ミッドナイトスワンのレビュー・感想・評価
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最後まで引き込まれた!!
何となく観始めましたが、洋画の「チョコレートドーナツ」(2014)に近いテーマでもあり、退屈せずに最後まで観てしまう魅力がありました。中盤までは、現代の生きづらさを一点突破するヒントのようなものを感じました。終盤、主人公の具合が悪くなるのは唐突な気がしましたが、ストーリーをまとめる都合上、仕方ないのかなと思ってしまいました。渚にて、凪沙の「きれい…きれい…」が特に印象的でした。
真夜中の白鳥
評価が高いことは知っていたが、近年の邦画の中で映画らしい映画だと感じました。
なおかつ一果役の服部樹咲さんの演技、大人になってからのシーンはともかく、13歳、14歳で演技経験がないにも関わらず、余白の演技が素晴らしい。
元々、バレーはやっていたみたいなのでそこの経験値があったのも、素に近い状態でいられたのかも(あくまで主観)
一方で草彅剛の演技が最初は入り切ってないのか微妙に感じた。しかし、病気になってからの演技が圧巻。この人はやはりなにかをすり減らした状態の演技が一番光る気がする。
ストーリーとしてはなにか良くも悪く丁寧に起伏を作って進んでいく感じ。しかし、音の使い方がよく、それがシーンをよりよく見せているものも多かった。
血は水よりも…
血は水よりも濃いという言葉があるが、同じくらい濃いものもあると思った。
役者はみんな頑張っているが、展開に違和感を感じたので、この評価。
・イチカが初めから踊れるのが変
・イチカと親の関係性が回復する展開が早すぎる
・イチカ、急にヤンキーになった感
・ラストの海外パートが情報少なすぎ
・リンの親が絵に描いたバカすぎる
あと、新しい地図のマネージャー飯島さんが、エグゼクティブプロデューサーなのが目についた。
彼女はそっと彼の胸に顔を埋める。
『何?その髪型』
『これ?就職したの。』
『頼んでない!』
ふてくされる一果
『何?その態度。誰の為に仕事すると思っているの?』
つい怒ってしまう。
『頼んでない!』を繰り返す。
さて、彼は怒りを抑えて
『こっちに来て。。。』
一果も落ち着きを取り戻す。
『よし。よし』
一果の実の母親も同じセリフを映画の冒頭で吐く。しかし、この場面で、彼は『よし、よし』彼女はそっと彼の胸に顔を埋める♥
古い価値観に囚われすぎて、身を崩す男と、どんな人にも優しさがあると理解した少女の成長の話。
一点だけ不満が残るが、そこを除けば傑作だと思う。
海岸で、少女の美しさに朦朧とする。しかし、彼はもう目が見えているわけではない。彼女は外見が美しくなっただけでなく、内面が大きく育ったのだ。だから、本当に美しいのだ。
古い価値観に見放されたこの男は、最後に眠るように美しく天に召される。涙が抑えられなかった。
今回二度目だが、リトル・ダンサーと匹敵するが、最後はリトル・ダンサーと同じ終わり方を僕は好む。
主人公の態度が…
ネタバレ注意
この物語で私が1番感情移入したのが、本編には姿すら出て来てない、凪沙の介護をしている方でした。
ゴミが散乱した汚部屋で、血も繋がらない人の血のついたおむつを替えるのに、あんな横柄な態度を取られるなんて…
訪ねてきたのが、介護の方じゃなくて、美少女でバレエの才能のある姪っ子(凪沙の夢を託す存在)だとわかったとたん、コロッと態度が変わって猫撫で声をだしはじめたのに、ウヘァアってなっちゃいました。
凪沙も心と体が違う性に生まれてきて、要らぬ苦しみを味わっているのはわかるけど、介護してくれる方は何も悪くないやん。
むしろそんな普通の人が避けて通るような悲惨な状況に関わってくれる、めちゃくそ優しい人やん。
そのこと主人公はわかってるのかな?
