小さなロバ、ビム

劇場公開日:2025年11月14日

解説・あらすじ

「赤い風船」「白い馬」で知られるアルベール・ラモリスが1951年に発表した、初の劇場用長編作品。少年とロバの友情を描く。

はるか昔、東方のある島では、子どもたちがそれぞれ1頭のロバを飼う習わしがあった。ビムはその中でも最も美しいロバで、貧しい少年アブダラがその飼い主だった。ところが、意地悪な領主の息子メサウドがビムに一目ぼれし、アブダラからビムを奪い取ってしまう。連れ去られたビムを取り返そうと、アブダラは勇敢にも領主の屋敷に忍び込むが、護衛に見つかり牢に入れられてしまう。

日本では長らく劇場未公開だったが、2025年、「赤い風船」「白い馬」の4Kデジタル修復版の公開にあわせた特集上映「映像詩人アルベール・ラモリスの知られざる世界」で、4Kデジタル修復版で劇場初公開される。

1951年製作/55分/G/フランス
原題または英題:Bim, le petit âne
配給:セテラ・インターナショナル
劇場公開日:2025年11月14日

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映画レビュー

3.5 アルベール・ラモリス監督の魅力のすべてがつまった、輝ける劇場映画第一作。ロバ可愛えええ

2025年11月29日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

『赤い風船』『白い馬』で名高い映像詩人アルベール・ラモリス監督が手掛けた、劇場用の娯楽映画第一作。
処女作には作家の全てがつまっているとはよくいったもので、思っていた以上に「後年のラモリス」を形成しているあらゆる要素が詰め込まれた、「らしい」一作に仕上がっていた。

まずは、執着の対象としての「人ではない何か」の存在。
本作において、それは「ロバ」として顕現する。
馬よりも弱く、風船よりも庇護欲をそそる、ひたすらに愛くるしい生き物。

何をされてもじっと耐え、
憂いを優しさの仮面に秘めて、
ただおとなしく辛抱している。
無条件に可愛くて、儚げで、
無条件に抱きしめたくなる、
そんな存在。それが、ロバだ。

ロバを「受難」を体験する殉教聖人のように描き、さまざまな「迫害」を経て最後には「自由」を手に入れる、キリスト教的な教導的要素を含んでいるのも、『白い馬』『赤い風船』とよく似ている。

それから、小憎たらしい「敵」の存在。
これもいかにもラモリス監督らしい。
本作では、ろくでもない領主のドラ息子が登場し、美しいロバに横恋慕してちょっかいを出してくる。ロバを水に叩き落として大喜びしたり、はさみで耳を切ろうとしたりと、彼が度を越して示すサイコパス的な暴力性は、そのまま『赤い風船』の悪ガキたちにも引き継がれることになる。
一方で、後半の思いがけない共闘展開は、『白い馬』『赤い風船』では「あえて捨てられた」要素であり、もしかするとラモリスとしては「ハッピーエンドにするために無理をして取り入れた童話的要素」だったのかもしれない。

その他、少年の「相棒」であるロバを横取りするために「敵」がきわめて執念深く「追跡」してくる中盤のアクション展開や、その過程で「大人」が愚かで直情的で暴力的で救いがたい存在として描かれる点も、のちの作品に引き継がれる要素だといえる。

主人公の少年が身にまとう、細身の美少年オーラ。
相棒を助けるためなら危険を顧みない無鉄砲ぶり。
観ているこちらがはらはらするほどのピュアネス。
動物と「水辺」という映像的な取りあわせの美観。

この辺も「ラモリス節」を形成する要素であり、なんとなくその精神はジブリ作品にも引き継がれている印象がある。

ただ、映画としては『白い馬』『赤い風船』ほどの完成度は示し得ていない。
総じて、主人公の少年や敵役の少年の感情表現がブツ切れなせいで、映画が各シーンの単なる寄せ集めに見えるし、終盤に敵役の少年が示す、突然の改心ぶりもかなり唐突だ。
それでも中盤までは素晴らしいのだが、泥棒が店に入って以降は、話がバタバタしていて散漫だし(『101匹わんちゃん』(61)とか『乱闘街』(47)みたいにしたかったのだろうが)、終わり方にもまとまりが感じられない。
なんだか、もっとひどいエンディングにしたかったのに、無理やり上に言われてありきたりなハッピーエンドに変えたみたいな……(笑)。
投げやりっていうか、やる気がないっていうか、「はいはいこうすりゃいいんでしょ」みたいな適当さの漂うエンディングで、あまりいただけない気が個人的にはした。

