと協力しあうねずみたち、
そして、わかりあい手伝う人間たち。
もちろん、ラストはハッピーエンド。
かつては名を馳せていたレストランを酷評し
貶めた料理評論家をもうならせ、常連にしてしまう。
この評論家が残すコメントがおつ。
「一番大変なのは作り手。評論家は
それを評価するだけの楽な仕事だ。
作り手に敬意を払うべきである」
(こんなニュアンスだったはず)
まるでディズニーから、
映画評論家へ送られたメッセージのよう(苦笑)。
大人でも、子供でも、楽しめる映画です。
ねずみの可愛さは子供向けかもしれませんが、
メッセージ性から、もしかしたら大人向けかもしれませんね。
レミーのおいしいレストラン
パリの町並み 建物の描写がとても良い
アニメーションならではのスピード感溢れるカット割も小気味が良い
料理の才能があるネズミとコックの物語だけど…これほど奥が深いストーリーに仕上げるとは さすがディズニー
観客に楽しんでもらおうという心意気…
…を、ピクサーがしっかりと持っていることが改めて分かる一品。ピクサー首脳のアイドルである日本の某アニメ巨匠が、「楽しんでもらおう」から「考えさせよう」にシフトしているこの現状、頼もしく信頼できるスタジオだ。
物語中、レミーとリングイニの信頼関係は何度か危機を迎える。凡庸な物語だったら、そんな場面で主人公は周囲の声に流されてより悪い方に流れていくところだが、この物語では「信頼」がこちらの想像を超えて強く、安易に墜ちてはいかない。人を信じ、夢を信じ、己を信じる。そんな心の強さが感動的だ。
惜しむらくは、クライマックスの危機をレミー、リングイニ、コレットの当事者3人で乗り切れぬこと。カラフルな他の人間が役に立たず、まさかアレが料理するとは…どんだけ消毒してもアレは引く。難敵である評論家の吐く台詞も映画評論家を意識してるのでは…というのは考えすぎ?
キャラ造形は素晴らしい。特に気に入ったのがスキナー(米国名風?)。救いのないチビ小悪党だが、顔も体型も素晴らしい造形でなんだか憎めない。彼とレミーによるチビスケ同士のチェイスはスピード感、爽快感ともに最高級のアクション・シークエンスでした。
Le Festin!
劇中に出てくる歌の題名がLe Festinなんですが
その饗宴の裏側のキッチンでのねずみ模様を描いた今作。
レミーが、オチこぼれシェフリングイニ
と協力して二人の願いをかなえていくっていう
ストーリーなのですが、どちらかといえば大人向けですね。
クレジットの最後のほうに
NOT MOTIONCAPTUREっていう
ロゴを出すくらい、アニメーションに自信を持ってのぞんだようですが、
素晴らしかった!!
人間の動きを誇張して笑わせるっていうのをやってるのですが
レミーがコントロールしているっていう設定も手伝って
主人公のリングイニの動きがすばらしく面白い!
レミー含めネズミの大移動とかのホンモノのネズミっぽさと
パリの風景のリアルさもすごく感動。。
このアニメ感と実写感の対比がとっても良かった。
それにレミー目線で見たときの
人間とかもあって、面白い要素がいっぱい詰まっていました。
全編CGなので、やっぱり音は大事だなぁと思っていたのですが
サントラが欲しくなるくらい曲が素敵だった。
フランスというよりもっとイタリア(シネマパラディーゾ感?)っぽいような気もするんだけども・・・。
ネズミの足音とか
SEもとてもよかったと思います。
リングイニの同僚が結構面白そうだったのに
あまりつっこんで書いてないのが残念。
レミーの話だからしょうがないんだけど、
それならレミーのネズミとしての役割と
自分との葛藤とかをもーーっと出すか
レミーの兄弟の要素をもうちょっと減らして
もっとリングイニとコレットのロマンスを増やすか
してくれたらなぁーなんて。
コレットの生き方なんかは最近の日本のドラマに
共通する部分があるんじゃないかな?
ピクサーのアニメーション技術の高さを
存分に味わえる作品でした。
本編前のLiftedっていう短編をみて気づいたのですが
実は劇場でピクサー作品をみたのはこれが初めてでした(笑)
♪ネ~ズミ、ネズミ、ネズミ!♪
ディズニー&ピクサー最新作。これまで数々の映像マジックで驚かされてまいりましたが、今回はその設定で驚かされました。そうです、ディズニーなのに主役は“ミッキー”という名前ではないネズミ。しかもコイツが料理をするってんだからね~。
『ネズミが料理』と聞いて、一体どんな感じに仕上がるんだろう?と思っておりました。基本的に厨房に存在していたらイケナイ動物ですし、しかも事前の映像(予告編など)を見る限り、最もキッチンにいてはいけない“ドブネズミ”じゃございませんか!こんなん大丈夫かいな?と心配してたのですが、実際に映画を観てみるとコレが愛らしいし、カワイイんですよ!出てくる料理もホントに美味しそうに見えますし、ストーリーも決してお子様向けでなく、結構ヒネリも効かせてあって、とても楽しめました。特に料理センスゼロのリングイニ(この時点で、シェフを志望することがまちがってる!)をレミーが如何にコントロールして料理を作っていくのか?てシーンは、『んなこと、ムリに決まってるがな!』とツッコミを入れつつも楽しませてもらいました。
実写でネズミが料理してる(いや、出来ませんて…(^^;)映像なんてのは、恐らく“不潔!”ってことになってしまうと思うのですが、このアニメならそういうこと度外視で安心して観ていられますので、字幕版・日本語吹替え版共にこの夏家族でお楽しみになれる映画ですね。
Surprised!
