心の中の悪を創作で実体化、まともじゃ無く生きること 同性愛を隠したパトリシア・ハイスミスの映画を見る【二村ヒトシコラム】
2023年11月13日 22:30
作家でAV監督の二村ヒトシさんが、恋愛、セックスを描く映画を読み解くコラムです。今回はアメリカの人気作家の知られざる素顔に迫ったドキュメンタリー「パトリシア・ハイスミスに恋して」と、ハイスミス原作の映画作品を通してその人物像に迫ります。
ドキュメンタリー映画「パトリシア・ハイスミスに恋して」を観ました。今よりはるかに同性愛が差別されていた時代、才能あるレズビアンの作家が、なぜ「その人」になり、どう生き、どんな小説を書き、どんな相手とどんな恋愛をしたかが語られます。
パトリシア・ハイスミス(1921~1995)は人殺しの話や恐ろしい話、おもしろくて不気味な話や悲しい話をたくさん書き、その長篇のほとんどが映画になり、何本かは映画史に残る傑作になったそうです。彼女の人生について少しだけ知った僕は、それらの映画にも興味がわき、配信で「見知らぬ乗客」と「リプリー」を観て、「太陽がいっぱい」と「キャロル」も観かえしました。
パトリシアは産まれたとき、産みの母から望まれなかった子でした。テキサスの祖父母の家で育てられ、6歳になってニューヨークにいた母にやっと引き取られます。
成人して漫画の編集や原作の仕事をしていましたが、29歳で発表した長篇小説第一作「見知らぬ乗客」が、アルフレッド・ヒッチコックの目にとまり1951年に映画化。これは巨匠のモノクロ時代の代表作の一本になったとのこと。
主人公は長距離移動の列車に乗っていて、たまたま隣の席に座った見ず知らずの変な男から話しかけられます。「あなた、奥さんに死んでほしいって思ってるでしょ」 図星でした。主人公の妻は、ひどい女だったのです。
変な男はふつうの顔で続けます。「じつは僕は父に死んでほしいんですよ。あなたの奥さんを僕が殺しますから、あなた僕の父を殺しませんか」 主人公は冗談だろうと思って列車を降りますが、やがて妻が本当に殺されてしまう。そして変な男は主人公に、つきまとい始めます。「早く父を殺してください。約束は守ってくださいね」そんな約束、した覚えはねぇよ……。
ヒッチコック監督はサスペンス映画のセオリーをいくつも発明した偉大な職人ですが、「見知らぬ乗客」はパトリシアの原作のアイデアというかプロットがすごいのだと思います。僕が特におもしろかったのは、交換殺人をもちかける男の存在感です。彼は主人公の心の中にある、消してしまいたい「悪」が実体化した姿なのでしょう。
パトリシアはニューヨークのアンダーグラウンドなレズビアン・バーで遊び、有名になってからはヨーロッパのあちこちにも住んで、たくさんの女性と恋をします。
同棲していたある女性作家は語ります。「あの子は綺麗だったのに自信がなくて、作家として成功してるのに自分を特別な存在だとは思ってなかった。そこが好きだった」 そして、こうも語ります。「あの子は執筆するとき朝からお酒を飲んでいた。けっきょく一緒に暮らしていくことはできなかった」
34歳のとき(1955年)に書いた長篇小説『才能があるリプリー氏』を、ルネ・クレマン監督が1960年に撮って世界中で大ヒットしたのが「太陽がいっぱい」です。アラン・ドロン演じる貧乏な若者リプリーは、大金持ちのドラ息子の友だちというかコバンザメというか使いっ走りをしてたんですが、金持ち息子を殺害し、いろんな嘘をつきまくって容疑を逃れるどころか被害者の境遇をそっくりいただきます。
タイトル通りのギラギラした自然光と若いアラン・ドロンがどこからどう見ても美しく、昔の洋画ベスト100みたいなのに必ず入る名作です。日本でも大ヒットしたそうなので、いま70~80代になられた当時のギャルたちが、悪人を演じたドロンの美貌にきゃあきゃあ言ったのでしょう。
