DOGMAN ドッグマンのレビュー・感想・評価
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エヴリンが見たキリスト
冒頭から惹き込まれ、精神科医エヴリンに紐解かれていくダグラスの過去。
質疑に対する回答が回想シーンとなり織り交ざるように進行していく物語。
心が張り裂けそうな暗黒の少年時代が語られるや否や私は打ちのめされてしまう。
しかし一方で、彼を明るく彩る記憶のかけらに少し助けられるのだ。
それは、母の陽気な後ろ姿と心地よい音楽、愛のない父から守ってくれる犬たちとの信頼関係、保護施設のサルマを通じて知る世界やほのかな恋。
だが、青年期には仕事も恋愛も期待と現実に翻弄され裏切りも受ける。
社会から突き放されたような疎外感が膨らむダグラス。
思うように動かない体では、バーの歌い手として脚光を浴び満ち足りた美しい表情でステージに立つのも、裏切りのない犬たちと生きる為に手を染める悪事もすべてが生命がけだった。
やがて巻き込まれていく不運を察知したとしても彼はそう生きるしかなかったのではないだろうか。
浅い呼吸と深いため息のせめぎ合いをコントロールしなければこの回想の緩急のつぎはぎをまともに縫い合わせようとするには冷静さを欠く、それ程に辛い半生だ。
そんなダグラスに同じ(闇の)匂いを嗅ぎ取られときのエヴリンは平静を装いつつもかなり動揺したようだ。
そして同時にダグラスへの同情が生まれたのをラストに向けて変わっていくエヴリンの眼差しが物語る。
ダグラス少年が受けた過酷な虐待は、あの状況をどう越えられるのだろう、いや越えられないんでは?と思うところまできていた。
それをどう乗り越えたか。
そして彼の一生をどう左右したのか。
彼が乗り越えたのは〝自分を置き去りにした母の本心の一部分〟と〝生きるために父に気に入られようとした兄がひとかけらのこしていた本心の一部分〟をみつけることができていたからではないか。
つまり、檻に隠された母からの差し入れと兄が投げ入れた白いハンカチがダグラスにもたらしたのは紛れもなく生きるための望みだった。
それを証拠にして〝生来の罪人はいない〟〝環境が人を追いつめる〟ことを信じ、彼はギリギリの精神を繋ぎとめたのだろう。
そして、その傍で生身の温もりで寄り添い続けてくれた互いの理解者である犬たちの存在だ。
彼なりの解釈によるこの3つの真実がなければ、ラストの十字架までたどりつくことはなかった気がする。
精一杯の命を尽くし召され逝くダグラス。
彼は潮時を見極めたのだろう。
取り囲むように集まった犬たちの忠誠。
そこには、彼が「不公平への報復」のためだけではなく、やはり一番には愛を求めて生き続けていたことが強く表れていて余計に切ないのだ。
主演ケイレブが落ち着いた物腰、柔らかい口調で際立たせ圧倒的な悲哀の憑依でみせるダグラス。
その子ども時代を演じるリンカーン君の迫真のまなざしの凄み。
シーンに合わせ心を鷲掴みにする音楽。
どれもがぴたりと心に張り付いて沁みわたってきた。
冷たい広場の十字架に磔になったキリストにエヴリンは静かに祈りを捧げたことだろう。
彼が犯罪に手を染めた事実と、それに至る消えない事実を誰よりも深く噛み締めながら。
同じ匂いを嗅ぎ分け、そして託す
2018年のマッテオ・ガローネ監督のイタリア映画のDOGMANはみましたけど、暗くてちょっと難しくて、私的にはイマイチでした。
今回はもちろんケイレブ・ランドリー・ジョンズお目当て。しかも、リュック・ベッソン監督作品。
冒頭は Ikkoかよ!
Ikkoさん、ごめんなさいね🙏
マフィアにみかじめ料を取られ生活に困窮するランドリー(洗濯屋)のおばさんのために、ケイレブ・ランドリー・ジョーンズがいかにもな中南米系のマフィアを相手に一世一代の闘争を仕掛ける。
ランドリーつながりである。
リュック・ベッソン流の洒落か?
犬を使った鼠小僧的財産再分配を裏稼業とする犬の調教師兼ドラァグクイーン。
しかも、下半身まひで、両足に装具をつけて車いす生活。
物語はひとまず過去に遡り、警察署の嘱託医の精神科医に過去を打ち明けることから始まる。その彼女もまた、シングルマザーであり、父親のDVを経験していた。
実際の俳優の彼女もスタンダップコメディアンからのし上がった。
わたしはこういう映画が好きだ。
外国の映画動物会社は本当にすごいなぁ。
リュック・ベッソンの新作は新鮮でとてもよかった。
あと、ZZ Topがかかって嬉しかった。
旧約『ヨブ記』を思わせる、報われないダークヒーローと神(GOD)と犬(DOG)の物語。
『JOKER』みたいな話かと思ったら、
デイヴィッド・クローネンバーグの『ザ・ブルード 怒りのメタファー』と、
ディズニーの『101匹わんちゃん』混ぜたみたいな話だったな(笑)。
あるいは、『銀牙 ―流れ星 銀』とか。
アメコミヒーローでいうと、キャットウーマンの犬ヴァージョンといったところか。
にしてもこれって結局、
「GOD」を裏から見たら「DOG」だよね、
ってひとネタを膨らませただけの映画でしょう?