願わくば介護の方が、ボランティアとかじゃなく、まともなお給料を貰っている事を願います。
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追記
これを投稿した後に、もしかしたらあの態度は、仲間内でブスブス言い合う、新宿二丁目のノリなのかな〜?と思った。
凪沙が内向的な印象だったから、投稿した時は思いつかなかったけど、凪沙が手術するまでに二丁目デビューしてて、そのノリを覚えてたとしたら…
凪沙「早くしなさいよ!ブス!」
介護の人「ブスって目が見えないくせになんでわかるんですか〜w」
凪沙「うるさいわね!性格がブスだって言ってるのよ!」
介護の人「あんたよりましだしwほら、おむつ脱がすから腰浮かすよ。ちょっと痛いから構えてよ。せーの!」
みたいな。
介護の人が、こんな明るい人だったら、少しは救いがあるかな。
気になる個所がちらほら
最初は不仲だった血のつながりのない親子的な関係の2人が徐々に仲を縮めていく、というベタだけど見ていて熱くなる展開は良かった。
ただ、中盤から気になる個所がちらほら出てきた。
・りんはなぜ死んだのか?そもそも本当に死んだのか?
その辺りは一切触れられておらず、なんだかなという感じ。
・本当の母親は急に改心しすぎでは?
あれだけの毒親ムーブを見せてなぎさが家にやってきただけで心を入れ替えたのか、その辺りももう少し厚めに描いてほしかった。
・なぜ病院行かないし
海岸のシーンでなぎさはなぜ病院に行こうとしなかったのか。
もう死にたくなって最後にいちかの踊りを見て天寿を全うしたかったのか。
気になる要素を残すのは結構だけどちょっと気になりすぎた
15分25秒の予告につらた感じ
yotubeで見た予告はとても感動的だったけど、それは「いいところを上手く集めたもの」で釣られてしまったという感じ。
最後ジェンダー草彅は死んでしまうのだけれど病名が不明なために、ホルモン注射や男性の性器を取ってしまったことからくる悪影響のように思えてしまうが
「トランスof アメリカ」だったか正確なタイトルは覚えていないけど性器を取る為に旅に出かけたジェンダーが男として結婚していた時にもうけた一人息子と偶然列車に乗り合わせるという映画ではその男性は健康そのものだった。
予告を見たから引き取って育てた娘が草彅を男性として好きだったというのが分かるけれど、映画では、ラストに男の姿で抱き寄せられたところを思い返すシーンがエンドロールと共に流れるだけで、そこまで来ないとラブストーリーだと分からない。
母親になりたがっているジェンダーと男性として恋をしている高校生の切なさを描くには不十分この上なかった。 中途半端に女子高生の友情を描く時間があったなら、2人の距離が縮んでいく様をもう少し丁寧に
ラブストーリーとして描きたいなら、少女の微妙な表情などを多く取り入れるなどしていった方が何を言いたいのか主軸がはっきりしたと思う
予告の最後に「世界で一番切ないラブストーリー」という文字が映し出されるが「ラブストーリー」だとわかりづらい。
作品を作るということ
樹咲さん演ずる一果のバレエ、綺麗ですね。小顔で手足が長くバレエの為に生まれて来たような容姿。
多分、一果とは真逆の生活環境で育っているのでしょう。
この作品でLGBTの苦悩の入り口を少し覗いた気になってレビューしましたが削除して改めて投稿しています。
他の方のレビューで知り得たのですが、凪沙の手術による身体の不調は稀であるという事。
私にとっては二度と目にしたくないぐらいの衝撃を受けストーリー的にも主人公が一人いなくなるかもという大きな出来事です。
であるのに殆どの事例は健やかに過ごせている筈だとか。
つまり凪沙さんの術後の不調はあり得ない事らしいのです。
凪沙を死なせず一果と仲良く親子のハッピーエンドだと印象が弱まるからでしょうか。
草なぎさんの熱演が勿体なく思えました。
鑑賞する多くの方があまり知らない世界の事。
ストーリー的に受けるからと事実とかけ離れた内容では感動できないです。
シナリオがなぁ…
世間的ステレオタイプのLGBTで偏見のある演出かもしれませんが、草薙くんとてもキレイでした。
イチカ役の子も、とても強い(色んな意味で)のに儚げな演技、最高でした。
問題はシナリオなんですよ、シナリオ!
唐突にリンはタバコ吸ってイチカにキスして、他人の披露宴で踊り狂ったかと思えば飛び降りて、それ以降の描写ほとんどなし。
ナギサは転職繰り返すキャラじゃないんじゃないの??
