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このドキュメンターを観てまず思ったことは、なぜこれを制作したのか?1960年代の事件が今になって、見直されたり、興味を持たれるのはどんな場合だろう。それに、このドキュメンタリーが殺人ケースの証拠になるのだろうか。また、時々見られるゴシップのような証拠?が論議を呼ぶのだろうか。よくわからなかった。
少なくても、ブライアン・ジョーンズのファンなら(だったら)興味があるだろう。私はブライアン・ジョーンズをよく記憶しているが、このドキュメンターほど退屈なものはなく、途中で寝てしまった。時代的にも、素行の悪さもジム・モリソンとかぶるが、ブライアン・ジョーズの詳細はしらなかった。
彼の近親者のインタビューばかりで私は誰一人知っている人がいなかった。それに、ローリングストーンズの音楽は一切聞けなかった。エンドロールで一曲流れたような気がする。
1969年サセックス州コッチファームにある自宅のプールで死体で見つかったローリングスーンのオリジナルリーダー、ブライアン・ジョーンズの死について解明するもののようだ。ローリングストーンズを解雇(?1969)され、数週間後にこの事件が起きた?。死因は飲酒・麻薬で溺死したとなっているがある関係者はブライアンは泳ぎが得意だと。何十年もかけて証拠を再調査した人の(?)検証だが、その人はFrank Thorogoodよって殺害されて、それが、隠蔽されたとしている。ブライアンは酒豪で、酒癖が悪く、偏執狂になっていたようで、多額の金を返していなかったようだ.........他にも五人のガールフレンドに一人ずつ子供を作ったり、ガールフレンドを殴ったり、友達関係も良くなかったようだ。ローリングストーンズに在籍した最後の方は、レコーディングにも参加できなかったようだ。新しいメンバーが演奏したようだ。
彼の子供の頃について、このドキュメンタリーは進む。彼は中流階級の音楽の才能がある家庭で育ち、学校ではクラリネットの奏者であり、ジャズやブルース好きであった。主観だが、かなり裕福の家庭のようだった。
その後アレックシスコーナーとイーリングでジャズを演奏をしていた。マディー・ウォーターの曲、Rollin’ Stoneから自分のバンドを作った。それが、ローリング・ストーンズだ。そして、モデルでガールフレンドAnita Pallenbergの影響を受けて、ユニセックスの衣装を纏い始めた。ユニークな装いや考え方をしているようで、彼だけがストーンズ違う雰囲気を持っていた理由がここで分かった。ベースのビル・ワイマンは彼の価値を見出していたようだ。‘No Jones, no Stonesと言っている。私はこのドキュメンタリーのあと、ローリングストーンズというグループに焦点を置いた初期のドキュメンタリーを観たが、ブルース、シタールもこなし、リードボーカルのように注目を浴びる存在であった。例えば:
The Rolling Stones- "Lady Jane"/Interview/"Paint It Black" 1966 [Reelin' In The Years Archive] (コピペをして聞いて)
解雇される前、1963年に新しいマネージャーに変わり、ミックジャガーをスターにして、音楽をミックとキースにつくらせるようになり(?)、ブライアンの疎外感が強まった。より酒や麻薬に溺れ、コントロールできないようになり、使えないと判断したようだ。キースとミックは自分達も麻薬を使ったが、ブウライアンは過剰で音楽家としての仕事ができなかったと.........
ここまでにする。
TAMI Show 1964: ブライアンジョーンズとストーンズ
The Rolling Stones Live on the TAMI Show 1964 (Brian Jones Plays His VOX Teardrop Guitar) (コピペして聞いて)