素晴らしき哉、人生!のレビュー・感想・評価
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キリスト教的、アメリカ的、ハリウッド的
主人公ジョージ:聖ゲオルギオス ドラゴンを退治し異教徒の村を救い、またディオクレティアヌス帝による大迫害により殉教した聖人。
ジョージの妻メアリー:マリア様
2級天使クラレンス
→「天使にラブソングを…」のシスター・メアリー・クラレンスの由来か。邦題に“天使”とあるし。
酒屋の主人ニック:聖ニコラウス サンタ・クロース(英語セント・ニコラウスのオランダ語読み)のモデルとなった聖人。
店名マティーニ:聖マルティヌス 自分のマントを物乞いに与えた“マントの伝説”の聖人。
→ニックの店でマティーニを飲んだ後、天使クラレンスが遣わされる。
薬局のガウワーさん、銀行家の意地悪なポッターさん、「トム・ソーヤの冒険」など、他にも色々意味があるのだろうけどざっと見て理解できたのはこれくらいだな~(・・;)
【”情けは人の為ならず。そして守護天使は何でも知っている。真摯に生きて来たが故に多数の友ある者は救われる。”今作は、【真なる人生の幸せとは何か】を見事なる作品構成、演出で描き出した逸品である。】
ー 素直に書くが、全く恥ずかしながら、今作は初鑑賞である。ー
■(多分、多くの人が知っているのだろうが、敢えて記す。)
幼い頃から、真摯で自分の幸よりは他人の幸を優先して生きて来たジョージ・ベイリー(ジェームズ・スチュワート)。
世界中を回り大学に行き建築家になる夢、愛する人と新婚旅行に行く夢、大きな立派な家に住む夢、という数々の希望を悉く様々な出来事により諦めながら、ジョージ・ベイリーは、他人の幸の為に生きて来た。
それでも、彼は愛するメアリー(ドナ・リード)と結婚し、ボロッチイ家ながら4人の可愛い子供にも恵まれて、幸せな人生を送っていた。
だが、ある日、父が経営していた小さな貧民に優しい住宅会社の社長を引き継いでいた彼であったが、彼の右腕の叔父のビリーが会社の8000弗を銀行に預けに行った時に、その金を紛失する。その金は、町の嫌われ者でジョージ・ベイリーに悉く嫌がらせをしていた町一番の金持ちのヘンリーの元に有った。
ジョージ・ベイリーは、その金が無い事で会社が潰れる事に悲観して、自分の人生に絶望し、橋の上から身投げしようとしていた。そこへ、天使を自称する奇妙な老人が現れ、彼が飛び込む前に川に飛び込む。その姿を見たジョージ・ベイリーは川に躊躇なく飛び込み老人を助ける。
だが、その後も「生まれなければよかった」と嘆くジョージに、奇妙な老人の姿をした2級天使のクレランスは彼が生まれてこなかった世界を見せるが、その世界の人達は親切心が無く、皆不幸な顔をして生きて居たのである。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・流石、名品と言われるだけあり大変に面白く、且つ【真なる人生の幸せとは何か】を見事なる作品構成、演出で描き出した作品であると思う。
・特に、前半から中盤で描かれるジョージ・ベイリーの半生が、2級天使クレランスが”ヨセフ”に相談した”計らい”で彼がいなかったら、という設定の中に、ジョージ・ベイリーが放り込まれるという設定と、ジョージ・ベイリーの半生の対比の演出が素晴しい。
・ジョージ・ベイリーが、【自分が生まれていなかった】町の人達の不寛容で、不幸せな姿を見て、”全てを元に戻して欲しい!”と祈ると、世界は元に戻っているのである。
そして、大喜びしたジョージ・ベイリーは、家に帰り、4人の子供達を抱きしめるのである。そこにジョージ・ベイリーの窮状を知り集まって来た彼に恩義がある町の人々が、行った事を描くシーンも、観ていると多幸感に満たされるのである。
<”情けは人の為ならず”という諺があるが、今作はそれのアメリカ版であろう。今作が、アメリカのクリスマスの際に、定番としてある時期放映されていたという事実も良く分かる逸品である。>
翼をありがとう!友よ!
