エターナル・サンシャインのレビュー・感想・評価
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出会い直す尊さ
これぞ映画!って感じの映像作品。
時間軸をぐちゃぐちゃにしたり、記憶の断片を繋ぎ合わせるシーンとその演出であったり、映画における映像表現が盛り沢山でとてもおもしろかった。あと記憶の半焼けを、シーンを重ね合わせることで表現していることもいいなって思った。
このように映像表現に着目すると、セットをどうつくったのかだったり、編集をどうしたのかだったり、作り手の方に関心が向いちゃう。
物語も面白い。別れたカップルが楽しかった記憶などを回想する物語はよくあることだが、記憶を消去する科学技術を使いながら、その消去作業中に回想するってのは中々ないのではないかと思う。回想の最中、記憶を消去する技術者の話し声がジョエルにそして映画の鑑賞者にまるで頭の中で反響する音のように伝わる表現もすごいと思った。
「出会い直す」尊い。
ただ博士と女性の不倫は物語を繋げる上で、必要なんだが、蛇足にも感じる。あとジョエルの記憶を消去している間、技術者たちはしゃぎ過ぎでは?笑
なにはともあれ、映像表現の凄さをひしひしと感じ、物語もよかったので、いい映画を観たと思った。友人とかにも勧めたい。
傷つけ合い、時には別れ、また再び愛し合う
なんだか夢の中を渡り歩くような映像が続く中、いったいこの映画は見る人を何処に連れて行こうとしているのかと訳が判らなくなりそうでした。例え記憶を失っても、何故か寄り添い合う二人。そんな奇跡を「大事なことだから」とでも云うように、二度にわたって描いて見せておきながら、それでも最後には惨たらしくも傷つけ合う、男と女の赤裸々な姿に辿り着く。真実が明かされたという、たったそれだけのために。
で、どうするんだよ、これ・・・って呆れていたら、その次の一瞬で、辛辣な真実を突きつけられながらも、この映画で描きたかったであろう、理想の二人へと到達した――これには驚きました。それでも男と女は寄り添い合う。それでも許し合い、寄り添わなければならない。人と人は寄り添わなければ、晒された真実の様に冷たく、凍えてしまうから。まるで冬の海のように。
ユニークな視点
記憶を超えるもの
ネットフリックスで配信が終わるということで視聴。
最初の冒頭は音楽のチープさとともに主人公と女性との偶発的な出会いが描かれる。
ここの冒頭がこの映画をわかりにくく、ストーリーに入りにくくしてる気がする。
一方でここの描写が今作の肝になってる。ここが記憶をけしてからのジョンの行動になるのだ。
そしてオープニング後、また時系列変わって、クレメタインと別れて記憶を消す夜の描写に変わる。
で次はクレメタインが記憶を消えてから、それを知らずに会いに行き、傷ついて記憶を消す決意を描写に変わる。
この辺が普通は古い記憶から新しい記憶、または新しい記憶から古い記憶にたどっていくのだがバラバラに描かれる。
ここで基準と、なるのはクレメタインの髪色だ。なんで、こんなにコロコロ髪色を変える設定にしたかと思うとそこを整理するためなのだ。
青→現在
黃(茶)→倦怠期
赤→ラブラブ
緑→出会い
ここは冒頭でも提示されてる、『青の破滅』『赤の脅威』『黃熱病』『緑の革命』この名称で状態を比喩してたのだ。
ここに気づけばどこの時期がどんな状態か、どの時期を描いてるか理解できるようになる。
ここのトリックは気持ちいいのだが、肝心のラストは少し煮え切らない。クレメタインの別れた理由がカセットで浮き彫りになりづらかったのがキレイに丸まらなかったところかと思う。
キャストも豪華。当時ロードオブザリング(イライジャウッド)、スパイダーマン(キルスティンダンスト)などがわきを固める。
※あと時代違うけどハルク(マーク・ラファロ)も!
