初恋(2006)のレビュー・感想・評価
全15件を表示
よくは理解が及ばない
三億円犯人首謀の岸の目的は現政府の転覆だったのか。
金が目的じゃなかったのね。
宮崎あおいにとっては、結実することのない、初恋だった。
寂しい。
あまり、この事象をどうとらえていいのか、わからない。
この映画のテーマって何?
さんおくえんじけん
三億円事件は、いまだ解決していない現金強奪事件だが、たった数分で鮮やかに当時では気の遠くなるような金額の現金を誰一人傷つける事なく奪ったという事で、そのエピソードがモチーフになった作品は 腐るほどある。
この映画自体が14年も前のもので、
時代設定はもちろん三億円事件の1968年。
あの時 私は小学生で、担任教師は小さな子供相手に嬉々としてこの事件を話した。
あの先生は今どうしているんだろう。
地方も地方 九州の田舎の出身なので
この頃の東京なんて 月と大して変わりないくらいの隔たりを感じていた。
たぶん日本中で団塊の世代が青春を謳歌していた時代だと思う。
今よりずっといろんな事に寛容である意味自由で
それでももっと社会の目は厳しく、生きにくい世界。
新宿もまだまだ開発はされておらず、今の西新宿の未来感は想像もつかない時代。
(こうやって今開発中の渋谷が小綺麗に生まれ変わる時、私はそれを目にする事はできるんだろうか)
映画の話をすると
宮崎あおいが 自転車に乗った事もないのにバイクを一発で暴走できちゃうのが 強烈な違和感。
無理です。
まず自転車の練習してから来い!と。
街並みや自転車屋の再現度は、この2006年なら出来ても今ならもっと数倍のお金がかかった事だろう。この十数年で東京はさらにどんどん変化したから。
私が東京に来てから37年になる。
あの頃はまだ いろんな物が残っていたし
役所には、人の心を持ったおじさんも居た。
今はそのどちらもなく ただただ間違ってなければいい
責任を押し付けられなければいい
そう言う大人だけが、どこにもかしこにも居る。
あーーー
映画の話にならない。
オートマチックではないクラッチ繋ぐ車の運転もすんなりこなす宮崎あおいの横顔が
ただ可愛いくて 違和感。
三億円事件というモチーフに
私はとっくに飽きていた事がわかった。
『大人になんかなりたくない』
上映が2006年、そして13年経ち、二人の俳優が問題を起こしてしまったことに感慨深いモノがある作品である。原作は多分、アイデア+企画モノといった装丁なのであろう。作者と物語の主人公名が同一ということで、独白のプロットという作りはセンセーショナルを掻立て、世間へのアピールは一定数得られるであろう。まぁ自分が想像する実際の犯人像はその筋の輩だとは思うが・・・。
ナンバーが控えている、いわゆる足が付いてるお金をロンダリングできる世界は通常では困難故、カタギでは出来ない芸当だ。
本作とは関係無い話はここまでにしておいて、60年代後半の混乱とモラトリアムがどす黒く溶け合った新宿が舞台である本作は今では考えられない程、若者が背伸びしていた時代でもある。その世界観を、例えフィクションであったとしても映像化して、それを鑑賞するとその狂おしい位の切迫さと引き替えの自由さを表現されていて、羨ましくもあり、又別世界として一線を引いてしまったりする。そんな時代の空気感、雰囲気の匂いをそこそこふりまきながら、本題である3億円強奪事件へと展開してゆく。只、実際の本作はイの一番に宮崎あおいの為の作品といって過言ではないフォルムなので、原作よりもディティールはそぎ落とされてしまっている故、随所でアッサリ感は否めない。編集でカットしてる場面もそこそこあるだろう。しっかりとパブリックイメージを守りつつ、事務所に大事にされている感が鼻につくが、プロモーションだから仕方がない。濡れ場があるかと思った元KAT-TUN情婦は、おためごかしのバストトップだけでお茶を濁す程度だし、ドきつさは演出不足。もっとあの時代のエログロナンセンスを押し出して欲しいと思うのは、自分が狂ってしまっているのだろうか・・・。あの時代の日本に於いて、一体何%位の若者がああいう世界に浸っていたのか、それとも殆どが黙々と目の前の現実にひれ伏しながら生きるために歯を食いしばっていたのだろうか、その辺りをあの時代の生き証人達と語りたいと思わせる内容であった。学生運動、左翼、そして爛れた性生活・・・ サルトルやランボウに誰もが解釈が出来る、そんな時代を追体験してみたい。
