大ヒット映画「RRR」話題の名字幕「ナートゥをご存じか」は、なぜ「ご存じか」だったのか? 翻訳した2人に聞いてきた
2023年2月1日 07:00
「Do you know “Naatu”?」 この英語を、あなたならどのように訳すだろうか?
日本をふくむ世界中で驚異的なヒットを記録している「RRR」(S・S・ラージャマウリ監督作)で、あえて注目してほしいのが、アクションでも物語でもなく“日本語字幕”。SNSを中心に、ファンから「字幕が美しくて力強い」など熱心な称賛が集まっている。
なかでも際立った人気を博すのが、本記事冒頭のセリフだ。字幕では「“ナートゥ”をご存じか?」と訳されており、「知っているか」や「知らんだろう」ではなく、「ご存じか」である点が「キャラクターの教養やシーンの文脈を表現した最高の字幕」などと支持を受けているのだ。
「ご存じか」……。出そうで出ないこのフレーズ、一体どんな人が、どのような思いや狙いで訳したのだろうか? ネットで検索すると翻訳者と監修者の情報は入手できたが、肝心の本人たちが経緯を語る記事は見当たらなかった。
気になっている人は多いはずなのに、記事がない。ならば取材してこよう。配給会社のツインを通じて、翻訳した藤井美佳さん、監修した山田桂子さんへのオンライン・インタビューを実施。字幕制作のフロー、インド映画翻訳と監修の意外な事実、「ご存じか」だった3つの理由、そして「RRR」のヒットについてなど、さまざまな話をうかがってきた。
※本記事には一部、「RRR」のネタバレに触れる箇所があります。作品未見の方など、十分にご注意ください。
翻訳:藤井美佳(ふじいみか)…英語・ヒンディー語の字幕翻訳者で、インド映画の字幕を多数担当。代表作は「バーフバリ」シリーズなど。全299話のドラマの字幕を1年がかりで翻訳したことがある。字幕翻訳で大事なことは「脚本や演出の意図を読み取り、映画の質を損なうことのない翻訳をすること」。
テルグ語監修:山田桂子(やまだけいこ)…茨城大学教授で、南アジア近代史が専門。2014年の「バードシャー」「あなたがいてこそ」から映画字幕の監修を担当。代表作は「バーフバリ」シリーズなど。字幕翻訳で大事なことは「言語の翻訳という以上に、インド文化・テルグ文化の良き翻訳者であること」。
1920年、英国植民地時代のインド、主人公のビームとラーマ。ひょんなことからビームが一目惚れした白人女性を助け、そのお礼にイギリス社交クラブでのパーティーに誘われる。会場に到着しダンスを楽しんでいると、イギリス男性がビームに「サルサもフラメンコも知らない野蛮人」などと差別的な言葉を投げかける。ラーマは稲妻のようにドラムを叩き鳴らし、英語で「サルサでもフラメンコでもない “ナートゥ”をご存じか?」と挑発するのだった……。
――本日はよろしくお願いします。翻訳を藤井さん(専門:英語・ヒンディー語)が担当し、言語の監修を山田先生(専門:テルグ語)が担当されているとお聞きしました。どのような体制で字幕制作しているのでしょうか?
藤井さん:基本的に、私と山田先生の間に字幕制作会社さんが入ります。つまり仲介を通じて、文通みたいにやり取りして進めています。
山田さん:私と藤井さんは、S・S・ラージャマウリ監督「あなたがいてこそ」(2014年に日本公開)から「バーフバリ 伝説誕生」「バーフバリ 王の凱旋」「マガディーラ 勇者転生」、そして「サーホー」、「RRR」と、約10年もたくさん一緒に仕事していますが(いつも字幕制作会社を仲介しているので)実は今日が初めてお会いするんです。
――10年もタッグを組んでいて、初めて会うんですね、意外な事実です。どのような流れで字幕ができあがるのでしょうか?