ジムキャリーが主演というところもあり、コメディ要素も少しあったが詰め込みすぎな気が。
もう少し削ぎ落とせば、傑作から名作になった作品だと思う。個人的には似た感じの作品で恋愛に焦点を当てたアバウトタイムのほうが好き
【81.2】エターナル・サンシャイン
ミシェル・ゴンドリー監督による2004年の映画『エターナル・サンシャイン』は、記憶と感情、そして人間関係の複雑さを描き出した傑作。斬新な視覚表現と深い心理描写が融合し、観る者の心に深く刻まれる作品として評価が高い。
作品の完成度
本作の完成度は、その独創性と深遠なテーマの融合において際立つ。記憶を消去するサービス「ラクーナ社」を舞台に、失われた愛の記憶を巡る男女の物語は、SF的な設定でありながら、普遍的な人間の感情を抉り出す。チャーリー・カウフマンの脚本は、非線形な時間軸と夢幻的な描写を巧みに操り、記憶の断片が再構築される過程を視覚的に表現。これは、単なる恋愛映画の枠を超え、人間のアイデンティティや選択、そして後悔といった哲学的な問いを投げかける。
記憶消去という大胆なギミックは、観客に「もしあの記憶がなくなったら?」という思考実験を促す。しかし、本作が提示するのは、記憶を消しても、その経験が形作った人格や感情は残り、結局は同じ過ちを繰り返す可能性、あるいは同じ人物に惹かれ合う宿命という、より深遠な真実。このパラドックスこそが、本作の核であり、観客に深い共感を呼ぶ。
さらに、映像とストーリーテリングの密接な連携が、この作品の完成度を高めている。記憶が薄れていく映像表現や、幼少期の記憶と現在が交錯するシーンなど、ミシェル・ゴンドリー独特の視覚言語が、複雑な内面世界を直感的に伝える。物語の展開は、線形ではないため、観客はジョエルと共に混乱し、記憶の迷宮を彷徨う体験を共有。これは、単に物語を追うのではなく、キャラクターの感情や思考そのものを追体験するような感覚をもたらす。
結末における「それでも愛を選ぶ」というメッセージは、安易なハッピーエンドとは異なり、人生における困難や痛みを認識しつつも、それらを受け入れることの尊さを提示。完璧ではない、傷つきやすい人間関係の美しさを描くことで、多くの観客の心に響く、普遍的な愛の物語として確立されている。アカデミー脚本賞の受賞も、その完成度の高さを裏付けるものだろう。
監督・演出・編集
ミシェル・ゴンドリーの監督手腕は、その独創性と挑戦的な演出に顕著。ミュージックビデオ界で培われた視覚的なイマジネーションを、長編映画の枠組みの中で遺憾なく発揮。記憶が崩壊していく過程を、CGIに頼りすぎず、アナログな手法やセットデザインで表現することで、温かみと同時に不気味さを内包する独特の雰囲気を醸し出している。
演出面では、俳優へのアプローチも特筆すべき点。ジム・キャリーとケイト・ウィンスレットには異なる指示を与え、彼らの持ち味を最大限に引き出した。また、リハーサルなしでカメラを回し続けるという手法は、役者の自然な反応を引き出し、予測不能な感情の揺らぎを捉えることに成功。これにより、演技にリアリティと即興性が付与され、登場人物の内面がより深く掘り下げられている。
バルディス・オスカードゥティルによる編集は、非線形な物語を構成する上で極めて重要。記憶の断片がシャッフルされ、過去と現在がシームレスに繋がり、時に突然途切れるような編集は、主人公ジョエルの精神状態を如実に反映。観客を混乱させつつも、物語の核心へと引き込んでいく巧妙なリズムとテンポを構築している。この編集の妙が、本作の幻想的かつ心理的な世界観を支える柱となっている。
