盲山

劇場公開日:2025年7月18日

解説・あらすじ

中国の山奥の村に花嫁として売られた大学生の運命を、ドキュメンタリータッチの映像で生々しく描いた社会派スリラー。2007年に製作され、中国では政府の検閲により約20カ所のシーンをカットしたものの、最終的に国内上映禁止となった作品。

仕事を探していた22歳の大学生・白雪梅(パイ・シューメイ)は、親切な若い女性に紹介された仕事を受けるため山奥へ向かう。長く過酷な旅の末、眠りに落ちた白雪梅が目を覚ますと、そこは見知らぬ農家だった。自分がどこにいるのかわからず、財布も身分証明書も荷物もすべて失い、紹介者の女性も見当たらない。やがて彼女は村人から、村に住む40歳の男性・黄徳貴(ホアン・デグイ)の花嫁として売られたと聞かされ、自分が人身売買業者に騙されたことを知る。抵抗を試みる白雪梅だったが、虐待された上に監禁され、奴隷のような生活を強いられる。逃走を図るも村人は誰も白雪梅を助けようとせず、警察も無関心で、彼女は完全に囚われの身となってしまう。

リアリティを演出するため、村人役には演技経験のない現地の人々、主要キャストには北京電影学院の学生を起用した。2007年・第60回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門出品。

2007年製作/102分/中国
原題または英題:盲山 Blind Mountain
配給:Stranger
劇場公開日:2025年7月18日

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(C)2007 Tang Splendour Films Limited - Kun Peng Xing Yun Cultural Development Limited

映画レビュー

3.0 タオル取れ!

2025年9月28日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

難しい

内容についてはうまく言葉にできないが、タオルの件だけは映画っぽかった。

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Mr. Planty

4.0 なるほど

2025年9月28日
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鑑賞方法:映画館

怖い

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あちこ

3.0 ずっしり重いストレートな映画

2025年9月19日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:映画館

怖い

ひと昔前の中国で実際あったであろう題材をあまりにもストレートに実に正直に描ききった作品。
全ての登場人物の立場立場によっての思考や行動がリアルに人間の本質を突いている。
何かのせいにして諦めたり、正当化したり、打算したりと見事に人間の中にある弱さが腐り染みていく。
長く染み渡って出来上がったものを変えるには、この映画の唯一の希望である子供たちに託すしかないのだろうが、今目の前の悲劇を取り敢えず終わらせるのは悲劇でしかないのが絶望的で悲しい。

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ケージ

4.5 美しい山里に潜む“悪の凡庸さ”

2025年9月14日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

すごいものを見た。パンフレットのキャッチコピーは「中国で全面上映中止!! 衝撃の問題作」。人身売買・強制結婚・家庭内暴力、さらにそれを隠蔽する地域を告発する映画だと思って鑑賞した。
もちろん、そういう作品でもあるのだけれど、それを超えてドラマやサスペンス映画としても見事であるし、また人が環境によって規定される無力なものであるという人間の本質を見事に描いていると感じた。さらに映像は美しく、桃源郷と言いたくなる、ひと昔ふた昔前の中国の美しい山里で暮らす、無学で純朴な人々の営みが十分な説得力をもって伝わってきた。

この作品は2007年の中国映画。そして舞台は1990年代前半の中国の山奥の村である。そこに都会で大学を卒業した主人公の白雪梅が騙されて連れてこられて、村人の嫁として売られてしまう。僕が就職した時代の話で白雪梅は僕と同世代ということになるから、さらに前のめりに見ることになった。
調べてみると、90年代〜2000年代の中国内陸農村では、同様の事件が相次いでいたとのことだ(2020年でも、人身売買目的の拉致事件の裁判例は数百件に上り、これは一部であるとみなされている)。
背景には、まず一人っ子政策の影響で、映画でも描かれるが女児が生まれると遺棄してしまうということが行われ、結果、男性人口が増えたこと。それによって男性余りが起きて、独身女性の価値は高騰した。 彩礼(花嫁価格)というおそらく結納のようなものの価格も高騰し、結婚は独身男性にとって経済的に高い負担がかかる憧れのものともなった。

そうした社会背景を頭に入れて見ると、この映画の意味はずいぶん変わってくる。人身売買は犯罪だし、この村の人々や役人たちは、その隠蔽に協力しているから、村ぐるみの犯罪であるのだが、同時にこれは当時多かれ少なかれ行われていることでもあった。都会の金持ちなら、合法的に花嫁が手に入るけれど、田舎では、別の方法で手に入れるしかない。だからこそ人々は協力し合っている。
人権問題を扱うという点で、カンヌでパルムドールを受賞した「楢山節考」を思い出した。本作も受賞レベルの傑作だと思う。しかし、英語版のwikipediaの解説では「稚拙な登場人物描写」「ストーリーに感情的裏付けがない」など厳しい批評もあったようだ。
しかし、僕はこの批判的批評には賛同できないと思った。この映画に登場する村人も人身売買のブローカーも犯罪であることは知りつつ、社会的必要性と経済合理性によって行動している。そして、村には白雪梅の先にも同様にさらわれてきた花嫁たちがいて、諦めることが合理的であるということも十分に描かれていく。
「さらわれた花嫁たちは、なぜ逃げないのか?」「村人たちや役人は、なぜこのような被人道的な行いをするのか?」と思うけれど、それは人権に配慮された社会という安全地帯から見ている傍観者の感想に過ぎないとも思う。
なぜなら、今の僕らも例えば勤めている会社や社会から完全にフェアに扱われているとは言い難いし、それでも多くの場合、戦うことなく、その場の論理(日本人的に言えば空気)に従って行動しているからだ。自分の中でも、なんとなく不満や違和感があるけれど、どうしようもないと諦め、前向きな合理化を行って生きている。

この映画で描かれているのは、主人公だけでなく村人達も、全ての人々が社会制度や歴史的状況に縛られた囚人であるということだと思う。特にこの村では、唯一高校を卒業した学歴のある若者が教師を勤めていて、教育も不十分であることが示唆されている。言語の能力も対話を重視する文化もないから、暴力に訴える。さまざまな理不尽も「そうせざるをえない行動」として描かれているし、現実はそういうものだと思う。
ハンナ・アーレントの「悪の凡庸さ」にも通じるけれど、計画的な加害者はこの映画の中にはおらず、ただ環境に適応し、慣習をなぞって生きている。その中で行われる悪行には、複雑な感情も意外性のある裏付けもなく、逆に言えば、この状況にいれば、ほとんど全ての人がそうするであろうことをしているに過ぎない。人物像の描写が単純であることにこそリアリティがあるのだと感じだ。
人は巨大なシステムや環境の中では無力であり、それに規定されるように生きていくものだという描写に普遍性があると思う。そしてそうした生き方は、私たち日本人が得意とするところであることは「空気の研究」を始め、さまざまな日本人論でも考察されてきたことである。
自分の中に村人性を見出しながら見ることで、本作はさらに深い味わいを与えてくれると思う。

カンヌに出品するにあたり20数箇所検閲で削られたとのことだが、それでもこの映画が現在見られることは奇跡的でもあるし、国家ぐるみの犯罪ではなく、むしろ国家としては努力を重ねている中で行われた個人や地域の犯罪であると描写されたことで、公開にOKが出たのではないだろうか。
これが公開された菊川の Strangerもほぼ満席だった。一見の価値ありの傑作であるとおすすめしたい。

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nonta