ミッドナイトスワンのレビュー・感想・評価
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コロナ禍最大の注目作は「リトル・ダンサー」を思い起こさせる
新宿のニューハーフクラブで白鳥のチュチュを着て舞台に立つトランスジェンダーの主人公と、彼を取り巻く仕事仲間たちの人間模様は、どことなく既視感がある。当時はそういう表現はなかったが、トランスジェンダーの描き方や、映画全体のムードが昭和のそれだからなのか。しかし、草彅剛の渾身の役作りがすべてを凌駕して、この物語を今観るに相応しい愛と孤独のドラマとして、それも、スターだからこその吸引力を持ってして、観客を何とも表現し難い魅惑の世界へと誘って行く。声のトーン、抑揚、強弱、体重の移動、中でも、彼が恐らく最も努力したと思しき歩き方、等、役作りへの献身が、一コマ一コマから零れ落ちたくるようだ。コロナ禍の日本で公開された最大の注目作は、同時に、無名の少女がバレリーナとして花開いて行く過程を描いて、不況時代のイギリスで同じくバレリーナとして羽ばたく少年と家族、友人の関係にフォーカスしたスティーヴン・ダルドリーの代表作「リトル・ダンサー」を思い起こさせる。虐げられた人間たちの夢が次世代へと引き継がれる作品のテーマが、両作品には通じるのだ。
「草彅剛の自然体演技×可憐に舞う新人子役」による化学反応で生まれた美しくも儚い空気感をまとった作品。
草彅剛の「自然体の強さ」が現れた作品を久しぶりに見られました。トランスジェンダーの「凪沙」という難しい役どころでも、変わらず見事に自然体で演じ切っていました。
この作品は草彅剛の存在感に加えて、子役の「一果」役の服部樹咲の存在感も大きかったです。
「この子役は上手いけれど、誰だろう?」と思っていたら、演技未経験の新人であったことに驚きました。4歳からバレエを始めていただけあって、核となるバレエの上手さは言うまでもなく、通常の演技も草彅剛の演技と相乗効果が増幅していっているほどのハマりよう。
そして、宝塚歌劇団出身の真飛聖の演技も光っていました。日本で(ごまかしのききにくい)バレエの講師役がキチンと務まり、しかも演技もできる女優は極めて少ないでしょう。
ここ最近の水川あさみの弾けっぷりもだんだん板についてきています。
このように脇もしっかりしていますが、何と言っても「草彅剛の自然体演技×可憐に舞う新人子役」が本作の圧倒的な強さ。ぎこちなさから始まり徐々に深まっていく2人の関係性の様は本物でした。
タイのロケもキチンと行ない、ニューヨークでも撮影しようとしていた(新型コロナで物理的に不可能だったので断念)など、製作陣の並々ならぬ気迫も感じます。
バレエを題材にしていることもあり音楽を効果的に使っていて、「一果」と友達の「りん」の関係性など、本筋の軸を曲げかねない重いシーンもありましたが、音楽と映像でむしろ相乗効果が出るように構成されていたのは監督の手腕でしょう。
この音楽と映像で、終盤は「言葉」より「感じる」部分が大きくなっていったのも美しさと儚さが増幅され、「草彅剛×服部樹咲」の演技がより光るものだったと思います。
この先の草彅剛と服部樹咲の活躍がますます楽しみになるような作品でした。
草彅剛の底力 新人・服部樹咲の果てなき可能性
草彅剛の現時点での代表作となることは間違いない。オリジナル作品の企画が通り難い昨今だが、今作は草彅が出演に名乗りを上げたことで大きく動き始めたことは想像に難くない。役に寄り添い、トランスジェンダーの主人公・凪沙として作品世界を見事に生きた。
そして、今作が銀幕デビューとなる新人・服部樹咲が、どこまでも可憐で美しい。幼年期から続けるバレエにより体幹がしっかりしているのだろう、不思議と目が彼女を追いかけてしまう。末恐ろしいと形容すべきか、この新人女優の果てなき可能性も必見である。
守りたかったのはきれいなもの
どうして自分だけがこんな身体に。
トランスジェンダーが生まれつきの性別と同じで
自分の意思で変わるようなものでないことを改めて知る。
踊るいちかの姿が、なぎさが見つけた何ものにも変えがたい美しくてきれいで、自分を犠牲にしてもその輝きを守りたかったのかなと思い涙した。
草彅くんの憂いを帯びた母性の表情が魅力的だった
最後まで引き込まれた!!
