パッション(2004)のレビュー・感想・評価
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あまりの凄惨さに一度は断念した作品
そのあまりの凄惨さに、絶叫してしまい、最後まで見れず止めてしまったのは昔のことで。
自分は2024年1月から、プロテスタント教会に通うようになり、聖書通読も完了し、洗礼こそ受けていないけれどクリスチャンになりまして、この作品を改めて見てみようと、ゲッセマネの夜の日に心を固めて鑑賞しました。
やはり号泣しながら見て、途中何度も嗚咽してしまうほど。
海外では、その凄惨さに心臓発作を起こして亡くなった人もいると聞いた。
しかし、イエス様が私達の罪を贖ってくださり・・・というような分を読んだくらいでは、自分の身に迫ってこないというような未熟な自分は、この作品を一生懸命鑑賞することで、やっとやっと身にしみて、イエス様の凄さ、尊さ、素晴らしさ、奇跡の数々など、聖書に書かれていることが「本当であった」ということが胸に迫り、キリスト教を信仰するに当たっての心構えができたように思う。頑張ってみて本当に良かった。イエス様の贖いをうけ、世界のみんなみんなが幸せに導かれますよう。イエス・キリストのみ名において、お祈りいたします。
ジーザス・クライスト‼️
ホラーなのね
受難とは何を意味するのか
二千年の間にPassionの1単語、漢字なら2文字に縮められたキリストの受難は本当はこういうものであったということをリアルに突きつける問題作。
「イエスは人間の罪を背負って、甘んじて磔刑を受け入れました。そしてそのあと復活しました。おしまい。」と今なら簡単に子供に聞かせるお話が、本当はどんなにむごたらしく、残忍で、「これが人間の原罪なのか」とショックを噛みしめる映画になっている。
年月で薄められた原点を賦活化する試みだが、見る人を選ぶ。
人間の根本は残酷で粗野で、モーセが十戒でわざわざ「殺すな」「盗むな」「犯すな」と書かなければ諫められなかったほど。
イエス・キリストがその原罪を肩代わりして死ぬことで、人間の罪が贖われたという解釈になっているけど、そんな簡単なことじゃない。覚悟していたイエス当人でも最後に「神よ、神よ、なんぞ我を見捨てたまいし」と天に嘆き、信仰が揺らぐほどの仕打ち。
それをしっかり描かなければそれを超えた存在の真価も表せない。
そんな前提を知らなかったとしても、見た人はこの映画から学ばなければいけない。人間はどういうもので、何をしたのかを。
目を背けるな、と首に突きつけられたナイフが、この映画。
この映画への評価は、そのまま自分自身の評価になる。真正面から受け止める力の無い人は、残酷表現に流されてしまい、その奥にある真意を評価できないだろう。
感謝しながら泣きながら視聴しました。 イエス・キリストについて考え...
キャリア中期のピーク
今考えると、メル・ギブソンに純粋な宗教心があったとは思えない。非常に残虐な描写は、俳優にとって過酷な挑戦だっただろう。画面から伝わってくる痛さだけでも目をそむけたくなる。しかし当時は敬虔なクリスチャンとして振る舞っていたのか、周りがそんなイメージで包み込もうとしたのか、とにかく聖書に忠実に映像化を試みたという触れ込みだった。そう言っておけばただの「どS」の好奇心も成立するからややこしい。
稀代のアクションスターが、映画を撮れば賞レースの常連に食い込む高い評価を得られる内容で、なおかつ興行的にも成功するという、みんなが喜ぶ理想の映画人だったメル。このあと反ユダヤ思想を糾弾され、すっかり陽の当たらないポジションに追いやられてしまったが、子供みたいな欲求を実現しようとする純粋さは今も失っていないようで。ひとまず安心したが、この当時は心を病んで友達が離れて行ったんだと思って残念で仕方なかった。
自分のような異教徒にも強烈な体験がもたらされたことは間違いないことなのです
パッションとはキリストの受難のこと
キリストの最後の12時間を聖書に極めて忠実に描いています
途中様々な聖書の中のエピソードがイエスの一瞬の回想として挿入されます
死後三日目の復活はごく短くエピローグとしてあります
1973年のロックオペラ映画「ジーザス・クライスト・スーパースター」は最後の7日間を描いていました
現代のようなそうでないような描写ですがこちらのロケ地は本物のイスラエルの砂漠でした
本作は良く似ているされる南イタリアのマテーラでロケされています
ほらあの「007ノータイム・ツーダイ」でもロケ地だったところです
普通の日本人に取ってはキリスト受難のあらましは「ジーザス・クライスト・スーパースター」の方がわかりやすいかもしれません
何故なら本作は聖書を読んで、全て内容を知っていることを前提に撮られているからです
自分はキリスト教徒ではありません
だから聖書も一般常識としての理解程度のことに過ぎません
単なる知識でしかありません
その知識すらどこまで正しいのかも怪しいのです
つまり、ただの映画好きの普通の日本人です
そんな人間が何故に本作を観るのか?
