映画.comでできることを探す
作品を探す
映画館・スケジュールを探す
最新のニュースを見る
ランキングを見る
映画の知識を深める
映画レビューを見る
プレゼントに応募する
最新のアニメ情報をチェック

フォローして最新情報を受け取ろう

検索

橋本愛&中川大志 “同志”のような気持ちで臨んだ、恋に人生に葛藤する不器用な2人の愛憎劇

2025年3月19日 11:00

リンクをコピーしました。
画像1

橋本愛中川大志。共に10代の頃からこの世界に身を置き、いまでは第一線で次々と話題の作品で活躍する同世代の2人だが、意外にもこれまで共演経験はゼロ。そんな彼らが、大学のサークルでの出会いをきっかけに惹かれ合い、“腐れ縁”とも言える10年に及ぶ愛憎劇を繰り広げる男女を演じる映画「早乙女カナコの場合は」が公開された。

原作は「ナイルパーチの女子会」、「ランチのアッコちゃん」、「BUTTER」など話題作を世に送り出している作家・柚木麻子の小説「早稲女、女、男」。「ストロベリーショートケイクス」「スイートリトルライズ」「さくら」などの恋愛映画を手掛けてきた矢崎仁司がメガホンを握った。

10年にわたる物語の中で、恋に人生に葛藤し、思い悩み、走り続ける不器用な2人を演じた橋本と中川の胸に去来したのは――?(取材・文・写真/黒豆直樹)

画像8(C)2015 柚木麻子/祥伝社 (C)2025「早乙女カナコの場合は」製作委員会
――最初に脚本、もしくは原作小説を読んだ際の感想や魅力を感じた部分を教えてください。
橋本:原作を読んだ時は、私は大学生を経験していないからわからなかったのですが、各大学の“女子あるある”みたいなのが描かれていて、読みながら「絶対そうなんだろうな」と思ってしまうくらいリアリティにあふれていて、そういうカテゴライズにとどまらず「あぁ、こういうコいるよね」と思える実体感がありました。

そこに出てくる女の子たちが、傍から見たらすごくキラキラしていたり、自信にあふれているように見えても、内面にはいろんなドロドロとしたものが渦巻いているのを柚木さんは容赦なくえぐって書き出しているのがすごく好きでした。

例えば見た目のテイストは全然違うけど、麻衣子ちゃんにすごく感情移入したり、全ての登場人物に自分と重なるところがあって、それが映画でも立体的に描けたんじゃないかなと思って、すごく嬉しかったですね。

画像3
――原作は、カナコと長津田の関係性を軸にしつつ、章ごとに異なる登場人物の視点で進むオムニバス形式で構成されています。映画になって変更された部分も含めて、どんな印象を受けましたか?
橋本:そうですね、私も小説の群像劇の部分にすごく惹かれていたので、映画もその魅力はきちんと伝えられたらいいなと思っていましたし、タイトルも「早乙女カナコの場合は」になっていますけど、それぞれの登場人物たちの“場合”をちゃんと描けたんじゃないかと思いますし、それが嬉しかったですね。

小説でもそうですけど、カナコってアンカーなんですよね(※小説の最終章のタイトルが「早乙女香夏子の場合」でカナコの視点で進む)。いろんな人たちがそれぞれに自分の着地点を迎える中で、カナコは最後に走って、走って、走り切る。

亜依子さん(臼田あさ美 /カナコの出版社での先輩で、実はカナコにアプローチする吉沢の元カノ)からは、カナコがエンパワメントされるし、逆に麻衣子ちゃん(山田杏奈/長津田に片思いする女子大生)のことはカナコがエンパワメントして背中を押す存在であったりもする。それはカナコがずっと悩み続けながらも輝いていて魅力的で、他人にエネルギーを与えられるような人間であるということで、それを自分がちゃんと表現できるのか? という部分は、現場でもずっと考えていました。

中川:脚本を読んで、この作品が持つ少し独特な世界観を感じました。それは、原作小説で描かれる“大学あるある”みたいな部分を踏襲しているのだと思いますが、そのクセのあるシュールな描かれ方、空気感が僕はすごく好きでした。長津田というキャラクターもその真ん中にいて、クセのすごく強い男で、僕自身もあまりやってきてない役どころだったので、やってみたいなという気持ちになりましたね。

