NYのアート系映画館「リンカーン・プラザ」惜しまれつつ37年の歴史に幕
2018年2月4日 13:00
[映画.com ニュース] 1981年のオープン以来、ニューヨークで愛されていた、地下に6スクリーンを備えたアップタウンのアートハウス系映画館リンカーン・プラザ・シネマズ。そのこだわり抜かれた映画のセレクションに魅了されたニューヨーカーは数知れず。そんな伝説的ともいえる映画館が、1月28日に閉館した。
リンカーン・プラザ・シネマズは、ニューヨークのインディ映画界では知る人ぞ知る、昨年12月に91歳で死去したダニエル・タルボット氏と妻トビー・タルボット氏によって生まれた。2人は60年、マーティン・スコセッシやウッディ・アレンらニューヨーク映画人のメッカとなった映画館ザ・ニューヨーク・シアター(73年閉館)を立ち上げ、64年には配給会社ニューヨーク・フィルムズを始動。そうして、映画館と配給会社を通し、映画ファンを唸らせる多くの外国語映画をアメリカの観客に届けてきた。
「無くならないものだと思っていた」「ニューヨークが魂を失ってしまう」とSNSで閉館を惜しむ声が聞かれるリンカーン・プラザ・シネマズ。閉館前に映画館を訪れたニューヨーカーの生の声を聞いた。「ここではユニークな映画が見られますし、雰囲気も素敵です。ここは純粋に映画を楽しむ場所でした」と60代の夫婦。また30代のカップルは「5年前、僕たちはこの映画館で初めて一緒に映画を見たんですよ。『ハッシュパピー バスタブ島の少女』という映画でした。ここにはかけがえのないたくさんの思い出があります」と侘しさをにじませた。
さらに、長年映画館の支配人を務めたウネトゥ・アドマス氏は、「(閉館は)大変残念です。ニューヨークにとっても、映画ファンにとっても大きな損失になるでしょう。実は様々な日本映画もここで上映されているんですよ。『Shall we ダンス?(1996)』は何度も上映があり、計6カ月間は上映されたことになります。伊丹十三の『たんぽぽ』や多くの黒澤映画も上映してきています。ここは世界中の映画を届ける大切な場所でした」と過去を振り返りながら映画館への愛を語った。常連客の中には、長きにわたって映画館で働いてきたスタッフたちの今後を懸念する声も多い。
実は、今年に入って閉館した映画館はリンカーン・プラザ・シネマズだけではない。ダウンタウンの大通りに堂々と構える、ニューヨークのアートハウス系映画館で初めてスタジアム席を導入したランドマーク・サンシャイン・シネマもまた、1月21日に閉館の運命を辿った。3月には建物自体が取り壊しになり、全面ガラス張りのオフィスビルに変わるという。
リンカーン・プラザ・シネマズやランドマーク・サンシャイン・シネマは、単に映画を見る場所以上に、人と人とをつなぐ大切なコミュニティであり、映画への愛にあふれる空間、文化育成の場であった。先日のリンカーン・プラザ・シネマズの閉館日には、友人を中心とした招待客だけを呼び故ダニエル・タルボット氏を称える式典が行われ、ドキュメンタリー作家のマイケル・ムーアは式辞の中で「この映画館は資本主義によって殺された」と述べ、利益重視の社会に強い抗議の姿勢を見せた。
地域の高級化やストリーミングで映画が見られるようになったことから、こだわりのアートハウス系映画館が生き残るのは難しい時代。馴染みの映画館が消えていくのは寂しいが、それでもニューヨークのアートハウス系映画館の模索と挑戦は止まらない。16年3月にはメトログラフがダウンタウンに誕生し、同年10月にはテキサス州で生まれた飲食が楽しめるアラモ・ドラフトハウスがブルックリンに到来。もうすでに、次の時代、次の世代に愛される伝説はそこはかとなく始まっているのかもしれない。(岡本太陽)