よくこんなの撮るよなあ(笑)。すばらしい。
宗教映画にして、お犬様の映画。
『ザ・ブルード』の「怒りの侏儒軍団」の代わりに、
犬が手足になってドッグマンのために頑張る映画。
女装家(トランスヴェスタイト&ドラァグクイーン)、虐待児童、身体障碍者(下肢麻痺)、保護犬、と徹底して「少数者/被差別者」に寄り添ったダークヒーローものでもある。
期待していたよりは、やけにチープでキッチュな映画だった。
でも、こういうリュック・ベッソン、俺は嫌いじゃない。
この人の本質は、むしろ徹底的なおバカさ加減にあると思うので。
頭の良い監督なので、デビューからしばらくは『グラン・ブルー』『レオン』『ニキータ』と、マトモな監督の振りをしてみせていたけど、演出の端々に「どこかおかしい」気配はなんとなく漂わせていた。
それが成功を収め、全権的な企画決定権を手に入れたとたん、いきなり『フィフス・エレメント』でその本性をあらわにしてみせた。
なんだこのおバカ映画?? 封切りで観に行った僕は最初軽く怒りまで覚えていたが、そのうち馬鹿笑いしながらリュック・ベッソンのファンになってしまっていた。
とりとめのないガキの夢想をそのまま映画にしたような変態映画。
なるほど、この人は本当はこういう心底どうでもいい映画を撮りたくて撮りたくて仕方がないのに、ぐっと我慢して今までマトモなふりを偽装してたんだな。
その心意気や良し。そうさ、監督なんてやりたいようにやればいい。
その後のタランティーノばりのB級活劇愛好路線は、みなさんもご存じの通り。
しかも、脚本・製作も含めて只事じゃない量産体制を敷いて娯楽映画界に貢献している。
ついでに、次々と娘みたいな齢の奥さんをすげかえていったり(ヒロスエ含む! あれでヒロスエが壊れたのをみんな忘れてるようだが俺は忘れていない)、セクハラで訴えられまくったりと、私生活がクッソろくでもなさそうなのもひっくるめて、俺はリュック・ベッソンが嫌いじゃない(笑)。
今回の『ドッグマン』は、あからさまに監督が「撮りたい」映画を「好きに」作った匂いが充満している。なんでドラァグクイーンなのか。なんで犬が自在に操れるのか。なぜに「死刑執行人」との対決シーンがあれだけチープなコント仕立てなのか(ほとんど『ホーム・アローン』だよね、あれw)。
いろいろとバランスの悪いところも含めて、リュック・ベッソンの男気と稚気と個性とやる気があふれかえっている。
俺は、こういう映画が嫌いじゃない。
― ― ―
本作の本質は、「宗教映画」なのだと思う。
幼少時から、ただひたすら神に試練を与え続けられる男。
そんななか、必死で生き続けなければならない辛い定め。
神を篤く信仰しているのに、神に振り向いてもらえない人生において、宗教は何のためにあるのか。神は自分に何を期待しているのか。
ここで扱われているのは、旧約聖書における「ヨブ記」に相当する重大なテーマだ。
いわゆる「神の試練」というやつである。
神(もしくは神と賭けをしたサタン)に10人の子どもの命を奪われ、すべての財産を奪われ、全身を覆う皮膚病に苛まれ、路上生活者にまで身を落とした義人ヨブ。どれだけマジメに生きても奪われるばかりの人生で、なお信仰は生きる拠り所たりうるのか? いかに正しく生きても試練ばかりを与えてくる神は、はたして信用たり得る存在なのか?
リュック・ベッソンが『ドッグマン』の全編を通じて必死で思索しているのは、まさに「呼びかけに応えない神」の意図についてだ。
その意味で、彼が本作に託したテーマはベルイマンやパゾリーニにも近いものだといえる。
教会前に落ちた十字架の影のなかでダグラスが横死するシーンは、まさに象徴的だ。
「I’m standing for you!」
これは、自分の脚で立っているという状況を表わすと同時に、「私はあなた(神)のしもべです」というイデオムにもなっている。
彼は、神の代わりに遣わされた守護天使たちである犬(GODの逆位)に見守られながら、神の恩寵を賜るかのように天へと召されていく。
教会、犬、野垂れ死に。あれ? なんかデジャヴがあるなと思ったら、『フランダースの犬』だったか。「もうこれからは寒いことも、哀しいことも、お腹がすくこともなく……」ってやつですね。……(涙)。
まあ、犬たちは別段ダグラスと一緒に天に召されるわけではなく、ちゃんと新たな「宿主」候補をすでに嗅ぎつけているんですけどね。……(笑)。
(書いた後で人の感想で「死んでいない」説を見て、ああそういう可能性もあるのかとw まあ続編の出だしですっくと立ちあがっても別におかしくはないんだな……盲点でした)
― ― ―
俺の実家は、犬を飼う家だった。
小学生のときは、柴犬、シェパード。
中学のときからは、ラブラドル・レトリーヴァー。
社会人になってからは、プードルとエアデール・テリア。
プードルには両親が子供も産ませて、最大で9頭が家のなかで暮らしていた。
なので、俺にはダグラスの言っていることがよくわかる。
よくわかるというか、当たり前のこと過ぎて、聞き流してしまうくらいだ。
犬は人間より信用できる。
犬は強くて勇敢だけどおごらない。
犬には人間の美徳がすべて備わっている。
犬を愛するほうが人間を愛するより容易い。
そりゃそうだ。俺もそう思う。犬は無条件に素晴らしい。
だが、ダグラスはその犬を使って犯罪をおかす。人を殺める。
犬に悪いことや殺人・食人までさせて、はたして愛犬家と言えるのか。
きっと犬好きのなかには、この映画にそんな反感を覚える人もいると思う。
ただ、これだけはいえる。
ダグラスにとって、犬はもはやペットでも友達でも仲間でもない。
犬は彼の一部であり、彼の生存本能の発露であり、彼と連動した「環境」そのものなのだ。
彼が生きるためにあがくとき、無条件に犬は彼のために動く。
彼が念じただけで勝手に最善の状況を組み上げていく。
それはすでにリアリティを超えたある種のオカルトであり、
宗教的にいえば、いわゆる奇蹟(ミラクル)というやつだ。
神はダグラスから、すべてを奪った。
代わりに神はダグラスに、犬を与えたのだ。
― ― ―
犬を手足に使って戦うといって、パッと思いつくのは、
●『刑事コロンボ』の第44話「攻撃命令」(2匹のドーベルマンに「殺しの合言葉」を覚えさせて、それを口にさせることで妻の愛人を遠隔で殺そうとする話)
●テレビドラマ『爆走!ドーベルマン刑事』(原作の要素が人名以外何一つ残っていない珍品中の珍品。犬みたいな刑事の話だったのが、なぜか警察犬を使役する黒バイ隊の話に!)