あの流れなら、イチカにバレエ教わって店のショーが盛り上がって万事うまくいくじゃダメ?!
イチカのコンクールに唐突に来た母親。
急に情にほだされて舞台上で2人が抱き合うシーン。
ナギサの母親、そもそもお前が面倒見ろとか言い出したのにその母親がナギサを叱責、"病院に行け"ってヒスるとか…
イチカの母親もクソ中のクソ。
この親戚集まったシーンは本当に嫌悪感しかなかった。
ナギサ最後死ぬ必要あるの??
ハートウォーミングで終わってよくない?
死んだ後の掘り下げも全然なくて共感できない。
大事なことはそっちのけで、感動するでしょ!刺激的でしょ!ってシーンだけあげつらってる印象しかない。
なんのカタルシスもなく、モヤモヤーっとしたシナリオでモヤモヤーっと終わりになる。
また、違ったブラックスワン
トランスジェンダーの男性とネグレストを受けている女の子との共同生活を描いた作品。
こういう作品は、どこか偏見や価値観の違いからあまり受け入れられ事がない事がと多いと感じる事があります。
だけども、この作品は、多くの人が観てほしいと感じました。
今、世界でもLGBTに対する考え方が少しずつ変わりつつもあるけど、まだそれは小さいと思う。
作品の中で女の子は、自分の成長の中で上手く、自分の感情に対して向き合う事が出来ずいる。
トランスジェンダーの男性は、世間という周りから受け入れられずにいて、どこか虐げられ生活を送っている。
それでもなんとか前に向いて動こうと四苦八苦しながらぶつかりながら、前に進もうしている姿がとても良かった。
女の子為に自分が踏み出せなかったら、性転換手術にも取り組み心身共に女性になる事でほんとの母親になろうとしていた。
それがきっかけで自分の身体がどんどんとおかしな老化を遂げてしまう。
生きるという事は、それぞれの人生があるけど、それを誰かの考え方によって固めてしまう事は、その人を殺すという事になるのかもしれない。
簡単に受け入れ事は、難しいけど、そういう人達の声を聞いてみる事は、出来るなと思う作品でした。
マイノリティだからこそ
どこに才能の芽が咲くのかは誰にもわからない。
広島の片田舎でヤンキーのシンママにネグレクトされたバレエの才能があるイチカ。
トランスジェンダーのなぎさ。
最初は腫れ物を触るような二人がお互いの弱さを見つけていくうちに、あぁ一人じゃないんだ、って思い始めて不器用ながらも心を開いていく様子をじっくり描いてる。
とはいえ、多感で一人では決断も生活もできない中学生。母の元に帰るけど、ちゃんとなぎさの「自分を大事にして強く生きるんだよ」という言葉どおり、NYのバレエ学校に進む。
バレエの先生にも才能を見出してもらってたけど、あの先生も物事をフラットに見れるから、イチカも信頼できたんだろうな、いい先生だったよね。
最後は、せん妄が見えてたのかな。
海で美しいものを見ながら天国に行けてよかったと思う。このまま、あの部屋で一人死んでいくなんて悲しすぎる。
草彅氏の演技が棒読みに見えるけど、あれは自然体と表現するのか。
母になろうとして、やがて女になった悲しく優しい物語
名作を今更ながら鑑賞。
虐待、あるいはネグレクトを受ける子どもが実の親でない人と住んで絆を深めていく物語はよくあるが、今作はそこにLGBTQが絡めてあるからより厚みと深みが増す。
女性にどうしてもなりたい凪沙。孤独を抱えた一果。最初は互いにギクシャクしながらも、やがて互いの穴を埋め合うようになる。
そしてバレエの夢を諦めたりんの死、凪沙の死
同性愛者が死ぬという結末もいたたまれない。
また、性転換の手術も術後のケアも大切だし、簡単にはできないことも教えてくれている。
一果の才能を目の当たりにした凪沙が、バレエのレッスン料などを捻出するため、男に戻り就職したシーンには号泣。そしてラストの海のシーンでも涙なみだで。
どうにもならないもどかしさと悲しさ……
母になろうとした凪沙の姿と思いに、想いを馳せると胸が張り裂けそうになりました。
草彅剛の演技はさすが。儚く繊細な表情が凪沙にぴったりだった。
そして一果演じた服部さんのバレエとスタイルの良さには感服!!