何となく観始めましたが、洋画の「チョコレートドーナツ」(2014)に近いテーマでもあり、退屈せずに最後まで観てしまう魅力がありました。中盤までは、現代の生きづらさを一点突破するヒントのようなものを感じました。終盤、主人公の具合が悪くなるのは唐突な気がしましたが、ストーリーをまとめる都合上、仕方ないのかなと思ってしまいました。渚にて、凪沙の「きれい…きれい…」が特に印象的でした。
☆☆☆☆(嵌れば) ☆☆☆(嵌らなければ) (2020年)10/6...
☆☆☆☆(嵌れば)
☆☆☆(嵌らなければ)
(2020年)10/6少しだけ加筆しました。(別のサイトの話ですが)
『ベニスに死す』
終盤、草彅剛が『海が見たい!』と言った瞬間に、この先の展開は『ベニスに死す』だとピンと来た。
浜辺には若い女の子。差し出す手は届きそうで届かない。その若さの輝きと憧れは、人生にリセットは効かない為に、どんなに望んでも最早手に入れる事は出来ない。
そしてこの作品は《母親》の物語でもある。
舞台に上がり娘を抱きしめる母親。
どんなに虚飾で着飾って女を演じてみたところで、本物の母親には敵わない。
だからこそ〝 彼女 〟は、本物の母親となるべく大きな決断をする。
一果を取り返すべく対決をする場面は。思わず『エイリアン2』での、シガニー・ウィーバーがマザーエイリアンとの対決場面を、ほんの少しだけ思い出した…と言ったら笑わせてしまうだろうか💦
シガニー・ウィーバーが小首を傾げ「ふっ!そんな程度なの!」…とばかりに「私こそが本物の母親なのよ!」と言った。強い意志によってもたらされた名場面の再現を、もしも狙っての演出だったならば…と。
作劇的な面を言うと、4人の白鳥が。やいのやいの言いながら始まるオープニングが、ラスト少し前に上手く繋げられなかったのは残念。
同じシチュエーションを2度繰り返す事で、前と後では状況が変わっているのは、良く用いられる演出で。この作品だと、映画が始まって直ぐに一果に会う場面。
後半では同じ場所・構図ながら〝 新しい母親 〟はその場面には居ない為に、《何かが起きた》のを観客に不安感を与え。
警察が登場する場面は2度起こり。共にお金に関するこの事件が、それぞれ弱い立場にある2人の苦悩を感じさせる。
椅子を投げるのも2度あり。最初はクラスの男の子の差別的発言に対して。2度目は、男の性の対象として見られた女の子が、1人の女として変化する瞬間を。
コンクール場面での2人の少女の立場ご入れ替わり、悲劇が起こる描写は。秀逸な場面ながら、人によってはやり過ぎに感じる人も居るかも知れない。
また、このコンクールでは。母親が登場し、娘を抱きしめながら涙を流す。
思い起こせばその前に、一果がバレエを続けられる様に、安定したお金を稼ぐ為に化粧を落とす。
昼間の仕事に出掛ける時に、一果から抱きしめて、やはり涙を流す。
(他にも色々と有った筈ですが、今は思い出せないので。思い出したら加筆・改訂するかも知れません)
最初に嵌れば星4つと記した様に。この作品が好きになった人には、この上もなく愛しい作品になるだろうし。それとは反対に。作劇的な面で、この監督の過去の作品を観ると分かる様に。
(資質に関わって来るのかも知れませんが)
トコトン下衆な人間で有ったり、暴力的な人間を、魅力的に撮る術に長けて居るとも言えるだけに。合わない人には、やはりトコトン合わないのでは?と思えて来る。
個人的にも、社会から隔絶されて生きて来た人生から見えた来る、純粋で天使の顔、、、と言った面が、的確に表現されていたのか?は、ちょっと微妙な感覚は持ちました。
俳優陣の中では草彅剛が絶賛されています。
確かに良かった事は良かったのですが、個人的には大絶賛するところまでは行かず…と言ったところ。
但し、映画本編での。一方的に押し付けられた女の子に対して、突然目覚める《母性》には。正直に言って仕舞えば、この映画には(個人的な意見として)それ程な演出に於ける説得力は伺えなかった。
でも、それを成立させていたのは。ひとえに草彅剛の演技だったなあ〜と言うのも、また明白だったと思う。
元々は、「面倒くさい子を押し付けられてしまって参ったわね〜!」との思いが強かったのに。
一果がバレエに興味を持っているのを知り。それまでの〝 厄介な子 〟との思いは一変する。
自分のやっているバレエは、他人から見ると一体どう映るのか?
