インプリント ぼっけえ、きょうてえ

劇場公開日:

解説

明治の頃、アメリカ人の文筆家が出会った女が不思議な話を語るホラー作品。アメリカで製作された『マスターズ・オブ・ホラー・恐-1グランプリ』のうちの一篇。1999年日本ホラー小説大賞および山本周五郎賞を受賞した岩井志摩子の『ぼっけえ、きょうてえ』を「オーディション」の天願大介が脚本、「着信アリ」の三池崇史が監督を務め映画化。出演は「SAYURI」の工藤夕貴、「アンタッチャブル」のビリー・ドラゴ、「妖怪大戦争」の根岸季衣。

2005年製作/63分/アメリカ
原題または英題:Masters of Horror: Imprint
配給:角川ヘラルド・ピクチャーズ
劇場公開日:2006年5月27日

ストーリー

おそらく、日本の明治時代のある地方。アメリカ人文筆家のクリス(ビリー・ドラゴ)は、愛する優しい日本人女性・小桃(美知枝)の行方を求め、日本各地を放浪していた。彼が川の中にある浮島の遊郭を訪れると、小桃の姿を発見することはできなかったが、客引きを全くせず薄暗い部屋の奥で座っている、妖しい雰囲気の女郎(工藤夕貴)を指名した。クリスは一夜を過ごすことになったその女と話すうち、彼女の醜い素顔を初めて知って驚く。顔面の右側が上部に引っぱられるように歪んでいて、これでは男の情欲を萎えさせてしまうに違いないと考える。彼女は哀しい眼をしながら、「ウチの顔、ぼっけえ、きょうてえ(岡山地方の方言で、とても怖いという意味)じゃろ……でも、ウチのアソコはしまりがいいと評判なんじゃ」と優しく話しかけてくる。やがて女は自らの悲惨な身の上を語りつつ、クリスが探す小桃のことを話し始めた。女郎として売られこの遊郭にやってきた小桃は、愛する男のきっと迎えにくるとの約束を信じていたが、ある日、自殺してしまった。それを聞かされたクリスは、激しく落ち込むが、その話は真実なのかと疑問に思う。まだ怖ろしい夜は、始まったばかりであった……。

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映画レビュー

0.5威嚇するための過剰

2020年12月14日
PCから投稿

スピークアウトというアメリカのパーティゲームがあるんだが、それにはマウスピースがついてくる。歯科的に言うと、口腔内頬骨リトラクターというものだそうだが、強制開口し、歯を丸見えにするどうぐである。

シットコムやトークショーでみたことがあるかと思われる。
ゲーム内容はよく知らないが、口を閉じることなく喋ることができるかどうか、やってみれば分かると思うが、その状態を利用するゲーム──と思われる。

このゲームをアメリカ人以外がやるわけがない。

アメリカの子どもたちは、かならず歯に矯正金具を付けている。
なぜそうするのか──といえば習俗になっているからだが、元はと言えば、敵意がないことを示すために笑顔をつくる必要があるからだ。

ながくホテルに勤めていたが、かれらは、ウェイターかポーターに過ぎないわたしにもかならずニコっとわらう。
アジア人は、そんなことはしない。
そこがアメリカなら、その根本的な意味は「殺し合いは避けましょうね」とか「気分よくすごしましょうね」とか──いうことだろう。
笑えば歯が見えるし、それをきれいに見せたほうが感じがいいだろう──ならば、歯並びを矯正して、白く磨こう、ということになる。

リステリンなど口臭予防商品というものはたいていアメリカの受け売りであり、幼少からメンテナンスが奨励される。
Man on Fire(2004)で、まだ子役だったダコタファニングのセリフに「ストロベリー味のフロスを買ってきて」というのがあった──のを覚えている。

海外在住者や帰国子女のばあい、この展開から、日本人は口腔への意識が低すぎるとか言って、じぶんのグローバル感覚をひけらかすわけだが、あいにくわたしは日本のお百姓なので、無意味な比較はしない。(映画については無意味な比較をやるが)

人前で、口腔内頬骨リトラクターを装着するってことは、歯のきれいさに自信があるということだ。
アメリカのトークショーで、セレブが、なんのためらいもなく、これをやる。こっけいな顔になるし、よだれもでる。
しかし絵として一定のかわいげがある。

もし、矯正も美白もメンテナンスもしていないひとが口腔内頬骨リトラクターをやったら、これは絵にならない、というより、閲覧注意の見ばえになる。
それは、テロであって、とうていゲームなんぞ興じちゃいられない。

