皆川隆之 : ウィキペディア(Wikipedia)
皆川 隆之(みながわ たかゆき、1942年3月4日 - )は、日本の脚本家・映画監督。
経歴
東京都世田谷区松原町出身。佼成学園高校三年のとき、八木保太郎に師事してシナリオを学ぶ。1964年、青山学院大学経済学部卒業後演出を志し東映入社。東映京都撮影所に配属され、伊藤大輔、深作欣二、鈴木則文らの助監督に就く。1971年「女番長シリーズ」一作目の『女番長ブルース 牝蜂の逆襲』で脚本が採用され、同シリーズ4本の脚本を担当。
1973年、『狂走セックス族』で監督昇進。31歳の若き新人監督として期待された。1974年の『仁義なき戦い 完結篇』は一部の資料に監督を深作欣二と皆川のダブル・クレジットとするものがある仁義なき戦い 完結篇 : 作品情報 - 映画.com。「B班監督をずいぶんやりました」と皆川は話している。もともと時代劇が好きで東映入りした経緯があり、その後はテレビ時代劇の脚本・演出が増え、4本を演出した松方弘樹主演の『徳川三国志』(NET、75~76年)が吉津正プロデューサーに評価され、テレビ時代劇の演出が増えた。「江戸を斬るシリーズ」(TBS)系や『疾風同心』(東京12チャンネル)など、東映太秦映像製作の時代劇を演出した。1976年に深作らから「皆川にもう一度チャンスをやってくれ」と推薦があり、『くの一忍法 観音開き』を監督。「何でこんな映画を」という思いがあってノリきれず。再び、テレビに戻り、監督作品は二本に終わった。他に吉田隆のペンネームで「水戸黄門」や、「太陽にほえろ!」(日本テレビ)350話「高校時代」などのシナリオを書く。
1982年春、父親がガンになり、「帰ってきてくれ」と言われ、映画界に執着心も強くなく、東映を退社。家業である渋谷の中華料理店「皆楽」を継ぐ。井の頭線の再開発で赤坂に移転し「櫻花亭」を開業。現在は息子が「広東厨房 赤坂 櫻花亭」を継いでいる。
逸話
- 「"スケバン"という言葉を造ったのは自分です」と話している。
監督
映画
- 狂走セックス族 (1973年)
- くの一忍法 観音開き (1976年)
テレビドラマ
- 徳川三国志(1975~1976年、NET)
- 江戸を斬るシリーズ(1973~1994年、TBS)
- 疾風同心(1978~1979年、東京12チャンネル)
- 雪姫隠密道中記(1980年、TBS系)
脚本
映画
- 女番長ブルース 牝蜂の逆襲(1971年)
- 女番長ブルース 牝蜂の挑戦(1972年)
- 女番長ゲリラ(1972年)
- 女番長(1973年)
- 学生やくざ(1974年)
テレビドラマ
- 太陽にほえろ!(日本テレビ)
- 第350話「高校時代」(1979年4月13日)
- 銭形平次 、フジテレビ
- 第748話「一日だけの家出」(1980年12月24日)
- 第815話「悪への惑い」(1982年6月23日)
参考文献
外部リンク
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/10/28 13:28 UTC (変更履歴)
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