THE JUON 呪怨 : 映画評論・批評
2005年2月15日更新
2005年2月5日より渋谷東急ほか全国松竹・東急系にてロードショー
これこそ大真面目な“正解”である
ハリウッドは昔も今も新種の物語に飢えている。だから商業価値があると彼らの目に映る外国映画があれば、喜んでリメイク権を買い取り、ハリウッド映画=商品化する。ただし、「呪怨」のリメイク版についてはちょっと様子が違う。経験豊かと言えない清水崇を監督に抜擢することも例外的だが、個々のショットや語り口も含め映画全体に漂う気配それ自体が驚くほどオリジナル版と“同じ”なのだ。それぞれの事情で日本に暮らすアメリカ人へとメインキャストが変更されているにもかかわらず、だ。これは何を意味するのか? 呪いは国境を越えて感染する……。
僕の考えでは、これこそ大真面目な“正解”である。かつてホラー映画は、多数派の人間が少数派の幽霊や怪物に脅かされる設定と共にあった。ところが、いつの頃からか立場は逆転し、今や僕ら人間こそ少数派で、無数の幽霊や怪物に取り囲まれている。不可解な言葉や慣習、暴力等々から成る異国(日本=イラク?)で暮らすアメリカ人の危機的状況は決して特別なものじゃない。映画は無数の幽霊や怪物の呪いによって生き延び、あるいはより正確には死んでも死にきれずにいる……そうした信念(?)が、「死霊のはらわた」のライミから「呪怨」の清水へと継承された証として、今、呪われた傑作が僕らの前で再生を遂げる。
(北小路隆志)