●テレビドラマ『標的』第7話「殺意の調教」(多岐川恭の『的の男』を原作とする珍品)
●テレビドラマ『闇を斬れ』(天地茂主演の時代劇で、隠密犬の甲斐犬、風林と火山が大活躍する)あたりか。
あとは、『ジョン・ウィック』とか『少年ジェット』とか『猛き箱舟』の野呂とか『キャシャーン』とか『サスペリア』のダニエルとか。
犬小屋で人が飼われている設定だと、ジャック・ケッチャム原作の『ザ・ウーマン』とか。
なんにせよ、ダグラスの能力はちょっと単なる「犬を飼いならして」いる域をはるかに超えており、テレパシーの範疇に属する能力を発揮している。
最近のラノベで死ぬほど出てくるファンタジー職業「テイマー」(モンスターを手なずけて使役する職業)に近い存在といえばよいのか。
― ― ―
この映画で意外に良く出来てるな、と思うのは、主人公であるダグラスを「そこまで追い詰めきらない」ように、絶妙のさじ加減で「ゆるさ」が調整されているところだ。
たとえば、ダグラスは過酷な少年時代を生きるが、お腹に子供を抱えたお母さんはなんとか家を脱出することに成功する(『ザリガニの鳴くところ』を彷彿させる展開だが、こちらの子どもはしっかり汚く臭そうに描いているので、10倍『ドッグマン』のほうがまともな映画だと思う)。
保護施設でも、ダグラスは意外なほどに幸せな日々を過ごしている。
演劇少女との初恋は悲しい結末を迎えるが(『オペラ座の怪人』みたい)、少女は女優としてそれなりに成功して子供を2人作って引退する。そのあたりも変にドロドロさせたり、ダグラスに新たな罪を負わせたりしない。
ドッグシェルターを追い出されるのは災難だが、彼らは独力で自分たちの城を手に入れ、泥棒稼業ではあっても、自給自足の生活をちゃんと成立させている。
少なくともゲイバーでの毎週金曜日のショーは、ダグラスの表現者としての承認欲求を大いに充たしたことだろう。店のドラァグクイーンたちはみんな優しく親切だ。ここでも製作者はダグラスに「癒し」を敢えて与えている。
その後、彼らは何度か人間に手をかけることになるが、経緯を見るといずれも正当防衛に近いもので、なるべくダグラスに対して観客のヘイトを溜めないように気が配られている。
こうして、観客は「適度にダグラスに同情する」ように仕向けられ、そこまでヒリヒリしない微温的な空気のなかで、ダグラスの「活躍ぶり」をそこそこ楽しめるようにもてなされる。物語が拘置所での「昔語り」としてフラッシュバックで語られるのも、緊迫感を高め過ぎない穏やかさを生んでいる要因だといえる。
リュック・ベッソンは『ドッグマン』を、極限まで悲惨な物語にはしたくなかった。
彼はおそらくなら「寓話」を撮りたかったのだ。
あるいは「御伽噺」を。
ダークでキッチュではあっても、敢えてリアリティは欲しなかったし、ダグラスを気分が悪くなるほどに追い込みたくはなかった。
魔法の使える足萎えの青年と使い魔たちの物語は、メルヘンでなければならなかった。
その意味では、監督の意図は多少雑にではあっても、ちゃんと成功していると俺は思う。
― ― ―
音楽に関しては、エディット・ピアフの「群衆」とマレーネ・ディートリッヒの「リリー・マルレーン」が、ドラァグクイーンの演目として印象的に使われていた。
どちらも名曲中の名曲だし、自分にとっての愛聴歌でもあるんだが、これ明らかに口パクで元曲流してパフォーマンスしてるだけにしか聴こえないんだけど、それってどうなんだろう?? 口パクよりはちゃんと本人が歌ったほうがよほど良かった気がするけど。終盤で襲われるシーンでの、マリリン・モンローの「お熱いのがお好き」(モンローつながり)みたいに。
いや、「すげえ声真似」してるんだっていうのなら、それはそれでいいんだけど……。
ちなみに「リリー・マルレーン」は先月映画館で観たクストリッツァの『アンダーグラウンド』で主題歌扱いだった。あと、犬に餌をやるシーンでシャルル・トレネの「残されし恋には」が流れていた気がするが、ついこのあいだ映画館で観たジャン・ユスターシュの『ぼくの小さな恋人たち』のOPがトレネの「うましフランス」だった。
こういうのって、不思議に被るよね。
あと、保険屋と金の話をするときに、ダグラスがいきなり「マニ、マニ」と歌い出して、「マジ? ビリー・アイドル??」と一瞬思ったが、よく考えたらABBAだった(笑)。
あと、どうでもいいことだけど、『マエストロ』『枯れ葉』『瞳をとじて』『落下の解剖学』と、最近観た新作ではみんな主人公がバンバンに喫煙してるなあ。これも時代の揺り戻しってやつか。
最後に、パンフ掲載の風間賢二先生の解説は必読!! これこそが映画解説っていう腑に落ちまくりの分析になっていて、やっぱり他の論客とは格がぜんぜん違うなと改めて感心しきりでした。
衝撃的な作品でした!彼は神になった?