あらすじ見て、天使ってどんなのかな…?と思ってたら
キュートなじぃさんや〜!!!!!!
若い女とかこまい子供かと思いきや、
も〜キュートじぃ
翼が欲しい天使のキュートじぃとか胸キュン動悸
じぃが現れてからはファンタジーに溢れてるけど、
それまでは流れゆく人生の中で自分の思った通りのストーリーとは違うけど、その中で懸命に正しく生きようとする様はヒューマンドラマである
私的にはじぃをもっと見たい
じぃが今までなんで翼を貰えなかったとか
翼が生えた瞬間とか貰えたあととかのじぃの話がみたい
家庭という唯一無二の幸せ
とにかく温かい気持ちになれる素晴らしい作品だった。
冒頭ジョージという男を自殺から救う事が出来たら翼を授けようと二級天使のクラレンスが天から遣わされるシーンから始まり、何やらファンタジーの幕開けかと思えば中身はしっかりとした人間ドラマだった。
少年時代に氷った水に落ちてしまった弟を助けた代償に左耳の聴覚を失ってしまったジョージ。それでもアルバイトをしながら懸命に働き、雇い主のガウアーが間違って毒薬を処方してしまったのを未然に防ぐ活躍をする。
ジョージの父親は住宅金融を設立し貧しい人達の為に尽力するが、町のボスで銀行家であるポッターは強欲な男で彼を目の敵にしている。
このポッターという老人が物語中ジョージを苦しめることになる。
ジョージの夢は世界中を飛び回って大金持ちになることだったが、父親の死をきっかけに住宅金融の社長の座につくことになり、やがて世界に出る夢も、大学に行く夢も全て諦めざるを得なくなる。
金融危機が起こった時も、新婚旅行に使う為のお金を人々に分配し、自分の事を後回しにして貧しい人々の為に尽くす彼の姿に感動した。
裕福な生活が出来るわけもなく、廃屋同然の館を改装して質素な生活を送るジョージは、ポッターの元で働けば豪勢な暮らしが出来ると誘惑されるが、信念に基づいてこのチャンスを退ける。
しかし、人々の為に働くジョージに天のいたずらか、最大の試練が訪れこのままでは破滅というところまで追い詰められてしまう。
自分がいない方が世の中は上手く行くと自棄っぱちになったジョージは橋の上から飛び降りて自殺を図る。
そしてここで冒頭のクラレンスが登場するが、二級天使だからか色々と要領が悪いのがなかなか面白かった。
もしも、ジョージが存在しなかったら世界はどうなっていたか。
彼一人の存在がいかに多くの人に影響を与えたか、彼が人の為に動いた事によっていかに多くの人が救われたか分かるシーンが続くが、ジョージにとっては残酷な現実のオンパレードだった。
様々な夢を諦めたジョージにとって、たった一つ手に入れた幸せがメアリーとの結婚だったのではないかと思う。
弟ハリーの卒業パーティーで出会った二人が、互いに引かれていく姿は観ていて美しかった。
ダンスを躍りながらプールに落ちるシーン、その後にユニフォーム姿とバスローブ姿というアンバランスな格好で空き家の屋敷の窓ガラスを割れば夢が叶うと二人で石を投げるシーンが心に残る。
そして、恋人サムからの電話を二人で聴いている時の距離感の近さ、そこでお互いが意識しあっている姿、ついに結婚を決めるまでの流れが素晴らしかった。
新婚旅行が流れてしまった後に、親友のエスコートもあり、廃屋の屋敷で二人だけで立派な晩餐をするシーンも印象的だった。
そして、彼らの間に生まれた四人の子供達。彼らの存在がいかにジョージの心の支えになっていたかは計り知れない。
そして、ジョージが存在しない世界は、当然ながら彼らの存在しない世界だ。
未だに独身で図書館から出てきたメアリーは別人のように輝きを失っていた。
その姿を見たジョージはついにクラレンスに、元の世界に戻してくれと懇願する。
