ゆれるのレビュー・感想・評価
全92件中、1~20件目を表示
揺さぶられる
やっぱり好きな映画です。
もう10年以上前になるのか、
二度目見る事で真相が何か分かるかなと思ったけど、
やはり真相は藪の中。
一度目観た時は絶対やったよと思ってましたが、
弟の疑心暗鬼が兄を悪人に仕立てて行き
観客も誘導されたようにも見える。
全ては兄の手の内で転がされてるのは確かで、
父、弁護士のおじ、弟、全てから解き放たれたいがための演技だったのかなと思いました。
ただやはり犯罪自体が故意なのか事故なのかは分からない。
香川照之さんの演技が凄すぎてラストカットまで
とても不気味。
劇中のセリフにもあったけど何を考えてるのかわからなくてとても怖い。
ただ無邪気なようで、ただただ心配してるようで、
だけど胸中は穏やかではない、全部知ってるぞと言う
気にさせる演技は10年経っても覚えてるほどでした。
弟の揺れ動く胸中が反映されてる映像もとても印象的で
何度も観たくなる映画でした。
やらかし俳優多数出演。それとは違う意味で見応えありました。 兄は突...
やらかし俳優多数出演。それとは違う意味で見応えありました。
兄は突き落としたのか?さんざんゆらされた挙句、ようやく出た結末。かと思いきや、ラストでまたゆらされる。ウソついてたってこと?思い出したってこと?
またまた考察しろってことですね(笑)
本来、そんな作品はあまり好きじゃないのですが、本作は見応えの方が勝ってました。拍手👏
曖昧な記憶
山梨の田舎で保守的な父と共に家業のGSで働く真面目が取り柄の長男と、上京して好きな仕事をして気ままに暮らす次男。トラブルメーカーの弟の尻拭いは長男の役目。
その2人の関係が、吊り橋での事件を境に一変する。
幼なじみの智恵子はどうして吊り橋から落ちたのか。
心の中では兄を尊敬している弟は、兄に有利になるような証言をするが、智恵子の死体解剖の結果、殺人事件扱いとなって裁判にかけられる。
幸い父の弟が弁護士をしており弁護を依頼する。このおじもその年齢になっても兄弟関係に問題を抱えていた。何度も兄の面会に行く弟。昔のような温厚な兄は消え、本性とも取れるような性格に変わっていく。弟も目撃者として証言台に立つ日が来るが、その直前、面会室で椅子を投げ合うような兄弟げんかをする。
人間の記憶の曖昧さ、後継は長男という古い家制度の問題、正反対な性格の兄弟の愛憎。
オダギリジョーもだが、若き香川照之の快演も相俟って、面白かった。
ラストは、甲府駅行きのバスに乗ったのか?
心が揺れた
兄弟の信頼がテーマ。
川端 智恵子(真木 よう子)の心境はわかりやすい。
視聴中、早川 稔(香川 照之)と早川 猛(オダギリ ジョー)の二人の言動に振り回されて、事実はどっちなのか心が揺れた。
カリフラワーズが映画のために作った音楽も映画の雰囲気に溶け込んでいて良かった。
2020年以降の作品と比較できる面白さがある
少し前の作品だけに、カメラワークやシーンのカットも一世代前なのかなと感じた。
だがこの作品もまた、人の心、特に心の奥底に潜むようにある澱のような影を描き出している。
主人公のタケルが実家で兄のミノルにもらった8ミリ映写機。そこに映っていた二人がまだ幼い時の家族の風景。
邪心のない姿。「あの頃の自分の姿」
私も実家で見つけた録音機に、小学1年生くらいの頃録音された自分の声を聴いて涙したことを思い出した。何気なく、作為なく、ただ思った言葉を録音しただけのテープ。
物語でも、タケルがそんな純粋だった自分自身を、兄と家族を見てしまうことで、ようやく本来の自分自身を取り戻した。
タイトルの「ゆれる」は、文字通り古い吊り橋の揺れ、そして兄の心の揺れ、タケルの心の揺れのことだろう。
そしてそれは「ゆれる」ので、良くも悪くもなる。その揺れる様をこの作品は描いているのだろう。
その心の揺れを、裁判というモチーフを使って描き出している。
吊り橋の上で起きた出来事を誘引したそもそもの原因は、タケルにある。ただし、タケルは何も知らないでチエコを抱いた。
実家で兄から変な質問をされても、まったくわかっていなかった。
タケルは最後に「最後まで僕が奪い、兄が奪われた」と言っていたが、この「知りえないこと」に対する罪悪感は、この作品上どのように捉えればいいのだろうか?