本作品は、ダークヒーローのイメージのまま、緊張感あふれるストーリー展開に運ばれて、あっという間に見終わってしまいました。主人公は、闘犬業を営む父親の家に生まれましたが、人間や動物に対する愛情のない父親に虐待を受け育ちました。「犬が好き」と言っただけで、犬小屋に長い年月の間監禁されてしまう人生は、一体なんなのでしょうか。そして父親の撃った弾丸で下半身付随になるのです。それでも、彼は施設に移り、勉強をし、シェイクスピアを教えてくれた若い女教師サルマに恋をします。やがて恋に敗れてしまいますが、犬を保護する仕事をして生計を立てたり、キャバレーで歌姫として活躍するのです。そして、犬たちを養うために盗賊のようなことをしたり、最後には町のゴロツキとの真っ向勝負となり勝利するのです(バイオレンスアクション)。最後のシーンでは、宗教は果たして人を救うのか、ということを考えさせられ、衝撃が走りました。もちろん、彼は警察に捕まり贖罪の人生を歩まなくてはなりません。とはいえ犯罪者である彼が、最後には宗教的生き方に決別することを選んだ時の笑みは?心に深く残りました。結局キリスト教は、彼を本質的に救うことができなかったのかもしれません。キリスト教よりも、犬の忠実な愛の方が救いであったということを、暗に示している衝撃的作品なのでしょうか。この作品をどう捉えるかは皆さん違うと思います。ただ、どんな捉え方も正解だと言えるでしょう。そして、宇宙の中で幸不幸を考える場合、犬を愛した彼の人生は幸せだったかどうかは、彼が決めることなのでしょう。
追記 犬たちの演技が宝物でした。天才的な行動に涙が出ました。
もっとバイオレンスかと思った。
さほどのバイオレンスさはなく意外に普通な人とわんちゃんたちのホームアローン的な展開だった。それでもわんちゃん同盟の成り立ちはオリジナルで面白いし独特な世界観。見て損なしな仕上がりだった。
ケイレブ・ランドリー・ジョーンズの見事な歌声に魅了される!
久し振りのリュック・ベッソン監督作品。
彼が描くフランスアクションなんだな。
“ドッグマン”と呼ばれる女装男の愛と暴力に満ちた切なくも壮絶な人生に生きた半生を描く~
今日は「DOGMAN ドッグマン」の鑑賞です。
この映画、予想を裏切る高評価でしたわ。
前半はダグラス(主人公)が家族からの暴力、虐待に耐え 沢山の犬達と一緒に小屋で隔離生活。普通なら気がオカシクなって死んでそうな環境を生き抜いて、警察に無事に保護される。何とも酷い話。父の放った銃が脊椎を損傷し 歩行や立つことが出来ない車椅子の身体障害者になってしまうのだ。
施設で出会った女性に、シェ-クスピアの戯曲や歌、演技をそして女性のメイクもばっちり教わるのである。元々女装趣味ではなく、生きてゆく為にお金を稼ぐ手段としてそれを遣っているのである。そして犬達との生活を守るために 住む環境も選び身体障害者の一人として自立して生きている。
犬を指示しての大富豪から盗みとかは確かに有ったけども、犬達以外に彼に手を貸す者はいない。完全にダークヒ-ロ-化を作り上げている。
一番驚いたのは、初めてのステ-ジで歌を披露する場面でしょうか。
予想外に素晴らしい歌のステ-ジで 魅了されてしまいます。
そこが素晴らしい所でしょう。
そして 終盤の地元ギャング等の襲撃に対峙し戦う犬と彼。
凄まじい打ち合い、彼のショットガンが炸裂!
この辺りは さすがベッソン監督の作品領域を感じますね。
足が不自由な男の 孤独さ、そして愛。そして彼を慕う犬達。
総てを告白した彼に 神(GOD ⇒ひっくり返ってDOG)の
許しは訪れるのであろうか。
必死に教会屋根上の十字架影を自分の足で目指し歩こうとする彼。
そこに 今までも、これからも自由に生きて行こうとする
彼の本心が伺える。
ご興味ある方は
劇場へどうぞ!
