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それほど難しい話じゃないとは思います。何かの暗喩なのか、文化の違いなのかは分からない、不可解な点はいくつかありましたが、それも外国のインディーズ映画の醍醐味です。話の筋は二つあります。中年男たちの同性愛と同性愛者の偽装結婚。二つの世界を繋げるのが床屋に残された赤いパンツです。
中年男たちは終始楽しそうで、子供のように相手かまわず遊びまわり、街を闊歩します。みんなあっちこっちよく歩きます。本当に街を知り尽くしていて、トイレ、ゲイバー、サウナ、床屋、団地、街なかのありとあらゆる場所に小さな縄張りを張り、そこを転々としながら折々の相手と逢引きを繰り返します。自分の小学生のときを思い出しました。
一方で、同性愛者の男女が親に結婚をせがまれ、偽装結婚をします。これに関わる人たちは、おじさんたちとは対照的に非常に苦しそうです。物語の始まりに、主人公の餅売りと別れた床屋の男が偽装結婚の男役です。妻となる女も同性愛者で、その妻の恋人が人工妊娠のために手立てを整え、お互いの恋人を交えて四人で話し合いをします。
恋人は床屋とその恋人に病院での検査を要求します。床屋は納得しますが、その恋人の男は断ります。女二人と床屋は男を説得しますが、甲斐ありません。女二人はそれでも説得しますが、意味がありません。
すると、不意に床屋の恋人が立ち上がり、唐突に「インターナショナル」を歌い上げます。自由の歌です。女二人は退散します。床屋と女が社会に、とういうより家族、因習に縛られ、その中でうまく生活をしていこうと考えて苦心する一方で、この男も含め、おじさんたちは本当に自由です。餅売りの恋人となる骨董屋も、嫁を捨てて自由を手にします。
全体的に幼稚なんです。それは誰も倫理的な葛藤を抱えてないからです。骨董屋が泣く妻にかける言葉は、「サルトルの話をしただろう」です。お前の話をするところだろって腹が立ちます。彼はそれに何も後ろめたさを感じていません。公式サイトでは「すれ違う中年の男たちが紡ぐ、シュールで温かな孤独と愛」と謳われてますが、ただ子どもが老けただけです。だからといって、床屋夫妻も大差ありません。彼らも倫理や道徳、例えば生まれてくる子どもの立場だとかそういうものを一顧だにしません。
おそらく、中国自体がそういう国なんだろうなと思います。少なくとも映画を撮るときに、倫理や宗教、当然政治に関する葛藤や相克を考えない。検閲でアウトですから。そう、でもそんなわけないですよね。骨董屋がトイレで出会った男は信仰を問いただします。おそらく、公安の職員なんじゃないかなと直感しました。さらに前述のとおり、床屋の恋人は自由の歌を歌って規範を追い払い、ハゲでデブのホモは自由についての演説をかまします。何度も行き来する陸橋に貼られた注意書きも、毎回文字が変わります。それにも何かあるかもしれません。
さて、映画は、その登場人物たちにとっては、ラストカットへの出演権をかけた戦争でもあります。当然、主人公二人を擁する、遊んでばかりのおじさん軍団は敗れ、女二人がその出演権を勝ち取りました。物語は、餅売りが床屋に残した赤いパンツを背景にして、ウェディングドレスを着た女が口をゆがませて笑って終わりです。