「教室の窓側の席の女の子。」あの頃ペニー・レインと ychirenさんの映画レビュー(感想・評価)
教室の窓側の席の女の子。
学生時代、校内に必ず1人はいた。
ものすごくモテる女の子。
男子は告白するための列を成し、女子は自分の親友とでも言いたげに周囲を取り巻く。
だが同級生達の青臭い思惑を知ってか知らでか当の本人はどこ吹く風。彼女には追い求めている何かかがあって、いつもそれに一喜一憂。笑ったり泣いたり、時には淋しげな横顔も。それがまた魅力的で見つめずにはいられなかった。そんな彼女はいつも教室の窓側の席に座っていたように思う。
この映画のペニーレーンはそんなカリスマ性のある女の子。制作当初は他の俳優が候補だったと聞いたがスケジュールの都合でキャンセル。その他グルーピー役の1人だったケイトハドソンがペニーに抜擢。結果、キャンセルで正解だったと私は思う。劇中、確かにケイトハドソンはペニーレーンでありペニーはケイトだった。
1970年代はロックバンドの黄金期。ギタリストのラッセルを追うペニーは「自分はセックス目的のグルーピーではない。彼らを支えるバンドエイドだ」と自負している。でも結局そのラッセルに50ドルとビール1ケースというチープな条件で他のバンドマン達に交換、つまり売り渡されてしまう。若く無垢なロックライターの主人公ウィリアムは自分が恋したペニーが酷い扱いを受けることに憤り思わずその交換条件を彼女の前で口にしてしまう。その残酷な事実に涙ぐむペニー。それでも涙を堪え「(交換条件の)ビールの銘柄は?」とウィリアムに悲しく微笑んでみせる。
ほら、そうゆうところ、そうゆうところが!そんな切り返しをしてくるところこそが彼女の圧倒的な魅力であり他の女子の追随を許さないところなのだ。
ペニーのような女の子を前にすると超絶美形とか9頭身のモデル体型とかそんな事は全くをもって無意味なものとなる。
教室で窓側の席に座る女の子。目が合わないようそっと振り向いて見ていた生徒は沢山いたのではないか。彼女と話してみたい、でも眩し過ぎて近づけない。それでもやっぱり彼女は周囲の思惑などどこ吹く風。いつも何かを追い求め遠くを見つめていた。
彼女のあの美しく淋しげな横顔はペニーレーンと重なり時折私をあの教室に呼び戻すのである。
因みに私は行列に並ぶ男子でもなければ取り巻きの女子でもない。廊下側の席から彼女に憧れていた地味なロック好き少女でした。とほほ