本作は、“美と若さへの狂気”を描く第1話「SWALLOW」(原題「喰之女」/台湾・日本合作)、“歪んだ親子の絆”を描く第2話「HANA」(韓国・日本合作)、“終わりなき不安”をテーマにした第3話「告解」(日本)の3作品で構成された心理スリラー・オムニバス映画。メガホンをとった中西は、企画コンペ等で認められ、本作の「SWALLOW」、「HANA」を新人監督ながらも「哭声 コクソン」のサウンドテザインを手掛けるMonofoley Sound Worksや「哭悲 THE SADNESS」の特殊メイクチームなど、アジア各国の実力派スタッフを率いて撮影している注目の存在だ。
中西監督最大の特徴はジャンル映画を志している点で、「SWALLOW」はフィンランドのタンペレ映画際でスペシャル・メンションを受賞、「HANA」はPortland Horror FilmFestival最優秀作品賞、「告解」も北米最大のジャンル映画祭“ファンタジア映画祭”コンペティション(短編部門)に選出されるなど注目を集めている。
「LABYRINTHIA ラビリンシア」は8月15日からテアトル新宿、テアトル梅田、アップリンク京都ほか全国順次公開。三作品のあらすじと、中西監督のオフィシャルインタビューは以下のとおり。
■第一話「SWALLOW」あらすじ
(C)SWALLOW FILM PARTNERS.永遠の若さ、その代償は――。女優として成功する事に全てを注ぐ雪蘭(シュラン)。ある日彼女は女優仲間のミミから招待制の晩餐会に誘われる。10年前から変わらないミミの若さと美貌の秘密は、晩餐会で出される料理に隠されていると期待を膨らませる雪蘭だったが、そこで待ち受ける狂気の渦に彼女は呑み込まれて行く…。
■第二話「HANA」あらすじ
(C)2018 HANAあるベビーシッターの恐怖の体験…ベビーシッターの面接を受けにある高級マンションを訪れた大学生のスジン。彼女を待っていたのは4歳になる娘ハナの母親だった。威圧的な態度で面接を進める母親に圧倒されるスジンだったが即採用となり、その日からベビーシッターをする事に。母親が外出し、スジンはハナが昼寝から目覚めるのを待つが、彼女の周りで次々と不思議な現象が起こり始める。
■第三話「告解」あらすじ
(C)CONFESSION Film Partner.その懺悔は、聞いてはいけないものだった――。教会で静かに祈りを捧げる神父の元に訪れる一人の若い女性。自身の犯した罪を告白したいと言う女性の願いを聞き入れる神父だったが、穏やかな世界を根底から揺るがす不穏な真実が神父を待ち受けていた。
【中西舞監督オフィシャルインタビュー】

──3作の短編から成るオムニバス映画である本作の企画経緯をお聞かせください。
数年前、テアトルの方と「HANA」の劇場上映の話が持ち上がった際、どうせなら1本だけでなく、数本をまとめてオムニバスとして上映できたらとお伝えしていました。ちょうどその頃から日本での新作撮影も動き始め、気づけば監督作が4本に。ようやくオムニバスとして形になると思い、あらためてテアトルさんにご提案させていただき、今回の短編集「ラビリンシア」の上映に至りました。
「ラビリンシア」は、“迷宮”を意味するラビリンスから着想を得た造語です。私の作品は「一度足を踏み入れたら、抜け出せない迷路みたい」と言われたことがあります。迷路のように入り組み、夢の中のようにシュールで、そしてふとした瞬間に恐怖や危険が顔を覗かせる──そんな迷宮の世界を、そのままタイトルに映しました。また、ラテン語では語尾が「a」で終わる名詞に女性名詞が多く、その響きも含めて「ラビリンシア」という名に辿り着きました。
【第一話「SWALLOW」について】
──台湾の高雄市電影館が主催する助成プログラムの短編企画として選ばれ、高雄と台南で撮影された本作ですが、本作の企画はどのような経緯で着想されたのでしょうか。
別の企画で、女優たちの美と若さへの執着をテーマに釡山を舞台にした脚本を書いていたのですが、突然その企画が立ち消えとなり、一度は温存していました。しかし、釡山のレジデンシーで出会った台湾人プロデューサーから短編企画コンペの話をいただき、ちょうど同じタイミングで台湾の映画祭にも参加していたこともあって、現地でユニークな”食文化”に触れるなど、多くのインスピレーションを受けました。その結果、温存していた企画をベースに物語の舞台を台湾に移し、再構築することにしました。
──本作から「残酷で恐ろしいメルヘン」としての魅力を感じられました。中西監督は、本作が持つメルヘンとしての魅力をどう捉えているのでしょうか。
「メルヘン」と聞くと、多くの人がファンタジックで夢のような世界を思い浮かべるかもしれませんが、グリム童話やペロー童話の原作には、実はかなり残酷な要素も含まれていますよね。日本の昔話もそうですが、多くの物語が教訓や戒めで終わるように、当時の人々に何かしらの“気づき”を与える意図を持って語られていたのだと思います。私は特に“メルヘン”を意識して作品を作っているわけではありませんが、子どもの頃からアンデルセンやペロー、グリム童話などに多く触れて育ってきたので、そうした世界観が無意識のうちに自分の中に刷り込まれているのだと思います。現実と非現実(あるいはシュール)の狭間にあるような世界観も、そうした影響の一部なのかもしれません。
