コラム:芝山幹郎 娯楽映画 ロスト&ファウンド - 第4回
2014年7月16日更新
第4回:「リアリティのダンス」と同時代の怪人たち
神秘主義の匂いよりも「俗」の匂いが好ましい
アレハンドロ(イェレミアス・ハースコビッツ)の父ハイメ(ブロンティス・ホドロフスキー)は町で雑貨屋を営んでいる。ハイメはマッチョ志向だ。男には自制心が必要だと主張し、幼いアレハンドロにいろいろな苦痛を与える。といっても、羽根で足の裏や腋の下をくすぐって「笑うな」と命じたり、訪れた歯医者で「麻酔をかけずに治療しろ」と指示したりする程度のものだが。
一方で、ハイメは共産主義者だ。店の壁にはスターリンの肖像画が飾られている。チリ軍事政権の独裁者イバニェス大統領(もちろん実在の人物だ)には反感を抱いている。その感情はやがて、「奴を暗殺するため、サンティアゴへ向かう」という無謀な行動に結びつく。家族を置き去りにすることは気にしていないようだ。
アレハンドロの母サラ(パメラ・フローレス)は、オペラ歌手になるのが夢だった。ランプに灯りをともすつもりが、火を持ったまま酒樽に落ちて焼け死んだ自分の父親への思慕が消えず、息子のアレハンドロをその生まれ変わりと考えている。話すときはアリアを歌うように発声し、超自然的な力の存在も信じ込んでいる。
そんな両親にはさまれたアレハンドロ少年の姿を、ホドロフスキーは写真のアルバムをめくるように振り返っていく。鉱山事故で手足を失った男たちの群れ。少年が穿いていた赤い靴を羨む靴磨きの同級生。怒りを覚えた少年が海に石を投げると、大波が押し寄せ、イワシの大群が浜に打ち上げられ、無数のカモメが空から舞い降りてくる映像。あるいは、ペストに感染した父親に母親が全裸でまたがり、放尿して治療しようとする映像。
どの場面も、一度見たら忘れられない。「アマルコルド」でも、気のふれた叔父さんが高い木に登って降りようとしない場面や、降り積もった雪のなかで孔雀が大きく羽根を広げる場面が突出していたが、あの映画にはときおり語り口が大まかになるという弱点があった。一方、「リアリティのダンス」では、印象的な挿話と、平叙体で語られる全体の語りとの間に密度の差がほとんど見当たらない。
年齢を引き合いに出すのは安易すぎるかもしれないが、これはやはり驚くべき特質だ。「アマルコルド」を撮った当時のフェリーニや「戦場の小さな天使たち」を撮ったときのブアマンは、50代半ばの年齢だった。対するホドロフスキーは80代中盤に差しかかっている。もちろん、高齢の監督は少なくない。クリント・イーストウッドやジャン=リュック・ゴダールは、ホドロフスキーより1歳若いだけだし、故エリック・ロメールも80代中盤で新作を発表していた。もっと極端な例としては、100歳を超えて活動をつづけるマノエル・ド・オリベイラの名が思い浮かぶ。
だが、ホドロフスキーの送り出すイメージの若々しさはどうだろうか。最近の映画で、類縁性を感じさせるものはまず見当たらない。クエンティン・タランティーノやウェス・アンダーソンは才能が異質だし、CGに頼る若手監督たちは、もともとの想像力が意外に凡庸だ。むしろ私は、40年以上前にホドロフスキー自身が撮った「エル・トポ」(70)や「ホーリー・マウンテン」(73)といった歴史的なミッドナイト・ムービーとのつながりを思い出す。気負いやケレンが整理された分、「リアリティのダンス」はもっと穏やかで、もっと親しみやすくなっているのだが。
いや、待てよ。6月末に世田谷パブリックシアターで上演された大駱駝艦の新作「ムシノホシ」があったではないか。あの虚構はかなりホドロフスキーの世界と接点を持っていた。不敵で、寛容で、猥雑で、オフビートな笑いに満たされ、なおかつ知性とダイナミズムの要素をともに感じさせるという意味で、「ムシノホシ」は大器・麿赤兒の新境地をうかがわせる舞踏だった。
そう、この怪人も70歳を超えてなお、頭と身体を成長させつづけている。孫の世代の若者たちと同じステージに突っ立ち、綺想や工夫に磨きをかけつつ、想像力の限界を先へ先へと延ばしつづける姿勢。麿赤兒がホドロフスキーを意識したかどうかはわからないが、彼らに共通するのは、絶え間ない生成変化を本能的に楽しんでいることと、生命や肉体に対する深い愛情と慈悲の念に満ちあふれていることではないか。
「リアリティのダンス」が心に残る理由は、そこにある。エロティックなイメージ、グロテスクなイメージ、残酷なイメージ、抒情的なイメージ、さらには悪夢的なイメージ……数え上げれば映画のエンジンはいくつもあるが、すっかりすれっからしになった21世紀の観客は、こうしたイメージの重ね焼きに接するだけでは満足を覚えなくなっている。ホドロフスキー自身も「イメージの魔術師」とか「マジック・リアリズムの巨匠」とか呼ばれても、照れくさそうに苦笑するだけではないだろうか。
それよりも私は、「リアリティのダンス」のそこかしこから漂ってくる「俗」の匂いを好ましく感じた。頭でっかちの観念主義者が出てこないのはもちろんのこと、ホドロフスキーが好んできた切断や排泄のイメージも、やりとりされる紙幣の手ざわりも、この映画ではきわめて直截な印象を与える。こういうシーンを見ていると、果たしてホドロフスキーは、巷間ささやかれるような神秘主義者なのだろうか、という疑問がふつふつと湧き上がってくる。
正直に告白すると、私は神秘主義者が苦手だ。むしろ、《私は神秘主義に興味があるが、神秘主義者にはなったことがない》と断言した澁澤龍彦に与したいと思う。ホドロフスキーは、どちら側の人だろうか。20年ほど前の秋、私はベネチアのホテルのテラスで、ほんの数分、彼と立ち話をしたことがある。ホドロフスキーは、ハンサムで、ユーモラスで、飾り気のない人だった。自分自身を天才や怪人やカリスマに見せかけるような気配は、微塵も感じられなかった。その美点は、終生変わっていないのではないか。単純すぎるかもしれないが、「リアリティのダンス」は、そういう記憶を蘇らせてくれる映画だった。
【これも一緒に見よう】
■「ホーリー・マウンテン」
1973年/アメリカ映画
監督:アレハンドロ・ホドロフスキー
■「エル・トポ」
1970年/アメリカ・メキシコ合作
監督:アレハンドロ・ホドロフスキー
■「フェリーニのアマルコルド」
1974年/イタリア・フランス合作
監督:フェデリコ・フェリーニ
■「戦場の小さな天使たち」
1987年/イギリス映画
監督:ジョン・ブアマン