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この映画を何度も見ているのは私くらいかもしれないが、一つにはファンであるニコール・キッドマンがいちばん美しかった時期であるからだ。一般的にはいまいち人気がない作品であるが、多分結局は輪廻転生なんてないと判断してしまうと、確かにつまらない映画である。逆にそれに関して私は違った考えを持っているので、気に入ってしまったのかもしれない。
全体的に台詞が少ないせいで画面に集中できる。洋画の場合、字幕を見ていると画面を見落としてしまうことがよくある。
登場人物を遠くから、時間をかけてズームインして顔をアップにするカメラワークを多用しているが、この手法、特に美人のニコール・キッドマンのファンにはた堪らなく画面に惹きつけられる。
最愛の夫を突然死で失ってから10年たって、再婚を決意しだした頃に、ある少年が現れ、「僕はショーン。君の夫だ」と言い出した。最初は相手にしなかったが、夫しか知らないはずの秘密を知っており、次第にこの少年が夫の生まれ変わりだと信じるようになっていく。
最後にオチがあり、彼が「自分は夫ではない」と発言して、少年の嘘ということになるが、私の考えでは、そう単純ではないように思う。
ニコール・キッドマンの怨念みたいなものが、夫の生まれ変わりを出現させたのではないか。
そうであるなら、夫の浮気等、彼女にとって良くない事は、生まれ変わりの夫から排除されたのではないか。
少年は手紙を読んで夫の事を知ったことになるが、手紙に書いてあったことを自分から発言したことは、生まれ変わりであるとの証拠にはならないが、誰も知らないようなこと、例えば、名前も知らない婦人にかけられた内容まで、夫でなければ知るよしもなく、正確に答えることは出来なかったであろう。そんなことまで手紙に書くことはありえないであろうし、第一、すべてのランダムな質問に対して、正確には答えられないであろう。よって、夫の生まれ変わりではないかと思う。しかも、以前の夫より、純粋に昇華した新しい夫として。ラストでウェディングドレスを着た彼女の動揺は、それに気づいた為なのではないだろうか。
「アナを愛しているから、自分はショーン(夫)ではない」というのも、それを証明している。