蓮見渓谷ではしゃぐ兄。チエコはタケルに「ミノルはもう気づいているよ」という。
地方人の東京への憧れ。夢や希望と対照的な地方での暮らし。垢ぬけて見違えて見えるタケルの風貌。
チエコにはタケルが都会人に見えて、実家を継ぐミノルに魅力は感じない。母の法要で立ち寄ったそのGSで、タケルはチエコに気づく、彼女もまたタケルに気づくが声を掛けずにいたのは、田舎特有の気恥ずかしさなのか、それともほかに意味があったのか?
些細な気持ちを隠してしまう習慣、または地方性、それともそれは彼ら特有のことなのか?
2度目は平気な顔で飯でも行こうとする。
ミノルはその際なぜタケルに飯代を握らせたのだろう? カメラワークは休憩室の中からだから、その視点はおそらくチエコだ。そうであれば、ミノルはチエコに見せるように格好つけたのだろう。
また、帰宅したタケルになぜカマを掛けたのだろう?
ミノルの行為が裏目に出ている。それがこの兄弟のいつものことなのか?
ミノルがタケルに対して思っていた本心は、「初めから人を疑って、最後まで一度も信じたりしないのが、俺の知っているタケルだ」というセリフそのままなのだろうか?
ミノルはいつも兄を演じて弟を守り、裏切られても知らん顔をしてきた裏返しの言葉か?
証言台に立つタケルの「ウソの証言」に対し、薄ら笑いを浮かべながら聞くミノルの内心はきっと、「そら、俺の言った通りだろ」というところだろう。
弟を最後まで信じていなかったのは、むしろミノルの方ではないのか?
その前の法廷で、検察が示した証拠に、チエコと第三者との性的関係が示されたとき、その相手が誰なのか、ミノルはその関係をどのように思っていたのか、ミノルがなぜあの吊り橋を渡ろうとしたのか、タケルにはすべてがつながった。
ミノルは二人の関係を知り、でもチエコが好きだったことで、どうしてもチエコをタケルに渡したくない思いが、あの事故を引き起こしたことを、タケルはすべてわかってしまったのだ。
しかし、その直後の面会でミノルから「初めから人を疑って、最後まで一度も信じたりしないのが、俺の知っているタケルだ」と言われたことは、タケルが一番他人に知られたくないものだった。そう言いきれればその通りになるが、実際はどうだろう。
人は、たとえそれが事実であったとしても、自分自身認識していないことにどれだけ腹を立てることができるだろう?
タケルはそれを認識していたということになる。ただその他のエピソードがないのでわからない。そしてそのセリフと、ミノルが認識しているタケルとチエコの関係が明らかになり、お互いにそれを共有したことで出たセリフとは思えない。だからそこがわからなかった。
タケルは証言台で真逆のことを話した。そして実刑7年の判決。
口先でも「一番信じていた兄」に対する背徳行為。
タケルの心の闇。
作品はそのような闇は誰にでもあると言いたいのだろうか? それは、何か特別な出来事によって発生したのではなく、長年積み重ねてきた「もの」だと言いたいのだろうか?
想い出の8ミリの中の、汚れなき頃の自分を見て泣いたのは、知らず知らずのうちに汚れてしまった自分自身に対する赦しではないのか?
確かに毎回タケルが奪い、ミノルが奪われたのかもしれない。そのことで不信になったのはミノルの方で、タケルが、そんなミノルを断罪したのだ。
8ミリを見てタケルはミノルと断罪した自分自身を許した。
ミノルは獄中何を考えていたのだろう?
実家とは逆方向に向かうバス停。
大通りの騒音は、あの日の吊り橋との距離感と似ている。
「兄ちゃん、うちに帰ろうよ」と叫ぶタケルの声にようやく気付いたミノル。
彼は甲府行きのバスに乗り込んだのだろうか?