再び元の世界に戻ったジョージ。どん底まで堕ちて、その後にさらに最悪な世界を見てそこから戻ってきただけなので、事態は何も好転していないのだが、彼の胸の中は幸せでいっぱいだ。また愛する妻と子供達に会える。
結果的に彼が今までに貧しい人達に尽力したおかげで、彼に恩を感じる人達の心を動かし最大のピンチを乗り切る。
最後は誰もが幸せな表情をしている。時にこの世は残酷で人の為に尽くした事が仇となったり、予期しない悲劇に見舞われたりする。
しかし、自分ではなく人の幸せの為に行動したことは、いつか自分の身を助けてくれる。やはり幸せは人の為に生きる事の中にあるのだと気づかされた映画だった。
ジェームズ・スチュワートの若々しさと、メアリー役のドナ・リードの可憐で意志の強さを感じさせる表情が素敵だった。
(生きる)を感動的に描いたキャプラ監督が贈る、こころ温かいクリスマスプレゼント
アメリカ映画で最もユーモアに溢れハートウォーミングな作品を手掛けたフランク・キャプラ監督の最後の傑作。1945年のクリスマスイブ、ニューヨーク州の田舎町ベッドフォールズを舞台にしたこのファンタジードラマは、父親が経営する住宅金融会社の縛りから抜け出せず、夢である海外旅行や都会への大学進学を諦めざるを得ないジョージ・ベイリーを主人公とする。実直な父親と優しい母親の温かい家庭で育ち、弟想いの素直な青年ジョージは、次々と襲われる不幸や災難に挫けることなく身の丈に合った家庭を作り、最後は人生を悔いることの無い幸福感に包まれて、最高のクリスマスを迎えます。一時は絶望の淵に落とされるも、天から見守る大天使のご加護により物語は展開する。キリスト教の教えに沿ったストーリーにクリスマスの背景が重なる、ハリウッド映画ならではの良心作として、後世に語り継がれる名画であろう。クリスマス映画のもう一本の代表作である「三十四丁目の奇蹟」がサンタクロースを題材にしたのに対して、この作品では翼の無い二級天使が活躍するのがユニークであり、そのどこかトボケタ小父さん風の天使クラレンスとジョージが絡む場面が面白く、そしてジョージの存在しない仮想世界の描写の怖さが衝撃的である。
フィリップ・ヴァン・ドーレン・スターンの原作をキャプラ監督含め3名で創作した脚本が素晴らしい。卒業記念パーティーのダンスホールがプールの上に設定されていて、ここでジョージとメアリーの恋の始まりをドタバタ劇として見せて、月夜のランデブー宜しくも滑稽に描いている。近所の御節介おじさんがキスを強要するところなんて、観客の思いを代弁した可笑しさがある。弟ハリーの結婚に心から祝福できないジョージの気持ちを察して、ふたりの母親が仕組むジョージとメアリーの場面では、メアリーの母親のワザとらしい言動が絶妙に絡む。同時に受話器を持つジョージとメアリーが顔を近づけ、堪らずキスをするまでの脚本と演出が流れとして解っていても心地よいのは、キャプラ監督の手腕である。その他、末娘の花びらの使い方、酒場で殴られたジョージの唇から流れていた血が消えるカット(つまり濡れた衣服が乾いたという台詞だけではない見せ方の巧さ)、『トム・ソーヤの冒険』の本の伏線、ジョージの宅地開発を共同墓地と対比させる展開で見せるハリーの墓碑、メアリーに拒絶されてからバート警官から逃げるように辿り着く橋の場面で神に祈るジョージに降り注ぐ雪の効果と、細部に渡るまで分かり易く丁寧に描かれ構成されている。