余りにも遊びとおふざけが過ぎてはいないか?
男に生まれて来た事を呪っていた人生!
だからこそ、今を逃してはいけない!
そんな気持ちを抱いたとしてもおかしくは無いのだろう…と。
それを感じさせてくれたのは、間違い無く草彅剛の存在感だった。
その後に厚い化粧を落とし自らの虚飾を剥がし落とす。そんな前後の顔の演技で、観客を納得させる力があった。
一果役の服部樹咲ちゃんの不貞腐れた顔は終始なかなかのもの。
本来バレエは上手い筈なのに、バレエを始めた時の動きが、きっちりとバレエ素人の動きになっている。
一果のバレエ友達りん役の上野鈴華ちゃんのヤサグレ感は、その後の笑顔を浮かべながらの〝 悲劇的序曲 〟 と併せて忘れ難い。
そして、『喜劇 愛妻物語』も素晴らしかった水川あさみは、この作品での超絶下衆な母親役も絶品でした。
2020年10月4日 TOHOシネマズ錦糸町楽天地/スクリーン10
生まれ変わったら…
映画の予告編で流れていた音楽がとても良かったので観た。
母が昔トランスジェンダーの知り合いについての話をしていたことを思い出した。昔でいう「オカマ」のその人は地域の集まりによく顔を出していて良い人だったからみんなも普通に接していたと。
けどある時何人かでお茶に行った時ふといつになく真剣に「私は来世は絶対女がいい。生まれ変わったら女になれるように、今世で必死に祈って良いことをすると決めている」とこぼしたって。
ナギサさんに不快感を感じなかった。草彅剛の在り方がそうさせていた部分もあるだろうけど、自分の体を憎みながら、女性になりたいと切実に願う人達は確かにいる。
作中での描かれ方は当事者の方々にどう映ったんだろう…。
心の動きを描写。
ネグレクトの姪を引き取り、共同生活をはじめたミズキ(健二)。
だが、双方ともに素直になれず、ぎこちない関係が続くものの、一果はバレエの才能を開花してゆく。
ぎこちない関係から徐々に絆が生まれてくる。
その微妙な移り変わりを草彅剛が見事に演じる。トランスジェンダーの役は難しかったのだろうが、その苦労や苦悩もビンビン伝わってきた。
新人の子役の子はバレエ経験者だったんだろうなぁ。
真夜中の白鳥
評価が高いことは知っていたが、近年の邦画の中で映画らしい映画だと感じました。
なおかつ一果役の服部樹咲さんの演技、大人になってからのシーンはともかく、13歳、14歳で演技経験がないにも関わらず、余白の演技が素晴らしい。
元々、バレーはやっていたみたいなのでそこの経験値があったのも、素に近い状態でいられたのかも(あくまで主観)
一方で草彅剛の演技が最初は入り切ってないのか微妙に感じた。しかし、病気になってからの演技が圧巻。この人はやはりなにかをすり減らした状態の演技が一番光る気がする。
ストーリーとしてはなにか良くも悪く丁寧に起伏を作って進んでいく感じ。しかし、音の使い方がよく、それがシーンをよりよく見せているものも多かった。
血は水よりも…
血は水よりも濃いという言葉があるが、同じくらい濃いものもあると思った。
役者はみんな頑張っているが、展開に違和感を感じたので、この評価。
・イチカが初めから踊れるのが変
・イチカと親の関係性が回復する展開が早すぎる
・イチカ、急にヤンキーになった感
・ラストの海外パートが情報少なすぎ
・リンの親が絵に描いたバカすぎる
あと、新しい地図のマネージャー飯島さんが、エグゼクティブプロデューサーなのが目についた。
凪沙の生き苦しさ
今でこそトランスジェンダーなどということは、言葉としてはポピュラーになったと言えるのかも知れませんけれども。
しかし、社会的な理解ということでは、なかなか言葉として知られ始めたことに追いついていないのかなぁ、と思います。評論子は。本作のような作品を観ると。
画面からは、何とかして自分が認識するとおりに「女」として生きようと、地べたを這い回るかのようにもがき、苦しむ凪沙の生き苦しさが伝わってくるようで、いたたまれない気持ちにもなりました。
