リバティーン : 映画評論・批評
2006年4月11日更新
2006年4月8日よりテアトルタイムズスクエアほかにてロードショー
自由奔放に生きる“リバティーン”は日本でいえば“無頼派”
「初めに断っておく。諸君は私を好きになるまい」という前口上で始まる、稀代の放蕩詩人の物語。「私」とはジョン・ウィルモットこと第2代ロチェスター伯爵のこと。映画はマイケル・ナイマンによる典雅な調べと共に、17世紀、王政復古期の英国にタイムスリップ。ろうそくの光ゆらめく「バリー・リンドン」ばりの照明の下、ロチェスター伯の破天荒な人生が物語られる。
国王の異母弟でありながら、猥雑な詩を詠み、娼婦を買い、飲んだくれ、自由奔放に生きる“リバティーン”。日本でいえば“無頼派”だ。実際、ロチェスター伯の露悪趣味的生き方は太宰治や壇一雄と似てなくもないし、舞台で「大根!」と野次られている新人女優(サマンサ・モートン)の才能を見抜き、パトロンになったりする「火宅の人」。この女優とのラブストーリーが主軸となると思いきや、映画はロチェスター伯の疾風のごとき33年の生涯を駆け抜け、「さあ、私を好きになったかね?」と再び問いかける……。
ハリウッドの異端児デップには適役と思えるが、無頼派は結局、ナルシシストの甘えん坊。他人の思惑など気にしないキース・リチャーズばりの海賊の方が痛快ではある。
(田畑裕美)