海で踊るシーンは名シーンです!
新宿で寄り添う、ひとりだったふたり
健ニとして産まれたが、心が女性で性転換手術に向け貯金しながら、ゲイのショーをして暮らす凪沙。
従姉妹の子、一果を短期的に引き取る事になる。
最初は実家からの養育費を性転換のあてにするためだったが、一果の心の悲鳴に気付いた時、母親としての心に変わっていく。
もともと、真面目でしっかり者の凪沙。
一果とは生活時間すれ違いだし、最初は邪魔者扱いするが、一果そっちのけで飲むわ彼氏作るわの一果の実の親よりは自律しているし、一果の心に気付いてくれる。
一果も辛いし、凪沙も辛くて、2人が心を通わせ合うまでに既に何度も泣きかける。
「頼んでないし」
「なんで私だけ」
悲痛な叫びが響いてくる。
2人とも、自ら望んで、大切にしてくれない母親や性自認に理解のない環境を選んだ訳ではない!
そこしか生きていく場がないから。
それでも、自暴自棄になったりグレたりする訳ではなく、仕事をし真面目に暮らす凪沙もバレエという世界に出会い自力で稼ごうとする一果も必死に生きている。
前を向いて。
対比として、母親になれた身体でありながら子供の気持ちに向き合わず脅すように子供を育てる母親や、育児放棄する母親。裕福な家庭ながら、子供をうわべでしか見ていない母親。
凪沙からすれば、子供の悲痛な気持ちに痛いくらい共感し寄り添えるし、戸籍や性別が男性でなければ母親になれたかもしれないのにとより一層思うのだろう。
なのに、いざという時には、血の繋がりのある産みの親が子供からも実母の認識を持たれてしまう現実。
貯金しながら、高いホルモン注射を続け、性転換の手術に向けて準備をしながらも「何のために生きているのか」にどこか虚しさが漂っていた凪沙だが、感情すら湧かない無気力どうにでもなれな目をしていた一果のバレエでの可能性に気付くうち、一果のサポートが凪沙が女性になる理由になっていく。
「自分を大切に。強く生きる。」凪沙が一果のバレエの月謝のために身体を売る仕事に落ちようとしたり、昼の仕事の転職面接を受けたり、男性に戻ってまで力仕事をしようとしたり、性転換手術の決心をしてタイに飛び、女性になって一果を実母から取り戻しに迎えに来たり。
これはただの母親ごっこではなく、はっきりと心からの女性の母性だなと感じる。
服を破かれ、女性になった身体を見られ、バケモノと罵られてもそんな恥には揺らがず、ただ一果の母親として一果を守りたい一心に見えた。
が、中学生の一果をその場で広島から連れて帰れなかった時、新宿に戻ってから自身の身体のケアをする生きる気力が失せてしまったのだろうか。
手術した事で壊死や感染症や失明や貧困や更なる孤独に陥る事など、思いもよらなかっただろう。
何も悪いことをしていない凪沙が残酷な最期を迎えるが、一果が海外にバレエ留学する奨学金を勝ち取れた、ただそれだけが救いのお話。
海外に渡った一果は、凪沙との想い出の、白鳥の湖からオデットの曲で踊る。
夜だけオデットになり、朝には白鳥に戻ってしまう曲目は、戸籍上は健二でも凪沙でい続けたい凪沙にも、実母との環境が広島にありながらも愛に飢えている一果にも重なる。
そして、王子が愛を伝えてオデットが白鳥になる呪いを解こうとするが間に合わない展開は、愛が故に一果を迎えに来た凪沙にも、凪沙の性転換による不調からの生還に間に合わず、凪沙を失う一果にも重なる。
実母から適当にあしらわれて育ち、一縷の希望だった凪沙も失って、バレエで育ててくれた実花先生から自立して。一果はバレエで奨学金海外留学。亡き友人りんにとっては親が唯一期待してくれたバレエで。
海外でも奨学生として、コンクールが付き纏う競技者として、安心な実家がない一果が今後も経済的精神的に孤独を感じ続けることは容易く想像できる。
「自分を大切にしないと。私達みたいな人間は、ずっとひとりで生きていかないといけない。強くならなきゃいけない。」
凪沙がかけてくれて、命懸けで示してくれたこの言葉が、深く深く一果にも染み渡っているだろう。
作中の、親のしわ寄せを被る養育環境や、性別から傷付けられる事が多い社会的立場など、明らかな弱者でなくても、言えない想いに傷付いている人は沢山いると思う。
どんな人間も最後はひとりであり、経歴も人生も歳を重ねるほどばらけて、誰かと同じなどそうない。
それでも、