藤井さん:テルグ語映画の場合、字幕制作会社から「台本などの英語スクリプト」と「本編の映像素材」を提供してもらいます。私が翻訳していきますが、最初に「字幕は、映像のこの秒数からここまで出します」という“スポッティング”の作業をします。
それから、スクリプトと本編映像をもとに、私が翻訳して字幕の初稿をつくり、制作会社を通じて監修者の山田先生にお渡しします。
山田さん:私の仕事は基本的に、藤井さんが翻訳した初稿を読みながら、「本編のテルグ語ではこう言っています」と参考資料として指摘するイメージです。今回の映画は、実はヒンディー、ウルドゥー(インドの言語のひとつ)や英語をしゃべっているシーンも多く、その分、テルグ語の場面は少なかったんです。なのでヒンディー、ウルドゥー、英語には私はタッチしない原則で、テルグ語の部分のみを監修しています。
藤井さん:監修したものを戻してもらって、それをもとに私が直して……を2回か3回ほど繰り返して、字幕が完成します。今回の「RRR」は、1カ月ほどで字幕が出来上がっています。
――特殊言語の作品でも、予算の都合上、監修がつけられないケースも多く耳にします。「やはり監修が必要だ」と改めて感じたことは、今作で何かありましたか?
山田さん:ありますね、例えば一人称についてです。英語だと「I」しかないですが、日本語には「私」「俺」「僕」「わし」などいろいろあります。それがテルグ語を英語にした字幕だと(一人称がすべて「I」だから)わからないので、日本語字幕で一人称が間違ってしまう可能性があります。
――なるほど、それは原語をわかっていないと防げないですね。
山田さん:今回は、ラーマは「私」、ビームは「俺」という字幕になっています。これは、2人のテルグ語の発音や話し方の特徴、物語の設定などから考えました。こういったケースは、やはり監修者が指摘できる点かと思います。
――ほかにも今回の「RRR」字幕の監修において、他作品とは異なる難しさはありましたか?
山田さん:個人的に、映画の扱う時期がまさに私が研究対象にしている時代なので、どこまでが史実でどこからが創作なのか、特定しなければ気が済まなかった点です(笑)。例えば、実在のラーマとビームについての記録を少し集め、次にそれを「RRR」と比較して、どこが変更されたのかをチェックしました。
またラーマは過去にも何度もテルグ映画で扱われているので、それらと「RRR」との違いもチェックしました。このような変更ポイントには、原作者と監督の創作意図があらわれているので、一応そこを汲み取った上で監修に臨みました。まあ実際には字幕に影響はほぼないんですが……個人的に勉強の機会をもらったという感じです(笑)。
それと史実に関係する訳語には、多少気を使いました。例えば「RRR」で何度か「スワタントラム」という語が出てきて、今では「独立」の意味で使われますが、1920年にインドの独立はまだ明確には叫ばれていない時代なので、「独立」ではなく「解放」という語にする、といった具合です。
――ちなみに藤井さんは、映画だけでなくドラマの翻訳も多く担当していますよね。
藤井さん:2019年にhuluさんのインドドラマ「ポロス~古代インド英雄伝~」を担当したことがあって。全299話でした。
――全299話……? 話数のスケールがえげつなくないですか?
藤井さん:初稿の提出に1年と2~3カ月かかりました。2019年は狂気のスケジュールでした……。とても1人では受け止められない量でしたので、数人で翻訳する体制を取りたいとお願いました。シリーズ物のドラマだと2人で手分けすることはよくありますが、2人でも背負いきれない大変な量でしたので、3人体制を取ったんです。
別のドラマで何度か組んだベテランの英語字幕翻訳者の方に90話程度を担当していただき、もう1人はヒンディー語のできる若手の方に40~50話ほど担当していただきました。残りの150話くらいが私ですね。
――大変すぎる。
――「“ナートゥ”をご存じか?」という字幕についてお聞きします。英語セリフの直訳「知っているか」でもなく、挑発の意味が強い「知らんだろう」でもなく、知性がこもった慇懃無礼な「ご存じか」。キャラクターの性格を完ぺきに表現している名訳だとして、観客から多くの称賛が寄せられています。
山田さん:先ほど言ったように、私は英語セリフにノータッチなので、もうそこは藤井さんのお手柄ですね。
藤井さん:う~ん、実はここまで「ご存じか」に注目されるとはまったく思っていなくて(笑)。
山田さん:(笑)。
藤井さん:翻訳しているとき、「ご存じか」に自分のなかで引っ掛かりはなかったんですが、観客の皆様に引っ掛かってもらえたのかな、と思っています(笑)。
――では、なぜ「ご存じか」と訳したのでしょうか?