そういう映画としてのフィルターはありますが、そこで描かれていることは、決して特別な物語ではなくて、現実の世界とちゃんと地続きだなと感じましたし、そこは大事にしたかったところです。

画像5
――これまでなかなか演じたことのない“ダメ男”タイプの役柄を演じてみて、いかがでしたか?
中川:面倒くさいですよね、長津田って(笑)。本当に面倒くさいんですけども、そこがチャーミングなところでもあり…。本当にワガママだし頑固だし、プライドも高いし……というところを僕自身もどんどん好きになっていったところもありました(笑)。自分としては、そこはすごいクセが強いキャラクターではあるんですけど、ピュアな感覚で、その瞬間、瞬間に起こることを受け止められたらなというふうに思ってやっていました。
――長津田に共感する部分はありましたか?
中川:そうですね、特に10代とか20代の前半とか、長津田のセリフにもあるんですけど、周りと比べてしまったり、プライドが邪魔をしてしまって素直になれなかったりとか、周りを羨ましく思ったり。そういうところは本当に自分もそうだったし、いまも少なからずあります。でも、そういう部分は見せたくないし……というところは、僕も含めて男女問わず誰しもあるんじゃないのかなと思います。
――いまも話に出ましたが、長津田が若い頃を振り返りつつ、“男性の生きづらさ”をきちんと言葉にするところは、多くの人の心に響くのではないかと思います。
中川:歳を重ねて、そういう自分の弱い部分を周りに言える“強さ”が身についた――それは彼らの10年を綴るこの映画の中で描かれる変化の大きな部分なのかなと思いますね。僕自身、10年という時の流れを感じながら演じられたらということは意識していました。
画像4
――橋本さんは、カナコという主人公にどんな魅力を感じましたか? 演じる上で意識されたことはありますか?
橋本:演じる上で一番大事にしていたのは、セリフでも語られますけど“男性恐怖症”というところがカナコの核となる部分として存在しているということ。性的な目線で見られることへの忌避というのがあって、だからこそ自分を“男らしく”見せたり、そこまでじゃなくても、“女性らしい”とされるようなことを全て回避して、ある種、自分を何かにカテゴライズして、当てはめて生きることしかできない――そういう生きにくさを抱えているんですよね

その生き方に共感できるところがたくさんあって、自分にも身に覚えのある感覚だったし、そこはすごく大事にしていました。

男性に対して、そんな思いを持っているカナコがなんで長津田に惹かれたのか? それは、言葉では説明されてはいませんが、原作にはないシーンとして、矢崎さんが書かれたのが、2人がダンスするシーンなんです。あのシーンは、映画的言語として詩的なものが立ち上がってくるところで、カナコの実感としては、ダンスをする時って手を取り合って体が触れ合うじゃないですか。そんな時に長津田だけは、自分に対してそういう(性的な)ニュアンスを一切感じさせることがなかったのかなと。そんなふうに感じたのは、たぶん人生で初めてで、後にも先にも長津田以外にはいなかった。そこが一番大きな存在だったんだなと思いました。

なのに、こんなうだつの上がらない男で……(苦笑)。でも、だからこそというところもあって、本当に悩みは尽きなかったと思うんですけど(笑)。

監督がどういう意図でダンスのシーンを入れたかはわからないんですけど、演じている自分の実感としては、そのシーンで全てを語っているなっていうふうには、後から発見して「おぉっ!」となりました。

画像10(C)2015 柚木麻子/祥伝社 (C)2025「早乙女カナコの場合は」製作委員会
――橋本さん自身もそれに気づいたのは、後からだったんですね?
橋本:そうです。演じるまでは、長津田にフォローされるがまま踊っていて、そのシーンの意味をあまり深く考えずに、ちょっと困惑しながらも、なんか楽しいなっていうぐらいの感覚だったんです。

でも、あとから考えて見ると、確かにあの時、自分の中に流れ込んでくるものがあったんですよね、“触れる”ということで。(映画を観て)そういうことだったんだ! と閃きました。

