記憶の棘 劇場公開日 2006年9月23日
解説 ニコール・キッドマン主演、ニューヨークのアッパー・イースト・サイドで暮らす美しい未亡人アナが再婚直前、夫の生まれ変わりと告げる10歳の少年に出会い苦悩する、切ない愛のミステリー。二コールと互角の演技で圧倒させる少年ショーンに、「X-MEN/ファイナル・ディシジョン」のキャメロン・ブライトが扮する。監督はレディオヘッド、ジャミロクワイのPVで知られるビジュアリスト、ジョナサン・グレイザー。
2004年製作/100分/アメリカ 原題:Birth 配給:東芝エンタテインメント
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この映画を何度も見ているのは私くらいかもしれないが、一つにはファンであるニコール・キッドマンがいちばん美しかった時期であるからだ。一般的にはいまいち人気がない作品であるが、多分結局は輪廻転生なんてないと判断してしまうと、確かにつまらない映画である。逆にそれに関して私は違った考えを持っているので、気に入ってしまったのかもしれない。 全体的に台詞が少ないせいで画面に集中できる。洋画の場合、字幕を見ていると画面を見落としてしまうことがよくある。 登場人物を遠くから、時間をかけてズームインして顔をアップにするカメラワークを多用しているが、この手法、特に美人のニコール・キッドマンのファンにはた堪らなく画面に惹きつけられる。 最愛の夫を突然死で失ってから10年たって、再婚を決意しだした頃に、ある少年が現れ、「僕はショーン。君の夫だ」と言い出した。最初は相手にしなかったが、夫しか知らないはずの秘密を知っており、次第にこの少年が夫の生まれ変わりだと信じるようになっていく。 最後にオチがあり、彼が「自分は夫ではない」と発言して、少年の嘘ということになるが、私の考えでは、そう単純ではないように思う。 ニコール・キッドマンの怨念みたいなものが、夫の生まれ変わりを出現させたのではないか。 そうであるなら、夫の浮気等、彼女にとって良くない事は、生まれ変わりの夫から排除されたのではないか。 少年は手紙を読んで夫の事を知ったことになるが、手紙に書いてあったことを自分から発言したことは、生まれ変わりであるとの証拠にはならないが、誰も知らないようなこと、例えば、名前も知らない婦人にかけられた内容まで、夫でなければ知るよしもなく、正確に答えることは出来なかったであろう。そんなことまで手紙に書くことはありえないであろうし、第一、すべてのランダムな質問に対して、正確には答えられないであろう。よって、夫の生まれ変わりではないかと思う。しかも、以前の夫より、純粋に昇華した新しい夫として。ラストでウェディングドレスを着た彼女の動揺は、それに気づいた為なのではないだろうか。 「アナを愛しているから、自分はショーン(夫)ではない」というのも、それを証明している。
モヤる終わり方。映像の質感とニコールキッドマンの演技力が際立っていた。ミステリー特番みたいな海外番組で似たような内容の話しがあってそっちは感動したんだけど。出だし似ていただけだった。輪廻とか奇跡とかではない。
2019年7月8日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
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少年ショーン(キャメロン・ブライト)は輪廻転生した夫なのか、はたまた精神を病んでいるだけなのか・・・微妙な終盤の展開のために場内の寒さだけが身に沁みる。冒頭のクララ(アン・ヘッシュ)の挙動不審な行動といい、「サンタはいない」という暗号のような言葉が気になって、短い台詞の応酬がそれを増幅してしまったからです。プチっと蜂の一刺しにも似たクララの言葉が少年の心を抉ってしまい、「記憶の棘」という邦題にも納得させられるのですが、意味は理解できていません。もしかするとアナ(ニコール・キッドマン)の記憶だったのかもしれません。 感情を揺さぶるような大きな展開もないし、少年ショーンがアナの入浴中にひょっこり入ってくるシーンで観ている者を驚かせるという曖昧な演出。「アナが初めてだよ」などという台詞に胸キュン状態になるニコールの演技もさすがでした。『ナチョ・リブレ』では見逃したピーター・ストーメアも渋い演技でなかなかよかったです。 最後には海岸でたわむれるニコールでしたが、このラストシーンはヨーロッパ映画か?などと感じてしまうほど映像にはこだわりがありました。しかし、それまでの映像は台詞と同様淡々としていたので、とってつけたようなアンバランスさ。亡き夫のことを忘れ去るために、少年のことも忘れるために、ふっ切れた心理描写だったのでしょうか、この後彼女はしっかりと現実を見つめて生きていけることでしょう。