主演のジェームズ・スチュアートは、「スミス都へ行く」でも絶体絶命の境地から逆転の若き国会議員を熱演していたが、今作では奥手の好青年が窮地に追い込まれる苛立ちや絶望感を見事に演じている。正統派美女ドナ・リードの落ち着いた演技も好感高く、スチュアートとの夫婦役の相性もいい。お人好しでドジな叔父ビリーを演じたトーマス・ミッチェルは役に嵌り流石の手慣れた演技。愛嬌のある天使クラレンスのヘンリー・トラヴァースもベテランらしい味のある演技で難役を熟す。特筆すべきは、名優ライオネル・バリモアが演じたヘンリー・ポッターの悪役振り。金儲けしか興味がない富豪の堅物は、スチュアート演じるジョージとその存在感で五分に対立しなければお話が面白くない。善意だけでは世の中生きて行けない現実の視点を組み込んだポッターの人物表現として最良の演技と貫禄を見せる。
アメリカ映画の監督では、個人的にジョン・フォードやチャールズ・チャップリン、エルンスト・ルビッチと並んで敬愛するフランク・キャプラだが、一番最初の記憶は中学時代に日曜洋画劇場で観た最晩年の「ポケット一杯の幸福」だった。特に感動は無く、優しいお話だけの感想を持つ。一気に虜になったのは「或る夜の出来事」に出会ってからで、その後「オペラ・ハット」「我が家の楽園」「スミス都へ行く」「群衆」「毒薬と老嬢」と観て来て、どれもが楽しく面白く、また感動的なストーリーと演出に惚れ込んでしまった。この戦前戦中の傑作と比較すると、この1946年作の「素晴らしき哉、人生!」のアメリカ公開時の評価と興行成績、及び8年後の日本公開での評価が芳しくない。キネマ旬報のベストテン選定では、今では考えられない扱いの35位に止まり、殆ど無視されている。淀川長治、双葉十三郎、清水千代太、植草甚一各氏など私が尊敬する批評家も選出していない。戦後に現れたリアリズム映画の隆盛の影響を受けた結果であろうか。その後クリスマスシーズンに恒例のようにテレビ上映されて、認知されると共に愛される映画の不動の地位を占める。しかし、この好意的評価は、キャプラ監督が亡くなった後の21世紀になってからである。そこがとても口惜しい。我が生涯で好きな映画のベストの地位は不動になっています。また正当な評価の点で悔やまれるのは、「群衆」も同じである。
もうキャプラ監督のような職人肌の映画監督はアメリカ映画には現れないと思う。生きることに悩み挫けそうになっても、生きていればきっと頑張っただけのいいことがあると勇気付けてくれる映画の希少価値と共に、キャプラ監督の功績に感動と畏敬の念を強く抱かされるのです。
幸せな気分になれます
サムからの電話を二人で寄り添って耳を傾けるシーン。その後の展開を期待させてくれて、とても好きなシーンです。
また、人生に絶望した時に、天使が自分が生まれていない世界を見せます。主人公の人生を肯定して、生きる希望を与えてくれます。そして、ラストは皆さんの優しさに包まれて、幸せな気分になれます。
少し気になるのは以下です。
・8000ドルを無くした絶望感があまり分からない。会社が倒産したり、会計が不一致が犯罪になるのかもしれないが、その深刻さがイマイチ伝わりません。
例えば、主人公が自分のせいでお金を失くし、おじさんから会社がないと生活できないと責められ、やつ当たりされた妻から家を追い出されるぐらいの方が絶望感がある気がします。
以上
生きる悦び
自身の夢を諦め、父親が経営していた住宅金融会社を継ぐジョージをジェームズ・スチュワートが、苦労人の彼を愛情深く支える美しい妻メアリーをドナ・リードが演じる。
苦悩するジョージに、家族への愛、生きる悦びを気付かせる、翼の無い二級天使クラレンスを演じたヘンリー・トラヴァースのユーモラスな演技が絶妙。
ラストの輝くような笑顔溢れるシーンに魅せられた。
ーもう一度生きたい
NHK-BSを録画にて鑑賞 (字幕版)
聖夜に奇跡を!人生に生きる意義を!