心の何かが本作を求めていたのか、そうでないのか
それすら自分のことなのにわからないのです
それでも何故か観たくなったのです
本作には単なる映画的な喜びや娯楽の要素は皆無です
イエスへの身体的な痛みを、観衆に感じさせるような克明さで映像にこれでもかと延々と突き付けられる映画です
キリストへの信仰が篤い人なら、キリストの受難シーンの痛みを我こととして、その凄惨さを受け止めて宗教的な感動体験になる映画なのかも知れません
ではキリストへの信仰の無い自分はどうだったでしょうか?
屈強なローマ兵二人が全力で棘のある鞭で無数の傷で血だらけのイエスを痛めつける様を遠巻きに眺めるエルサレムの群衆と同じ目線で観ているのです
本作を観ること自体が野次馬の群衆と何も変わることがないのだと思います
時は西暦30年4月7日
冒頭の紀元前700年は旧約聖書のイザヤ書53章の5でこの日のことが預言された年代のことです
ペドロや弟子達が眠りこけてイエスから叱責をうける「ゲッセマネの祈り」の有名なエピソードから始まります
西洋絵画の宗教画の主題に取り上げられることが多い名シーンです
レオナルド・ダビンチの壁面で有名な「最後の晩餐」のあとの深夜の出来事です
場所はエルサレム東の郊外にあるオリーブ畑の山のゲッセマネの園
エヴァンゲリオンの渚カヲルのように突然現れる不気味なフードの男は悪魔でしょう
この後にも時折現れたり、様子を離れて見ていたりします
劇中、全ての役者達は英語で話さず、イエスや弟子達が話したであろうアラム語で、ローマ人ならラテン語で話します
そこまで忠実に再現しようとしています
力尽き朦朧となったイエスの代わりに十字架を運ぶのを手伝わされるキレネのシモンなど聖書に書かれたことを、実際はこうであったであろうと克明かつ写実的に再現されます
二人の黒衣の女性
中年の女性はもちろん聖母マリア
若い方の女性はマグダラのマリア
二人に寄り添う若い使徒はヨハネ
ローマ帝国は三代目の皇帝ティベリウスの時代
「この人を見よ(エッケ・ホモ)」という有名な言葉を群衆に語るのはローマ総督ピラト
その妻はクラウディアです
彼女が渡す白い布で、二人のマリアはイエスが100回以上鞭打たれてできた広場の血溜まりを拭き取ります
その白い布が「聖骸布」になるのでしょう
擬人化された悪魔と、クラウディアが白い布を渡すこのシーンだけが本作に於ける映画的な演出と思われます
十字架に両手首と両足首を釘でうちつけられるシーンは、観衆自身がその痛みを自分の事として感じられるような映像です
釘が抜けないようにイエスが打ち付けられた十字架を裏返して反対側に突き出た釘の先端をハンマーで曲げるシーンはあまりにもリアルです
死んだのか確認するために「カシウス確しかめろ」と隊長から槍を投げ渡され、その槍でイエスの脇腹をつくローマ兵がカシウス・ロンギヌスです
その槍こそ、エヴァンゲリオンで有名になったロンギヌスの槍です
十字架から下ろされて遺骸を聖母マリアが抱く数多くの芸術作品のテーマとなる「ピエタ」のシーンで本作の物語は終わります
イエスの復活はエピローグ的に短く紹介されるのみです
こうして、あたかもキリストの受難を自分も目撃した群衆の一人であるかのような体験を映画で得るのです
キリスト教徒には大きな意味のある体験であると思います
自分のようなそうでないものも、衝撃を受ける体験でした
この人を見よ!