設定が突飛すぎる
設定が突飛すぎて感情移入できませんでした。そこが僕には雑に思えました。
例えば主人公・ダグラスの父は闘犬を仕事にしており、常に飢えさせておきたいため、犬に餌を与えると激怒します。その怒り方は尋常ではなく、とんでもない暴力を振るいます。ある日、ダグラスが犬に餌を与えていることを知ると、父はダグラスを檻に入れてしまいます。以来、ダグラスは犬とともに生活をすることになります。
この設定なんてまさに突飛すぎて感情移入できません。
また、ダグラスは「富の再分配」と称し、犬たちを富豪の家に侵入させて盗みを働きます。そのやり方は、たとえ本当に富を再分配していたとしても、到底、共感できるものではありません。しかもダグラスはお金に興味はないと言いつつも、富豪から盗んだ装飾品を自ら着用して舞台に出演し、金庫に保管しています。これって富の再分配と言えるでしょうか。
みたいな感じで、共感したり感情移入したりする要素がなく、突飛すぎるので、子どもが何の裏づけも検証もなく思いつくままアイディアを出して行って、それを繋げて映画にしたような印象を持ちました。
ただしこの作品の通底には常にキリスト教があり、それ故僕には理解ができなかったという面はあると思います。キリスト教や聖書の知識があればもっと違った印象を持ったのかもしれません。おそらくキリスト教社会で生きてきた人には理解できるのでしょう。でも僕には分かりませんでした。
じゃあこの作品が面白くなかったのかというと、そういうわけでもありません。ダグラスは自分の理解や常識の外にあるキャラクターなので、そういう人物が何を考え、どういう人生を送ってきたのかということには興味があったりします。だからこの作品が、ダグラスへのインタビューによって構成されているのは秀逸だと思います。ダグラスには共感できないけど、精神科医のデッカーには共感できるんですよね。
【犬の映画】
「レオン」の監督が描く、孤独な男の物語。女装の理由、車椅子の訳、そして沢山の犬達となぜ生きているかが次第に明かされていく。ノワールな雰囲気もさながら、ワンちゃん達の微笑ましい名演技にも注目。
◆概要
2023年・第80回ベネチア国際映画祭コンペティション部門出品。
【脚本・監督】
「レオン」リュック・ベッソン
【出演】
「ゲット・アウト」ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ
「フレッシュ」ジョージョー・T・ギッブス
「ザ・ベイ」クリストファー・デナム
【製作費】2000万ユーロ(約30億円)
【公開】2024年3月8日
【上映時間】114分
◆ストーリー
ある夜、1台のトラックが警察に止められる。運転席には負傷した女装男性がおり、荷台には十数匹の犬が乗せられていた。「ドッグマン」と呼ばれるその男は、自らの半生について語り始める。犬小屋に入れられ、暴力を浴びて育った少年時代。犬たちの存在に救われながら成長していく中で恋を経験し、世間になじもうとするも、人に裏切られて深く傷ついていく。犬たちの愛に何度も助けられてきた彼は、生きていくために犬たちとともに犯罪に手を染めるが、「死刑執行人」と呼ばれるギャングに目をつけられてしまう。
◆
◆以下ネタバレ
◆
◆DOGMAN
「神は人間に犬を与え給うた」との格言が記される冒頭。本作において神と犬が重要なキーである事もここに示される。ダグラスは犬を与えられた事も、小指を失った事も、脚を不自由にした事も神の思し召しと説く。ケージ内で兄が貼った「神の名のもとに」(IN THE NAME OF GOD)が、裏側からはDOGMANになる描写が秀逸。“神の名のもとに”という信念のもとに信じられない愚行を重ねる家族、その反対にケージという地獄の中でも犬との絆を築いていく表裏の図式が、映像としても文字面としても巧みに表現されていた。そしてこのシーンこそが、その後ダグラスが小指を犬に運ばせるまさにDOGMANとなった、象徴的なスイッチにもなっていたと思う。不運な少年期を過ごし障害までも負ったダグラスが、職を断られ続けるシーンに心が痛む。ついにありついたキャバレーの控え室でメイクを施す様子はどこか「ジョーカー」('19)を彷彿とさせる。しかし本作では、“神が与えたもうた”犬のおかげでダグラスも人の道を外す事はなかった。
◆犬
2023年の「パルムドッグ賞」は、「落下の解剖学」のボーダーコリーに渡ったが、本作のワンちゃん達にも同等の賞を与えてほしい笑。ギャングの“タマ噛み”から、泣き崩れるダグラスに何匹も寄り添う優しいシーンもあれば、ラストのギャングとの“犬殺陣”もある。ダグラスがケーキを作る材料を集めるシーンは特に、無塩バターの当番を待ち続けるコーギーが何とも微笑ましい。ダグラスが前半で語った、犬の唯一の欠点である“忠誠心”。まさにその通り、ダグラスにいつも寄り添い、時に悪行ではあるものの、その手足となって働く犬たちの存在がとても優しい。本作を見て犬が欲しくならない人はいるのだろうか笑。
◆ラスト
車椅子から立ち上がったダグラスに十字の影が重なり、まるでキリストのような肖像となるラスト。思えば、彼が車椅子を立つのは、ショーで“彼のなりたい何者か”になる時(エディット・ピアフになりきって歌うケイレブの恍惚の表情がとても印象的)。不自由な体になりつつも、冒頭の“神が与えたもうた”犬たちによって自由を得たダグラス。本作で終始、彼は冷静に神の存在を言葉にする。彼の最後の選択は、義賊としての行いから脱し、人に“与える”存在である神となる事を求めた、あのラストはそんな風に自分には思えた。ダグラスは、エヴリンが暴力夫に怯える“痛み”を理解し寄り添い、また棲家の番犬だったドーベルマンが彼女を見守るように佇んでいたのも、そう考えると頷ける。そんな“神”の存在が犬たちにも通じ合い、ダグラスの周りに次々と伏していくラストカットがとても印象的だった。