Blu-ray(デジタル・リマスター版)で鑑賞(字幕)。
アメリカではクリスマス映画の定番として毎年のようにテレビ放映されていると云う本作。ジョージはヒーローとして、ポッターは代表的な悪役として、ランキングの常連だそうな。
タイトルだけは知っていて、ずーっと気になっていたのですが、ようやく鑑賞することが出来ました。観終わったのがクリスマスを過ぎてしまったのは悔やまれますが(笑)。
人生の様々な局面において思わぬ出来事や困難に見舞われる度に己を押し込め、周りのために夢を諦め続けて来た男に訪れた奇跡を、ファンタジックに描いていました。
人生に絶望し、何もかも諦めようとした主人公に差し伸べられた救いの手。その人生は決して無駄なものでは無い。勝手に終わらせて良いわけが無い。ひとりの人生は大勢の人生に影響を与える。ひとり欠けただけで、世界は一変してしまう…
自己犠牲の精神を説く、アメリカ的な映画と云えばそれまでかもしれませんが、この先どんなことがあろうと、「生きてて良かった」と思える瞬間のために前を向くことの大切さを訴える、名作と称されるに相応しい作品だなと思いました。
※以降の鑑賞記録
2022/12/24:Blu-ray(デジタル・リマスター版・吹替)
魔法であって何が悪い?
クリスマスイブの夜。自社の終焉を悟り絶望の淵に沈みかけていた主人公ジョージだったが、普段の善行が幸いし、彼は周囲からの資金的あるいは精神的援助によって奇跡的な再生を遂げた。友人知人の喝采を受け、フェリーニ『8 1/2』のラストシークエンスを彷彿とさせるような大団円でこの映画は幕を閉じる。反面、ジョージを欺いた悪徳長者のポッターに関しては、その後の破滅や転落はおろかそもそもいかなる描写さえされないという重罰を受ける。施す者と施さざる者の鮮やかすぎる二項対立、信賞必罰。いい奴はいい奴、悪い奴は悪い奴。
私はあまりにもストレートすぎるヒューマンドラマが正直言って少し苦手だ。常に見る側の倫理が試されている感じで、そこから零落することがあたかも非人間の証明となるかのような心苦しい緊張感がある。そういう意味では深い教養やら知性やらが試される「芸術映画」のほうがよっぽどマシな気がする。教養や知性は人生をさらに高質な何かへと昇華させるスパイスに過ぎないが、倫理は人生そのものといっても過言ではない。そんな倫理がもし自分に備わっていないと知ってしまったら、我々に生きる意味があるのだろうか、などと考えてしまう。
とはいえジョージたちの人物像があまりにもステレオタイプに過ぎる、という批判を加えることによってこの映画に描き出されているものが倫理のふりをしたおざなりの二極化主義に過ぎないことを強引に喝破することも可能かもしれないが、そんなことにあまり意味はない。彼らはいかにも平板で、お調子者で、ご都合主義的なステレオタイプの有象無象かもしれない。しかし無機的な人工物であるようにも思えない妙なリアリティがある。
たとえばジョージの行動を見ていると、私はまるで自分の鏡像を眺めているかのような錯覚に陥った。根はそんなに悪くない奴で、普段から愛想を振りまいていて、時には中途半端に啖呵を切って弱者の味方なんかをしたりするけど、不意の挫折が訪れると途端に取り乱して、つい周囲の人やモノに棘のある接し方をしてしまう。そうそう、こうなっちゃうことあるんだよ、いやほんと、単純すぎて自分でも嫌になるんだけど。
おそらくこのように登場人物について「これは俺だ」と思い込んでしまった瞬間が我々の敗北であり、あとは有無を言わさず終幕まで引っ張り込まれてしまう。「倫理に乗るか反るか」などという入り組んだ議論はそもそもすっ飛ばし、最短経路でこちらの襟首を掴んで倫理の世界に引き込む圧倒的な求心力こそがこの映画の正体だといっていいかもしれない。いい奴はいい奴で、悪い奴は悪い奴だというこの映画の安易な倫理に乗るつもりはないが、少なくともこれを見ている間だけは、私はそれに乗っていた。言うなれば「映画の魔法」的なものにかけられていたように思う。
