別れる決心のレビュー・感想・評価
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自分、恋愛、夫婦、仕事、生きがい何を選ぶか
あなたのことが好きになって、今まで大切にしてきたことを失ってしまった。あなたを好きになってはいけなかった。あなたが好きになったときは私が別れる決心が就いたとき。恋愛、夫婦、仕事の継続どれか一つでもできたらある意味順風満帆な人生。そんな中人生の変化点となるときは新しい登場人物かもしれない。彼、彼女によって今までとは別な人生で、平凡な当たり前な毎日が壊されていく。大切なやりがいを失うか、好きな人を失うかのとき、あなたはどちらを選びますか。全てを器用に熟していきたいが、それは逆に疎かになってしまう。
解るよ、ヘジュン。
パク・チャヌク作品、完全には観切れていないし、鑑賞した作品についても正直、きちんとした理解には程遠いと自覚しています。
今作『別れる決心(Decision to Leave)』も「ミステリー」という観点でいえば、いくら映画館で集中して観ていても一度では理解できない難易度だと思います。ただそれでも惹き込まれる「サスペンス」としての緩急ある展開に「ロマンス」が生まれて複雑さが増すハラハラ感は、もう一度観返したい、或いは手っ取り早く考察を検索したい気持ちにならざるを得ません。
何と言ってもヘジュン(パク・ヘイル)とソレ(タン・ウェイ)の距離感と感情の動き、そして駆け引きですね。殺人の可能性があるある男の死を調べる刑事ヘジュンと、その男の妻で幾つかの引っ掛かる点を理由に「被疑者」となるソレ。刑事としてソレに接するヘジュンは、(中国出身で)韓国語がネイティブでないソレの言葉遣いと、予想外の言動に底知れない魅力を感じ、惹かれてしまいます。正直、男性としては解ります。相手に惑わすつもりはなくても、立場上、まともに取り合おうとするのがむしろ裏目に出る感じが、それを観ている立場でいつしか事件のこと以上に(彼目線で)彼女のことが気になり、ヘジュンがついつい狼狽える様子に激しく共感してしまうのです。
そして中盤以降、ヘジュンが「別れる決心」をしてからの展開は、私は女性でないので想像でしかありませんが、ソレの気持ちに共感する女性も多いのではないかと想像(希望?)し、そんなソレにまた惑わされるヘジュンに寄り添い、大人の関係性、距離感、そして決意に翻弄され、終盤の展開にまた萌えてしまうのです。
そんなこんなで、この二人の心の動きを動機づけることとなる事件を改めて追い、理解して、浸りたい「深みに」パク・チャヌク作品に対してまた、「自分はまだ何も解っていない」ことを自覚させられるのです。もう一度観たい。
「崩壊」の意味
思わぬ一言が女性に響くっことありますね。
好きになっておきながら、そこに気付けていない男。
その辺りの描き方は設定以上に面白く感じました。
そして、「別れる決心」をするのは、やはり女性だっていうこと(刑事の奥さんもそうでした)。
本当に大事な人とはセックスは必要ないってことか。
そんな男女の機微みたいなものの方が、事件の展開よりも印象に残りました。
なので、どうしても分類するなら、やっぱりラブストーリーなんだという気がします。
ただ、刑事が容疑者に惹かれたきっかけが何だったのか(単に容姿だったんでしょうか)。
刑事が容疑者に心を寄せた「決心」みたいなものが観たかった気がします。
あるいは、そこも男の単純さを表現していたんでしょうか笑。
タイトルなし
うーん…「私、こんなにメロドラマ苦手だったっけ?」という気持ち。退屈ではないんだけど…個人内期待値上げすぎたか。
なんか多分、映画で描かれている言葉のギャップが、字幕になってしまうとうまく汲み取れないのよね。それで面白さが半減してしまっている気がする。
ちょっと合わない作品でした
二人の心情がよく理解できなかった。前半退屈で眠くなってしまったせいもあるが好みの作品ではなかったです。期待値上げてしまった感があります。
私的には韓流映画のバイオレンス感がもう少し欲しいと感じました。
23
"あなたはわたしの蜘蛛の巣にとらわれた毒虫…のこるは…" 持ち前の濃密なエロス&バイオレンスを封印した鬼才が究極の"寸止め"に挑んだ女の情念映画!!