押し殺している感情を腕を噛んで堪えたり、
身体を売って心を消耗したり、
誰にも言えない痛み苦しみを抱えたり、
そういうのは自分でなくても辛いのが人間だと思うし、その痛みに気付けない/認知できない人の方が、よっぽどバケモノだと思う。
ハニージンジャーソテーを作ってくれた凪沙が、今度は一果に作って貰わないと口に出来ないまで衰弱しても、ご飯中に目にも見えていない金魚たちに気付き「ごめんね自分達だけ美味しい思いをして」と苔だらけのからの水槽に餌をやる場面が印象的でとても好き。
命や体力が自分の分すら足りない痛みの中でも、弱い者に気を配る凪沙の優しさが溢れている。
飾ってあるマリア像からも、自己犠牲しながらも救いを求める凪沙はまさにカトリックが言わんとするところだと思った。
言葉での表現が伸びる環境になく、もともと得意でなくても、一果には踊りが見つかったことが嬉しかった。
一果役の子は、バレエが先で女優が後なのだと徐々にわかってくる。バレエが絵画のように美しく完成されたもので驚いた。水川あさみが母親役なのがよくわかる、細い手足。
草薙剛は、親になっていく過程が、かなり昔の僕の生きる道と通じるものがある。一生懸命にオネエの仕草や話し方の表現を追求しているのが見ながら感じ取れるのだが、その所作よりもずっとずっと、心の演技の深みの方が伝わってきて、女性に見える女装でなくても異様さなど全く感じない。「どうして私だけ」「泣けばおさまるわ」と普段心の奥で流して堪える声が飛び出す場面で、私も泣いた。
広島の家族一同、もう少しなんとかならんのか?
トランスジェンダーだけじゃない、心が痛くなる映画
ネトフリにあったので観ました。
一見トランスジェンダーのお話がメインのようでそれが取り上げられがちだけれど、そこは割とどうでもいいかな。心が弱く頭が悪い人たちの群像劇とでも言いましょうか、非常に刺さりました。
一果にバレエをやらせるために男性の格好をして男の本名で男性がメインでやるような仕事に就く凪沙。でもそれは自分に正直に生きていたい凪沙には耐えられなかったのでしょう。表向きは男性として仕事をしていた方がお金も稼げるし惨めな思いもしなくて済む。女装は趣味として割り切って、理解者たちのいる場だけで欲求を満たす程度にしていれば後ろ指をさされなくても済んだわけです。手術後も自分の体のケアすらできないほど心が弱ってしまったのでしょう。
一果は一果で、守ってあげるという母親と一緒に暮らしているのにグレてリスカをする。
夢を絶たれた一果の友達りんも、幸せいっぱいな人たちを目の当たりにし、その人たちに群衆や親の視線を奪われ、ここで飛び降りたら、私が死んだら誰か私のことを考えてくれるかなという欲求に勝てなかった。私が小中学生の時にいつも思っていたことです。(実行はしてないけど。)思春期の心の揺れというやつです。心が本当に弱ってしまった人はその揺れに負けてしまう。
3人とも頭が良くて先のことまで考えられて、心を強くもって一人でも孤独でもきちんと生きていけたらそんなことにはならなかった。唯一、一果は凪沙の最期を胸にしまって一人外国で強く生きていく決心をしたのかな。
弱い人たちの人生を見せつけられるので感動で泣ける映画ではないです。三人中二人は弱すぎて死んでしまったのだから、苦しすぎて泣けもしない。三人は誰一人として悪くないからです。
私はトランスジェンダーではありませんが、自分のせいではない苦境が何年も続き「なんで私だけ」と泣いたことが何度もあります。そういう意味で共感し刺さりすぎた映画でした。多くの人にとってはこの物語はリアリティがないでしょう、これで泣くのもなんだかきれいごとという感じがします。でも刺さる人にとっては逐一リアルで細かい表現が多く、心が痛かったです。
草なぎさんはいつも淡々としていて演技が上手いと思ったことはあんまりないのですが、髪を短くして作業着を着た時に一番女性らしく強い母の顔、優しくも決意と希望に満ちた目をしていたのは素晴らしかったです。痩せていて、不細工ではないけど決して綺麗な女装ではない感じといい、この役がとてもしっくりきていたと思います。
海のシーン、バレエのシーン、非常に美しかったです。汚い物とのコントラストが強く鮮烈でした。
友達、殺さなくてもよかったのでは… あと血まみれのシーンの印象が強...