役者の演技
ジム・キャリー(ジョエル・バリッシュ)
コメディ俳優としてのイメージが強いジム・キャリーが、本作で見せたのは内向的で繊細、そしてどこか憂鬱を帯びた男性像。これまでの持ち味であるオーバーな表情や身体的表現を抑制し、視線や沈黙、そして微細な表情の変化でジョエルの心の揺れ動きを表現。クレメンタインへの未練、記憶が消えていくことへの葛藤、そして再び彼女に惹かれていく複雑な感情を、これまでの彼からは想像できないほど抑制された演技で深く掘り下げた。彼のキャリアにおける転換点とも言える、その繊細で人間味あふれる演技は、観客に強い共感と感動を与えた。
ケイト・ウィンスレット(クレメンタイン・クルシェンスキー)
自由奔放で衝動的、そして感情の起伏が激しいクレメンタインを、ケイト・ウィンスレットは圧倒的な存在感で演じきった。髪の色の変化が感情の変遷を示すという視覚的ギミックも効果的だが、彼女自身の演技が、クレメンタインの魅力的で脆い多面性を完璧に表現。喜怒哀楽をストレートにぶつけながらも、その奥底に潜む孤独や不安を巧みに滲ませ、観客は彼女の複雑な内面に引き込まれる。アカデミー主演女優賞にノミネートされたその演技は、まさに圧巻の一言。
キルスティン・ダンスト(メアリー)
ラクーナ社の受付兼助手であるメアリーを演じたキルスティン・ダンストは、一見すると明るく無邪気だが、物語が進むにつれて彼女自身の秘密が明らかになる。その二面性を、繊細な表情の変化と抑制された演技で表現。彼女の純粋さと、やがて表れる苦悩の対比が、物語に深みを与えている。特に、ある事実を知った後の感情の爆発は、短いシーンながらも強い印象を残す。
トム・ウィルキンソン(ハワード・ミュージワック博士)
記憶消去サービスを提供する「ラクーナ社」の創設者であるハワード博士を演じたトム・ウィルキンソンは、冷静沈着でありながら、どこか人間的な弱さも持ち合わせた人物像を構築。彼の穏やかな語り口と、時に見せる戸惑いの表情が、この非倫理的なサービスを「善意」として捉えようとする彼の複雑な心理を表現。物語の根幹を支える重要な役どころを、説得力ある演技で務めた。
脚本・ストーリー
チャーリー・カウフマンによる脚本は、その独創性と構造的な複雑さにおいて、類を見ない傑作。記憶消去というSF的設定を導入しつつ、人間関係の複雑さ、愛の痛ましさと尊さを深く掘り下げている。物語は非線形に進み、ジョエルの記憶の中を彷徨いながら、クレメンタインとの出会いから別れ、そして再び惹かれ合う過程が断片的に提示される。この混乱した時間軸は、記憶の曖昧さや、感情の不規則性を巧みに表現。記憶を消すことで痛みを回避しようとする人間の心理と、それでもなお愛を求める普遍的な願望が、見事に織り交ぜられている。
この物語の核心は、完璧ではない人間関係の中にこそ真の価値があるというメッセージ。辛い記憶も、楽しかった記憶も、全てがその人自身を形成する上で不可欠な要素であるという洞察が、観客に深い共感を呼ぶ。2005年のアカデミー賞において、ミシェル・ゴンドリー、チャーリー・カウフマン、ピエール・ビスマスが共同で脚本賞を受賞したことからも、その革新性と質の高さは疑いようがない。
映像・美術・衣装