心臓が引き裂かれるような恐ろしい光景!
めちゃくちゃに虐待された血と傷におおいつくされ、むざんな姿
その姿を目撃した群衆の一人と同じ体験であるのだと思います
戦争はウクライナで泥沼のように続き、アジアでも戦雲が巻き起ころうとしています
日本では大物政治家が撃ち殺され、キリスト教から派生した邪教がいかに地下でとぐろを巻いていたのかが白日の下にさらされました
もはや誰を信じて良いのかも分からないのです
そんな2022年の夏が終わろうとしています
互いを愛しあいなさい
そのイエスの言葉は、21世紀の現実の世界にはあまりにも理想に過ぎて非現実的だと思います
しかし本作を見終わった自分には深く染みる教えに変わろうとしているのです
自分のような異教徒にも強烈な体験がもたらされたことは間違いないことなのです
メル・ギブソンの暴力のリアルな表現を得意とする彼の作風は、本作を撮るために神が与えたもうた能力であったのかも知れません
歴史上最低の親不孝者! こういう映画に魅せられる私…多分アレですわ、多分…真性のドМですわ。こういう映画ほんっと大好き!
スコッセシ版『沈黙~サイレンス~』からの篠田版『沈黙-SILENCE-』からの、イエス・キリストに興味を持っての再鑑賞です。
昔にレンタルDVDで観た時は、まさかこういうレビュー書くとは思っていなかたので
「なんともまぁ、えげつない映画借りてきたもんやなぁ…」程度の感想で済ませていたわけですよ。
で、再鑑賞。DVD買ったけれど、日本語吹き替えは無しの方向だったのですね。ギブソン許さない。
えーっとね…困ったなぁ、こういう極めて宗教色濃い、真面目系映画のレビューって…おちょけていたら、お叱り受けるどころか、後ろから刺されてもしゃーない感じでマジこわい!ガク((( ;゚Д゚)))ブル
正直な感想を書きますよ。よいですね?よいですよね?言論の自由よいですよね?
信ずるものに命を投げ出すのは構わんけど、君を信じて愛して慕う人々の心に、絶大な悲しみと苦痛を与えるって、何をかいわんやですわ。
母親をあそこまで悲しませ苦しませるって、絶対にやったらアカンことのひとつやろ!
なのに、まだ敵を赦すだとかほざいてんだZE!どんだけドМなんですかって話ですyo
挙句、後世で映画化までされて、観客をショック死にまで至らしめるとか、いわんやリアル現実で数々の争いの種を生むとか「どんだけの罪人やねん!」って話ですyo!ドМで罪人とか…マジ救いようがないヤツやなぁ…←マジ書きすぎ!不謹慎!
不謹慎の極みを覚悟でもっと言えば、そういうあいつ(最早あいつ呼ばわり)に本当にイラッときたのな。シバかれてる様を見てザマぁって思ったのな。一瞬。
『沈黙』でも思ったけれど、上手く立ち回って生き残れなかったら信念もクソもないでしょうが!
生きてこその明日なんやで!ですわ。
「いつの日か栄光をつかんで、この泪橋を逆に渡ってやろうじゃないか」ですわ。
観てるこっちの身にもなってくれよって話です。
って、それギブソンが悪いのな。キリスト悪くない。やっぱりギブソン許さない。
いや、後付け設定ぽいけれど、だいたい史実に合ってるなら、やっぱりキリスト許さない。絶対。観ていてつらい。THE TSURAI
こういう身につまされる映画ってほんっと困るのよ。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』だとかも。大好きだけれど。
魅せられ観せられる側のこっちの身にもなってよ!
「なら観るなよ!」って話ですが、何故かこういう観ていてつらい映画って、本当に好きなのな。魅せられるんですよ。
私…真性のドMなのかな?
いや!やっぱりちがう!「敵を愛し、迫害する者のために祈れ-愛してくれる人を愛したとて、どんな報いがあろうか」とか「綺麗ごと言ってんじゃねーよ!寝言ほざいてんじゃねーよ!」って思っちゃうもん。
やっぱり敵には「倍返しだ!いや一千倍返しだ!」の方がしっくりくるもん。
自分MなんかSなんか、どっちやねん!いや、だから!そういうこと書く場所じゃないねんて!