今これを書いていて、改めてジョージたち登場人物に本当にリアリティなるものがあったか考えてみると、不思議なことにそんな気はあまりしない。ジョージも少しずつ私のパーソナリティから遠ざかっていく。やはりこれはある種の魔法だったのだな、と思う。しかし魔法であって何がいけない?人道を踏み越えない限りにおいて、それはフィクションという媒体のきわめて重要な意味だ。
最近観た昔の傑作映画
天使らしくない天使が出てくる「ベルリン天使の詩」「アンジェラ」や、天使のような存在の案内人や調整人、死神が出てくる「天使のくれた時間」「アジャストメント」「sweet rain 死神の精度」等は結構好きなジャンルである。
この映画は、いきなり天使の会話から始まる。その部分を除けば、主人公の少年時代から、おじが8000ドルを紛失して、主人公が橋の上から川に飛び込もうとするシーンまでは、ごく普通のヒューマンドラマだ。そこに天使が現れ、雰囲気が一変する。ここからの急展開は、この映画が好きか嫌いかの分岐点になっていると思う。もちろん私は好きな方である。
天使によって自分がいない世界に連れて行かれ、自分がかけがえのない存在であることに気付かさせてくれて、元の世界でやり直そうと決心する。
元の世界に戻れた主人公は有頂天になるが、8000ドルの負債は変わらないので、そんなに有頂天になっていいのか?って思ってたけど杞憂に終わってよかった。
妻の助けもあり、多くの人の献金により負債は免れるという、ちょっと嘘っぽいかもしれないが、個人的には素直に感動できたグランドフィナーレ的エンディングであった。
子供時代のシーンは短いが重要な伏線になっていた。川で溺れた弟を助けたこと(本人はそのため風邪の後遺症で片耳が聞こえなくなった)、アルバイト先のドラッグストアで、雇い主が息子の死の電報で動揺して、薬を間違えて毒薬を渡すところを主人公に助けられたこと、客として二人の少女が来ていたが、可愛い方が後の主人公の妻になるということ。
<印象に残ったセリフ>
(天使が主人公に言った)
ひとりの人生は、その他大勢の人生に影響を与える
ひとりいないだけで世界は一変する
(ラストの天使からのメッセージ)
友ある者は敗残者ではない
Remember no man is a failure who has friends.
お伽話そのもの、でもいいじゃないか、幸せな気分になれるのならば!
まず素晴らしい脚本だ。主人公のジャームズ・スチュアートが自分なんか生まれてなければ良かったのだと天使に訴えたら、自分がいなかった世界を体験させられる。その世界では、自分がいないせいで、善人だったはずの周りの人間達が皆、酷いことになっていて、性格まで歪んでしまっている。子供時代からも含め過去のエピソードの全てが生きてくる展開は、実に上手い。加えて、その対比を映像で見せつけるフランク・キャプラ演出も、流石の職人芸。
天使が羽根も無く、ただのヒトが良さそうな老人というのも、意外性があってとても良かった。本質的には、き真面目に生きてきた人間が絶望的状況で、神に一心に祈って教えを乞うことで、救われるというピューリタン色満点の物語なのだが、堅苦しさをユーモアで打ち消している。そしてラスト、二級から昇格し翼を得た天使からの、友よ翼を有難うとのメッセージも、とても洒落ていて好感が持てた。
金の亡者でこの町を支配し主人公を手段を選ばず捻り潰そうとするライオネル・バリモア演ずる悪役が、リアリティあってとても良い。この映画での最後の感動も、悪役がしっかりとしていることに一要因があると思う。そして、主人公の住宅金融会社のお得意様である貧乏な町の人々が、なけなしのお金なのにありったけ、主人公が好きで恩義も感じている多くの多くの人々が持ち寄ってくれたせいで、お金が山になる映像!これが、見ている人間の予想を大きく超えていて、感動を呼ぶ。こんなことは勿論ファンタジー、だけど幸せな気分になり、前に進む力が与えられる。見事な作りの清教徒オリジンな国の映画!
