【中国映画コラム】「羊飼いと風船」から紐解く創作の心得 チベット映画の先駆者・ペマツェテンの実像に迫る
2021年1月31日 18:00
北米と肩を並べるほどの産業規模となった中国映画市場。注目作が公開されるたび、驚天動地の興行収入をたたき出していますが、皆さんはその実態をしっかりと把握しているでしょうか? 中国最大のSNS「微博(ウェイボー)」のフォロワー数279万人を有する映画ジャーナリスト・徐昊辰(じょ・こうしん)さんに、同市場の“リアル”を聞いていきます!
「巡礼の約束」を手掛けたチベット人監督ソンタルジャは、昨年実施したインタビューの際に、このような言葉を残しています。
「映画製作は“遠い夢”だった」
2005年「チベット出身の監督がチベットを舞台にした長編映画」が初めて製作されました。中国映画の誕生から、既に100年が経過――作品のタイトルは「静かなるマニ石」。監督を務めたのは、今回フォーカスを当てるペマツェテンです。
ペマツェテンは、北京電影学院初のチベット族出身の学生でした。実は、ソンタルジャは彼に誘われて、映画の勉強を始めているんです。ペマツェテンの影響によって、多くのチベット出身の人々が、映画に興味を持ち始めました。彼は、間違いなく“チベット映画の先駆者”であり、中国映画界においても貴重な存在なんです。
1969年、中国青海省海南チベット族自治州貴徳県に生まれたペマツェテン。幼少期、町に多くの漢民族が生活していたため、中国語の小説を読むことができ、野外上映で映画も体験することができたそうです。ただし、ソンタルジャの言葉通り、当時のチベットでは「映画製作は“遠い夢”」。チベットエリアには、映画会社がひとつも存在しない時代だったんです。
その一方で、文学はチベットエリアにかなり浸透していました。ペマツェテンも執筆活動に興味を持ち、西北民族学院在学中、次々と小説を発表しています。しかし「映画の世界に入りたい」という夢を諦めなかった彼は、02年、北京電影学院に入学しました。学部生時代は脚本、大学院在籍時には監督業について学んだペマツェテン。北京電影学院では、何千本もの映画を見たようで、ほぼ毎日、夜中の12時までは“映画タイム”だったそうです。なかでも、彼はイラン映画に大きな影響を受けていました。
04年、北京電影学院の若手監督支援プロジェクトがあり、ペマツェテンの脚本は高い評価を受け、映画を撮影するチャンスに恵まれました。その時に製作したのが、短編デビュー作「草原」です。35ミリで撮られた「草原」は、北京電影学院主催の第3回国際学生映像祭で最優秀短編映画賞を受賞。その2年後、チベット出身の監督としては初の「長編映画デビュー」を果たすことになりました。
長編デビュー作となった「静かなるマニ石」は、第9回上海国際映画祭のアジア新人賞最優秀監督賞を獲得。中国国内では「イラン映画のように、チベットの魅力、そして、チベットのリアルを静かに描いている。スクリーンからチベットの匂いがする」と絶賛されました。
09年に発表した「ティメー・クンデンを探して」は、第12回上海国際映画祭コンペティション部門の審査員特別賞を受賞。北京電影学院時代の担当教授シェ・チンから「ペマツェテンは、中国国内の数少ない映画作家です。フランスではヌーヴェルヴァーグがあり、これからは中国でチベット・ヌーヴェルヴァーグができるかもしれません。そして、その旗手はペマ・ツェテンでしょう」と評されていましたね。
15年の「タルロ」、18年の「轢き殺された羊」を経て、19年に「羊飼いと風船」を発表。3作連続でベネチア国際映画祭オリゾンティ部門に入選しており、「轢き殺された羊」では脚本賞に輝きました。日本では、東京フィルメックスの常連として知られていますよね。最新作「羊飼いと風船」は、「オールド・ドッグ」「タルロ」に続き、3度目の最優秀作品賞となりました。
「羊飼いと風船」は、ペマツェテンにとって、日本国内での“初の劇場公開作品”。インタビューにはうってつけの機会です! 今回はリモート取材によって、“チベット映画の先駆者”の実像に迫ってみました。