ただ、1999年にマット・デイモン主演で同じ原作を再映画化した「リプリー」を観た僕は、「太陽がいっぱい」を少々ものたりなく感じました。絶世の美男子ドロンだから仕方ないんですが、リプリーが最初からイケメンすぎるんですよ。「リプリー」のリプリーはブサイクです。そしてイケメン金持ちの友だちを殺した瞬間からどんどんイケメンになっていくんです。つまり、とても不気味です。
「パトリシア・ハイスミスに恋して」で使われた過去のインタビューで、パトリシアは「子どものころから頭の中に、不気味なアイデアはたくさんあった」と語ります。そして「私は人を愛することができない人間なのかもしれない」とも。
「見知らぬ乗客」が心の中の悪から生まれた主人公の分身だったのなら、「太陽がいっぱい」は立場が入れ替わる物語で、「リプリー」はそれに加えて変身の物語です。もう一人の自分も入れ替わりも変身も、同性愛的なモチーフです。「見知らぬ乗客」の変な男は主人公の妻を殺し、主人公に自分の父を殺させるべく粘着しながら、ふと「僕は君に好意をもっている」と言います。
「太陽がいっぱい」にはそういう場面はありません。日本で公開されたとき淀川長治さんただ一人が「これは同性愛の映画ですよ。そういうことがわからない人には、この映画の本当の面白さはわかりません」と言いましたが、その意見はほとんどの人から無視されたんだそうです。日本で原作者パトリシアの性指向のことも知られてなかったでしょう。
一方マット・デイモンのリプリーは、金持ちの友だち(ジュード・ロウ。ドロンに負けないイケメン)をめっちゃ性的な目で眺めます。恋とは「あの人そのものになりたい」感情だという描写を僕はリアルだなあと思うんですが、その「リプリー」も20年前の映画です。いまのハリウッドだとポリコレの自主規制があるからね、殺人動機と不気味さの裏側に同性への性の欲望があるというのは、差別的だとされて撮りにくいかもしれません。
「見知らぬ乗客」の変な男はサイコパス味のひとつとして主人公に一目惚れして執着するわけで、その時代のメジャーな映画では、同性愛者っぽい狂的な悪役や犯人というキャラクター類型は常識だったのでしょう。逆に「太陽がいっぱい」でゲイ表現が隠されてしまったのだとすれば、それもその時代の常識的な判断だったのかもしれません。リプリーは悪人とはいえ、売り出し中のスターが演じる主人公ですから。
それらは差別の上になりたってる「常識」です。常識というのは時代の感性で変わるものです。
「キャロル」は人妻と、彼氏がいる若い女とが一目惚れから女同士の不倫の恋をし、それぞれの人生をかけて愛しあう物語です。パトリシアの没後20年たって2015年やっと映画化されました。じつは原作は『見知らぬ乗客』より前に書かれていたのです。これをパトリシアは人気作家になってから(1952年)別のペンネームで覆面作家として発表してます。
つまり当時は、同性愛であることをいちおう世間には隠して生きてる女性が、ゲイっぽい男が人を殺すサスペンスを書くのは許されても、レズビアンの愛(そして、女が男性社会を裏切って自分の人生を生きて、幸せになること)を堂々と書くのは許されなかったのでしょう。映画「パトリシア・ハイスミスに恋して」の中でパトリシアの元恋人は、それは家族への配慮もあったのだろうと想像します。パトリシアが6歳まで育ったテキサスの家は田舎で、親戚たちはみなガチガチの保守派なのでした。
ところが、この謎の作家が書いたレズビアン小説が、映画化されまくってたパトリシア・ハイスミス著のサスペンスのベストセラーと同じくらい(それ以上に?)売れてしまう。そういう小説を読みたかった人が当時も山のようにいたのです。そしてそういう小説は他になかった。パトリシアが書くものは、どうやって発表したって多くの人の心をつかんでしまったにちがいありません。
パトリシアの元恋人は「パットの母親は、ひどい女だった」と証言します。パトリシア自身は「私は母が大好きだった」と語りますが、6歳以降ずっとその母から否定されて生きてきたことも語ります。
