沈黙 サイレンスのレビュー・感想・評価
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ぜひ原作とあわせて。
日本人の存在意義を根本から考えさせられる作品。
ここで言う「沈黙」は何を表しているのか、そして宗教にすがる人間の愚かさを、
己の声に従う人間の強さを、
ぜひ感じ、考えて欲しい。
日本人ならば観なければならない。
傑作です
それは予想を超えたものすごい作品でした。
時代の逆を進むような堂々の160分、私が観に行けた頃は既に1日1回のみ上映になっていたので、時間を作るのがとても難しかったです。
でも監督は自分の撮りたいようにするのが一番だと思っているので、こういった尺の長い作品はこだわりを感じて好きです。
そしてタイトルにあるように音楽がありません。
虫の声、風の音、潮の音で構成されているのですが、退屈どころか「だからこそ」胸に迫るものがありました。
OPからそれらの演出が効いていて、スタッフロールまでそれで締める。実に素晴らしかったです。
スコセッシなので遠慮のない演出で、弾圧している様は観ていて苦しさを感じるほど。
また当時の考察をきちんとしているのでしょう、日本人が観ていても違和感を感じずにスッと入ってきました。
またキャストも気になる人が多く「スコセッシの作品に塚本晋也が出演している」ってだけで、観ないという選択はありませんでした。
その塚本晋也演ずるモキチが真っ直ぐで素晴らしい。特に聖歌を歌っているシーンはかなり胸にくるものがあり、作品の中で一番印象に残りました。
そしてイッセー尾形の怪演。この作品を支配するかのような、ものすごい芝居を観せてくれます。
物語は基本ひたすらに重いのですが、それでいてどんどん引き込まれていくんです。
そして話が進むにつれ深く深く潜って行き、宗教そのものを超え、命の根元に迫るような内容でした。
スコセッシはこういった「誰かの生涯」を描くのが本当上手いですね。
70を過ぎても未だ衰えぬ素晴らしい作品、まさに傑作です。
日本人の特質的な性分を映像化した作品
カソリック棄教者の遠藤周作ならでは宗教観を見事に映像化した作品です。
カソリックの実直な侵略性と日本人の強情な保守性との争いにおいて、遠藤周作は正義を日本側においた。
豊臣秀吉も徳川家康も禁教令をだしたのは布教活動を積極的におこなうカソリックに対してであり、出島貿易を許されたオランダは布教を行わないプロテスタントであったと出島のオランダ商館長は手記を残している。つまり、禁教令は国民国家としての多民族化の拒否および文化侵略の拒否である。これは現在の移民問題にも通じる日本国が抱え続けているテーマである。また、他民族拒否の根底には神道および日本独自で発展した日本仏教という宗教信仰からくる異教排斥心が拭い去れない。
作中でも日本側の代表として長崎奉行が隠れキリシタンや主人公に改宗を幾度も促す。奉行は「本心でなくてもよい、形だけでよい」と訴える。日本人らしく本音と建前の使い分けろと指示するのだ。結果、本音と建前を使い分けられない者は死ぬことになり、本音と建前を使い分けた主人公の命は助けられる。そして、建前を覚えた主人公に奉行は一言「日本にようこそ」と告げる。また、本作で描いた本音と建前を使い分けろという奉行の真意は「建前であっても改宗し、本音の部分で"布教をおこなわない"カソリックを信仰するならば糾弾する必要はない。それはもはやカソリック教徒ではなく、まったく別の隠れキリシタンという存在なのだから。」というものであった。このあたりは恐ろしいほどに日本人の気質を描いており、日本は日本で有り続けるために狂信的なまでに保守の本質をもつ国であるというメッセージがあるように感じた。
上記のように私が熱い思いをたぎらせられるのもイッセー尾形さんをはじめ役者さんたちがとても素晴らしく、監督やスタッフの尽力のおかげで感動的なまでに完成度の高い映画になったからです。この映画に携わった皆さんに感謝を伝えたいです。
沈黙
遠藤周作さんの原作未読で鑑賞させていただきました。
感想は、一言で言えば圧巻です...
