記憶の棘
劇場公開日:2006年9月23日
解説
ニコール・キッドマン主演、ニューヨークのアッパー・イースト・サイドで暮らす美しい未亡人アナが再婚直前、夫の生まれ変わりと告げる10歳の少年に出会い苦悩する、切ない愛のミステリー。二コールと互角の演技で圧倒させる少年ショーンに、「X-MEN/ファイナル・ディシジョン」のキャメロン・ブライトが扮する。監督はレディオヘッド、ジャミロクワイのPVで知られるビジュアリスト、ジョナサン・グレイザー。
2004年製作/100分/アメリカ
原題:Birth
配給:東芝エンタテインメント
スタッフ・キャスト
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2022年9月24日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD
大人の恋愛は、単純なものではなかったと言うことだったのでしょう。
10歳の少年であるショーンが考えたよりも、ずっと。
そして、ショーン(夫)の死で、記憶の中に棘を持ってしまっていたアナの、その記憶の棘に、運悪く、ショーン(10歳の少年)が引っ掛かってしまったと言うことでしょうか。
切ないラブ・ロマンスだったと思います。評論子には。
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この映画を何度も見ているのは私くらいかもしれないが、一つにはファンであるニコール・キッドマンがいちばん美しかった時期であるからだ。一般的にはいまいち人気がない作品であるが、多分結局は輪廻転生なんてないと判断してしまうと、確かにつまらない映画である。逆にそれに関して私は違った考えを持っているので、気に入ってしまったのかもしれない。
全体的に台詞が少ないせいで画面に集中できる。洋画の場合、字幕を見ていると画面を見落としてしまうことがよくある。
登場人物を遠くから、時間をかけてズームインして顔をアップにするカメラワークを多用しているが、この手法、特に美人のニコール・キッドマンのファンにはた堪らなく画面に惹きつけられる。
最愛の夫を突然死で失ってから10年たって、再婚を決意しだした頃に、ある少年が現れ、「僕はショーン。君の夫だ」と言い出した。最初は相手にしなかったが、夫しか知らないはずの秘密を知っており、次第にこの少年が夫の生まれ変わりだと信じるようになっていく。
最後にオチがあり、彼が「自分は夫ではない」と発言して、少年の嘘ということになるが、私の考えでは、そう単純ではないように思う。
ニコール・キッドマンの怨念みたいなものが、夫の生まれ変わりを出現させたのではないか。
そうであるなら、夫の浮気等、彼女にとって良くない事は、生まれ変わりの夫から排除されたのではないか。
少年は手紙を読んで夫の事を知ったことになるが、手紙に書いてあったことを自分から発言したことは、生まれ変わりであるとの証拠にはならないが、誰も知らないようなこと、例えば、名前も知らない婦人にかけられた内容まで、夫でなければ知るよしもなく、正確に答えることは出来なかったであろう。そんなことまで手紙に書くことはありえないであろうし、第一、すべてのランダムな質問に対して、正確には答えられないであろう。よって、夫の生まれ変わりではないかと思う。しかも、以前の夫より、純粋に昇華した新しい夫として。ラストでウェディングドレスを着た彼女の動揺は、それに気づいた為なのではないだろうか。
「アナを愛しているから、自分はショーン(夫)ではない」というのも、それを証明している。
モヤる終わり方。映像の質感とニコールキッドマンの演技力が際立っていた。ミステリー特番みたいな海外番組で似たような内容の話しがあってそっちは感動したんだけど。出だし似ていただけだった。輪廻とか奇跡とかではない。
2019年7月8日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
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少年ショーン(キャメロン・ブライト)は輪廻転生した夫なのか、はたまた精神を病んでいるだけなのか・・・微妙な終盤の展開のために場内の寒さだけが身に沁みる。冒頭のクララ(アン・ヘッシュ)の挙動不審な行動といい、「サンタはいない」という暗号のような言葉が気になって、短い台詞の応酬がそれを増幅してしまったからです。プチっと蜂の一刺しにも似たクララの言葉が少年の心を抉ってしまい、「記憶の棘」という邦題にも納得させられるのですが、意味は理解できていません。もしかするとアナ(ニコール・キッドマン)の記憶だったのかもしれません。
感情を揺さぶるような大きな展開もないし、少年ショーンがアナの入浴中にひょっこり入ってくるシーンで観ている者を驚かせるという曖昧な演出。「アナが初めてだよ」などという台詞に胸キュン状態になるニコールの演技もさすがでした。『ナチョ・リブレ』では見逃したピーター・ストーメアも渋い演技でなかなかよかったです。
最後には海岸でたわむれるニコールでしたが、このラストシーンはヨーロッパ映画か?などと感じてしまうほど映像にはこだわりがありました。しかし、それまでの映像は台詞と同様淡々としていたので、とってつけたようなアンバランスさ。亡き夫のことを忘れ去るために、少年のことも忘れるために、ふっ切れた心理描写だったのでしょうか、この後彼女はしっかりと現実を見つめて生きていけることでしょう。