劇場公開日 2007年5月19日

主人公は僕だった : 映画評論・批評

2007年5月15日更新

2007年5月19日よりみゆき座ほかにてロードショー

B・キートンやP・セラーズのようなウィル・フェレルの演技にうなる

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ある男の人生が、結末で必ず主人公を“殺してしまう”悲劇作家のイマジネーション、つまり執筆中の物語に左右されるというザック・ヘルムによるひねりの利いたプロットは、チャーリー・カウフマンの脚本や「トゥルーマン・ショー」のようで、まさに“小説よりも奇なり”な展開になる。危うく悲劇的結末になるところをハッピーエンドに変える、ロマンティックでマジカルな話術がおもしろい。

“神の声”として幻聴のように響くナレーションが、視覚的に展開される映像と“ミスマッチ”(嘘)を繰り返し、それが笑いのタネとなるのだ。マーク・フォースター監督らしい実にユニークで、知的なコメディだ。

国税庁の会計監査員であり、歯磨きの回数まで毎日決まっているようなパンクチュアルで電算機のような主人公の人生を好転させるのが、アナーキスト風に生きるクッキー屋のマギー・ギレンホールとの出会い、すなわち“異化作用”である点が秀逸なのだ。焼きたてのクッキーが主人公の“死の匂い”を払拭する。新たな冒険がハッピーエンドの引き金になるわけだ。バスター・キートンやピーター・セラーズのように無表情を押し通す仏頂面なウィル・フェレルの演技にうなった。

サトウムツオ

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