【第二話「HANA」について】
──初監督作品「HANA」のインスピレーションは、どこから生まれたのでしょうか。
韓国の釡山映画祭が主催するワークショップに参加した際、現地のフィルムメーカーたちと出会い「いつか釡山で撮影することがあれば、一緒にやろう」と声をかけてもらったのがきっかけで、監督として初めての作品「HANA」を制作することになりました。
何かパーソナルな作品を作りたいと思っていた頃、釡山映画祭に参加する機会があり、滞在中によく海雲台(ヘウンデ)ビーチを訪れていました。海沿いにずらりと並ぶタワーマンションを眺めていると、ふと窓際に佇む「HANA」のような女の子の姿が頭に浮かびました。そのイメージが自分の記憶と重なり合い、この作品のはじまりとなりました。
──ハナの「シーツおばけ」のビジュアルは、どのように着想されたのでしょうか。
精神的にも肉体的にも繋がれない母娘という設定から、自然と“お化け”のようなイメージが浮かびました。予算が限られていたため、手軽に“お化け”を表現する方法を模索していたところ、無意識のうちに目の前の紙にハナのビジュアルをスケッチしていました。そのイメージをもとに、生地の市場などで厚みや雰囲気を確かめながら、プロトタイプを3パターンほど作成しました。「もう一押し、何かインパクトが欲しい」と感じたときに、ワンポイント加えるアイデアが浮かび、最終的にあのビジュアルに辿り着きました。何を足したのか――その答えは、ぜひ劇場でご確認いただければと思います。
【第三話「告解」について】
──初めて日本で制作した映画「告解」は、どのような経緯で企画されたのでしょうか。
「告解」は、私がフィンランドの映画祭でヘルシンキに立ち寄った際、美しい内装の教会に足を踏み入れたことがきっかけで生まれた作品です。その瞬間、ふと「ある女性が罪を懺悔しに訪れる」というイメージが浮かびました。そのビジュアルと重なるように、以前から気になっていた「卒業仮説(graduation hypothesis)」が頭をよぎり、この物語の核となっていきました。
──告解に訪れた“女”役を
和田光沙さんが、“女”の告解に立ち会う教会の神父役を
水澤紳吾さんが演じ、本作の魅力をより一層強めています。お二人のキャスティング経緯をお聞かせください。
和田さんは「
岬の兄妹」で拝見し、その生々しい演技に度肝を抜かれ、「本当にすごい女優さんだな」と強く印象に残っていました。詳しくお話しするとネタバレになってしまうのですが、本作では「声」がとても重要な要素になっており、その意味でも、和田さんが持つ深みと存在感が存分に活きていると感じています。ちょうど少し前に、和田さんご自身が主人公・さやかと似たような経験をされていたこともあり、撮影にあたっては和田さんから多くのアイデアや視点をいただきました。セリフや演出にも、そうしたご意見を随所に反映させています。内容については、詳しくお話しするとネタバレになってしまうので控えますが、和田さんの実感が作品のリアリティをより深めてくれたと思います。
水澤さんについては、神父役をどなたにお願いするかで非常に悩んでいた中、プロデューサーから推薦いただいたことがきっかけでした。初めてお会いした際は、ちょうど別の作品で“飢餓の時代”を描いた役づくりに取り組んでいらして、まるで雪山で遭難した人のような雰囲気で少し驚きました(笑)。けれど、撮影前にはしっかりと体調を整えられ、神父らしい静かな威厳が全身からにじみ出ていて、さすがプロだと改めて感心しました。
──「告解」作中において“女”の顔は明確には描かれず、ほぼアップのみで映し出されます。その演出の意図は一体何でしょうか。
脚本を書いている段階では、撮影を懺悔室内で想定していたため、告白する女性の顔はあまり見えないだろうと考えていました。しかし、懺悔室よりも教会の身廊での設定のほうが、奥行きのある映像表現ができると考え、身廊に着席するという設定に変更しました。その結果、自然と女性の顔や全貌がはっきりと見えないようにしたいという気持ちが生まれ、観る方それぞれが彼女の姿を想像できるよう、ほぼ身体や表情のアップで描く形にしました。
【自身の創作活動について】
──映画制作を続ける原動力は何でしょうか。そして現在の中西監督が目指す、映画制作における目標とは何でしょうか。
今は、ふとしたときに浮かんでくる「物語の種」が、ものづくりの一番の原動力になっています。そのアイディアが必ずしも誰かの“観たい”に結びつくとは限らないですが、芽生えてしまったからには、できるだけ丁寧に育ててあげたいと思っています。
映画制作における目標としては、国や言葉、文化の違いを越え、さまざまな人たちと想像力を通わせながら、多様な物語をともに紡いでいけたらと思っています。
(C)SAWLLOW FILM PARTNERS.(C)2018 HANA (C)CONFESSION Film Partner.