『復讐者に憐れみを』『オールド・ボーイ』や近年では『お嬢さん』といった強烈でフェティッシュな作品を多く生み出している鬼才パク=チャヌク監督の最新作。
渦中のファム=ファタールに、第二次大戦中の特務機関員と女工作員との道ならぬ愛を描いた大ヒット作『ラスト、コーション』で大胆な濡れ場を演じた中国女優のタン・ウェイさん、対する職務に忠実なエリート刑事に、個人的には若き日の佐野史郎さんに見えて仕方が無いパク・ヘイルさんを配したサスペンススリラー。
監督が偏執的なまでのエロスを追求してきたうえ、主演女優もその媚態で世界に名を轟かせただけに目くるめく官能的な画が支配する曼荼羅が展開されるかと思いきや、二人の交わされる視線や重なる手といったいわば"寸止め"の徹底によって直接的なそれの何倍もの淫靡さを漂わせており、出会うべくして出会ってしまった男女の、決して結ばれ得ないがゆえに紡がれる異形の愛の形を描くスリラーでありながら、一方で疑惑の連続死の真相を追うサスペンスとしても観客を惹き付けます。
おぞましいまでの愛の暴走を、全くおぞましさの無い穏やかなお布団の映像で描いた異色作にして傑作。
観た人それぞれに解釈と印象の強弱の分かれるシーン目白押しですので、是非ご自分でもご覧になって自分なりの解釈を吟味していただければと。
大きな見せ場ではなく、巧みに配置した仕掛けで物語を引っ張っていく牽引力がさすがな一作
日本では『オールド・ボーイ』(2004)の実写版監督としても知られているパク・チャノクですが、近作の『お嬢さん』(2016)のインパクトもすごく、先の読めないストーリーを紡ぎ出す希有な才能を持っていることを証明しました。
そんなチャノク監督の最新作なので、一見地味なタイトルや予告編映像にも、どこか「油断のならなさ」が漂っていました。全体的な物語としては予告編が示唆する方向性にある程度沿っていますし、主人公ヘジュン(パク・ヘイル)は終始、表情の冴えない地味な中年男性。さらにいくつかの場面を除いてはショッキングな映像も控えめです。
それにもかかわらず、全編にわたって意表の付く展開やとっさには意味の分からない要素が飛び込んでくるので、微妙な緊張感が常に持続します。本作はG指定なので、『お嬢さん』ほどのとんでもない展開にはさすがになりませんが、この引っ張り方は見事。
パク・ヘイルの、穏やかだがやはりどこか壊れている刑事の演技はもちろん良いけど、やはりソン・ソレ(タン・ウェイ)の表情、演技なくしては本作は半ば成立していなかったのでは、と思わせるほど役どころにみごとにはまっています。
スマートフォン越しの視線、真下に見下ろす俯瞰ショットなど、時折見せる意表を突いた視点の置き方も非常に面白く、映像的にも見所の多い作品です。
これぞ韓国ノワールの奥深さ
事件そのものはいたってシンプルなのだが、本作の肝はヘジュン刑事と容疑者ソレのスリリングな心理合戦にあるように思う。
いわゆるフィルム・ノワールではよくある構図であるが、本作はその過程をじっくりと描いて見せている。この微妙な距離感に見応えが感じられた。
また、ソレは両親を早くに亡くして中国から韓国に渡った女性であり、介護士の仕事をしながらDVの夫に苦しめられているという過去を持っている。これだけの不幸を積み上げられると、どこか同情心も芽生え、単に悪女というカテゴリに収まりきらない魅力を持っている。彼女の存在がこのドラマを支えているような気がした。
製作、監督、脚本はパク・チャヌク。稀代のストーリーテラーらしく、今回も物語は二転三転する内容で最後まで面白く観れた。冒頭の山岳転落事件は中盤で一応の解決を迎えるのだが、ここから更に物語は意外な方向へと向かい、チャヌクらしい捻りの利かせ方でグイグイと引っ張って行ってる。その中でヘジュンとソレの密かな恋慕が切なく静かに盛り上げられていて、観てて胸が苦しくなるほどだった。
また、追う者と追われる者、見る者と見られる者、ヘジュンとソレの立場を巧みに交錯させながらスリリングなメロドラマに仕立てており、このあたりの手捌きも実に堂に入っている。
例えば、”愛”を”崩壊”という言葉で裏読みさせたり、中国語と韓国語のズレの中に二人の心情の揺れを表現してみたり、指輪や靴、スマホ、食べ物、ハンドクリームといったアイテムを用いて互いの心情を繊細に紡ぎ出し、ヘジュンとソレの愛憎をクールに描出している。そのアイディアと手腕には唸らされるばかりである。
また、チャヌク作品と言えば、初期の復讐三部作や「お嬢さん」のような、ある種露悪的とも言える見世物演出が特徴であるが、今回はそうした大見えを切るようなシーンは余りない。どちらかと言うと、全体をしっとりとしたトーンで包み込んでおり、作家的にも熟成されてきた感じを受けた。
