劇場公開日 2025年4月26日

IT’S NOT ME イッツ・ノット・ミー : 映画評論・批評

2025年4月22日更新

2025年4月26日よりユーロスペースほかにてロードショー

ゴダールと一緒に答えを探したかったというカラックスの心情が切ない

「いま君はどこにいる?」という現在地を尋ねる問いかけに対し、40年の間に6本の長編と1編のオムニバスを監督した映画作家として、あるいは10代の娘を持つ64歳のフランス人男性としての居場所を、レオス・カラックスは作品を通して答えようと試みた。撮りおろしの映像に加え、ナレーション、映画や文学の引用、音楽、字幕などのコラージュから成る構成は、ジャン=リュック・ゴダール監督の「イメージの本」を彷彿させるが、カラックスのコラージュは、より感覚的で抒情的だ。ベッドにうつ伏せになり、眠りながらノートに文字を書きなぐるカラックスの後ろ姿を映し出した導入部は、この映画が、カラックスの潜在意識の奥深くを探求する旅であることを示唆している。

その潜在意識の回転速度はめまぐるしく、42分の間に次から次へと連想ゲームのように題材が提示される。前々作「ホーリー・モーターズ」は映画についてのメタ映画、前作「アネット」は父と娘についての映画だったが、「IT’S NOT ME イッツ・ノット・ミー」はその両方をはらみ、さらに20世紀の闇と光について、支配者と抵抗者についてなど、人間と芸術に関する多くの事柄について思索をめぐらせている。もしも観る方がコラージュの一片にこだわり、立ち止まって意味を考えようものなら、何億光年も置いてきぼりをくらうだろう。この映画を楽しみたいなら、カラックスが紡ぎ出すイメージの洪水に身をゆだね、その中から自分の心に響く何かをみつけるしか手はない。

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筆者が興味をひかれたのは、比較的多くの時間が割かれた「神のまなざし」についての考察だ。映画草創期における重い機材を使ったフィルム撮影の凄みを、カラックスは、F・W・ムルナウ監督の「サンライズ」の引用を通じて物語り、お手軽なデジタル撮影ではその感覚が味わえないと悲しむ。1秒24コマで構成された映画の魔法の一部が失われたいま、「神のまなざし」を取り戻すにはどうすればいいのか? そんな問いかけのあとに流れるのは、故ゴダールが残した留守番電話のメッセージ。ゴダールと一緒に答えを探したかったというカラックスの心情が垣間見え、ちょっと切ない。

そして、この「神のまなざし」についての考察は、「この世の美はまばたきを求めている」というラストのメッセージにつながる。あらゆる物事がまばたきする間もなく猛スピードで流れ去り、映画さえも早送りで見られる時代に、永遠に焼き付く一瞬が作り出せれば、それは新たな「神のまなざし」になるかもしれない。カラックスの現在地は、その方法をみつける途上だと感じた。

矢崎由紀子

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