◆関連作品
○「レオン」('94)
リュック・ベッソン監督の代表作。ジャン・レノとナタリー・ポートマンの出世作でもある。Netflix配信中。
○「コロンビアーナ」('11)
レオン続編の頓挫後、そのアイデアを元にして作られた精神的続編。「ニキータ」('90)と合わせて実質的な三部作と言われている。Hulu配信中。
◆評価(2024年3月8日現在)
Filmarks:★×3.8
Yahoo!検索:★×3.1
映画.com:★×3.6
危険な映画
面白かった。DOGってGODの逆だから、キリスト教圏の人にとっては特別な意味合いをもった単語なんだろうなー、と思った。聖書では犬は悪い書かれ方をしていることが多いから、神に見放された存在、みたいな意味合いもありそう。
ダークヒーローみたいな感じなんだけど、とにかく不遇な生い立ちや社会状況ゆえにそうなった、というところが、「ジョーカー」と同じ。
こういう映画が出てくるのは、貧富の差が拡大しているということと、それが原因で社会が不安定になっている(貧しい人たちの不満が鬱積している)ことの反映なんだと思うと怖い。犯罪者である主人公に共感してしまう危険な映画。
もともと主人公は健全なドッグシェルター(保護犬の施設?)を経営していたのに、公的資金の削減だとか近所の苦情とかでなくすことになって、そのせいで犯罪者であるDOG MANが生まれたんだと考えると、すごく示唆的だなと思う。
社会の暗部や解決が難しい課題があって、それをかろうじて引き受けてくれる、人がやりたがらないいわゆる汚れ仕事みたいのがあって、法の中で管理できてた状況があるのに、それを解決するんじゃなくて、安易に失くすとか見えなくすることで、管理不能な状況になる、っていう…。社会問題が悪化していくときって必ずこういう過程がある気がする。
ラスト、女性の精神科医がひどいことになるんじゃ…、という不吉な予感がしたけど、なんにもなくて良かった。でも、もしかしたら彼女が「痛み」を共有できる人じゃなかったら、助かってなかったんじゃないだろうか。
主人公の神様との向き合い方が面白かった。神様をうらむんじゃなくて、むしろ常に敬虔な態度をとっている。状況によって自分は悪人になった、と悟りきったように話すくだりは、仏教の考え方に通じるものがあるなー、と思った。彼が自分の行いに罪悪感を持たないのは、そうさせているのは神様だから、と考えている気がする。
「装うこと」もテーマになっている。シェイクスピアの演劇の場面では、装うことによって真実の自分を表現する、という考え方が語られる。これはヒーローが変身することによってパワーを得ることと何かつながりがあるように感じた。
悪役が男性や白人にかたよってるような気がしてちょっともやもやした。主人公がドラァグクイーンになったのは、(父親や兄と同じ)男性である自分を否定したかったから、と考えられなくもない。
ベッソンらしい一作
これは他の人が言っているようにファンタジーなのか?結構笑えるところもあったのでファンタジーコメディか?であればラストも理解できるかも。
なんでお母さんは出て行ってから通報しなかったのか?あまりにチンピラが弱過ぎ。エブリンのストーリーもあった方がストーリーに厚みが出たかも。ラストは考察すれば理解できるものなのか?
全体のストーリーは悪く無いが、尺が足りない。ドラマの方が向いているのかもしれない。にしても不思議な作品だった。
そして犬が1匹も傷つくことがなくてよかった!!
੯‧̀͡u\🐾
素晴らしかった 全体的にオシャレ とっちらかってはいるが何も考えずに観られた
ドラァグクイーンになって一発目のステージは何故か涙が出た
アジトでのドンパチはイマイチだったかなー ホームアローンみたいでちょっとコミカル過ぎ トラバサミ置いたり落とし穴があったり この作品には合わない気がする
ラストもオサレ 死に向かって歩ききった
【蛇足】ギャングのボスが街裏ぴんくに見えて仕方なかった
クライマックスは急に
のっけから重く暗い雰囲気がよし。犬ちゃん達が頑張っている。CGあったのかな途中から気がついて監督のこだわりがありそうだ。クライマックスの銃撃戦が急で気持ちが乗りませんでした。最後、?
口パク芸だけでなく
全編通じて演技がすごいですね、ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ!
アウトポストでも心に残っていたので、映画館行きましたが、よかったです。
セリフまわしや、視線、脊髄損傷の状態、でも立って闘う姿、ラストまでひたれました。
兄のふざけた横断幕を透かし見たダグには
ドッグマンになるのも神からの啓示っぽく、そのあとも存在を感じながらイヌたちと
生きていく
この人以外のキャスティングが思いつかないくらい、ダグラスでした
ネコだとムリだよねー、とか思いながらわんこたちの盗みのシーン、楽しく観ました♪
キャバレーのシーンもほんとにしびれます、心の中で総立ち&拍手、送ってましたもの。
エディットピアフにみえました〜
ベッソン監督なので過激アクションを期待してたんですが、主人公とわんこの演技を
堪能できて大満足な映画です
ブラボー!リュックベンソン!そして犬たち!