もう一つ、不意を突くようにユーモラスな演出を入れてくるのもチャヌク作品の特徴かと思う。本作で言えば、スッポン強盗にまつわるシーンがそうである。このエピソードはヘジュンと妻の関係を鑑みると余計に笑える。何かにつけてセックスレスによる夫婦の危機を口にするヘジュンの妻は造形面にこそ甘さを覚えるが、要所でユーモアを演出しており、こうした硬軟織り交ぜたチャヌクの手腕は実にしたたかにして見事である。
ヘジュンの相棒となる刑事が前半と後半で2名登場してくるが、これもシリアスなトーンの中にホッと一息付けるユーモアを演出していて人物配置も冴えている。
このように昨今のパク・チャヌク作品の中では、演出、脚本共にかなり出来が良く、改めて氏の手腕に脱帽してしまった次第である。
八百屋お七
別れる決心
Decision to Leave
病気の母を抱える、中国人の若い娘。
母に頼まれて彼女を殺したことによって、国を追われる身となる。
不法移民船に乗って、韓国へ潜り込む。
船は摘発されるが、移民管理官の温情によって見逃され、入国資格を得る。
女はこの入国管理官の妻となるが、夫は所有欲が強く、彼女を暴力によって支配した。
耐え兼ねた女は、ついに彼を殺し、事故を偽装する。
男の死を担当することになった警部が、彼女と出会うところから物語はスタートする。
・・・・・
母を失い、国を追われ、暴力によって支配される哀れな若い女。
警部はこの女を気にかけ、そして恋心を抱くようになる。
男の死は事故ということでいったん片がつく。
だが警部は、女が殺人を犯した証拠に気付いてしまう。
けれども女を愛する警部は、証拠を隠滅し、女を助けようとする。
男の死は事故として処理されたため、2人はもう出会うことはなくなる。
それでも女は、警部と会いたいがために、異動となった彼の管轄区域にまで越してきて事件を起こす。
(さながら、江戸時代に大火を起こしてまで恋人に会おうとした「八百屋お七」である)
2人が会うために、殺人事件を起こすしかない。
けれども容疑者と担当警部という立場上、2人が結ばれることは社会的に許されない…
男とのつながりを一生のものとするため、女は、決して見つからない方法で自殺する。
男が自分を永遠に探し続けるように。
男にとっての「未解決事件」になるために…
・・・
このようなストーリーを成立させるため、物語には「主人公と妻との不仲」や「仕事に取り憑かれた主人公が、未解決事件があるたびに不眠となる」と言った設定が盛り込まれています。
主人公の妻は、夫が事件に取り憑かれて自分を蔑ろにしていることから満たされず、夫婦仲は疎遠になっていきます。夫の側も、世話焼きな妻を面倒に思っています。
愛する女が事件(仕事)の容疑者となることは、ワーカーホリックな男にとって、男女仲継続のための解決策となってしまうのです。
それゆえに女は事件を起こし続けざるをせず、一方で、立場上2人は決して結ばれてはならない、というジレンマが発生します。
正直、そもそも男が女を気にかけてしまうことに始まり、あまりにプライベートで2人が密会しすぎている点は現実性を欠いています。
一方で、「不遇な女」の話は真実なのか?彼女は殺しに快感を覚えるサイコパスなのではないか?という疑念から物語はつねに緊張感をはらんで進行します。
最終的に、物語は『ゴーン・ガール』のような後味の悪さ・居心地の悪さというよりも、純愛の方向へとむかいますが、男は女を欲している一方、女のほうは「男を愛している」というより、「自分が丁寧に扱われること。求められ、大切にされるということ」に価値を置いているという印象です。
「八百屋お七」のように、「恋人と出会うため罪を犯す」というような物語の類型が、世界に点在しているのかは分かりませんが、2人の接点が「殺人事件」だけとなってしまい、捜査資料となる音声ファイルを通じまるでラブレターを送り合うように交信する関係にはフェティッシュさすら覚えます。
※正確には、女が事件を起こしたのは男と会うためだけでなく、2人の関係をバラそうとしている人間から男を守るためでもあったことが明かされ、純愛味が増します。
主人公が捜査を行う際に、犯行の様子をまるで現場にいたかのように再現していく映像には面白いものがありました。
映画の盛り上がりどころや起承転結がわかりにくい点は評価しづらいです。しかしフェティッシュな恋愛の形と、説得力を持たせるための人物設定、事件のトリックなど、豊富な作り込みが見られる映画でした。
映像も質の高いものでした。(2月21日)