物語は無神経なタケルから始まり、兄の本心に触れ、兄を断罪し、汚れのない自分自身を8ミリの中で見つけ、出所した兄を迎えに行くまでを描いている。
ミノルの心中はわからないままだが、彼もまた自分自身を取り戻す作業に入るのだろう。
自分を断罪した弟が迎えに来たことに微妙な心の変化が彼の表情に出ていた。
すべて諦めた中から出てきた希望の種を、ミノルは見たに違いない。
ミノルのあのセルフ、チエコの微妙な表情の意味、「知りえない」ことを問う是非、若干掴みにくい箇所があったが、そういった部分が見直されながら発展している邦画は、本当に素晴らしいと思った。
ゆれるのは
吊り橋だけにあらず
積年の兄弟の確執、その親兄弟のそれ
田舎のガソリンスタンドと都会の写真家
田舎のガソリンスタンドと弁護士…
田舎町で、人生が色褪せていく、都会に行く機会を決断できなかった女…真木よう子、ハマり役
結局、、吊り橋で、兄は女を突き飛ばしたのか否か…
そこは、観る側に委ねられているようだが…
面会での兄の一言にハッとした
お前は、犯罪者の、家族になりたくないだけだ
橋がゆれる。ゆれる事実。 兄妹の関係がゆれる。 兄ちゃん、うちに帰...
橋がゆれる。ゆれる事実。
兄妹の関係がゆれる。
兄ちゃん、うちに帰ろう、と叫ぶ猛。
それを見つけて微笑む稔は、どんな感情だったのだろうか。
あの微笑みは、橋を踏み外した猛をつなぎとめたようにも思える。壊れかけていても、まだつながったままの橋が二人をむすぶ。
橋は二人の関係を象徴している。橋は対等である必要は無い。どちらに傾いていても、橋は谷をつなぐ。
稔の人生を奪い、七年を奪い、智恵子を奪った猛も、繋がっている。
私が一つ疑問なのは、事件の時、橋での会話が猛に聞こえていたのかどうかという点だ。「あなたやお母さんみたいに生きたくないのよ」と叫んだ智恵子は猛の妄想だったのだろうか。だとしたら恐ろしい。しかも、事件直後、猛は爪痕のついた稔の腕をシャツで覆っている。智恵子の腕を掴んだという事実を稔が認識しにくくするため? 意図的だったのだろうか、ただの考えすぎなのか。
音の工夫が面白かった。事件の時も沈黙で、こちらに想像させる作りだった。自然音もBGMも良い。家に帰ろうという言葉には感動した。
ゆれる。その中で
幼なじみ再び再会した事によって関係が生まれる猛と家の稼業を継いだ兄の稔。
その3人で吊り橋に行くと、幼なじみが橋から落ちてしまった。
それによって兄の裁判が始まった。
物語の冒頭は、コミカルなシーンも多いのに後半にかけて、シリアスのシーンに変わっていく展開が素晴らしきと思いました。
自分が知っている兄とは、別の人が姿を表し始める所に誰なんだ?これは?
弟が自分が知ってる兄ではない。
兄と弟の中で心理的な描写の心の微妙な移り変わりがここまで映し出さているも見応えがあります。
家族であろうと、どこまで信用する事が出来るのか、何が真実であるのか?
何を真実にしようとしているのか?
自分が見たものは、どっちなのか?
最後のシーンの笑ったシーンは、何を意味していたのか?
色々と考えさせられる作品でもう一度観たいと思いました!
ゆれる
香川照之、オダギリジョーの兄弟が正反対でそのあいだで
まさに「ゆれる」感情や状況。
映像での情報量がすごいと感じた。
これが小説ならどう表現されるのだろう。
また観たら違う視点に気づかされそうな映画でした。
香川照之の表情に心がゆれる
香川照之ってこういう掴めない感じの演技が上手いよね。
めちゃくちゃ惹き込まれる。
真面目な兄と遊び人の弟。
兄は橋の上で智恵子を落としたのか、助けようとしたのか。
弟は本当に見ていたのか、兄を庇っているだけなのか。
観ているこっちも思考がずっとゆれる。
衝撃のラストではあるんだけど、解釈が難しい。
最後の兄の笑顔はなんなん。
めっちゃ怖い。
複雑な人間心理
主人公が葬式で実家に帰る。そこには兄と幼馴染(昔の恋人?)がいた。
兄はこの幼馴染のことを人知れず愛していたと思われる。
この女の子が弟の所へ行こうと危険な橋を渡ろうとする。
危ないので止めようとする兄。女の子は突然激しく抵抗した。
とまどう兄・・・その結果、橋から落ちて死亡。
兄がわざと助けなかったという疑惑で裁判になる。
弟は最初は兄の味方だったが、突然法廷での証言の場で兄が意図的に女を助けなかったと言い、有罪となってしまう。
でもこの証言は嘘だった。7年間、罪の意識にさいなまれ、兄の出所の日に刑務所に向かい、再び対面して終了。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
カメラマンとして有能で都会で活躍する弟と平凡な兄。
兄は絵に描いたような善人だが常に弟に嫉妬心を持っていた。
それが原因で喧嘩になり、それを期に弟は態度を翻す。
でも、何故?と思ってしまう。そんなことで兄に不利な証言をするだろうか?