普通の映画と比べれば長いですが、それでも詰め込まれている感じがします。
当時のキリスト教に対する価値観や思想、登場人物たちの様々な生き方。
キャストはとても豪華でした。スパイダーマンで有名なアンドリュー・ガーフィールドや浅野忠信さん。その中でも窪塚洋介さんが演じるキチジローの狡猾で、それでいて人間らしいキャラクターがとても良かったです。
また、機会があればもう一度見たいです。
もやもやします
スコセッシ監督のファンです。音楽映画も好きです。
これは物語だから史実通りではないです。
貧農の生活苦と、布教活動への情熱はとても良く描かれていました。隠れキリシタンへの弾圧も凄まじい表現です。
隣の女性は後半、すすり泣きしていました。
私は冷静というか、感情があまり揺れ動きませんでした。
なぜなんでしょうね。
九州に生まれ育ち、天草四郎の事、隠れキリシタンの里の生活など、折々聞いてきました。
誤解を恐れずに書くならば
井上筑後守の話が説得力あるなぁと思いました。
日本が、中国の上海やマカオ、インドシナなどと
同じ路を辿らなくて良かったなと。
弱い立場の人達を虐げ、死をもって制するのはもちろん反対ですが。
遠藤周作の原作を読んでないので
なぜもやもやするのか?これから考えてみます。
原作にはないラスト
遠藤周作の原作が未読だったので午前中に読んで、その午後に観に行った。原作小説について言うと、まず初めから結論がわかり切っているのに読者を作中に引っ張り込んで離さない作者の筆には感嘆した。神の沈黙の中で信仰を巡って葛藤するロドリゴの心中を上手く捉えていた。
かなり原作には忠実。音楽が全くなく重苦しい雰囲気が作品全体を支配していて、残虐なシーンも隠さず出てくるので、正直観ていて胸糞悪い。テーマ自体もしっかり重くて、娯楽映画としての要素は全くない。妥協のない見事な芸術作品だ。
ただ自分が観ていて残念に思ったのは十字架と共に火葬されるラストシーンだ。原作ではロドリゴが最期まで信仰を捨てなかったかどうかは語られない。この終わり方ではスコセッシが読んだ沈黙のただの紹介になってしまう気がする。
異国による精神の侵略から国を守るためには、ここまで苛烈な弾圧をしないといけないのだろうか。
国体を維持するために特攻隊という非情な手段をとった戦時中を思った。守りたい気持ちはわかる。でもやり方は間違っていると思う。異国の脅威に民草を利用する為政者の傲慢さ。日本の統治が民草に満足感を与えるものだったら、基督教を信仰することもなかったのだろうから。
国という公、宗教という公。だが果たしてイエスは、公のために教えを広めたかったのだろうか。彼が救いたかったのは、あくまで目の前で苦しんでいる隣人ではなかったのだろうか。基督教は確かに強い。その強さが人を苦しめる。本来のイエスの教えでは、踏み絵を踏んではいけないなどとは言っていないだろう。形式的な信仰から、魂に基づいた真実の信仰への転化。「転ぶ」ことで、新たな形を見つけたのかもしれない。形式に捉われず、ただひたすら神を信じたキチジローこそが、イエスが思った真の信仰者だったのでは無いだろうか。
ほとんが自然音のみのBGM、コントラストの高い絵作り、真俯瞰からの映像など、印象に残る演出が多かった。
ヘビーな感じ
なかなか、ヘビーな内容でした。沈黙という題名の意味を知らずに観ましたが、信仰というものの本質を言いえて妙です。キリスト教徒でなくても、昔の過激な仏教徒にだってあった話かもしれません。神や仏は答えてくれないのは同じです。
しかし、宗教的信念で、極東の島まで危険を冒してくるというのは、恐ろしくもあります。共産中国や、その昔のソ連が宗教を禁じたのは、当然なのでしょう。
観終わった後の静寂
とっても苦しかったです。
観ている途中で辛すぎて席を立ちたい気分になりました。
最後の最後に救いがあったので良かった。
たまには静かに、重い題材を扱ったものを観るのも大切と思っています。
でも、辛かった!
わからない・・・
何を描いた映画なのか?
