巡礼の約束
劇場公開日 2020年2月8日
解説
チベット人監督作品として日本で初めて劇場公開された「草原の河」のソンタルジャ監督が、聖地ラサへの巡礼の旅に出た妻と家族の姿を描いたヒューマンドラマ。山あいの村で夫のロルジェ、夫の父と暮らすウォマは、ある夢を見た朝に火をおこして供養をする。そんなウォマの姿を見た夫は、それは誰のための供養なのか、ウォマは誰の夢を見たのかが気にかかっていた。病院で医師からあることを告げられたウォマは、ロルジェに「五体投地でラサへ巡礼に行く」と決心を伝える。妻からの突然の言葉に、ロルシェは反対するが、ウォマの固い決意を前にラサ巡礼を受け入れる。妻を心配し、後を追う夫。さらに心を閉ざしていた前夫との息子ノルウも母ロルジェに会いにやってきた。血のつながらぬ父と息子は、母を亡くした1頭の子ロバとともに聖地ラサへの巡礼の道を歩き続ける。中国映画祭「電影2019」(19年3月6、7日=東京・角川シネマ有楽町/3月9、10日=大阪・梅田ブルク7)上映作品。
2018年製作/109分/G/中国
原題:阿拉姜色 Ala Changso
配給:ムヴィオラ
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2021年4月22日
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鑑賞方法:映画館
『ラサへの歩き方』を観て、公開中のチベット7映画制覇を決めた。
「ラサ」への「巡礼」を人生の目標とし
屈伸運動を1年以上もしながら歩いて聖地へ向かう、驚異の信仰心。
チベット映画の端々に「ラサへの巡礼」が出てくる。
最初に『ラサへの歩き方』を観ていなければ、想像できない深さであった。
この映画は、その上で、血のつながらない親子の絆を描く。
2020年3月19日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
この映画を観て感じた事は、広大な牧草地とは言え、ちゃんとした道路があり、現代的な車も走っていて、そして人々は優しいという事。
しかし内容的には心に響くものは無かった。いい映画であることは確かなんですけどね。
チベット人の映画監督なんですね。
五体投地は知らなかったけれど、アレで道を進むのは苦行。
親子関係とかもしっかり描いかれていました。
2020年2月24日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
去年、僕はチベットに行った。新型コロナ騒ぎの今年だったら行けなかった。
中国政府と中国人に侵されたチベットは、およそかつての姿からはかけ離れていて、祖先の地を中国に奪われたチベット人は遠慮がちに街の端に暮らしていた。
だけど、亡命もせずにチベットに残った彼らがすべて魂まで売ってしまったとは思えない。それは彼らの信仰に触れたからこそ思えるのだ。恨みの心は消し、ただ仏に帰依する気持ちを高める彼ら。でなければ、五体投地で数百キロ先のラサまで行こうとなんて発想はない。そこには、これまでの自分の生きてきた人生の悔恨もあるだろう。誰かに対する贖罪もあるだろう。だけど、それだけでない何か、が彼らの心にはある。『ラサへの歩き方』でもそうだった。自分の身を惜しげもなく何か(誰か)にささげることの尊さを知っている。その一途さが人を惹きつける。ついでに言えば、惹きつけられる人はおしなべて、その人の中にも何かがある。すべてを信仰に差し出す行為を笑いはしない。むしろ、羨ましく思い、自分も何がしかの手伝いはできないか、と力添えを申し出る。途中の村で出会った家族が、まさにそうなのだろう。世の中は、こういう人たちであふれればいい。だけど、そうもいかない現実。人よりいい生活をしたいと思う煩悩。それも人間。そこを通り越して、五体投地でラサを目指すのもまた人間。
ポタラ宮の出現が印象的。あれで観音浄土の気高さがみごとにあらわされた。エンドロールで歌う。♪出会わなければよかった。心惹かれることもなかったでしょう。と。そう言いつつ、心ではまったく逆に出会えた幸運を感謝しているのが目に見えるようだった。
かつて永六輔は言った。
「生きているということは誰かに借りをつくること
生きていくということは誰かにその借りを返していくこと
誰かに借りたら誰かに返そう
誰かにそうしてもらったように
誰かにそうしてあげよう」と。
まさにそれを想わずにいられなかった。
余談ながら、ノルウの心を癒すロバがこのうえなく可愛いです。
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