・・・・・
【追記】劇中、マーラーの交響曲第5番から「アダージョ」が使用されています。この曲は、ルキノ・ヴィスコンティの映画『ベニスに死す』において使用されたことでも有名です。
『別れる決心』の後半には、ヒロインが海に向かって手を伸ばすシーンがありますが、これは『ベニスに死す』に登場した少年タージォと同じポーズです。
タージォは、芸術家にとって憧れであり理想でもある「永遠の美」を象徴する存在ですが、『ベニスに死す』の主人公である音楽家はついぞこの「永遠の美」を手に入れることなく、夕日を背にするタージォを眺めながら命を落とします。
『別れる決心』のヒロインがタージォと同じポーズをするのは、彼女もまた「永遠の存在」「永遠に手に入ることのない存在」であるということを示唆するものなのです。
映画のラストシーンまで見るとわかることですが、すでに映画の途中でヒントが与えられているのですね。(3月1日)
すごく惹かれたのだ
今週のラブ・ストーリーといえば四半世紀ぶりのアレで決まりなところを敢えてコレ。確かに断崖などが映れば火曜サスペンス劇場を思い出す世代。ストーリーも下世話といえば下世話で。何が違う?なんだろう、妙に引っ掛けるカットバックなどもあり高級感があるわけではないのに、なにか風格を感じてしまった。こんなところで差が出るんだよな、作家とか作品ていうのは。タン・ウェイもまさにそんなルックスの、こんな役が似合っちゃう系の相田翔子。んなわけで四点献上。
胸が締め付けられる映画だった…
仕事一筋で生きる凄腕刑事の男(チャン・ヘジュン)と夫殺しの容疑者の女(ソン・ソレ)の禁断の愛を描くサスペンションドラマ。
2人の心のすれ違いを美しく儚く描いていた。
ソン・ソレが言う「あなたの恋が終わった時に、私の恋が始まったの」というセリフに胸が締め付けられた…
ここより永遠に
パク・チャヌクのカメラは、
人物の顔の、
頬の筋肉の少しの緊張、
鼻の穴の動き、
口角の上げ下げもミリ単位、
痙攣レベルまで表現として捉えていきます。
口から発したセリフは、
真実なのか嘘なのか、
半分が嘘なのか、
解釈する人(観客)の、
生まれ、育ち、体験、思考によって、
意味は黒にも白にも変わります。
※各シーン、
全カットにアイデア、意味があります。
その操作技術は緻密で繊細ですが、
野蛮さ大胆さは、鬼というか悪魔というか、、、やはり解釈によって変わります。
あわれみ、クムジャさん、オールドボーイを、思い出しました。
この悪魔感に神が絡んできたのが、
渇き、でした。
居酒屋でよく話したものです。
ポン・ジュノがサリエリなら、
パク・チャヌクはモーツァルト。
今回なら
モーツァルトとマーラーか。
ポン・ジュノがマイケル・コルレオーネなら、
パク・チャヌクは、
ビトー・コルレオーネ。
ポン・ジュノがクラッシュなら、
パク・チャヌクはスッポン。
ポン・ジュノがケンシロウなら、
パク・チャヌクは、ラオウ。
(イ・チャンドンはトキ、ナ・ホンジンはアミバ、、、居酒屋でのつまらない会話です。)
※ズラウスキへのオマージュらしい青いドレスの女等『渇き』の感想で書いたのでここでは割愛します。
崩壊、プサンに死す、
地上より永遠に
ソレが分かりにくい
へジュンがソレに惹かれる描写はストレートなのに対して、ソレのヘジュンへの想いがちょっと分かりにくいです。
殺人と話が絡んでいるので、影のある殺人犯とごく普通のひとり女性を描くのは難しいと思います。2人の旦那とのやりとり(関係)については、また別の人格が見えてくるので、そこが分かりにくい原因ではないかと思います。
あと、殺人については、もう少し謎めいていてもよかったかなと思います。
氷の微笑のような謎な女なのか愛に生きる女なのか、どっちかに振ってもよかった気もします。どちらも中途半端な感じがありました。
惚れてまうやろー!!
前作の「お嬢さん」がとんでもなくエロく(最後○○くずし!)ヘンテコな映画だったが、最新作は一転、大人のプラトニック恋愛サスペンス映画になっている
話自体は火曜サスペンス劇場なのだが、ヒロインのタン・ウェイが猫顔(狸顔)で言葉もたどたどしいのだが大胆で積極的、男だったら「惚れてまうやろー!」状態(脱がなくてもエロい)
しかし前半は結構集中できたが、後半場面が変わり、ヒロインの背景が描かれると話が少々解りづらくなる(伏線、仕掛けもあるので二回、三回観ると楽しめるかも)
後半出てくる部下の女性刑事がフランキー堺っぽくていい味出してる
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