友達、殺さなくてもよかったのでは…
あと血まみれのシーンの印象が強くて、観てから数日経っても思い出しては痛がってます。
悲しい映画は何度も観たくないけど、なんとなくもう1回観てみたい気もする。
説得力ありすぎのバレエ
ずっと見てみたいと思いながらなかなか縁がなかった作品。
今朝たまたま見始めて、続けて2回見た。
まずは対比の見事さ。
戸惑う一果に駆け寄る実の母早織、踏み出せない凪沙。
警察にすら自分の本名を認めない瑞貴、働くために自ら記名する凪沙。
りんと一果のバレエシーンはいうまでもなく。
人は比較されるのを嫌がるが、さまざまな視点からの比較を経て個人になるんだと思う。
術後の凪沙の状態は、外国での手術のずさんさとか危険と隣り合わせ的なことではなくて、凪沙の精神状態を表しているのでは。
一果は追ってきてくれず、ずっと隠していた母にもばれて自分のケアなんてする気になれなかったんだね。
私が凪沙をよしよししたい。
最後のバレエが美しかったので心が救われました。凪沙もそうであってほしい。
このために凪沙さんは人生を賭けたんだと納得できる、素晴らしいバレエでした。バレエ詳しくないけど、詳しくないのにすごいと思えることがすごい。
LGBTだけではない。何で私だけ。
何で私だけ。
凄い刺さる言葉でした。
私はストレートだけど、「なんで女性で産まれたのだろう、なんでこんな世界で生きてかなきゃいけないのだろう」
と幼少期からずっと思って生きてきました。
DVが主な原因だと思うけど。
LGBTにしかわからない気持ちももちろんあると思うけど
私はあの時の凪の涙を流してたらまた良くなるからという孤独の苦しさを自分と置き換えてしまった。
また、オムツのシーンはかなり苦しかった。
絶望した渚の苦しさを、あの部屋が表現していた。
私の自傷行為をして片づけもできない、血まみれの部屋とも被った。
凪は死を考えたに違いない。
そう感じたシーン。
魚はもういないのに、餌をあげるシーンはかなしくもなり
凪の私だけ美味しもの食べて との気持ちが
彼女の優しさも感じた。
一果もかなりきつかっただろう。
噛むしかない表現。
凪の愛を受け入れたのは救いだった。
私はLGBTというよりは
凪という人間に惹かれた。
彼女は一果と離れて、何を感じで生きてたのだろう
念願の女性にもなったはずなのに
それ以上の絶望を1人で抱えて生きてたのか
泣いたらおさまると泣いて生きていたのか
女性で産まれてたなら、こんなことにはならなかったのか?
国が保障してくれてたら、凪は苦しまなかったのか?