「家族なんだから、○○してもいいのよ」の物語に感動するひとは多い。この映画の主人公であるレミーは、もちろん家族を愛しているけど、それ以上に、自分が料理人であることに誇りを持っている。家族でもなんでもない批評家に、一皿の料理を差し出し、判決をくだされる覚悟があるのだ。だからわたしは、その批評家がレミーの目をみて「Surprise me!」と言ったとき、感動せずにはいられなかった。
「わたしを驚かせて」。それはつまり、「本気出していいよ」ってことだ。「本気出していいよ」「全力でぶつかってきていいよ」って誰かが言ってくれるとき、躊躇なく泣き出してしまいそうにうれしくなるのは、何故なのだろう。わたしたちはそのとき初めて、ああ、ここに、ほんとうのともだちがいた、と思う。
でもそれがもし、「家族なんだから、本気出していいんだよ」とか、「家族なんだから、本気出さなくていいんだよ」だったら、とってもとってもつまらない。だってそれじゃ、いつまでたっても、新しい力に出会うことが出来ないのだから!
家族のよろこびも、新しい世界への挑戦も両方描くということは、とても難しいことだと思う。それに、あの大勢のねずみ! 観ていてやっぱりぎょっとする。その、ぎょっとする感じを残しながら、それでもレミーがシェフになれたということに不思議なリアリティがあって、すごい!
ピクサーの王者たる所以
同じ配給元のあのネズミを連想させないよう、主人公のレミーは極力擬人化されず、普段人間から忌み嫌われる対象である鼠として描かれる。パッチリと大きな目はご愛嬌だが、毛色は不衛生を思わせる澱んだ青で、全体的なデザインも“可愛い”というコンセプトからはかけ離れている。映画のマーケティングを考えれば致命的ともいえる決断により、この映画のユニークな方向性が決まった。まずマーケティングありきの映画製作から脱却したブラッド・バード監督の英断により、“自分の人生は自分で選択して決めるもの”というテーマが説得力を増す。
ネズミが料理する、というファミリー受けしそうなシンプルなプロットの上に立ちながら、マーケティングよりも作品の質を重視する。ピクサーの王者たる所以か。
ブラッド・バードにハズレなし。
シェフを夢見るネズミのレミーと、料理のできないレストラン雑用係のリングイニ、“ネズミだ”というだけで厨房に入れないレミーを帽子の中に隠して、リングイニがレミーの代わりに料理を作る・・・設立以来一本も凡作・駄作を作っていない驚異のスタジオ、ピクサーの新作映画。
今作の監督ブラッド・バードは、作品の中に強い作家性を出してくる人で、今回もご多分に漏れず。
人間、動物の生き死にから目を背けず、人間性というものの中に汚い部分が大いにあることを認めながら、それでも「人間って捨てたもんじゃないよ」と教えてくれる監督のその眼差し。僕達はその眼差しに、凡百のハッピーエンドものにありがちな、偽善的な人間性への賛辞とはかけ離れた本当の温かみを感じるのだ。
『レミーのおいしいレストラン』には、ブラッド・バード監督の第一作『アイアン・ジャイアント』の頃からの、監督の一貫した人間観がある。
それは即ち、『アイアン・ジャイアント』劇中での最も印象に残る台詞、"You are who you choose to be,"つまり「“きみがどんな人間であるか”は、きみ自身が選ぶんだ」という信念。“ネズミ”として生まれたら、いかに肥えた舌と料理への情熱を持っていたとしても残飯をあさりドブを這いずり回る“ネズミという存在”でい続けなければいけないのか?否。「お前はこうだ」という人の評価に従って生きるのか、「こうありたい」本当の自分として生きるかどうかは、他でもない「自分」が「選ぶ」のだ。
そして主人公のネズミ、レミーは「選ん」だ。
終盤、囚われの身から父や兄や仲間のネズミに助けられたあと、ネズミを忌み嫌う人間たちが大勢いる、危険だとわかっている厨房へ戻ろうとするレミーを「なぜ戻る?」と止めようとする父にレミーが答える。
「 な ぜ っ て 、 僕 は 料 理 人 だ か ら だ ! 」
アクションやSFを主軸としない、ヒューマン・ドラマを謳った映画でさえ、その実単なる映画利益追求型の、ハートのない映画(“ハート”のない“ヒューマン”ドラマというのも、そもそもおかしな話だ)であることが多い中、ピクサーの映画には常にハートがある。それはキャラクターのハートであり、作り手のハートでもある。
心のこもった映画を観ることは、この上ない幸福だ。
ちょうど、心のこもった料理でもてなされているのと同じように。
幸せで涙がこぼれました。
レミー、ごちそうさま。
この映画を嫌いという人とは仲良くなれない気がします。
おなかがすきました。
美味しい=幸せ
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