「哀れなるものたち」「憐れみの3章」ヨルゴス・ランティモス作品に張り巡らされた視覚の罠【湯山玲子ファッションコラム】
2024年11月9日 11:00
著述家・プロデューサーの湯山玲子さんの新連載「映画ファッション考。物言う衣装たち。」がスタートしました!
「映画のファッションはとーっても饒舌」という湯山さん。おしゃれか否かだけではなく、映画の衣装から登場人物のキャラクター設定や時代背景、そしてそのセンスの源泉を深掘りするコラムです。第1回は、「哀れなるものたち」「憐れみの3章」から見る、ヨルゴス・ランティモス作品に張り巡らされた視覚の罠について読み解きます。
世の中が「見た目社会」になって久しい。
いや、もともと人間は社会的立場や職業、所属集団のオキテや空気によって、その人の「人となり」を判断していた。バブル初期には、渡辺和博という天才(残念ながら、56歳で逝去)の手になる「金魂巻: 現代人気職業三十一の金持ビンボー人の表層と力と構造」という本があった。同じ職業でも金持ちと貧乏人ではファッションや持ち物に大差がある、というのをイラストとエッセイで分析した本で、「誰もがぼんやりとわかってはいたが、言語化できていなかった」という不都合な真実を描いて、ベストセラーになった。
しかし、今や金持ちも貧乏人もユニクロを着用し、ブランド物はメルカリやレンタルで安価に手に入るこの時代には、もはや金魂巻は成立不可能。しかし、他人を敵か味方か見た目で判断したいのが、人間の業というもので、「同じユニクロを着ていても、職業やライフスタイル、お金のあるなしで何かが違う」という差異をみずから、人々は無意識だが感じ取ってしまっている。そんな中、衣装、ファッションに疎い(疎いことを自覚し、辣腕の衣装担当を抜擢していない)監督は、ハリウッド系でもインディーズでも、今後は受難の時代が待っていると言えよう。
というわけで、多様化アンド細分化する社会と人間関係に生きる観客の目と視覚情報判断が、もの凄く肥えてしまった現在、この連載は、映画における衣装、ファッションを、「本当にその登場人物、そんな服着ますかねぇ」という、力足らずの残念賞から、その逆、「この主人公、貞淑そうだけど、底知れぬ淫蕩さを隠し持ってそう」という、登場人物の真相までもが、衣装を通じてこちらに伝わってきてしまう優秀賞まで、縦横無尽に語っていこうと思うのです。
さて、最初に俎上にあげるのはこの数年、映画界の大注目株となっている、ヨルゴス・ランティモスの「哀れなるものたち」。19世紀後半のイギリス、ヴィクトリア朝を舞台に、天才外科医によって胎児の脳を移植され、蘇った若き女性ベラの、自立と自我獲得の冒険譚である。言わば女フランケンシュタインの物語であり、設定としては、歴史的バックボーンはあれど、大いにファンタジーの羽を広げられるわけで、監督は美術においては、ちょっとSFテイストが入ったヴィクトリア朝といった独自の世界観を思う存分展開。とはいえ、そのクリエイティヴはあくまで時代背景の枠組みを逸脱していないのだが、こと、衣装になるととんでもない跳躍を許してしまっている。
それは何かと言えば、主人公ベラの足出しミニスカート(正確にはショートキュロット) なのですよ!!
自我の芽生えとともに、彼女は男とともにリスボンに出奔するのだが、町を歩き回る彼女の出で立ちはといえば、ヴィクトリア朝時代の重厚かつエレガントな上半身に対して、その下半身は生足にショートブーツも軽快な足出しミニという、時空を越えたハイブリッドスタイル。
そんな姿で、彼女はリスボンの町を歩き、タルトを頬張るのだが、人々は誰もそんな彼女にツッコミを入れない。つまり、この時点で、しっかりと映画内虚構が成立しているわけで、この大胆衣装表現のスムースな溶け込み方に、まずはこの監督の手腕が光る。
そして、そんな「奇天烈」が実は演出上の企てでもあるのは、足を露出するミニスカートが、70年代にマリー・クワントが世に出して以来、女性が自ら、行動の象徴である足を堂々と露出することの心意気と自立感、そして自由のイメージを伴うファッションだったから。「女が足を出して、男の劣情を刺激したり、自由に動き回ることは望ましくない」と目くじらを立てた当時の常識は、今なお、形を変えて女性の意識や行動を縛るが、主人公ベラはそこに「楯突く」ヒロインとして、観客の心と結託していくのだ。
ちなみに、この主人公、生々しい手術で蘇り、歩き方もギクシャクした人造蘇り人間。監督はその異形さを「美しい怪物」というゴシックな美意識枠に閉じ込めても不思議ではないのだが、このミニ姿によって、フリーキーな主人公はぐっと人間臭くなるところがミソ。「人間とはなんぞや?」というこのAI時代に突きつけられている命題とともに、女性の自立と自由という、フェミニズム的テーマを主人公ベラの「むき出しの足」に表徴させているのだ。このいい意味でのポビュリズムが、この映画をカルト&趣味的なテイストから逸脱したエンターテイメントとして輝かせてもいる。
そのほか、スクエアヒールの白のショートブーツ、ビニールのレインポンチョなど、この映画の衣装には、至る所に70年代風のデザインや素材が刺し込まれているが、これまた、植民地の所有とともに、世界経済を牛耳っていた本作の背景であるヴィクトリア朝との相性は抜群。要するに両時代とも、イギリスの繁栄とそれに伴うカルチャーが花開いた希望の時代を、視覚デザインで繋げているのだ。
ちなみに、ベラの髪型は、全編にわたり超ロングのダウンスタイル、つまり、自然のまんま。女性、男性問わず、髪はハサミを入れるか、結い上げることが社会性の明かしだが、ベラの人生がいかに流転しようとも、このヘアで押しとおし、彼女の無垢でパワフルなキャラを補完している。
画面の色彩設計にも抜群のセンスを見せてくれるのが、ランティモス監督であり、最新作の「憐れみの3章」という作品において、夫と娘を捨て、カルト宗教を盲信する女性の出で立ちは以下の通り。常に彼女が着ているのは、光沢のある生地で作られたビビッドなブラウンのパンツスーツで、移動手段の車はシャイニーな深紫なのだ。
茶色と紫色。一番的にはダークで落ち着いた組み合わせなのだが、これ、ルネ・マグリットなどのシュールレアリズム作家も好んだ配色で、エキセントリックで暴力的な女性と、ドリフトを多用し走りを見せる車とのペアリングをこのカラーコーディネイトで見せられると、何ともアンバランスで奇怪なムードが立ちこめてしまう。
古くから批評という行為にさらされてきた美術の世界では、その絵の題材に隠された、暗喩やシンボルを読み解いていくことが評価軸になっているが、そういう意味で、ヨルゴス・ランティモス作品を堪能するためには、意識的にも、無意識時にも張り巡らされた視覚の罠を見つけ出していく必要がありそうだ。
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