ただ単にキリスト教について言えば、やはり日本人には理解できないものだと思います。まさに「泥地」。ユダにも例えられる最低の男キチジローの生きざまが正解なのではないのか・・・?そう思ってしまうのです。
それにしても、私も最後のシーンは蛇足だと思います。
重い
マスコミも取り上げていませんが、かつて原作が話題になった頃、篠田監督が映画にしました。何十年という月日が経ち原作も映画も克明には思い出せませんが、クリスチャンがどう撮るか比較したくて見に行きました。スコセッシ監督のほうがやはり的を射てると思いました。アメリカ国籍でも、聖職者かマフィアかになっていたかもというイタリア人と分かって納得しました。
映画としては確かに最後の20分は蛇足の感がします。が、最大の疑問は、原作のまさに神の沈黙の頂点?を思わせる、静かな怖ろしい場面、孔つりの場面のうめき声だけの静寂な世界が騒々しい場面となっていたことです。神の沈黙があの場面に集約されているのが原作だったと思います。サイレンスという副題も気になります。沈黙は「沈黙」です。何も英語を付け加えることはないと思います。
巨匠マーティン・スコセッシ監督の「沈黙」を観た。結論から言うと、映...
巨匠マーティン・スコセッシ監督の「沈黙」を観た。結論から言うと、映画は観ずに遠藤周作さんの小説を速読でも良いから読んだ方が良い内容だった。
何が期待を裏切ったか?それは「徳川幕府時代に長崎を通じて入ってきたキリスト教に何故長崎の人々があれだけ心酔したのか、そこが全く無い」から。いきなりキリシタン( 切支丹 )に踏み絵をさせる場面が出て来て分かります?僕は分からないと思う。
日本という異国・異文化圏にたちまち浸透して徳川幕府もその拡大を怖れたキリスト教。これをスコセッシ監督の目から見て描いて欲しかったが全く欠落している。多分そこの史実( エピソード )が伝えられないと日本史を学習しなかった人も海外の方々も理解出来ないと思う。とても残念だった。
最長老監督だけに老練!160分でもだれません!
スコセッシ監督御年75歳。おそらく最長老クラスでしょう。劇場経営上の理由で長尺映画の嫌われる昨今、159分って相当長いです。でも作っちゃうんですねえ。映画愛です。前作「ウルフオブウォールストリート」なんて179分ですよ!3時間って考えらんないです、大作です。デジカメになってフィルム経費気にせず作れるようになったのでしょうか。愛がほとばしっております!でも長いからって決してダレないのが老監督の名人芸。1つ1つのシーンにドラマが込められております。字幕追いかけて観てると気付けないようなこまかい演技演出をしてるんですよ。日本の俳優ってこまかいこと器用に表現するんですが、それをちゃんと映像に拾えるのがスゴイなあと。
そういうとこ探して観てると時間長いの忘れます。結構難解なセリフ回しなんで字幕読んでたら、ちっとも面白くないですよ。自分は、外人ってやっぱ大雑把なんだよなあ、訳わかんないこといってらあ、ってなもんでボヘエっと見てました。カルト宣教師の言ってることに意味はありません。やっぱ浅野忠信さん(の役)がいいんだよなあ。
ただどうしても気になることが一点!
緊縛シーンが多々でてくるのですが、全部ユルユルなんです。縛ってないやん・・・。簀巻のシーンなんて縄ほどけてるやん!
海に放り込む場面なんで、おそらく役者の安全のためなんでしょうが、本気で縛らんかい!と団鬼六と黒澤明が私に発破をかけるのでした。
強い物語となって
もう何十年も前の記憶なので正確ではないが、遠藤周作の沈黙は弱くて卑怯な心に向き合ったもっと、じめじめした情けない話、そこに救いがある話だった。それが一転、映画は強い心を持ったパードレの話になっていて、それはそれでずっしり心に問いかける重い映画であった。
監督は今なぜこの映画を作ろうとしたのかな。今の宗教に絡んだ世界情勢と、鎖国の日本で隠れキリシタンとなって自分達の信じるキリストを守る姿は距離がありすぎて、比較にはならない。
もう一度本を読もう。
一晩たって思うのは、井上さまとキチジローの役者が、それぞれ十分力を出しきっていたのだろうけど、どうしてもその演技に注目してしまって、物語が中断する、そこが、私が映画に入り込めなかった理由。演技がちらつくとお芝居になってしまうのよね。ここは小林薫と柄本さんにやってほしかった。
追記
本を再読したら驚くほど本に忠実に映画が作られていた。でも心の弱さや葛藤は、映画では見るひとの想像力に委ねられていて、私は全然この映画を理解できていなかったのだとわかった。何事もわかったようでいて、何もわかっていないのだった?