孤独な魂に捧ぐ
三億円事件の犯人が少女というのはかなり無理がありますが、映画の題材としては心打たれました。
途中は、2時間サスペンスの見過ぎで、いつ裏切られるんだろうなんてハラハラしながら観ていましたが…。
母親との再会場面に言葉を飲みこみ、続くクライマックスに感涙、ボロボロ。こんな心の繋がり持てたら幸せなんじゃないかな、なんで思ってしまいました。
若者がうっ屈しながらも、非生産的行為ばかりであったにしろ、まだもがきながら何かをしていた時代なんでしょうか。
この孤独感、閉塞感、空虚感、今の若者にも通じるんじゃないでしょうか。自分が何者なのか、見つけられない感じ。
宮崎さんの演技はさすがです。
みすずが犯罪に加担した経緯と、その後の切なさがリアルに伝わってくる。
舞台で、一人で語らせても、みすずの物語は完成してしまうのではないかと思う演技力。
反対に言えば、ジャズ喫茶の面々も、岸もいなくても成立してしまうような存在感。
ロケハン等の背景・舞台設定にはかなり凝ったと聞いておりますが、”あの時代だからあの犯罪”というリアルさ、みすず以外の犯人の必然性が伝わってきません。
(みすずの必然性は描かれているのですが)
原作未読。さぞかし内容は濃いものなのでしょう。それをまんべんなく映画にしようとして、すべてが上滑りになってしまった感じです。勿体ないです。
みすずの切なさは、ぜひ映画で堪能していただきたいですが、
映画は暗く、みすず以外の面々は頭でっかちで見苦しい。
”あの”時代を懐かしむ方と興味がある方はご覧下さい。
孤独な少女の初恋の物語
切ない。
切なくて胸が締め付けられる。
あくまでもベースはひとりの孤独な少女の初恋を描いた物語ですが、そこに3億円事件が絡み終始飽きさせない作品となっていました。
宮崎あおいさんをはじめてとして俳優人の演技も素晴らしくストーリーの切なさが引き出されています。
3億円事件の実行犯が女子高生という大胆な設定の脚本ですが、背景がよく練られているので無理なく鑑賞できました。
三億円事件と初恋
実際の兄妹である宮崎あおいと宮崎将。映画でも兄と妹である。まさかこの2人の間に・・・などと下衆の勘繰りを働かせてはいけないのです。高校生みすず(あおい)が好きになったのはランボーの詩を愛する東大生。他の仲間たちは学生運動の最中に、ちょっと距離をおいてジャズ喫茶Bでたむろする、夢はあるが血気盛んでどことなく空虚な若者たち。「喪失感には時効がない」。そんなみすずの言葉に代表されるかのような群像劇にも思え、そんな空気の中でなんとなく権力に逆らいたい気持ちが三億円事件を計画するのかと、最初は想像してみた。
みすずは親に見捨てられた薄幸の少女であったため、孤独から抜け出そうともがいていたのでしょう。東大生岸を全面的に信じ、幼き恋心とともに世の中を変えると主張する彼についていったのも当然の成り行き。単車が好きになり、車の運転も得意になり、強奪計画によって何かが変わると信じるようになったのです。だけど幸せは束の間。変えようとする力が大きければ大きいほど、喪失感も増大する・・・
最初は暗い性格であったこともあって、宮崎あおいも抑え目の演技でしたけど、バイクのシーンや詩集を読むシーンでは他の若手女優には真似できないものがありました。そして小嶺麗奈の大胆ヌードには驚いてしまった(初めて?)。星野真理も脱いだことだし、負けちゃられないと思ったのでしょうか・・・チラリと出演していた鰐淵晴子が彼女の行く末を暗示していたのかもしれません(意味不明です)。
それにしても、時代考証や当時の車など、またロケ地も60年代を見事に描いていたのにはびっくりです。あのおひょいさんが経営する柏田自転車店は本物だろうか、実はタイムスリップして撮影したんじゃないかと思えるほど。美術にはかなりのこだわりがあったようです。反面、ちょっと惜しいのは脚本だったかもしれません。冒頭から「ナンパしてきたよ」などと言ってたけど、当時にそんな言葉はあったのだろうか・・・
全然期待せず鑑賞しましたが、こんな青春映画(暗い)もたまにはありか...