エレン・クラスによる撮影は、記憶の世界と現実世界をシームレスに繋ぐ、幻想的で時に悪夢のような映像美を創出。記憶が崩壊していくシーンでは、焦点のずれた映像や、背景が突然消えたりする視覚効果が多用され、観客をジョエルの混乱した精神世界へと引き込む。
ダン・リーが手掛けた美術は、日常生活のリアリティと、記憶の中のシュールな風景が見事に融合。特に、ジョエルのアパートやクレメンタインの部屋といった現実の空間が、記憶の操作によって変化していく様子は、視覚的に強烈な印象を与える。また、記憶を消去するラクーナ社の内装は、無機質でありながらどこかレトロフューチャーな雰囲気を持ち、その機能性と非倫理性の対比が際立つ。
メリッサ・トスによる衣装は、キャラクターの内面を巧みに反映。特にクレメンタインの髪の色の変化は、彼女の気分や感情の移ろいを象徴的に表し、視覚的な物語の進行に貢献。ジョエルの地味な服装とクレメンタインのカラフルな衣装の対比も、二人の性格の違いを際立たせている。
音楽
ジョン・ブライオンが手掛けた音楽は、本作の感傷的でノスタルジックな雰囲気を決定づけている。彼のスコアは、ジョエルとクレメンタインの複雑な感情の機微を繊細に捉え、物語の進行に合わせて静かに、しかし確実に観客の心に響く。ピアノとストリングスを基調としたメロディーは、切なさと温かさを同時に感じさせ、記憶の中の美しい瞬間と失われた愛の痛みを表現。
主題歌として使用されているのは、ベックによる「Everybody's Got to Learn Sometime」のカバーバージョン。オリジナルはザ・キンクス(The Korgis)の楽曲だが、ベックのカバーは、その気だるくも優しい歌声とアレンジが、本作のテーマである「記憶と愛」に深く寄り添う。映画のエンディングで流れるこの曲は、観客の心に静かな余韻を残し、物語の多層的な感情をまとめ上げる役割を果たしている。
作品 Eternal Sunshine of the Spotless Mind
監督 ミシェル・ゴンドリー 113.5×0.715 81.2
編集
主演 ジム・キャリーA9×2
助演 ケイト・ウィンスレット A9×2
脚本・ストーリー チャーリー・カウフマン B+7.5×7
撮影・映像 チャーリー・カウフマン B8
美術・衣装 美術 ダン・リー 衣装 メリッサ・トス A9
音楽 ジョン・ブライオン B8
目の前の人を大事にしようと思った
誰にも全く共感できず
記憶が消える過程がホラーテイスト
ちょっと悲しい
記憶を消しても残るものがある
最初はなんだか時系列がよくわかんないなぁ?と思って見ていたけれど、話の大筋がわかると今が記憶の中でこっちが現実で…とわかって面白い。
記憶の中だから自身が幼少期の頃を思い出すと、感情や理性なども揺れ動いたり、体格の変化などもあって良かった。
病院の先生と受付の人が不倫していたのは全くの予想外で驚いたけれど、最終的にみんなが消した過去をばら撒いてくれたおかげで、くっつくことになって良かった。
フジテレビのドラマ「アンメット」の
三瓶先生のセリフに記憶が消えてもその時に感じた気持ちが消えるわけじゃない、ってセリフを言っていたのを思い出した。
途中記憶が消えていく時に必死で抗う主人公を見た時には胸が張り裂けそうなほど辛かったけれど、記憶が消えても思いが消えたわけじゃなかったから、最終的に結ばれて本当に良かった。
またみたいです。
ファンタジーラブストーリー ホラーやコメディ要素もあったりしました...