心を征服する者、心を蹂躙する者
心を征服しにきた宣教師と、心を蹂躙する為政者と、どちらも同じ穴の狢。
どちらかというと、日本人の私としては、やはり一神教のお仕着せがましさが鬱陶しい。
神に代わって汝を許すなどと、神の声を聞いたこともない同じ人間に言われたくはない。
劇中の浅野忠信の言葉を借りると、仏教は「自分の力で悟りへの道を学び仏に近づく」ものだが、一神教は「神の教えに盲従しろ」というもの。
縁もゆかりも無い顔かたちをした男性に「汝の罪は既に私が背負っている」などと言われても、じゃあなんで今苦しいわけ?と突っ込みたくなる。その点「人間が苦しいのは自分の欲からである」と説く仏教の方が、より普遍的に思える。
ただ、武士階級など生活に余裕のある者は、「苦しみは己の欲から生ずる」という教えに向き合う心の余裕もあろうが、重税に苦しみ、ひたすら現実から目を背けたい農民にとっては、「何も考えずに心を委ねる」一神教は乱暴な言い方をすれば楽ですよね。
その点を武士もきちんと心得ていて、農民が本当の意味ではキリスト教の教えを悟っていないこと、そしてだからこそ洗脳されやすい危険があることを承知している。
農民を苦しめている根源であるにも関わらず、「我らも嫌なのだ」「取り合えず形だけでいいのだから」と甘言で体裁を整えようとする嫌らしさ。形だけの行為が、じわじわと彼らを蝕むことも知っている。
そんな農民に「主は許してくださるから踏み絵をしてもいい」と救いの手を伸ばすどころか、神罰と背教を恐れて真の慈悲を見失う宣教師。イコンに執着する心の弱さよ。
本当に信仰しているのなら、胸を張り毅然とした態度で踏み絵をすればいい。
結局人を救えるのは人だけであるということ。
私は、神よりも人の内に宿っている善意を信じたい。
余談だが、最後の20分は蛇足。ロドリゴが踏み絵を決意する緊張の「サイレンス」の演出で終幕すれば、傑作になったのにと思った。
重くて長い純文の結晶
人は弱そうで強い。人は強そうで弱い。
宗教とは何か。信じるとはどういうことか。
正義は1つではない。艱難辛苦を受ける者にも、与える者にも、それぞれに正義はある。
そして、生きるとはどういうことなのか。何を求めて生きるのか。生きることと死ぬことはどう違うのか。同じじゃないのか。この世に生まれる意味は何なのか。神はいるのか。
それらを詰め込んだ映画でした。テーマが重厚で映像に魅入る暇なんかなかった。終わり方も重い。心にドシーンときて沈殿してる。
ニーチェのツァラトゥストラはかく語りき支持者からすれば答えはこの映画とは異なる。目指すべきは超人なのだから。
転びバテレンにも聞こえたかもしれない沈黙の声
塚本監督の約作りが物凄いモキチの殉教シーンは必見です(インパクトは加瀬亮に軍配w)情熱的な宗教家にとって【殉教】というのはある種の救いであり憧れでもあり(死ねばぱらいそに行ける理論)現代でも自爆テロが教義と合致してしまう恐ろしさがあります。島原の乱後の日本においてもその恐怖が身に染みているのか、為政者が宗教的指導者を殺さずに【棄教=転ばせる】選択をしたという設定は凄い説得力があり、作中でリーアム・ニーソンが再登場したときの絶望感はハンパないです。しかしいわゆる【転びバテレン】にも彼らなりに辿り着けた境地があるかもしれないという遠藤周作がいうところの弱者の声を見事に拾い上げたスコセッシ監督に拍手です。しかし窪塚洋介が何度も踏み絵をして褌一枚で走り去る姿は何かだんだんほっこりしてきて良いですねw
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