この映画の原点は、遙か昔のことです。私が北京電影学院にいた頃、ちょうど今と同じ季節(取材日は12月上旬)、北京の中関村で赤い風船を見たんです。すぐに「これは映画のヒントだ」と考え、アイデアを練り始めました。チベットの風習、現在について考え始めると、白い風船という本作の最も重要なアイテム――コンドームを思いつきました。そこから「一人っ子政策を背景とする時代設定」「チベットと信仰の関係性などの要素」を入れることで、ストーリーが少しずつ形になっていったんです。
まず初めに、主人公を女性にするということを決めました。その周りには、もちろん大家族が必要でしたし、対照的な「尼の妹」も配置しました。非常に短期間で脚本は完成したのですが、なかなか映画化することができず、別の仕事に取り掛かりました。その後、この脚本が非常に好きだったので、まずは小説にすることにしたんです。広州のある雑誌に掲載されて話題になったので、再び映画化の可能性が出てきました。
最初に脚本を書いた頃から、かなりの時間が経過していましたし、私の考え方も変化していたので、脚本は修正を施すことになりました。特に「尼の妹」に関する内容を大幅に加筆。かつての恋人の存在にも触れ、今の脚本になっているんです。本作が完成するまでには、本当に色々なことがありました。脚本から小説、そして小説から再び脚本へ――このような旅をすることで、「羊飼いと風船」は生まれたんです。
本作では、特に輪廻や転生といった要素が重要になっています。ストーリーも輪廻や転生という信仰をベースにしながら作っているんです。チベット仏教では「生命は止まらず、ずっと続いている」と認識されています。それは「命の転生」であり、「一つの輪廻」と言われています。
この概念は、チベット族の中では非常に普及していて、生活の一部分だと思っています。例えば「活仏転生」という概念があります。私自身、子どもの頃は、よく輪廻や転生という言葉を耳にしました。チベット族の人々は「死」に対して、非常に平然と向き合っていますね。「死」とは、肉体における現象にすぎない。「魂」は永遠に続くからです。
「羊飼いと風船」は輪廻や転生という要素がなければ、ストーリー自体が破綻すると思っています。主人公は強い信仰を持ち続けているからこそ、心が揺れ動く。過去の作品と比べると、ストーリー性が強くなっているかもしれませんね。ただし、私自身はそのことをあまり気にしていませんでした。
確かに幻想的シーンは意識的に取り入れています。我々チベット出身の人々、もしくは仏教徒は、この映画を見ると、宗教的内容、信仰についての物事がすぐにわかるはず。しかし、それ以外の人々にとっては「これは、一体何?」となるでしょう。ですから、観客の気持ちも考えて、シュルレアリスム的な要素を入れました。
例えば、長男の体に痣があるシーン。そこには、幻想的シーンを入れました。「痣はおばあちゃんからの転生の証」という内容ですので、転生という点を強く伝えるためには、シュルレアリスム的に表現した方がいいと考えました。後半、おじいさんが亡くなった時のシーンもそうです。仏教には四十九日という概念があり、そこに転生の意味合いが含まれているため、ファンタスティックな形にしたんです。それに、私はチベット出身の映像作家として、常に自分の信仰について考えています。特に私は、別の文化圏で仕事をしています。そのことを映像で表現したらどうなるか――色々試しているんです。
映像とは“物語の一部”だと、ずっと思っています。私は脚本を作っている時も、常に映像表現の事を考えているんです。カメラマンとさまざまなディスカッションを行い、今回は手持ちカメラという手法で撮り始めました。「羊飼いと風船」では、登場人物の心が揺れ動き続けるので「手持ちが一番良い」という判断です。撮影手法は作家性と繋がっていると言われますが、私はそこまでこだわってはいません。最終的には「物語のためには、どのような映像が一番相応しいか」が基準となるんです。
映像表現は“物語”を描くことができます。例えば、本作であれば“病院のシーン”。性に関する話は、チベットではなかなか表に出せないため、役者も意識的に声を低めにし、ずっとコッソリと喋っています。ですから、そこではセリフというよりも、映像の力で物語を進めようとしたんです。その後に展開する“窓のシーン”もそうです。ガラスを用いて、話の秘匿性を強調――まるで覗いているような感じになっています。