いっしょに暮らせなかった幼児期に希求していた、大好きな母という存在から「おまえは女として、まともじゃない」「まともになりなさい」と言われる。思春期になっても、そう言われ続ける。でも「まとも」ってなんだろう。異性を好きになることだろうか。大好きな母さんが命令するようにスカート履いて女の子っぽいしぐさをして男とデートすることだろうか。でも私の欲望はそれをこばむ。私はまともじゃないのだろうか。
「見知らぬ乗客」や『才能があるリプリー氏』は男と男の血なまぐさい話で、女は脇役です(道具のように、殺されたり当て馬に使われたりします)。「キャロル」は女と女が愛しあう話で、女たちは人殺しはしません。でも僕は「パトリシア・ハイスミスに恋して」を観て、パトリシアの人生を少しだけ知って、前者と後者が全然ちがう物語だとは思えなくなったのです。
パトリシア・ハイスミスは「まともって何だろう?」と問い続けた作家なのだと思います。「キャロル」の女たちも、リプリーも「見知らぬ乗客」の犯人も、みんな同じようにパトリシアが変身した姿です。もしかしたらパトリシアがそう生きたかもしれない人生を、フィクションの中で替わりに生きてくれる分身です。
リプリーは人殺しの才能があったわけではありません。「太陽がいっぱい」でも「リプリー」でも殺人は衝動的だし不器用です。ただ彼は、人を殺したり嘘をついたりした後に「悪いことをしてしまった……」とクヨクヨ落ち込む罪悪感や道徳心が決定的に欠如している。その「欠けている」ということこそがリプリーの「才能」です。自分の真摯な欲望のための悪を悪だと思わない才能、なぜ「まともじゃないこと」をしたら「いけない」のかが本当にわからないという才能なのです。
現代のリベラルな人たちの間では、もう同性愛は「してはいけないこと」ではありません。しかし「キャロル」の原作が書かれた時代には、殺人と同じぐらい「まともじゃないこと」でした。ばれたら病院に入れられたりしていました。保守的な田舎では同性愛者はリンチされて殺されたりすることもあったわけですから、殺人より悪いことだったのでしょう。
殺人をしてクヨクヨしないのは、平和な社会では「まともじゃない」のでしょうけれど、ずっと戦争をしている社会ではどうでしょう。常識というのは時代によって社会によって変わるものなのです(もちろん、本当の戦争での殺人は命令されてお国のために殺すのですからダメな殺人だと僕は思います。フィクションである、リプリーのアナーキーな「クヨクヨしなさ」とは全然ちがいます)。
「キャロル」は、異性愛者をもふくめた抑圧されてて苦しんでいる現代の平和な社会の女性たち全員を、まちがいなくエンパワメントするすばらしい映画です。そして近年多く製作されてる結論から逆算して作られたフェミニズム映画とは一味ちがいます。それは原作が「正しさ」を目指したわけではなく、理屈っぽくないメロドラマとして、純粋なロマンスとして書かれているからです。ロマンスとは「まともじゃなく生きる」ということなのです。
リプリーたち「異常者」の物語も一種のロマンです。母から傷つけられ、恋人と別れるたびに、自分は人を(レズビアン同士であっても)ちゃんと愛することができない人間なのではと悲しんでいたパトリシア。しかし彼女はロマンスを書くことで、真摯に愛することを選べた「キャロル」の女たちを創造し、不思議な魅力のあるリプリーという悪人も創造したのです。
リプリーは死刑にならずに生き延び、パトリシアはその後のリプリーがまたやらかす犯罪事件のことも創作し続け、それらもまた映画化され、デニス・ホッパーやジョン・マルコビッチといった名優が中年以降のリプリーを演じました。
パトリシアは「キャロル」の原作を、1990年になって自分が書いたとカミングアウトし、パトリシア・ハイスミス名義で再出版します。亡くなる5年前のことでした。
「キャロル」については、例によって拙著『あなたの恋がでてくる映画』にも長文を書いてます。ぜひ、あわせてお読みください。
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