たった一人の存在が、世界にどれだけの意味を持つか
自分じゃわからないものです。
ジョージはいい機会を得たもので、もし自分がいなかったらの世界に放り込まれたことで、いかに自分が良き人に囲まれて良い人生を送っていたかを知るわけで、これができるのであれば世界中の、自分が不幸と思い込んでいるだけの人たちが救われることか。
どんなストーリーかも知らずに観たので、初っ端イントロの変化球には驚き、笑いました。
守護天使達の仕事派遣の流れがゆるくていい。
にしても最後の大団円、まあちょっと予想はついてたにも関わらず大泣きしながら観ました。善き人が報われる映画は単純に観てて幸せ。
情けは人の為ならず
60年前の映画であることが嬉しい。人生で大事なことは今も昔も変わらないんだと思った。
左耳が聴こえなくなっても、不本意なまま家業を継いでも、周りの人への思いやりを捨てなかったジョージは素晴らしい。蒔いた良心は自分に返ってくると教えてくれる。
なかなか天使が出てこないとは思ったけど
ジョージの人生をしっかり描く方がこの映画では大事なんだなと。
メアリーみたいな奥さん欲しいな〜
ブラボー!
クラレンスからのクリスマスプレゼントが素敵だった!
ラストシーンは涙ものの感動で、タイトル通り、人生って素晴らしいと思える作品。
人との繋がりや、思いやりや、優しさって大切なんだなぁとシミジミ感じました。
メアリー役の女優さんの美しさ天晴れ。
不運でも信念を貫くこと
主人公は聖人君子ではない。
ただ、信念は曲げずに貫いた人だ。
自分の道を進もうとすると、不可抗力で望まない道を歩まざるをえなくなる。
後半、窮地に立たされた彼は、意外や子供たちに当たり散らし自暴自棄となる。
かなり極端だ。
しかし、彼がいなかったら多くの人が不幸になっていたのは分かるが、妻が結婚できず惨めになっている理由は解らないな。
2級天使をジイサンにしたのは、なぜだろう?
素晴らしかった
完璧人間のジョージは本当に非のうちどころのない素晴らしい人物で、そこが鼻につくくらいですらあった。しかしそんな彼がおじの失態で狼狽え、周りに当たり散らす様子がとても人間臭くて、普段は本当によそ行きの顔を始終していたのだと分かった。お話もそこからのドライブ感がすごくて、とても面白く、感動して気持ちのいい涙が出た。クリスマスに見れれが一番よかったけど、お正月に見るのにも大変ふさわしい。素晴らしい映画だった。
しかし、ジョージが身を律して周囲に優しく接していたからあの結末であり、もしキャリア20年の引きニートだったらどうなっていただろう。悪役のポッター氏が不在の世の中ならもしかしたらもっといい街になっていたかもしれない。そんな残酷な可能性も考えさせられた。
奥さんのメアリーも素晴らしい人柄の女性で、そんな彼女が図書館勤めの高齢処女みたいになっていたのもリアルでよかった。
心がポカポカする…。
白黒に字幕このタッグは眠たくなるパターン?!と思っていたのですが…とても素敵な作品でした。
最大の単純の中に最大の芸術あり。
前半は少し退屈な感じはあったものの…
ラストは人の温もり…絆…ってのを見たような。
良い行いをしていれば報われるのかな〜なんて教えを受けた感じ(笑)
ベルの音は天使が翼を授かった証ってシーン?話?は神秘的で…更に…また感動。
本当に残念な所が1つ、お金とったジィチャンに何も天罰が…裁きがなかった事…。くぅ…無念!!
ディケンズの「クリスマス・キャロル」を逆にしたような話
総合70点 ( ストーリー:70点|キャスト:70点|演出:65点|ビジュアル:55点|音楽:60点 )
この作品を観て、チャールズ・ディケンズの小説「クリスマス・キャロル」を思い出した。その中では強欲な爺さんが亡霊に会って自分の人生を振り返り、幸せの意味を考える。だけどこの映画では、善良な男が天使に会って自分の不幸な人生を振り返り、実は幸せがあったことを見つけ出す。そんな文学的な物語性を感じた。
反対に劇中に登場する強欲爺さんのポッターには何も訪れることはなく強欲のままだ。だがもしジョージが生まれていなければ町はポッターに支配されていた。ジョージがやはり生まれたことになって帰ってきたからといって、ポッターはそのままで、問題が解決してめでたしめでたしというわけではない。だがやはりジョージが帰ってきたことで、これからも彼は大成功はしなくても幸せが傍らにあり、町の人々の支持を得ながらみんなのため町のために貢献していってくれるのだろうという希望も見えた。
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