2015年12月16日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD
アナの夫のショーンはジョギング中に倒れて亡くなってしまう。十年後、新しい男性と結婚することになったアナのところにひとりの男の子が現れる。彼は自分のことをショーンだと名乗る。つまり、ショーンの生まれ変わりなのだと。最初はそうは信じられなかったアナも、もしかするとその男の子はショーンなのではないかという疑いを抱くようになる。男の子はアナ、あるいはアナの家族しか知り得なかったことを次々と語るようになる。果たして彼はショーンの生まれ変わりなのか? ショーンに対する未練を捨て切れなかったアナは、次第にそう思うことになるが……これがこの映画のプロットである。 何処か冷ややかな質感を伴った映像にスタンリー・キューブリック『シャイニング』や『アイズ・ワイド・シャット』を思い出したのは私だけだろうか。特に『アイズ・ワイド・シャット』は同じニコール・キッドマンが主演している作品だけあって、あの凄まじい遺作の域にある程度までは近づいているように思う。流石にこの映画よろしくキューブリックの「生まれ変わり」と思わせるにはまだまだ……という印象があるが、それでもマーク・ロマネク『わたしを離さないで』と同じく、ツルツルと魅せる映像美がなかなかのものだと思う。ニコール・キッドマンの顔のアップの長回しには迫力がある。 監督のジョナサン・グレイザーは元々は MV 畑の監督なのだそうで(だから同じ MV 畑出身のマーク・ロマネクの名を引き合いに出したのだが)アンクルの「Rabbit In Your Headlight」のヴィデオなどを手掛けているらしい。そういう出自の監督が往々にしてそうであるように、先にも書いたが映像はなかなかの迫力がある。スジもヴェテランのジャン=クロード・カリエールが参加しているだけあって、かなり練り上げられたものとして成立している。その意味で、見過ごされがちな映画という印象を抱くがなかなか楽しめる映画として私には映った。 ニコール・キッドマンの演技が冴えている。私は不勉強なものでニコール・キッドマンという女優に対しては(前述した『アイズ・ワイド・シャット』を観てはいたものの)これと言って関心を払って来なかったのだけれど、ショートヘアの彼女の佇まいには鬼気迫るものを感じる。この映画は宮崎哲弥氏の『映画365本』という著作で知ったのだけれど、『ドッグヴィル』の頃からニコール・キッドマンは演技に一段と凄味が増して来たのだそうで、『ドッグヴィル』を観てない私としてはまたしても不勉強を痛感させられた。これはなにをさておいても観るべきなのだろう。 ショーンの生まれ変わり(?)を演じるキャメロン・ブライトもまたなかなかの演技を見せている。調べたところによるとこのキャメロン・ブライトは『バタフライ・エフェクト』にも出演しているのだそうで、全然気がつかなかった。天才子役……と言ってしまえば凡庸だが、ニコール・キッドマンの存在感に釣り合う不気味と言えば不気味な、あどけないと言えばあどけない佇まいを良く現していると思う。ふたりが一緒に入浴するシーンはエロティックで、でも先ほどから何度も名を出しているキューブリックの作品がそうであるように官能的であるにしても何処か冷え切った、静謐さの中に凄味があるものとして結実しているように思う。 この映画のタイトルは「Birth」だという。つまり「Rebirth」ではないのだ。そこからもう察しの良い方はショーンの正体を割り出してしまうかもしれない。だがそうなると、ショーンの行動のあちらこちらに「何故そんなことを?」という謎が残ることとなる。そのあたりも掘り下げて描かれていればと惜しく思わなくもないが、流石にそれを描くと蛇足という印象も強くなるのだろうからこの短さ(100 分)で切り上げたのは正解なのかもしれない。小ぶりな印象を与えるが、コンパクトに纏まった良い映画であると思う。これ以上のことは今の時点では書けそうにない。 ラスト・シーン。ネタを割ることになるかもしれないが、アナはウェディング・ドレスを着て五月の砂浜に佇み、打ち寄せる波に己を晒すことになる。アナの恋は悲恋で終わってしまったのだ。このあたりも前夫との生活が回想シーンとして挟まっていれば……と惜しく思わなくもないが、そういう手法を禁じたところもまた監督や脚本家たちの工夫なのだろう。結果として人間の持つ不気味さ、一触即発の危険な事態を描くことに成功していると思う。あまりこういう薦め方はしたくないのだけれど、貴方が少年愛/ショタが好きであるなら見逃してはならない映画であると思われる。個人的にはニコール・キッドマンの映画をもっと追って行きたいと思わされた。
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