自分の気持ちに素直に生きたいと願うことで、どうしてこんなに切ない、苦しい思いをしなければならないのか。
その「苦しさ」、現実の「厳しさ」そして「むごさ」は、筆舌に尽くし難いものがあるのだろうとも思いました。草彅剛の渾身の演技を観て。
本来は優美このうえないはずの鳥(白鳥)なのですけれども。真夜中に、ひっそりと生きづくそれらは、優美さのかけらどころか、いたたまれないような物悲しさを禁じ得ません。
本作で、凪沙が一果を引き取ることにしたのは、彼女についてくる養育費目当てということですけれども。
しかし案外、言葉では「子どもは嫌い」と言いつつも、内心、一果と良好な母娘関係を築くことがもしできれば、それは「女」(母親)としての自分の試金石になると、凪沙は考えたのではないかと思われました。評論子には。(独断の深読みのし過ぎかも知れませんけれども。)
一果を取り戻すべく押しかけた実家で、揉み合った末に、突き飛ばされ、転んでしまった拍子に露わになった凪沙の胸元を見た早織に「そんなこと(乳房の形成)までして、このバケモノが」と罵られたときの凪沙の、いわく言い難いあの表情…。
草彅剛の俳優としての、まさに鬼気迫る迫真の演技といえたと思います。
そのことが、評論子には、いちばん印象に残った作品になりました。
秀作としての評価に値する一本と思います。
幸せになってほしい
公開から3年を迎えて尚ロングランを続けていると知り映画館に足を運びました。
草彅剛さんが男性の身体をもって生まれてきた女性の苦悩を実に見事に演じていました。
他人を、自分を認められず受け入れられなかった二人が出会いふれ合うことで人を、そして自分を受け入れていく様子が丁寧に描かれていました。
もがき苦しみ、それでも前向きに生きようとするすべての人に幸せになってほしい、そう願わずにはいられません。
映画館という集中して観られる環境でみてよかった!と思える作品です。
彼女はそっと彼の胸に顔を埋める。
『何?その髪型』
『これ?就職したの。』
『頼んでない!』
ふてくされる一果
『何?その態度。誰の為に仕事すると思っているの?』
つい怒ってしまう。
『頼んでない!』を繰り返す。
さて、彼は怒りを抑えて
『こっちに来て。。。』
一果も落ち着きを取り戻す。
『よし。よし』
一果の実の母親も同じセリフを映画の冒頭で吐く。しかし、この場面で、彼は『よし、よし』彼女はそっと彼の胸に顔を埋める♥
古い価値観に囚われすぎて、身を崩す男と、どんな人にも優しさがあると理解した少女の成長の話。
一点だけ不満が残るが、そこを除けば傑作だと思う。
海岸で、少女の美しさに朦朧とする。しかし、彼はもう目が見えているわけではない。彼女は外見が美しくなっただけでなく、内面が大きく育ったのだ。だから、本当に美しいのだ。
古い価値観に見放されたこの男は、最後に眠るように美しく天に召される。涙が抑えられなかった。
今回二度目だが、リトル・ダンサーと匹敵するが、最後はリトル・ダンサーと同じ終わり方を僕は好む。
主人公の態度が…
ネタバレ注意
この物語で私が1番感情移入したのが、本編には姿すら出て来てない、凪沙の介護をしている方でした。
ゴミが散乱した汚部屋で、血も繋がらない人の血のついたおむつを替えるのに、あんな横柄な態度を取られるなんて…
訪ねてきたのが、介護の方じゃなくて、美少女でバレエの才能のある姪っ子(凪沙の夢を託す存在)だとわかったとたん、コロッと態度が変わって猫撫で声をだしはじめたのに、ウヘァアってなっちゃいました。
凪沙も心と体が違う性に生まれてきて、要らぬ苦しみを味わっているのはわかるけど、介護してくれる方は何も悪くないやん。
むしろそんな普通の人が避けて通るような悲惨な状況に関わってくれる、めちゃくそ優しい人やん。
そのこと主人公はわかってるのかな?
