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「北のカナリアたち」におばあちゃんのキスシーンがあるんだってさ。
日本映画界の高倉健さんの扱いは無難な方向としてそうなんだろうけど、小百合さまの場合は果たしてどうなのだろうか?原爆資料館の貴重なるナレーターとして大変吉永小百合という存在に尊敬の念を抱いてもいるし、豪華キャストも魅力的だが、上記の件と脚本那須、ということで「北のカナリアたち」はご勘弁させていただくことにする。
さてタイトルだけがちょっとだけかぶっただけでいきなり脱線で申し訳ないが本題「カナリア」。
「サルベージ・マイス」で散々こき下ろしてもなお谷村美月作品を観たのは、やはり一部の熱狂的なファンの基点を確認してみたかったから他ない。どうもこの映画の谷村美月がいいらしい、ということだった。
カントクはうん○したいとか事情があってでなく、唯一つまらなすぎて劇場から逃げ出した「どろろ」の塩田明彦。
ナレーションによる序盤の状況説明は邪魔くさいが、主人公光一とユキの2人の奇跡的な出会い方がかなりよい。ロードムービーでありがちな、道中訳分からん人物にあったりするのだが、りょうとつぐみのそれは特に大勢に影響なく、ファンサービスというところか。面白いのは面白いが。
道中光一の洗脳レベルがやや場面場面でブレるのは、12歳というお年頃な年齢設定ということか。またただ走ることで、その場その場の感情を表現しているようにも見えなくも無いが、それもよかろう。
お金がなくなってから、ユキのとる行動に光一の微妙な感情が爆発するところをピークにオープニングからの二人の関係性を上手く持っていけていると思う。
残念なのはまず施設時代。光一の施設時代は西島秀俊演じる先輩信者がその風貌が見事に信者すぎて、逆にドラマとしては退屈。
そして140分弱の映画だが、シーンそれぞれが妙にながい。折り紙の鶴を完成まで全部見せられてもなぁ。
またロードムービーの体をとっていても距離感が見えない。まあ、所詮関西関東間だが。
そしてロードムービーのダメな映画のひとつとして、目的地についたとたん面白くなくなる、というのがあるが、本作も残念ながらそれにあたる。終盤光一の目的のひとつがテレビであっけなく失われたことを知らされる。しかしそれをなぜユキが代行しようとするのかよく分からない。そのあたりも子供、ということで片付けてよいのかもしれないが。
しかしそれでもラストの手をつなぎ、いったんエンドロールに入り、また光一の妹朝子を挟んで手をつなぎ直して1本道を歩くシーンは感動的。
光一の頭とラストのラップは「俗世『への』解脱」というところだろう。04年あたりはJラップの主張はそればっかりだったしね。「生きてく」という意思表明として、それは当時はごく当たり前の表現だ。普通に応援したくなる。
谷村美月は普通に素晴らしかった。このセンセーショナルな内容とその容姿と演技力。なるほどねえ。
あ、この感覚「愛のむきだし」の満島ひかりとおんなじかもしれない。
映画の内容や雰囲気も園子温カントクの「愛のむきだし」+「ヒミズ」な感じ。ただもうちょっと「人間性がマジメ」。
もうちょっとだけ切り詰めて短い時間だったら、物凄く好きな映画になったな。