――いまのお話とも重なるかもしれませんが、矢崎監督の演出に現場で触れてみて、いかがでしたか?
中川:毎朝、僕らのメイク中に、監督が顔を出しに来てくださって「今日はこういうふうにこのシーンを撮っていこうと思います」というようなお話をしてくれました。現場に入ってしまうとバタバタしてなかなか時間もないので、そうやって現場に入る前の少し落ち着いた時間に、俳優部のところに来てくださって、お話をする時間を毎朝、作ってくださって、僕らも「ここはこんなふうに思っています」とか、すり合わせをしていました。

現場に入ってからは、近くでずっとお芝居を見ていましたね。カメラの真横か真下にいました。

橋本:モニターは見てないってことですよね。
中川:見てないですね。現場が好きなんだろうなというのが伝わってきました。
画像6
――中川さんが、特に印象深かったシーンはありましたか?
中川:大学を出て、社会人になったカナコと長津田が再会するシーンですね。2人で屋上でお酒を飲むんですけど、そこでの会話が、憑き物が落ちたというか、あの頃は言えなかったことを、いまは簡単に言えちゃうみたいな変化も感じつつ、居心地の良い時間を感じながらお芝居ができたなと思います。
画像7(C)2015 柚木麻子/祥伝社 (C)2025「早乙女カナコの場合は」製作委員会
――あのシーン、カナコとしては、どんな思いで長津田を見ていたんでしょうか? 原作では、“大人”になってしまった長津田に対して、少しガッカリするような思いもあったり、複雑な感情が入り混じる描写になっていましたが。
橋本:あのシーンは本当に難しくて(苦笑)、言葉と感情が裏腹すぎて……。カナコの中で、長津田がちゃんと卒業して、就職して――というのを望んでいたわけですから、まさに望んだ通りの姿になっているはずなんです。でも、実際にそれが目の前に現れたら「なんやコイツ? おまえはそんなもんか?」みたいな感じで、カナコもカナコで狂ってると思いますけど(笑)。
中川:言ってることとやってることの矛盾が多すぎるよね(笑)。
橋本:そうそう(笑)。矛盾した気持ちを抱えてるんですよね。一番難しかったのが「なーんも変わらないね」というセリフを「全てが変わっちゃったな…」という気持ちを込めて発しなくてはいけなくて。それをどこまで見せて、どこまでお客さんに伝えられるのか? ものすごく悩んだし、監督ともたくさん話し合って、いろいろ試しましたね。
画像11(C)2015 柚木麻子/祥伝社 (C)2025「早乙女カナコの場合は」製作委員会
――橋本さんは、矢崎監督の演出を受けてみていかがでしたか?
橋本:基本的に、役者の表現を尊重してくださる監督で、ものすごく細かく演出を受けたというのはないんですけど、終盤のあるシーンでおっしゃったことがすごく印象に残っています。それまでカナコが走っているシーンが何度かあったんですけど、そのシーンで監督が「ここで初めてカナコは止まるんだよ」とおっしゃっていて、言葉を使わずに、いかにその人の人生を肉体で、映画的な言語で語るか――? それをずっとやってこられた人なんだなと。その言葉の意味を自分の中で感じていました。

答え合わせをするんじゃないんですよね。監督自身「僕を正解と思わないでほしいし、僕も現場に入ってみないとわからないし、やってみてもわかったり、わからなかったりするから」とおっしゃっていて、正解ではなく、一緒にひとつの答えを導き出すという感じで、それは私にとってもすごくやりやすかったです。

画像9(C)2015 柚木麻子/祥伝社 (C)2025「早乙女カナコの場合は」製作委員会
――改めて、今回初めて共演されてみて、お互いの印象やどんなところに凄さを感じたかを教えてください。
中川:今回、お話をいただいて、橋本さんの名前を見た時は、すごく嬉しかったです。台本に文字で起こせないような感情だったり、その場の空気感であったり、言語化できないようなところを表現していきたいという作品だったと思うんですけど、それって共有するのがすごく難しいんですよね。それぞれの感覚もこれまで経験してきたことも違うわけですから。

でもそこで、僕の勝手な感覚ですけど、橋本さんとはそういうセンサー、アンテナみたいなもの、台本から拾ってくる情報とか、感覚、感性みたいなものが、共有できているような、近しいものがあったのかなと感じています。