藤井さん:理由はいくつかあって。まずひとつは、字幕のルール=観客が読みやすいための字数制限に従った結果です。このシーンの長さは“2秒と10フレーム”なんですね。となると、字幕はだいたい9文字(“”などの記号を含めずカウント)しか入れられないんです。
――そうか、文字数制限ですね。
藤井さん:「ナートゥ」という言葉でもう4文字です。だから、続く言葉はあんまり文字数が使えない。「知っているか」「知らんだろう」は6文字ですし、どうにか短くしないといけなかったんです。
「“ナートゥ”を知っているか?」or「“ナートゥ”を知らんだろう」=11文字(記号含めず)
「“ナートゥ”をご存じか?」=9文字(記号含めず)
――「ご存じか」なら字幕が9文字以内になる、と。ほかの理由はなんでしょうか?
藤井さん:時間ですね。字幕翻訳はなにしろスピードが求められる仕事で、とにかく時間があまりないんです。ほかの映画でもそうですが(最初の作業となる)スポッティングのときに、だいたい「こう訳そう」と考えながら観ています。だから、実際に作業する際に「ああでもない、こうでもない」とは考えこまずにバンバン翻訳していかないと間に合わないんですね。
という事情もあって、実は「“ナートゥ”をご存じか?」は、最初から「“ナートゥ”をご存じか?」と訳していました。もちろん自分が物語に入り込んで、キャラの性格をできるかぎり理解してセリフを翻訳するようにしています。ですが、すごく悩み抜いて、たくさんの候補のなかからこれにしました!というわけでもないので、ちょっと恥ずかしいですけど……。
――藤井さんのスキルと経験の積み重ねが、すんなり「ご存じか?」を出力させたんでしょうね。
山田さん:「ご存じか?」という慇懃無礼な言い方がまたいいですよね。あのシチュエーションでラーマに英語でしゃべられたら、いやらしい以外の何物でもないですね(笑)。
藤井さん:(笑)。ラーマという人物については、映画に描かれていることしかわからないですが、彼は父からの呪いのような言葉に突き動かされて生きているわけですよね。イギリスの世界に入っていって、結構な位までのぼりつめるのだから、もともと賢かっただろうとも思います。ですから、しゃべり言葉もとてもしっかりしていたんでしょう。「ご存じか?」の場面は、あくまでも“相手と同じレベルの言葉でやり合える”ほどの素養があると考えて、慇懃無礼な翻訳にしました。
――なるほど。「ご存じか?」の背景には、「字幕の文字数制限」「制作期間の短さ」、そして「ラーマの人物像」という3つの理由があったんですね。
――「RRR」の字幕に、全体的に文学のにおいを強く感じました。「炎と氷河の抱擁」「成文律と不文律の友情」だったり、「ビームは殉教者じゃなくて火山だ」とか。このあたりはワードセンスを発揮して原語からアレンジしているのか、もともとそういうセリフなのか、どちらなのでしょうか?
藤井さん:実は、今言っていただいた字幕は、初稿の私の翻訳とはだいぶ違っています。つまり山田先生に「ここでこう言っています」と監修していただき、それを字幕に落とし込んでいるんです。
山田さん:もとのテルグ語がそういう言葉だったんですよね。なので、もとのセリフや歌詞が非常に文学的、ということだと思います。でも、私は「原語ではこう言っていました」とサジェストはしましたが、藤井さんが素敵にアレンジしてくれたように記憶しています。
藤井さん:「字幕は文学の領域だ」と、映像翻訳の学校で講師の方がそうおっしゃっていたのを強く覚えています。字幕は“話し言葉”でありつつ、同時に“観客が文字で把握するもの”。つまり“字幕は読み物”でもあるんですよね。観客のみなさんがこの字幕を読んだときに、詩のように感じられるようにしたんだと思います。
――「RRR」にかぎらず、ほかにも映画の字幕翻訳の難しさはどんなことがありますか?
