パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド : 特集

2007年5月31日更新

60年代のデビュー以来、ドラッグ問題などで世間を騒がせ、還暦を過ぎた今(63歳)もなお現役であり続けるローリング・ストーンズのギタリスト、キース・リチャーズ。音楽業界で最強の“ヘルレイザー”(めちゃくちゃな人)と異名をとる彼が、おそよ縁のないディズニー作品にいかにして出演するに至ったか? その経緯をお伝えする。(編集部)

悪名高きロックンローラーがディズニー映画に出演するまで

すでに周知の事実だが彼とディズニースタジオとの橋渡しをしたのは、他でもないジャック・スパロウを演じるジョニー・デップだ。彼が「ジャック・スパロウというキャラクターを作り上げる上でキース・リチャーズを参考にした」と告白した時、キースはローリング・ストーンズの不滅のギタリストとしてだけでなく、ジャック・スパロウの“モデル”としての新たな称号を得ることになった。

シリーズが3部作になることが決定し、「2」「3」を製作することになると、ディズニーはジャック・スパロウを生み出した影の功労者であるキースを出演させようと働きかけた。といっても、そこは根っからのロックンローラーであるキースのこと。「(お子様向けの)ディズニーと仕事するなんて、考えるだけでもゾッとするぜ」と、オファーを突っぱねたのである。そんなつれないキースを説得するため、誰よりも彼の出演を熱望するデップが自ら動き出す。06年4月、デップはワールドツアー中の彼のもとに3000着もの海賊の衣装を持参し、試着大会を開いたのだ。これにはキースも気を良くしたのか、「楽しい午後だった。今年の9月には撮影しているかもしれない」と、一転して自ら出演を示唆している。

だが、デップがキースのもとを訪れてから1カ月と経たないうちに、キースはツアーの合間にバカンスで訪れていたフィジー島で、椰子の木から落ちて頭を打ってしまったのだ。一時はその後のヨーロッパツアーの続行さえ危ぶまれたため、映画への出演も白紙になるかと思われたが、彼は奇跡的な回復をみせた。06年6月末にロサンゼルスで行われた「パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト」のプレスジャンケットでは、ディズニー側からキースの出演が正式に発表された。この頃には、キース本人は「椰子の木から落ちる役にしてくれよ」と自身の事故を笑い飛ばしてしまう豪快さを取り戻すまで回復していた。

だが、彼に用意されていたのはもちろん椰子の木から落ちる海賊ではなく、物語の重要な鍵を握るキャラクター、ティーグ・スパロウだった。ティーグは、噂されていた通りジャック・スパロウの父であり、“海賊法典”の守護者である大海賊という役どころだったが、この事実は映画が公開される直前まで徹底して秘密のベールに隠された。

06年9月にロサンゼルス・バーバンクにあるディズニースタジオで、キースはデップが見立てた衣装に身を包み撮影にのぞんだ。この撮影に関して、キースは撮影前から酔った、支えなしでは立っていられないほどだったという噂も流れたが、後にデップは撮影中の様子を明かし、「キースはカリスマだった。期待していなかったんだけど、彼は名優だったんだ。僕はキースを“2テイク・リチャーズ”と呼ぶことにしたんだよ」と2テイク以内にOKを出してしまう彼の演技を絶賛している。また、片目の海賊ラゲッティを演じたクルック・マッケンジーは、キースの撮影中の様子を「キースが現場に来てみんな大興奮だった。特にジョニーのキースへの態度は見ものだったよ。僕らがジョニーに対してと同じように振舞ってたんだから」と語っている。

彼の登場を待ちわびていたのはデップや他のキャストだけでなく、クルーも同様だった。プロダクションデザイナーのリック・へインリックスは、彼のためにウミガメの甲羅を使ったギターをあつらえてキースの登場シーンに彩りを添えている。

無事に撮影を終え公開を待つばかりとなってもキースは相変わらずのお騒がせ男だった。英音楽雑誌NMEのインタビューで「父親の遺灰をコカインに混ぜて一緒に鼻から吸った」と発言。一時はディズニー側も降って湧いたドラッグ問題に頭を抱えたと言われるが、キース本人がジョークだったと弁解し、事無きを得ている。

5月19日にロサンゼルス・アナハイムのディズニーランドで行われたワールドプレミアに、キースは妻と2人の娘を連れて上機嫌で参加し、他のキャストと共に舞台挨拶を行った。たった2シーンのみの出演だったが、役者としての映画出演が初めてだとは思えないほど強烈な印象を残している。

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