タイトルなし(ネタバレ)
記憶を消す過程では描かれるのだが、記憶を消す前の段階で、付き合ってる状況があまり多く描かれていないので、感情移入できない。
出会いもあまりあり得ない逆ナン?で、女性もあまりまともじゃなさそうな感じなので、個人的には共感出来なかった。
何かしら示唆するものはあるんだろうけど、面白いかと言われれば面白くはない。
意味わからないが一緒にいる。一緒にいたい。
記憶を消す🟰別れる
として物語を現実の恋愛と照らし合わせ、ストーリーを考えると、(記憶がなくなった2人の描写が強調されていないから)
彼女に振られたが恋しくなり彼女とやり直そうと試みる。しかし既に別のパートナーがいて落ち込む。自分も前へ進もうと彼女との思い出を整理し始める。でも思い出すのは楽しい思い出だけ。やはり別れたくないと思う。そして復縁をする。復縁してすぐに彼女の嫌な部分が見えてきて思い出す。でも一緒にいたいと思った。だからやり直そう。
こんな感じだと思う。
刺激を求める女。衝動的な女。酒が大好きで飲んだくれている女。深夜3時に帰ってくる女。これらの要素から彼氏は彼女を疑う。
被害妄想の激しい男。2人としての変化を喜んでくれない男。退屈な男。だから彼氏を振る。
彼女が彼氏を安心させていれば子供を作ることにも前向きになてくれたかもしれない。
彼氏が子供を作る選択を受け入れれば彼女は落ち着いたかもしれない。
この映画を観て、改めて恋人がどういう存在かを定義することが馬鹿馬鹿しくなった。
尊重し合える関係、協力し合える関係、素を出せる関係。恋人の定義はいろいろあるが、どれも正解だがどれも間違っている。
尊重し合えるから一緒にいたい。
いいと思う。
恋人とは尊重し合える関係だ。この人は尊重してくれる。一緒にいたい。
これはダメ。
一緒にいたいと理由なんて人それぞれだし、自分で理解している人の方が少ない。理解する必要もない。
一緒にいたいと思っている間、一緒にいればいい。
そこに定義とか一般論とか持ち出してはダメ。
主人公は「誰とでも寝る女は良くない」という一般論から彼女に苛立っていた。でもそう思っていても一緒にいたいと思ったから別れなかった。
ヒロインは「退屈な男は付き合っていてもつまらない」という定義から彼氏と別れた。でも定義から外れていても一緒にいたと思ったからもう一度付き合った。
結局、なぜその人といたいのかなんてわからない。でも一緒にいたいんだから、一緒にいればいい。
というのがこの映画のメッセージなのかと思った。
一回では良さはわからないのか
映画好きの方が絶賛していたので、期待していたが、何が良いのか正直わからない。
意外な展開で、設定は面白いと思ったが、ラストはなんでそうなるの?と納得はいかない。
もう二度と思い出したくないと記憶を抹消するほどの相手とまたやり直そうとはどうしても思えない。
ただところどころに重要なセリフは出てくるので、もう一度見てみようとは思う。
どうりで賛否両論…
アカデミー賞脚本賞、主役級のスターが脇を固める有名な作品ですが、映画ドットコムのレビューは3.4、賛否両論の嵐なのはなぜ?w
俳優の仕事もしているカナダ人の友人からめっちゃいいよと勧められ、しかもたまたま映画館で期間限定で公開していたので最終日に観に行きました。
別のマイナー作品を直前に観ていたせいか、集中力が切れてあまり頭に入らない展開…、事前にみなさんのレビューを読んでおけばと後悔しました。
確かに苦しい失恋は何度かありますが、別に記憶を消したいなどと思ったことがないせいか、全くシンパシーも湧かず…。大体、みなさんは別れた人とヨリを戻したことありますか?私はうまくいかなかった人はご縁がなかったと思って、さっさと気持ちを切り換えるし、どうせやり直したってうまくいかないだろうし…と思ってしまうんですよねー😩…
ただケイトウィンスレットくらいの美女だったら、あんな奇妙なナンパの仕方でもうまく行くんだなとか、全く作品に関係ない感想が色々浮かびました。ジムキャリーでは笑うとこないのかなぁとかw
もうちょっとロマンチックな内容を期待してたなぁ。何かタイトルから受け取るイメージとはかけ離れた内容でした。
…カナダ人の友人に作品のどこが良かったのか聞きたいけど、こないだ絶交しちゃったんで、すっかり疎遠です…。
…私の記憶も、消そうかなぁwww
何度も
記憶を消した男。記憶を消した女。
それぞれが元々が恋人同士である事。
記憶が消されてからの2人は、別の人物、別の人生を歩んでいた。
この物語は、一度観ただけだとなかなかに理解するもの難しいと感じた。
自分の中のイメージ的に主演がジムキャリーという事もあり、どこか「トゥルーマンショー」のような要素も感じた。
記憶が消される前の人生が幸せだったのか?
それとも、全てを忘れて、新たな人生の方が幸せなのか?
その答えは、分からないと思う。
けども、失敗したっていいさ。
それが一番だなと感じました。
もう一度観る必要があるな。
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