勝新太郎
長唄三味線方の杵屋勝東治の次男として生まれる。兄は俳優の若山富三郎。
二代目・杵屋勝丸の名で長唄と三味線の師匠として10代を送り、アメリカ巡業時に出会ったジェームズ・ディーンに触発されて俳優を志し、1954年、23歳で大映京都撮影所と契約。勝新太郎として「花の白虎隊」(54)でデビュー後、若手二枚目スターとして売り出されるが、会社の期待に反し、人気は伸び悩む。そんな中、「不知火検校」(60)で演じた極悪な盲目の按摩役で新境地を開拓。「悪名」(61)、「座頭市物語」(62)、「兵隊やくざ」(65)と、それぞれシリーズ化されるほどの人気を博し、スター俳優としての地位を確実なものとする。中でも座頭市は「座頭市」(89)まで計26本の映画、4シーズン全100話からなるテレビシリーズが製作され、勝の当たり役となった。
67年に勝プロダクションを設立。勝自身の主演作や若山富三郎の「子連れ狼」シリーズのほか、モハメド・アリのドキュメンタリー「モハメッド・アリ 黒い魂」(74)など映画、ドラマの製作にも着手する。「顔役」(71)では監督、脚本、主演も務め、斬新なカメラワーク、演出で独自の世界観を構築。「新座頭市物語 折れた杖」(72)、「座頭市」(89)のほか、「座頭市」シリーズ(74〜75/76〜77/78/79)や「警視-K」(80)などのドラマで監督を手がける。79年には黒澤明監督「影武者」に主役として勝の出演が決定。劇場では勝が登場する特報も上映され、製作は順調に進むかに思われたが、自身の演技を確認するために撮影現場にビデオカメラを持ち込んだ勝と黒澤が衝突。結果、勝が降板となり、黒澤明と勝新太郎という夢のタッグは幻に終わる結果となった。
「影武者」降板騒動のほか、78年のアヘン所持容疑での書類送検、ドラマ「警視-K」の失敗などによる勝プロダクション倒産、89年の監督主演作「座頭市」撮影現場での死亡事故、90年のハワイでのマリファナ、コカイン所持での逮捕など、晩年はさまざまなスキャンダルでマスコミを賑わせる形となってしまった。妻で女優の中村玉緒とは「不知火検校」での共演をきっかけに62年に結婚。長男・鴈龍、長女・奥村真粧美も俳優として活動した。97年6月21日下咽頭癌により65歳で死去。没後も関連書籍などでその豪快で愛らしいキャラクターと数々のエピソードが語り継がれ、DVDソフトや衛星放送などでの旧作の放送、歌手としての楽曲を網羅したCDボックスの発売、アナログレコードの再発など、新たな世代にもファンを生み出している。