願わくば介護の方が、ボランティアとかじゃなく、まともなお給料を貰っている事を願います。
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追記
これを投稿した後に、もしかしたらあの態度は、仲間内でブスブス言い合う、新宿二丁目のノリなのかな〜?と思った。
凪沙が内向的な印象だったから、投稿した時は思いつかなかったけど、凪沙が手術するまでに二丁目デビューしてて、そのノリを覚えてたとしたら…
凪沙「早くしなさいよ!ブス!」
介護の人「ブスって目が見えないくせになんでわかるんですか〜w」
凪沙「うるさいわね!性格がブスだって言ってるのよ!」
介護の人「あんたよりましだしwほら、おむつ脱がすから腰浮かすよ。ちょっと痛いから構えてよ。せーの!」
みたいな。
介護の人が、こんな明るい人だったら、少しは救いがあるかな。
高評価の嵐の中で、確かに涙を流した感動作品なんだけどちょっと気にな...
高評価の嵐の中で、確かに涙を流した感動作品なんだけどちょっと気になった部分が多かったのでまとめていきたい。
【一果について】
まず一果は劇中で凪咲も言っていたように「何を考えているか分からない」
これは我々視聴者も同じであり、寡黙で感情をうまく表現できない彼女だからこそ、
我々も思うままにかの次女の気持ちを感受できるんだけど、裏を返せば都合よく解釈しちゃうんじゃないかなと思ったのよね。
原作が小説ということもあって映画ではカットしないといけないシーンが多かったようだから、登場人物の心情に確かな正解はあるんだろうけど、映画と言う媒体では雰囲気を掴むぐらいしかできなくて置いてきぼりを喰らった気分になってた。
【リンとの関係について】
リンちゃんと一果の関係性は百合的だとか結構この作品の中ではノイズだと思ったから私はあえて彼女たちを究極の友情、真の理解者だと思いたい。
バレエの体験に来た時に一目ぼれしたとかはあるかもだけど、どちらかと言うとあの不器用な様を面白がっていい玩具で暇つぶしにしたかったっていう動機もあると思うな。最初はね。
リンは一果が好きだったんじゃなくて、自分と似た毒親を持つ彼女と共依存でいたかったんじゃないかな。そんな中一果がメキメキ成長していけば嫉妬もするし痛い目を見させたいと思うでしょ。同じ場所で苦しんでいてほしかったと言いますか…
キスの解釈としては興味だと思うんだよな…
個撮で男の卑劣で下品な部分を知っている以上、同年代の男子学生に恋するわけもないし。
親に対する逃避と反抗のための違法の撮影会やタバコ、同性とのキスもある種の社会への反撃と捉えたんだよね。
【雑記】
・ラストの解釈は難しいけど敢えての胸糞エンドと捉える
彼女たちは生きずらい存在であり、一果はあんな世界で時分のため踊れるような肝はないと思ったから
・田中俊介さんの女装も演技も最高でした
・結局何が言いたかったのかが分からなかった
間や余白のせいか捉えきれない「街の上で。」のような雰囲気映画っぽさ
・後半は何が起こるのか大体分かる演出がちょっと臭くて残念
別に嫌いじゃなかったんだけど、間の多い作品はちょっと苦手で
それにしてもキャラクターの個が強くて雰囲気を楽しむ感じでもなくて…
でもきっと小説版だったら好きだと思うので呼んでみたいな。
気になる個所がちらほら
最初は不仲だった血のつながりのない親子的な関係の2人が徐々に仲を縮めていく、というベタだけど見ていて熱くなる展開は良かった。
ただ、中盤から気になる個所がちらほら出てきた。
・りんはなぜ死んだのか?そもそも本当に死んだのか?
その辺りは一切触れられておらず、なんだかなという感じ。
・本当の母親は急に改心しすぎでは?
あれだけの毒親ムーブを見せてなぎさが家にやってきただけで心を入れ替えたのか、その辺りももう少し厚めに描いてほしかった。
・なぜ病院行かないし
海岸のシーンでなぎさはなぜ病院に行こうとしなかったのか。
もう死にたくなって最後にいちかの踊りを見て天寿を全うしたかったのか。
気になる要素を残すのは結構だけどちょっと気になりすぎた
しょっぱい街のしょっぱい人々
主にキャストの力でもたらされている煌めき、素晴らしい。二人ともとてもいい。
だから物凄くもったいないと感じてしまった。
ノッキングをおこしてしまうポイントが多く、手放しに劇中に連れていってもらえなかった。影だけが存在して、光が希薄なため人物造形の彫りが食い足りない。
良さげな場面は羅列しているがぶつ切りの印象であり、脳内で色々なことを補足しながら観ていた。抑揚の問題だろうか、実にもったいない。
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