お芝居もね、初めて会った人と会話をするのと一緒で、感覚がフィットするか? それともずれを感じるのか? というのがあって、決して橋本さんとは現場で多くのことを語ってはいない…というか、役やシーンについて話したことはほとんどなかったんですけど、そこは安心感があったんですよね。

橋本:嬉しいです(笑)。私もどこかで、現場に入るまでの準備の仕方とか、姿勢みたいな部分が、たぶん似ているんだろうなというのを、脚本を読みあった段階で感じていて、どこかで“同志”のような気持ちで現場に入れたのは心強かったですね。

お芝居の面で言うと、長津田のセリフって、ちょっと悦に入っているというか、どこか何かを演じているような――長津田自身にとっては素直な言葉ではあるんですけど――傍から見ると少し浮いているような言葉選びだったりするんです。でも、中川さんから発せられる言葉というか声が、とても生々しくてリアルで「嘘じゃないな」という感じがあって、たとえ嘘をついていたとしても、本音が言葉に乗っている感じがして、それがすごかったです。

だからこそ、長津田が「変なやつ」で終わらないんだなと。ちゃんと人間味があって、生活感もあって、生きているひとりの人間なんだなというのがあって、カナコもそこで興味がわいて、惹かれていったのかなっていうのはすごく感じました。

画像2
――カナコと長津田に限らず、本作では登場人物たちがみんな「自分らしさって何だ?」と悩んだり、逆に“自分らしさ”という呪いに縛られたりするさまが描かれていますが、おふたりは、俳優として生きていく中で、同じような悩みや不安を抱えたり、そこから解放されて「自分はこれでいいんだ」と思えるようになった経験はありますか?
中川:ありましたね。僕も10代の頃からこの仕事をしていて、同世代の俳優たちと自分を比べてしまったり、世間の声が気になったり。でも、10年ぐらい続けてきたある時に、個々の作品の評価ではなくて、これまでの自分が歩んできたキャリアの道筋を評価してもらえるような声を耳にした時に、すごく嬉しかったんですよね。

それはそういう道を作ろうと思ってやってきたわけじゃなくて、あくまでもひとつひとつの作品を積み重ねて、繋いでみたらこういう道になったんですけど。

誰かと比べるよりも、シンプルに自分がその時にやりたいこと、心が動いたことに変なプレッシャーとかを気にせずにやれるようになったのかなというのはありますね。

橋本:私もそれで言うと、デビュー当時に出演した作品の雰囲気のせいで「ミステリアス」と言われることが多かったんですよね。当の本人は、中学校で半袖半ズボンで廊下を駆け回る野猿みたいな感じだったので、当時はもうギャップしかなかったです(苦笑)。「え? 私、いつのまにそんな神秘的な存在になったんだろう……?」って。

そういう実態をお話しすると、幻滅されるような空気感にも何度か遭遇したんです。なので、期待されているイメージに「ならなきゃいけないのかな?」って、まさに自分らしさと世間の目のギャップにずっと葛藤してきた日々でした。

でもいまは、カナコと同じように「自分はこう見られているだろうな」とか「自分はこう見られたいな」というふうに、あえて自分をカテゴライズして、そこに当てはめることで居場所を獲得するみたいなところもありつつ、じゃあ、そこが本当に自分にとって居心地の良い場所か? と言われたら、そうではないっていうことにも気づいてしまうところもあって。

そこで、ふと気づいたのが、“自分らしさ”というのは、ひとつじゃないってことですよね。自分の中に、いろんな人格があるし、その子たちは繋がってるようで、全然繋がってなかったりして「これが私です!」って言えないんですよね。

逆に何が言えるのか? 「これだけいろんな人格があって、これだけの多面性を持った自分が自分です」としか言いようがないんです。でも、そう思えるようになって、自分がどう思われてもしょうがないな、と良い意味でどこか潔くあきらめられるようになって、生きやすくなったと感じています。

橋本愛 の関連作を観る


Amazonで関連商品を見る

関連ニュース

映画.com注目特集をチェック

関連コンテンツをチェック

おすすめ情報

映画ニュースアクセスランキング

映画ニュースアクセスランキングをもっと見る