主演のケイレブ・ランドリー・ジョーンズの演技がとにかく味がある。個人的には「魅せられた」し、素晴らしいと思った。
名前の由来の回収もいいね。アニキはあんな嫌な奴なのに、厚い信仰心を口にするのも面白い。キリスト教の教えとシェイクスピアと教養が散りばめている所もすごくいい。
構成プロットは、本当にうっすらだけど「レオン」と重なる気もしたな。
そして、犬たち!これが一切CG使ってないのがまた、素晴らしい。最初は「そんな都合よく犬を使うなんて」と思ったけど、あんな過去があってあんな生活してたらそりゃ犬と意思疎通できてもおかしくないよな、と思った。
気になったのはキャバレーでの歌が吹き替えだったこと。まあ、仕方ないかもだけど、はっきりそれとわかるのは編集としてどうなのかなあ、と。ラストの十字架はやりすぎ、という意見もあるだろうけど、俺はOKだった。あと、聞き役の女性はもっと「脇役」で良かった。あんなにフォーカスしたら作品に雑味が混じる気がするなあ。
とにかく、リュックベンソン、やってくれたね。21世紀の名作になる予感。ま、「レオン」と比べても仕方ないしね。あれとはまた全然違う味だから。
予想以上に、今年ベスト候補の出現が嬉しい!あの男の表情が、たまらない。
盛込み過ぎの感が否めない
本作の主人公ダグラスは、非常に特徴的でユニークなキャラクターなのだが、やや情報量が多すぎてまとまりに欠ける印象だった。
少年の頃の虐待と監禁によるトラウマ、犬を愛し犬を操る能力、身体の障害、歌手としての才能、女装癖、ドッグマンとしてのダークヒーロー等々。
序盤の、父親による虐待と監禁に関する壮絶なエピソードは、主人公のキャラクターを支える根幹の部分であり見ごたえがある。何なら「ルーム」のように、監禁のエピソードだけでも作品が成立したかもしれない。また、精神科医とのやり取りによる鬼気迫る回想シーンは、「ジョーカー」を彷彿とさせる危うさを感じた。
一方で、やはり盛込み過ぎの感が否めないのが、ワンコ達の窃盗シーンと、メキシコ系ギャングとの抗争シーン。窃盗のシーンは、ワンコ達の名演が光っており、それ自体は悪くないのだが、このシーンを見せたいがために差し込まれた感が否めない。
(ワンコ達の名演中、不意にマイルスデイヴィスの「So What (それが何か?)」が流れ出すという憎い演出は嫌いではなかったが。)
また、メキシコ系ギャングとの抗争シーンだが、こちらもワンコの演技+アクションを見せたいがためのシーンであり、また、そもそも街の秩序を守るバットマンならぬドッグマンとしてのエピソードはこの1件のみで、こちらもやや中途半端な感が否めない。
本作の唯一の救いは、キャバレーでの初舞台のシーンだろう。このシーンについては圧巻だった。悲劇的な人生を歩んできたダグラスが、ようやく自身の思いを表現できる居場所を見つけ、そして観客から称賛れてゆく。
本作は、スキャンダル後、リュック・ベッソン監督の監督復帰第一作目となったであろう作品。脚本も監督自身が手掛けているが、ビッグネームだけに見る前のハードルが上がってしまったのかもしれない。また、ワンコ達の名演を撮影するには相当な苦労があったであろうことは想像に難くないのだが、作品全体としてはやや盛込み過ぎでバランスが悪い印象でした。
予想と違ってた
ベッソン+犬ってことで、「ダニー・ザ・ドッグ」をイメージしてました。
動物ものと知ってたら観なかったかも。
動物は演技をしないから好きじゃないんですよね。
序盤の檻からの脱出までは許せましたが、その後の犬が出るシーンはコメディにしか見えませんでした。
でもでも、それ以外のシーンは演技力のおかげでしっかり楽しめました。
「ジョーカー」を観た人は鑑賞中にチラつくことでしょう。
そういう雰囲気の作品です。
これは…凄いぞ。リュック・ベッソンの大傑作誕生!見るべし!
いやはや、何から話そう。
とにかく強烈、かつ衝撃的な面白さに感想が手につかない感じだ。
ストーリーはあえて、なぞるまい。
ドラマ、悲喜劇、ストーリーテリング、ノアール、ユーモア、、、
様々な要素が短時間でしっかり詰め込まれていて、冗長さも無いのでとにかくリズムよく集中できる感じだ。物語の流れは脚本のお手本、まるで教科書のようだが、主人公の環境設定のあたらしさからか、既視感も感じず新鮮な印象で楽しめた。
いや、それだけではないぞ。
主演のケイレブ・ランドリー・ジョーンズの名演だ。
青年期のダグの演者も凄いが、ケイレブのそれはケタ違いな印象だった。
なんというか、、怪演とは呼ぶには繊細に美しすぎる。心の奥底にある怖さや悲しさ、憂い、喜びといった主人公の琴線をどのシーンでも全くハズすことなく、完璧に貫いていた。本当に凄い役者だとおもった。★5を彼に贈りたい。
ややもすれば陰鬱に落ち込んでしまうかもしれない物語だが、精神科医エヴリンのジョージョーが、あっけらかんとした正論を持って対極にいたおかげで、良い具合の箸休めになり、作品のライトサイドを保っていた。なぜか関西系のチンピラにしか見えない敵役も、ライトサイド。
それだけではないぞ~~
ワンたちは言うまでもなく、超名演!