藤井さん:スクリプト(台本)ではなく、“画面に出てくる英語字幕”のみで翻訳することがたまにあるのですが、そんなときは、間違いが発生しやすくなりますね(苦笑)。
――英語字幕しかないときもあるんですか……! 言われてみれば、たしかにそういうケースは普通にあり得ますね。
藤井さん:英語字幕はギュッと(文字数やセリフ量を)しぼっているものなので、原語と意味が離れていたりします。そんな英語を日本語に訳すので、山田先生のような方に監修していただかないと、原語のセリフとは全然違う日本語字幕になっちゃうんです。
山田さん:英語って横幅取りますよね、そうなると字幕に入る言葉が少なくなります。そして特にテルグ語映画の場合はさらに難しい。基本、ものすごく早口でしゃべっていますから。
藤井さん:ですよね、テルグ語含め、南インドの4言語はすっごい早口。
山田さん:原語ではたくさんしゃべっているんだけど、2行くらいの英語におさめるために、英語字幕はものすごく言葉を省略する。それを日本語字幕にするには、言葉をしっかり補わないと、本当のセリフとまったく意味が変わっちゃうんですよね。
――そんなに早口でしゃべっていて、観ている人は聞き取れたり、理解できたりするものなんですか?
山田さん:そうですね、ヒンディー語の場合は、全インドで話されているという前提で、だいたい(文化の異なる人たちが共通して理解できるよう)わかりやすいセリフや量になっているので、比較的聞き取りやすいのではないでしょうか。しかしテルグ語映画の場合は、テルグの人しか観ない前提なので、ほかの地方に気を使わずむちゃくちゃな量をしゃべります(笑)。
あと方言もいろいろあって、地域はもちろん、コミュニティによってもクセが違います。そのあたりは(本編鑑賞とヒアリングだけでは)私もお手上げなので、そういう意味でも、字幕制作会社には「テルグ語の台本は送ってほしい、ないと困ります」とお伝えしています。
そして特に歌は困りますね。今はネットがあるので検索すればいろんな人たちがいろんな訳をつけたり書き下したりしていて本当に助かりますが、ネットがないときは、テルグの方に助けてもらったりしていました。
――最後に、「RRR」のヒットについてうかがいます。日本をはじめアメリカなど世界中でヒットしており、第80回ゴールデングローブ賞では最優秀非英語映画賞にノミネート、最優秀主題歌賞を受賞しました。
山田さん:実際にこの映画をテルグ語監修として観たときに、日本でヒットするかは正直、懐疑的でした。私はインド研究者でもあるので、常に「今のインドの政治社会状況でこの映画がつくられる意味とは?」などの考えがつきまとって離れない。
インドの民族運動が日本人には身近なものとは思えませんでしたし、時代考証をしながら観ていくとツッコミどころはたくさんあるので、そこでもウケるとはとても思えなかったんですね。なので本当にものすごく心配していました(笑)。
ですが、蓋を開けてみたら、観客は演出の斬新さやおもいがけないアクションや踊りに感化されていましたよね。自分は純粋に観ていられていなかったんだなと反省しております。
――藤井さんは、字幕制作している段階で、ヒットするか否か、観客に受け入れられるかなど、どのように予想していましたか?
藤井さん:山田先生のお話と重なりますが、遠い国のあまり知らない人々の話には見えるかな、とは思っていました。独立運動や活動家、革命など……。物語の内容が受け入れられるのかな?と。
一方で、どんどん敵を倒していく、ゲームっぽい快感はあるなとも思っていました。中盤のビームが総督府の建物にどんどん登っていくシーンなど、まさに。そういう視点で面白がってくれる人がいるとは思っていました。
ですが、本当にヒットするかはわからなかったですね(笑)。S・S・ラージャマウリ監督の「バーフバリ」以降、南インド映画が好きな人が多くいることがわかりましたし、もしかしたらラージャマウリ監督の映画なら、想定外の人も観てくれるのかも、とは思っていました。ですが、いくらいい映画でも宣伝などさまざまな要素がないと、今は人々がわざわざ映画館へ行くのは難しいと思うので(作品の力だけでなく)それ以外の要素も大きかったんじゃないでしょうか。
――おふたりの制作した「RRR」字幕の力は、確実に観客を突き動かしたと思います。事実、私も「字幕を観にいきたい」とリピートしましたから。また、第95回アカデミー賞では「RRR」が主題歌賞にノミネートされたので、授賞式では「ナートゥ・ナートゥ」のパフォーマンスがみられるかもしれません。本日はありがとうございました!
執筆者紹介
尾崎秋彦 (おざき・あきひこ)
映画.com編集部。1989年生まれ、神奈川県出身。「映画の仕事と、書く仕事がしたい」と思い、両方できる映画.comへ2014年に入社。読者の疑問に答えるインタビューや、ネットで話題になった出来事を深掘りする記事などを書いています。
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