私には理解できなかったが、きっとそういう複雑な人間心理を描いた映画なのだろう。
心ゆれる…ゆさぶられる
家の家業を継ぎ
まじめに生きている優しい兄
家を出て
好きなカメラマンの仕事して
自由な生き方をしている弟
そんな対称的なふたり
この兄弟に事件が起こる
事故なのか…
それとも…殺人なのか…
私たちもどっちなのか知りたくなる
ふたりの顔の表情や
心の描写が素晴らしい
兄は本当のことを言っているのか
ウソを言っているのか
…わからなくなってくる
ここの接見の場面は
三度目の殺人を思い起こす
兄は
お前は好きな仕事して
女にもモテてる
それに反して
俺は何もいいことない
同じ兄弟でもこんなにも違う人生
ある意味兄は弟の人生を羨んで
それに気づかない弟に嫌気がさし
…唾をはいた
(ここは兄の本音だったと思う)
建前で生きてきた兄の人生
おとうとの
しがらみのない自由な人生を…
・・・
拘置所で兄に俺を信じているのか
と言われ
…あたりまえだろう…と
いやいやお前はそうゆう奴じゃない
というやり取りで…
…弟は
兄が突き落としたと主張
(ある意味兄の操るままに)
兄の有罪が決まり兄は刑務所に。
そしてラスト
兄が出所しバス停のところまで
歩くシーン
弟が大声で叫んでも兄に声は届かず
バスを待つ
…兄の微笑む顔が印象的
泣いている
おとうとに対して
兄はやっと俺のことわかってくれたか
と微笑んでいる様に見えた
女優をまた見間違えていたアホがここにおります。
う~ん、エンタメ大作だったり、どーしよもないB級映画が好きな私が如きが観て、おこがましくも評価する類の作品じゃなかったかな。
私的には地味~いな作品でした。
かと言って、途中で観ることを止めたくなったかというと、それは違って。
兄弟が抱えるそれぞれの心の揺れ、相乗効果でのさらなる揺れ。それを観ているこちらまで、ゆらゆらと不安な気持ちの揺れを覚えた作品でした。
検事官を演じる木村祐一の憎ったらしいこと憎ったらしいこと。
一方の弁護士役の蟹江恵三は、台詞よりも表情で心情を演じきるベテランの妙味が素敵でした。
そう言えば、最近とんとお見かけしないなぁ、と思って調べてみると、ほぼ10年も前に鬼籍に入っていらっしゃったのですね。
とことん無知私。
この映画で印象的だったのは、猛と岡島がファミレスで話し合うシーンだったんですね。椅子にくくられた赤い風船の糸が、まさに兄弟を隔てたアクリル板に見えたです。
人なんか、薄い板一枚挟んでしまうと、そんなに簡単に心開いて解り合えるはずもない、という意味で。
きっと、そんなの私の通ぶったデタラメなこじつけだと思うけれど。
さぁ、定期の脱線話です。
猛が乗っていた白い車ってシートベルトが付いていなかったじゃないですか。
気になって調べてみたんですね。「違法とちやうんかい!」と思って。そうすると、着用が義務化されたのって1969年だったです。それ以前には、元々付いていない国産・輸入車があったので、その場合は着用義務が免除されていたんだって。
猛の車を調べてみると1964年型のフォードファルコンステーションワゴンっていう車らしいです。
フォードファルコンって言えばアメ車じゃなくて。オーストラリアの車なんですね。
あえてそういうレアな旧車に乗っている猛って、相当なナルシストなんじゃないのかな?って私には思えて。設定的には普通にレクサスとかBMWとかアウディとかでよくね?
