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○作品全体
「もや」が印象的な作品だ。
ジムが病院で目覚めて無人のロンドンを歩いている間、世界がどうなってしまったのかわからないまま。この異常な街の風景が、そのまま世界が「もや」に包まれた状況を象徴する。
セリーナたちと出会ってからもその状況はほとんど変わらず、なぜ世界がこうなってしまったのか、そして救いはあるのかわからないまま。それを表徴するようにジムたちの手前には雨が伝う窓ガラスやモザイク調の窓が置かれる。ジムたちの前に立ちはだかる「もや」のようだ。これは終盤にジムと封鎖隊が戦うシーンで「もや」がかかる立場が逆転していて、ジムが封鎖隊に「もや」をかける側になっているのが面白かった。
封鎖隊の館を脱出して、丘の上で暮らす3人のシーンでは逆に明度が高い。それまでの「もや」が少し晴れたような印象で幕を閉じた。3人で過ごす空間が理想的に描かれているあたり、ひょっとすると「もや」の役割は世界にかかった「もや」ではなく、人々の不安を顕在化する役割だったのかもしれない。そしてその不安は感染者の血のように伝搬され、人を変える…感染者を殴り殺したり、同僚を鎖で結んだり、女を襲う…といったような。
イギリス国外はどうなっているのか、イギリスはどうなるのか、病原菌のワクチンは完成するのか。そういったマクロな部分に描写を割かなかったのは人々の不安の感情にカメラを寄せたかったから、なのかもしれない。
○カメラワークとか
・様々なレンズを使っていて、「揺らぐ世界」を演出していた。レンズを使った極端な歪みや明度、ぼかしはダニー・ボイルの持ち味の一つ。
・ビルが腹を刺されて気を失うところの空と地が反転し、「HELL」と書かれた緑の丘が見えるカットは、「正気でない人物が見ている景色」として不気味な感じが印象に残る。『トレイン・スポッティング』でラリった景色を描いたダニー・ボイルの腕が活かされてる、ような気がする。
・封鎖隊が作ったバリケードのところで館を逃げ出したビルと封鎖隊が衝突するシーン。上手側へ走る兵士に合わせてパンするカットで、車の前に隠れたビルをパンのスピードはそのままに映すのがかっこよかった。第三者の視点ではビルがいる、ということがわかるが、兵士はわからない。だからビルを無視したようなパンワークになる。ビルの心象に寄ったカメラにしないことで、本気で殺そうとしている印象付けにもなっていて面白かった。
○その他
・ビルの精神的な成長(順応?)が急な印象があった。ハンナたちが住むマンションの階段を登りきれないあたりまでは戸惑う主人公だったけど、そこからは妙に腰が座った登場人物になってしまったな、と思った。感染者の豹変とかけて、状況によって人は変わる…みたいな意味として受け取った。ストーリー的に見ればセリーナと役割を交代した、とも思えたけども。