チベットにおいて、羊には宗教的な意味合いはありません。ただし、人々の生活と深く繋がっています。食料としても、収入源としても。チベットの人々を描くのであれば、羊は当然登場するんです。私はただ登場させるということだけはしたくなかったので、本作では色々な意味を持たせました。「羊の世界」「人の世界」を描きつつ、「羊の世界」の描写を通して、人々がどのような世界で生活をしているのかを明らかにしています。
特に最初の方に描かれる「メスの羊」。羊は子を産めなければ売られてしまいますが、主人公のドルカルは子を産むと大変なことになってしまう。この強烈の対比には、多くの意味が含まれています。羊は、私の作品に頻繁に登場し、毎回助けてくれているんです。
小説では、あくまでひとつの信仰の象徴として登場させましたが、特に話を深堀りするつもりはありませんでした。しかし、長編として映画化する場合、もう少し物語に厚みを加える必要があると思ったんです。そこでドルマを重要な人物にするべく、脚本を修正。主人公と尼の妹の対比を通して、物語の核を具体的に示しました。またドルマの過去を表すことで、姉・ドルカルの“今”が感じられるようにもしています。
ある観客の感想で「妹のストーリーが、あまり明確に描かれていない」と書かれていましたが、彼女はあくまで脇役。描写の量としては、ちょうどいいのではないかと思っています。“妹の秘密”は昔の恋人の小説に書かれている――この小説は、非常に重要なポイントになっています。そこで、私は“火のシーン”を考えました。ドルカルは尼になっても『知りたい』という強い感情を持っているため、ドルマによって火の中に捨てられた小説を取り出そうとする。一方、ドルマは「ひとりの女性」として目覚めても、ドルカルの一件によって再び固定観念にとらわれてしまう。このシーンを作るべく、我々のチームはかなりの時間をかけて、細かく設計したんです。
私も同様に、全く異なるものだと思っています。インスピレーションを受けた場合、まずは小説と映画、どちらにするのが相応しいのかを判断しています。「羊飼いと風船」は少々特別です。最初に赤い風船を見た時「これは映画だ」と感じ、小説にするつもりはありませんでした。しかし、すぐに映画化ができなかったため、小説にしたんです。それぞれ違う考え方で取り組まないと成立はしませんね。例えば、脚本を書く時、私は文学的な考え方を、可能な限り捨てます。脚本はあくまでも映画のためもの。映像にならないと無意味なんです。一方、小説は自由に表現できる。書きたいものを書けばいい。ひとりで完結できる、とても私的なものだと思っています。
さらに私の場合、小説を書く際は、中国語で書くか、チベット語で書くかという判断が加わります。中国語からチベット語、あるいは、チベット語から中国語に翻訳すれば、両言語のバージョンが出版できると言われることがありますが、それは間違いです。中国語とチベット語は、ある種、小説と脚本と同じのようなもの。異なる表現なので、簡単に翻訳することはできないんです。
全体的には良い方向に進んでいますよ。2005年は、中国映画生誕100周年を迎えた年でした。ちょうどその年、私は「静かなるマニ石」で中国・金鶏賞に参加し、最優秀新人監督賞に選ばれました。同作は、「チベット出身の監督がチベットを描いた」という点において、初めての映画。良い始まりでしたが、同時に悲しさもありました。中国映画生誕100周年の時点で「初」……本当に遅かったんです。
我々の映画は少しずつ前へ進んでいます。チベット出身の映画人も増え、国内外の注目度も上がりました。しかし、我々の映画の題材、言語を考えると、まだまだ「小さい映画」なんです。より多くの人々に魅力を感じてもらうため、少しずつ普及させていければと思っています。
もちろん日本の作品からは、大きな影響を受けています。日本の映画監督であれば、今村昌平監督や溝口健二監督は大好きです。現代であれば、黒沢清監督も興味深いですね。彼の新作「スパイの妻」を見ましたが、とても素晴らしい作品でしたよ。
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