なのに、最後はそれを乗り捨てて、軽トラで兄の出所に駆け付けたシーンは印象深かったです。
バス停に立つ稔に「兄ちゃーん!兄ちゃーん!」と叫ぶ姿は、やっと素をさらけ出した猛の魂の叫びだったのかなぁ…と思って。バス乗っちゃえば、またガラス越しで隔てられるところを、間に合ったのか間に合わなかったのかが大変興味深いラストシーンでした。
車とかをを調べることは好きなのに、演者さんについては、まるでチンプンカンプンなんですよね。
真木よう子を、最後まで吉高由里子って勘違いしていたです。エンドクレジットのキャスト見るまで。
アホか自分。
西川美和監督とか、是枝裕和監督とか、中島哲也監督とか、一つの画面に...
西川美和監督とか、是枝裕和監督とか、中島哲也監督とか、一つの画面にいろいろなメッセージを詰め込む監督の映画って、見返せば見返すほど、新たな側面が見えてきて、一度目と二度目の鑑賞では、見方がガラリと変わることがあるんですが、そもそも人間はそこまで注意深く生きてないもので、一度見ただけでもなにがしかの受け止めはあります。
この映画ならば、兄・弟・女の力関係の移り変わりをどれだけ細かく受け止めるかで、多分、見方は全然違う。
弟が東京へ行くまで、女は多分、絶対的な力のある存在だったのでしょう。だから弟が東京へ一緒に行かないかと誘ったとき、断った。だけど弟が東京へ出て、自分が唯一絶対的な存在でなくなったと気付いたとき、女は戸惑っただろうし、それでも兄の存在は、「滑り止め」的なものだとしても、ありがたかった。ここまでの変化は緩やかで、希望のあるものだったでしょう。
ところが弟の帰郷によって起こされた変化は急激で、三人の力関係を混乱させてしまう。その混乱をどこまで細かく掬い取るかで、見方は全然変わりそうです。
私としては、ただ嫉妬で女を追いかけたとばかり思っていた兄の心に、最後のシーンで、純粋無垢な心配があったのだと気付かされたのがとてもショックでした。
香川照之の最後の笑顔については、私はしごく単純に、
エドガーはユーシスを殺したモノだと思い込んだメリーベルが、復讐すべくエドガーがやってくるのを待ち続けていたけれど、エドガーの顔をみた途端、「待ってたんだから!」と泣きながら抱き付いてしまう
……のと同じに受け取りました。
見てるうちに、兄は香川照之そのものに見えてきて、今目の前で見せられているこの兄の人生が、香川照之の人生なのではないかと勘違いしそうになり、非常に混乱しました。
それなのに誰も、香川照之を「カメレオン俳優」なんて呼ばないんですよね。
やっぱりこの人の代わりなんかいないよなぁ……と思ってしまった。
この映画で改めて天才だと認識した役者がもう一人おります。
田口トモロヲさんです。
あの声だよ。どこから発声してんだ。
書記官は安藤玉恵
映画を本格的に観始めたか、未だそういう思いに抱かなかったのか、曖昧な時期の作品で、でもエヴァーグリーンな作品として一般的に評されている作品だから題名だけは記憶にあった オダギリジョー、香川照之、その他知らない人はいない程の名優ばかりが軒を連ねる、今から見れば百花繚乱な俳優のオンパレードな作品であり、今現在、この人達をキャスティングするとなったらどれだけのバジェット作品になるだろうと恐れ戦くラインナップである
ストーリーテリングも素晴らしく、吊り橋の如く揺れる不安定さをこれでもかと表現したシナリオにぐうの音も出ない出来映えである
長男として役割を演じ続ける事、次男だからと好き勝手に生きて、しかし才能に恵まれた事、そんな兄弟の愛憎が迸るシーンの連続にこれ以上のない"痺れ"を体験したのである 真木よう子の青さ故のエロティシズムをキチンと包摂するオダギリのレベチの官能美 それとは逆の香川の屈折した粘着性漂う演技 ドロドロとまるで魔女が調理する釜で煮染めた毒を醸成するが如く、法廷劇が延々と続いていく 蟹江敬三、木村祐一の芸達者振りはその毒に添加物をガンガン放り込む 尊敬と嫌悪をこれでもかとジャブジャブ投下する希有な内容に、逃げたくなる想いをグッと堪えての上映時間であった
同じ精子と卵子を一にしてもこれだけ人生に共通項が見付からない方向 それでもお互いが血を意識し続ける限りその繋がりは切断できない ラストのバス停の件は唯々二人に幸有れと願うばかりである
全92件中、1~20件目を表示