根本的な問題はそこなのか。
ただ、彼女の横に寄り添いたい。
そんな気持ちになった。
凪に笑って生きてほしいと願った。
LGBTの問題だけではなくて
私は一人一人、人間としての苦しみとして受け止めた映画でした。
後、こんなの作り物感があると書かれる方もいるけど
本当にこんな辛い人生はあると思う。
私は少なくともこんな人生に近い絶望を歩んだ。
御涙頂戴として作られた作品とかいう人たちは幸せな人生を歩んだんだろうなって羨ましくも思う。
みにくいアヒルの子
ある日、アヒルの家族に生まれた数羽のひなのうち明らかに他とは毛色の違うひなが一羽混じっていた。そのひなは産毛が灰色であり、みにくい異質なものとして群れからはじき出されてしまう。
途方に暮れて彷徨うアヒルの子は水辺で白鳥の群れに出会う。水面を優雅にたたずむ美しい姿。時には翼を羽ばたかせ華麗なダンスを踊っているかのようなその姿を見てアヒルは思う。私もあんなふうになりたいと。
アヒルはこの時自分が白鳥として生まれてきたことをまだ知らない。
トランスジェンダーのなぎさは社会での居場所はゲイバーにしかなく、トランスジェンダーとして社会一般の生活は困難である。
いちかは母子家庭で育つが母がネグレクトのため愛情に飢えており自傷行為を繰り返している。
そんな二人がひょんなことから同居することとなる。二人は最初は互いを疎ましく思いながらも次第に互いが抱える心の闇を理解しあうようになる。
いちかは容易く他人に心を開かないが、次第にバレエの才能が開花してゆく。そんないちかに対して母性が目覚めたなぎさは自分を犠牲にして男として働き始める。
二人の疑似家族は順調にいってるように見えたが、ある日ネグレクトの母親がいちかを連れ戻し、二人は引き裂かれてしまう。
なぎさは念願の性転換手術を受け、いちかの母親になるべく彼女を連れ戻そうとするが、閉鎖的な田舎でのトランスジェンダーへの理解は乏しく、なぎさはつまはじきにされる。
女性の心を持ちながら男性の肉体で生まれてしまった不幸。神のいたずらとしか思えないが、本作はそんなトランスジェンダーの抱える苦しみを如実に描いている。
不幸な生い立ちながらもいちかはバレエの才能が開花し、美しい白鳥となって世界へ羽ばたいてゆく。なぎさも手術で女性の体を手に入れて白鳥になるはずだったが、いちかを取り戻すこともできず、術後のケアを怠り寝たきりの状態になる。
いちかは白鳥になれなかったなぎさのためにも世界の舞台に挑戦するのだった。
トランスジェンダーはみにくいアヒルの子である。社会はそれを異質なものとして排除しようとする。他者とは異なることを個性として受け入れるにはまだまだ社会は追いついていないのかもしれない。
本作でいちかを演じた服部樹咲が素晴らしかったのはいうに及ばず、何よりも主演の草薙氏の存在感は圧倒的だった。
トランスジェンダー、ネグレクト、現代社会が抱える問題を取り入れつつエンタメとして見事に完成された作品。
削除されたレビューを再投稿。
絵のような映画
トランスジェンダーの苦しさと生きづらさの中の凪沙の一瞬一瞬が、それぞれ1枚の絵のように綺麗に心に残る映画でした。
よかった場面:
イチカの伸びやかな踊りを初めて見る場面
羽ティアラをイチカに授ける場面
お姫様方と言われる場面
おかあさんと呼ばれて笑う場面
赤いドレスでイチカを迎えにいく場面も。
あと、りんの最後のジャンプも。
一人で生きていくつもりで生きてきた二人が、一緒に生きようとすることで起きる、楽しいことと辛いこと。
女性になったから貴女の母親になれる。
トランスジェンダーの凪沙が遠縁の女の子:一果を預かることになり芽生える母性。漸く手術を決心した凪沙が、実家に帰っていた一果を迎えに行き「女性(の身体)になったから貴女の母親になれる」というシーンには泣いた。
凪沙にとっての幸せは「女性=母親」一つしかないんだな。
一つだけの幸せが叶わなかったら、自暴自棄になるしかない。
凪沙や友人達の生き辛さに、こちらまで息苦しくなった。
ただ色々と疑問に思う場面もあった。
術後ケアを怠って(1年経ってから)あんな酷い状態になるか。
過剰な不幸話になってないか。
トランスジェンダーの方がこの映画を観て絶望しないか。
など、色々と考えた。ラスト、瀕死の状態の凪沙の前で、海をバックに踊る一果のシーンで、なんで海と青い空をCGにしたんだろう。息詰まるリアルの中で、そこだけ感動的に「作りました感」が出ていて違和感があった。
ただ草彅剛さんの熱演や、
服部樹咲さんの初々しい演技とダンスに魅了されました。
テーマやメッセージが会社や学校や色んな場所に運ばれ、濃厚な議論に発展することも映画の意義の一つだと思う。本作はあまり語られることのなかった、性別適合手術のリスクに対する問題提起をしてる点で重要な映画だと思う。
全167件中、1~20件目を表示