荒唐無稽だけどオモシロイ。ちょっぴり悲しいドッグマン誕生秘話。
アクション映画のつもりで見に行ったらぜんぜん違ったけどとても良かった。
1番気になる所を理屈で説明しないのが良い。
どうしてそんな事が出来るのか? なんてコトはどうでもいい映画だと思う。
あえて言えばワンちゃんとずっといたからだ。オオカミ少年みたいな感じ
そんな事より彼が語るドッグマンになるまでの彼の半生の話が面白かった。
彼は精神科医の彼女に包み隠さず話す。それは彼女の中に自分と共通する何かを見たからだ。最後に彼女が痛みを持ってるからといっていた。
シェイクスピアさえ完璧にマスターしとけば、舞台では何でも出来るヨみたいな設定が良い。それ関連の哀しい片想いは実らず可哀想。アーヨシヨシ泣くな泣くな。
さて、彼が初めて立った舞台が圧巻で、音が出ないように小さく拍手喝采したよ。ココは日本だから映画館で立ち上がって拍手するわけにいかんよね。
週1公演じゃあワンちゃんたちを養えない。ということでワンちゃんたち、自分達の食いぶちは自分達で稼ぐ。 所得の再配分てか? ただのドロボウですが、ものは言いよう。保険屋が優秀だった。
あと、悪いやつらがやられてザマーミロである。
続編が作られないことを祈る。
新たなイエスの誕生!?
「ミッドナイトスワン」や「ジョーカー」を彷彿させるダグラスでした。
幼い頃から父兄から虐待を受け、犬が心の支えだったダグラスは多数の犬を操ります。
時折挟まれる歌も知らないけど好感がもてます。
ラストのダグラスは、不自由な両足を立つシーンで、影が十字架と重なりまるでイエス・キリストの誕生(イエスが十字架に張り付けになった場面)のように感じました。犬に支えられたダグラスは、自力で新たな世界を求めているように感じ、気持ちのいいラストでした。
そういえば、ダグラスはよく神という言葉を口にしていましたね。
【"幼い頃から抱えて来た”痛み”を、多くの犬たちに癒されて何とか生きて来た男の壮絶で哀しき半生を描いた作品。”怪優ケイレブ・ランドリー・ジョーンズの怪演と多くの犬たちの名演に魅入られる作品でもある。】
■ある夜中、精神科医で離婚した経験があるエブリン(ジョー・ジョー・T・ボックス)は拘置所に呼び出される。
そこには、崩れた化粧で血まみれの赤い服を着たダグラス(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)が車椅子に座っていた。
そして、彼はエブリンに自らの壮絶な半生を話して行くのである。
話が終わり、エブリンが”何故、私に話してくれたの。”と聞くとダグラスは”痛みを持っている人だから・・。”と答えるのである。
◆感想
・幼きダグラスの父と兄による虐待のシーンは、観ていてキツイ。家族よりも犬が大切と言ったダグラスを犬小屋に叩き込む、父の姿。身籠っていた母は、家を出て行ってしまう。
更には、父はライフルでダグラスを撃つ。
ー ダグラスは、ちぎれた指をビニール袋に入れ、一匹の犬に”車。警察の車に届けて・・。”と言い気を失う。警官が多数押し掛け、父と兄は逮捕。だが、ダグラスも跳弾により頸椎を気付けられ、下半身不随になる。-
■ケイレブ・ランドリー・ジョーンズと言えば、「バリー・シール/アメリカを嵌めた男の」ジャンキー役や「ゲット・アウト」の不気味な長男役、そしてオーストラリアで実際に在った銃乱射事件を起こした男を演じた「ニトラム/NITRAM」が印象的である。
彼は、どこかが壊れている役が嵌るのである。
今作もそうである。
・救出された彼は施設に入り、サルマと言う明るいシェイクスピア好きの女性を好きになり、その後成人してからもサルマの活躍の記事をノートにファイリングし、サルマの舞台を見に行った時に渡すシーン。
ー サルマは、既に結婚していて、夫もいる。ダグラスはそれでも、サルマを祝福するのである。ダグラスが人間的に温かい心を持った男である事が分かる。-
・ダグラスはバーの歌い手として漸く雇われるが、それだけでは多くの犬たちを養えず、犬たちを使い、金持ちの家から貴金属を“富の再分配”と言い盗ませ、町を牛耳るギャングの親分の股間を犬を使って咬ませるが、逆に刑事やギャング達に、根城にしている廃校を襲われるシーン。
ー 何処までVFXを使っているのか分からないが、ダグラスの指示通りに動く犬たちの活躍が凄い。-
<ダグラスは、確かに盗みはするが、狂気には落ちない。それは、人間、社会に溶け込めなかった彼を犬たちだけが守り、彼も犬たちへの深い愛があったからである。
今作は、ケイレブ・ランドリー・ジョーンズの怪演と、彼が演じたダグラスの壮絶で哀しい半生に魅入られる作品なのである。>
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