― ― ― ―

●フランスの監督が、アラブとおぼしき街を舞台に、オールアラブ人で映画を撮るのって、けっこう珍しくないか? それとも僕が知らないだけで結構あるパターンなのか?
ちなみに、ロケ地はチュニジアのジェルバ島。パンフによれば、この島の陶工たちのドキュメンタリーを撮っていたラモリスが、とても島のことが気に入ってロケ地に選んだらしい。

●支配者の宮殿の正面にある、白亜の階段。その両サイドの壇上に「狛犬」か「仁王」のように、半月刀をもって座る、上半身裸の武人。なにこれ? 実際にあるアラブのカルチャーなのか?
もしかして、仁王像とか金剛力士像と呼ばれる門を守護する「阿吽」の武神の取り合わせや、同様の形で獅子や狛犬やキツネに空間の守護をさせる呪術的配置って、アラブ由来でシルクロードを渡って東洋に伝わったものなのかな?

●とにかくもう仔ロバが可愛くて、可愛くて。とけちゃいそう。
イヌやネコ以上に歯向かわないし、されるがまま。
無防備で、困った顔をしていて、守ってやりたくなる。
多少、反撃するにしても、子どもにえいって頭突きして池に落とす程度だし。
あとは、隙があったらとっとことっとこ逃げようとする(笑)。
弱いけど、辛抱強くて、愛情ぶかく、聡い動物。
このへんの描き方は、ロベール・ブレッソンの『バルタザールどこへ行く』(66)のロバの描き方とはだいぶ違って見える。

●ラモリスって、相棒である「人でないもの」の愛くるしさとか、お互いに信頼を寄せあう美しさを「尊い」ものとして描くわりに、それを叩き潰そうとする勢力の「えぐみ」も容赦なく描き込んでくる。あたかもラモリス自身のなかにも、か弱くて愛くるしい存在をメチャクチャにしてやりたい暴力衝動とサディズムがひそんでいるかのような……。

●少年たちが、ロバのことは目いっぱい可愛がる一方で、使役動物であるラクダや馬には容赦なく鞭をふるい、いうことをきかせているシーンは、『白い馬』で漁師の少年が馬といっしょにウサギをなぶり殺しにするシーンと呼応して見える。
要するに主人公の側だって、単なるお花畑の動物愛護主義者なんかじゃないんだよ、と。食うためにならウサギを狩って殺すし、乗るためになら鞭もふるう。その「弱肉強食」の世界でなお、彼らは馬(ロバ)と分かちがたい紐帯で結ばれて、終生の愛を誓うわけだ。

●ロバと少年の映画である本作と、馬と少年の映画である『白い馬』は、さまざまな意味で対照的(補完的)な関係にある。
街を舞台に、人と動物のさまざまな交流を描く本作に対して、大湿地帯を舞台に、限られた登場人物だけでサバイバル状況を描く『白い馬』。
ひたすら従順で柔和な優しさを象徴するロバと、ひたすら荒ぶって野生の逞しさを象徴する白馬。環境の変化にただ困り顔で流されるだけのロバと、自らの行動と突破力で事態を打開しようと奮闘する白馬。ロバと馬の性質の違いは大きく、当然ながらそれにコミットしようとする少年たちのスタンスもまた変わってくる。

●考えてみると、『小さなロバ、ビム』と『白い馬』では、水平線へのこだわりは共通して見られる一方で、まだ「飛翔」への憧れは顔を出してきていなかった。それが顕在化するのが『赤い風船』で、その夢を何十倍にもスケールアップした形で「再撮」したのが『素晴らしい風船旅行』だ。そして「飛ぶこと」への夢は「羽をはやした鳥人が自力で空を飛ぶ」という『フィフィ大空をゆく』へと受け継がれる。
その意味では、「弱きものの自由への飛翔(逃避)」というテーマでは、本当に一貫した理念と方向性をもった監督さんだったんだな、と思う。

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じゃい

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