歯の見た目をよくするのが、あっちでは社会通念や常識に属する──わけである。
われらが聡太くんも、海外ニュースになってしまえば、将棋の天才というよりも先に乱杭歯(らんぐいば)がかれらの注意をひいてしまう──のかもしれない。

西洋社会の通俗が、絶対的な正しさを持っていると考えている──ひとのなかでは、黄色いの歯の日本人は、未開人ということになってしまうが、がんらい日本にはお歯黒というものがあった。(いまさっきwikiを見て調べた知識に過ぎないが)

もとは貴族や武家の子女の習慣だったが、江戸時代は、成人女性及び既婚者がお歯黒をしていた、とある。明治末期まで続いたそうだ。
なぜ、そうしたのかと言えば、見た目をよくするため──だった。そうだ。

審美観や美意識がかわった現在では、時代劇でしか見なくなったが、事実上それは化粧であった。

さらに、お歯黒は引眉というものとセットでおこなわれた──とある。
引眉は眉を抜いてしまう習慣である。とうぜんそれも、見た目をうつくしくするため──であった。

すでにお分かりのとおり、お歯黒に引眉となるとほぼ白虎社になる。その顔はもはや滑稽描写につかえない。つかえるのはホラーだけである。本格的な時代劇のばあい、侍女や女将がお歯黒と引眉になっていることがあるが、メインキャラクターならば、時代考証を端折るにちがいない。
なぜなら、それは現代社会において、あきらかに、きもちわるい顔だからだ。

ほんとうに、われわれの美意識は、変化したのだろうか。
──ていうか、美意識というものは、これだけドラスティックに変化するものなのだろうか。
ほんの100年前には、白虎社のような顔が美しいと見なされていた──ということを、あなたは信じられるだろうか?
個人的な考察だが──じっさいあまり変化していないのではなかろうか。

ネットで大昔の美人という触れ込みで楠本高子という女性の肖像写真をよく見かける。シーボルトの娘、楠本イネの子となっており、強制性交によって生まれた──とあり、高子自身も強制性交によって男児を出産している。──とあった。

かのじょはきれいだし、きれいと見るならば、お歯黒や引眉──を美しいと定義していたことが、納得しにくい。
かのじょはいたるところで江戸の美女と紹介されているのだが、じっさいその美しさを生成しているのは、西洋人の血が混じっているから──に他ならないのである。

知ってのとおり、アジア人が外科的に美人化をはかるなら、それは、アジア度を払拭する整形をいみする。
アングロサクソンが、彫り深い顔立ちを、わざわざ平板に整形した──そんな珍奇な話は聞いたことがない。
生まれながらにして、そんな彫りをもっているのは、日本人では桑田元投手のご子息くらいなものであって、美醜の観点からするならば、われわれとて、白人至上主義とみていいのではなかろうか。

漠然とした感慨に過ぎないが、日本人はしばしば、日本の美などと言ってみせるが、それについて、心から愛着を持っている──とは思えない、ことがある。

この映画は、三池崇史監督が、アメリカのテレビオムニバスシリーズ「マスターズオブホラー」向けにつくった一編とのこと。

こけおどしなグロテスクと、徹底したAbused Womanがあるだけで、特筆することはない。

ただ、思ったのは、もともとアメリカ市場を想定してつくられているゆえに、お歯黒がない。お歯黒がアメリカ社会にとって、完全に理解不能の習俗であるから──だろうが、それならば、むしろすすんでお歯黒にすべきだった。そのほうが「こけおどし」になったんじゃなかろうか。

映画には原作者の女性が加虐趣味な女将に扮して出演しており、遊女に拷問する。その拷問に、歯茎にかんざしを何本も刺して、強制開口させるというのがあった。その顔がスピークアウトを思わせた。──ので、こんな書き出しになったw。

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津次郎

3.0顔が歪んでる女は、心も歪んでた‼

2018年6月14日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

悲しい

怖い

赤毛青毛の女郎たちのいる遊郭の島、妹殺しのクリストファー、近親相姦の両親、頭に双子の姉をもつオンナの深すぎる業業業、岩井志麻子による爪と歯茎に針刺す折檻を受ける小桃に対するリンチ、水子流しの習わし、突き飛ばされるマメ山田。

ゴア表現のつるべ打ちで見終わるとぐったり。前半の不思議な遊郭の世界から一変して、心の清らかな小桃が苛めにあう展開からの怒濤に押し寄せるオンナの業の数々。

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mimiccu

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