コラム:佐藤久理子 Paris, je t'aime - 第97回
2021年7月29日更新
パンデミック後初開催、28年ぶりの女性監督パルムドール、日本映画初の脚本賞……今年のカンヌ映画祭を振り返る
7月に開催された2年ぶりのカンヌ国際映画祭が、コロナ感染の恐れに苛まされながらもなんとか無事に幕を閉じた。振り返れば、パンデミック後の初カンヌであることや、28年ぶりの女性監督受賞となったジュリア・デュクルノーのパルムドール作品「Titane」、日本映画として初めて脚本賞に輝いた濱口竜介監督の「ドライブ・マイ・カー」など、歴史的トピックが並んだ記憶に刻まれる年となった。
ここでは現場を体験した印象から、あらためて映画祭を振り返ってみたい。
「いったいどこまで作品が増え続けるのか」。これがまず、映画祭が始まる前の印象だった。6月頭のラインナップ発表以降、段階的に各部門で作品が追加され、最後に細田守監督の「竜とそばかすの姫」の追加発表があったのはなんと開幕2日前。内部ではもっと早くに決まっていたのかもしれないが、正直よくこれでカタログの印刷が間に合うものだというタイミングだった。
ここまで作品が増えたのは、ひとつには昨年からのロックダウンの影響で公開延期作が増えていたことが挙げられる。今年の特徴のひとつである「フランス映画の多さ」もこれに関連するが、要するに渋滞のはけ口としてそれらが一挙にカンヌに押し寄せたのだ。ディレクターのティエリー・フレモーが記者会見で、フランス映画のサポートを強調していたのも頷ける。その一方で、インターナショナルな話題作はカンヌが取り上げなければ他の映画祭に流れるわけで、ぎりぎりまで粘ってもカンヌでやりたいという、欲張りな意図もあっただろう。
今年「カンヌ・プルミエール」という部門が新設されたのは、その受け皿としての役割があったに違いない。プルミエールといっても新人がいるわけではなく、選ばれたのはマルコ・ベロッキオ、アルノー・デプレシャン、アンドレア・アーノルド、ホン・サンス、ギャスパー・ノエら、むしろカンヌの常連。またオリバー・ストーンがケネディ元大統領暗殺を徹底再検証した注目のドキュメンタリー「JFK Revisited: Through The Looking Glass」や、シャルロット・ゲンズブールが母ジェーン・バーキンにカメラを向けた初監督作Jane by Charlotte」もあった。
時事的なトピックとしては、男女平等を目指した意識改革——たとえばスパイク・リー率いる9人の審査員メンバーのうち、初めて過半数の5人を女性にしたこと、環境映画部門を新設したこと、さらに映画祭終盤に、中国との対立を覚悟しつつ2019年の香港のプロテストの様子をキウィ・チョウ監督がカメラに収めたドキュメンタリー「Revolution of Our Times」をサプライズ上映したことが挙げられる。ドキュメンタリーについては、中国政府は沈黙しているものの、フランス駐在の中国大使から苦情が寄せられた。もっとも、ティエリー・フレモーは直接対決を交わすかのようにバラエティ誌に、「映画的な作品として美しいから選択しただけです。青春、苦闘、献身、これこそカンヌのスペシャリティです」と語っている。だが、今回コンペティションにロシアで軟禁中のキリル・セレブレニコフの新作、「Petrov’s Flu」が入っていたことからもわかるように、政治的であることもまたカンヌの特色と言える。
パンデミックの影響でジャーナリストや業界人の数は通常の3分の2ぐらいだったものの、7月のコートダジュールはフランス人のバカンス客であふれ、巷は活気に満ちていた。また蓋を開ければ、今回栄誉賞を授与されたジョディ・フォスターのほか、マット・デイモンやショーン・ペン、ウェス・アンダーソン組のビル・マーレイ、ベニチオ・デル・トロ、エイドリアン・ブロディ、ティルダ・スウィントン、ティモシー・シャラメなどスターが集まり、映画の復興を讃える光景が見られた。ストリーミングの興隆やパンデミックに見舞われながらも、「そして映画は続く」を実感させられた映画祭だった。(佐藤久理子)
筆者紹介
佐藤久理子(さとう・くりこ)。パリ在住。編集者を経て、現在フリージャーナリスト。映画だけでなく、ファッション、アート等の分野でも筆を振るう。「CUT」「キネマ旬報」「ふらんす」などでその活躍を披露している。著書に「映画で歩くパリ」(スペースシャワーネットワーク)。
Twitter:@KurikoSato