全然期待せず鑑賞しましたが、こんな青春映画(暗い)もたまにはありかな。
女子高生の無免に白バイなんて運転できんやろうと思ってましたが、当時の白バイはCB350がベースなんだ。なら運転できるか、、、。
宮崎あおいのバイク練習シーンはファン必見!
切ない。 好きな人の為になりたくて 好きな人をある意味利用して お...
切ない。
好きな人の為になりたくて
好きな人をある意味利用して
お互い想いを伝えぬまま。
恋って難しい。
恋ってこういう気持ちなのかー。
誰かを想って待ち続ける。
一つの鍋に入ったラーメンを分け合うシーン
なんかキュンとした!
あおいちゃんの表情がなんとも言えない!
ただ小出恵介と宮崎あおいちゃん、
以外の演技が下手。。。
事件については曖昧な感じがあったけど
初恋の切なさが感じられて良かった。
つらいな~
宮崎あおい主演で、題材が「3億円事件」の実話をベースにしたフィクションということで観ました。とは言っても、モチーフがこの有名な事件だけで、ストーリーはまったくの想像です。
時は60年代後半。場所は東京。若者はフランスの文学に啓蒙され、社会を「革命」しようとする精神が謳歌していました。これがいわゆる学生運動に繋がります。そんな時代に、とあるジャズバーにたむろする反体制的な若者の一人に初恋をする女子高生のお話仕立てになっています。
これが単なる「体制VS反体制」という構図で物語が進行していたら、わたくしは間違いなく一撃で寝ていたと思います。が、本作は、少女の淡い初恋の抒情物語を入れ、ある意味、これは面白かったです。そして、その少女が事件の犯人になる発想も、すこしじっくり考えればなんとなく伝わるものはあるし、それはそれで面白い。
ですが、それでもわたくしはこの映画に非常に退屈してしまいました。それは、やはり本作の抑制されたタッチにあるのだと思います。タッチを抑制すること自体は悪いとは思いわないし、どちらかというと好感が持てますが、こうした監督さんの意図が伝わらないのです。
この時代を反映したかったのでしょうか?
それとも宮崎あおいの恋心をコントラストで浮かびあがらせたかったのでしょうか?
その意図がそうであれ、それ以外であれ、ごめんなさい。わたくしの想像力では、何も心に伝わりませんでした。結果、監督さんのアート性を出したいがための自己陶酔に完結しているようにしか思えませんでした。
その時代、その時代を尊敬したい気持ちはわたくしにはありますが、だからといってそれを描いた作品をつくった作り手の心情にまでは、こちらから歩みよるつもりはないのです。
表現って伝えてなんぼだと思いますし。
DVD発売のときにはコメンタリーで追補してほしい。
あまり期待しないでふらりと入った映画館。でも予想外におもしろかったという印象。後半はもう少しコンパクトにしてもよかったと思う。
40代の自分だから理解できた。若い人にはわかりにくいのではないだろうか。DVD発売のときにはコメンタリーで追補してほしい。
全15件を表示