閑話休題。
で、ラストです。
私、映画でラストをあまり長々と饒舌に語るのを観せられるのは、好きじゃないんですが、この作品に関しては、再誕をあと5分は描いてほしいな…と思ったです。
あれでは凄まじいまでの数々の受難が、なんとも報われない気がして。ギブソン許さない。絶対。
受難のみに特化した稀有な問題作
_φ(・_・バチ当たっても良し!世界は騙されてる。
『サン オブ ゴッド』と連続二本見ての感想。。
『サンオブゴッド』はキリストが疑いなく私を信じろと、、、なんだか強迫的な感じがしました。『パッション』は幾らか人間的な解釈でキリストを描こうとしていているのですが手品のような奇跡は変わらず。最後に復活した時にハリツケの時の杭で穴が開いているのには笑うし、どちらの映画もそれが描かれています。人間としてのキリストを描いた作品はないものなのか?
キリストはある種の手品師だったのでは。自分の宗派を広めるために民衆の前で奇跡(手品)を見せ自分を信じさせ布教を強化したのでは?究極は磔刑になった後の復活。おそらく別人が刑に処されたのでしょう。そしてキリストやアブラハムなど多くの預言者たちが神の声を聞いたというフレーズ。おそらく大嘘か精神疾患だったのではないかと思いますよ。キリストが神の声を聞いたという確証はあるのか?あるはずがなく、多くの弟子たちのたわいもない解釈が現代でも引き継がれているわけです。神は一つという宗教の存在で多くの戦争と虐殺が行われてきました。神はいるかもしれないし正直私もいて欲しいと思うのですが、キリストをはじめとする預言者たちが本物かという確証はないに等しい。キリスト教原理主義者は恐ろしく本当に信じちゃっているから怖い。海外ではダーウィンの進化論なんか全然信じちゃいない奴らがいるそうな。いい加減このトリックに世界が気づくべきでしょう。だからといって唯物論に極度に傾倒するのではなく、ほどほどに宗教と向き合うべきだと私は思います。お正月には神社行って、人が死んだらお寺、ハロウィンはみんなで仮装、クリスマスはみんなでケーキを食べる日本人で私は良かったと思います。
ダメです。心が痛いです。
劇場には教会の方がいっぱいいらっしゃいました。
やはり痛い映像だった。ショック死する人が出るのもわかる。何度も何度も繰り返される拷問のシーンには目を覆いたくなるのだが、しっかり見なければいけないという強迫観念にかられ注視してしまうのだ。「この映画を見た殺人犯が自首した」という話は大げさだとは思うのだが、イエスが全ての罪をかぶってくれて感謝しなければならないという気持ちにもなれるのだ。そして、ブッシュまでも「観たい」と言わしめたこの映画。彼は敵を愛することはできるのだろうか。
とにかく、原作が「聖書」なのである!映画と呼んでよいのかどうかも疑問なのだが、キリスト教伝道という意味合いしか持たないのではないかと思えるのです。現実社会でアメリカの愚行と照らし合わせて「隣人を愛せよ」とメッセージを送っているのかと深読みすることもできるが、ラストシーンでそれさえも覆されてしまった。
劇場鑑賞では前の座席に背の高い人が座り、よく見えなかった。これも受難、試練だと思い、耐え抜いた・・・
衝撃的
異質過ぎる人
新約聖書の解説本を読んでから観て下さい
細かなディテール、セリフ、起こった事、全てかなり忠実に再現されていました。
なので、全然新約聖書とか知らずに観てしまうと、ただの拷問映画で感動もくそもありません。
私がその場にいたのなら、その時代の人間であったなら、この現代でも同じような事があったなら、どうするだろうか、と思いながら観ていました。
当時の人にしてみればキリストは新興宗教の教祖でしょう。難しいですよね・・・。
ユダヤ人が「その血の責任は我々と子孫にある」って言いきっちゃった場面は観たかったですね(人種問題になるんでいれられなかったのでしょうけど)
あと、3日後に生き返ったシーンはその後も観たかった。
なので-1させてもらいました。
難しい本が苦手な方は、「名画の謎 旧約・新約聖書編」を読んでいただければ詳しく解説してくれています(私もこれで色々知りました)
キリストの奇跡を知りたかったが
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