DOGMAN ドッグマンのレビュー・感想・評価
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リュック・ベッソンの「犬ファンタジー」にがっかり。
以下ネタバレ
鑑賞前日にテレビ番組の
「情報7daysニュースキャスター」で
犬のしつけをするドッグトレーナーの紹介を見て、
犬のしつけは大変だなという印象をもったまま、
「DOGMAN ドッグマン」
を見たせいか、
主人公の不思議な能力による犬とのコミュニケーションに
嘘臭さを感じてしまい、
リュック・ベッソンの「犬ファンタジー」を
楽しめませんでした。
犬が登場する映像は、
指定された「物体」を運ぶ犬のカメラアングルの外側に
「ご褒美の餌」をもったドッグトレーナーがいるような印象があり、
「ご褒美の餌」目的で
「犬ファンタジー」の映像素材を撮影していると思ってしまうと、
やらされてる「犬」が少しふびんな気がしました。
また、ルッキズムに洗脳されている立場から見ると
意図的に汚しメイクをした、おっさんの女装を
大きなスクリーンで見たい気分もおこらず、
主人公の設定も、
ふびんな設定で同情させようという意図がして、
ラストの銃撃戦の結末を明かした作劇だったこともあり、
リュック・ベッソンの「犬ファンタジー」を
楽しめませんでした。
「ご褒美の餌」のためにトコトコ走っている「犬」でなく、
どうやって撮影してるのか想像できない、
犬POVを使った壁や階段をドッグパルクールする映像など・・
もっとこだわったカメラアングルにしてほしいと思いました。
「DOGMAN ドッグマン」は
「ニキータ」や「レオン」と比較すると
退屈な展開でした。
犬泥棒を見つけた保険の調査員の顛末をみて
証拠隠滅に手段を択ばない
主人公の「ドッグマン」を応援する気にはなれず、
ギャングのおどし方が雑なせいで
相談しにきた回線工事の青年を巻き込んでしまったりする展開は
「ニキータ」や「レオン」と比較すると
雑な脚本でした。
もっと「犬」の習性による
納得のできる犬の行動によるアクション、
ドッグトレーナーでは表現できない
見たことのない「犬」アクション(CGでもいい)で
「ニキータ」や「レオン」のような
何度か見たくなる映画にしてほしかったなと
思いました。
不運なアーティスト
ものすごく辛く哀しく重たい内容。それでもダグラスと犬たちの強い絆が、なんとか小さな光を繋いでいく。
負傷したダグラスが運転していたトラックを警察がとめ、荷台に乗せられた数十匹の犬を発見するところから始まる。
拘束されたダグラスに精神科医が接見し、ダグラスは自分の子供の頃から話しはじめる。
幼いダグラスに何が起きるのかすごく不安で、嫌な予感がずっとしている。
父親がまず人間ではない。子供の頃から父親の暴力、虐待に怯え、兄はそんな父親の点数稼ぎにダグラスを貶める。ダグラスにとって唯一の救いは母親だったが、その母親も、ダグラスを犬小屋に放り込む父親の残忍さから逃げるようにして、家から出ていってしまう。
それでもダグラスは本来とても優しいし、とても人間らしい。なのにダグラスに救いの手が述べられるのは、皮肉にも父親の残忍な仕打ちがあってからだった。それによってダグラスは、車椅子を余儀なくされる。
だが、ダグラスはいつでも必死に生きていた。
養護施設に引き取られてからは、演劇を教えてくれたサルマと出逢い恋も覚え、通信だが大学に行くこともでき、学位をとるほどに。やっと人間らしく生きることができた。
犬のシェルターを管理する仕事についたダグラスだったが、年々予算を減らされとうとう閉鎖されることに。
だがしかし、車椅子生活になってしまっていたダグラスには、まともな仕事にありつける事すら難しかった。
吸い込まれるように入ったドラァグクイーンのキャバレーで、やっと生きる術を手に入れる。同時に犬たちとダグラスは心が通じ合うが、間違った方向へ進んでしまい、事態は最悪な結末に。
ダグラスは優しい心の持ち主だったのに。そんな優しいダグラスを犬たちは守っただけだったのに。だけど、何かが間違って普通に生きることを許されなかった。
エンドロールが流れ出し、余韻で涙が溢れてきて、しばらく動けなかった。
【自分の持ち合わせる語彙では説明出来ない、大作。】
なんの前情報も無しにフラっと映画館に見に行きました。
寝耳に水です。油断していました。こんな不思議な体験が出来る映画は『JOKER』(2019)以来です。
主人公の設定の車椅子、女装、犬のボス。どの設定も在り来りなものでは無いので、字ズラだけ見るとゴチャゴチャっとしている印象を持ちますが、不思議とその設定達が上手く絡み合っていました。それは個人的にはとても形容し難かったです。「取り敢えず見ろ!」としか言えません。
ですが、犬を愛していて犬を家族のように扱っている主人公『ドッグマン』が、犬を使って人殺しをしているシーンを見ると何処かむず痒くなりました。
え?犬を利用して殺人するの?と単純に思ってしまうくらい、殺人をしてしまうことへの主人公の心情も書かれていませんでしたし、作中を通して主人公は良い人の様に描かれていましたが、殺人への良心の呵責が無かったので、不思議な気持ちでした。意外と人間はそのようなものなのかも知れません。外ズラが良くても中身は計り知れない闇に覆われています。それをこの映画で再確認出来ました。
ラストのシーンも最高ですね。教会の影に倒れ込む『ドッグマン』。余す事無い映像美で顔面をぶっ叩かれました。
死ぬまでこの不思議な体験を忘れないようにしたいです。
まあまあだ
主人公の境遇がかわいそうすぎて、うちにも小学生の男の子がいるから気が気でない。しかし、その割に内容が、なんだこれ?みたいな感じで真面目にとらえていいのか、と思う。避妊手術をしているように見えず多頭飼育崩壊が起こるのではないだろうか。トイレのお世話もしてなさそうだ。途中でそんなことを気にして見る映画ではないと気持ちを切り替えるべきだ。一方でバイオレンス山盛りを期待していると、最後まであまりない。
ミュージシャンの中村一義が気の毒な生い立ちで、子どもの頃犬を親代わりに暮らしていたという。その時は犬とテレパシーで会話できたそうで、この映画の主人公もそんな感じなのかと想像しながら見た。
現実の問題で児童虐待がある。面白映画の素材としての扱いを、実際虐待されている子はどう思うだろう。そういった遠慮が全くないのがリュック・ベッソンの面の皮の厚いところだ。
愚かで醜い人間たちを賢い犬たちが懲らしめる悲しい寓話
心なき人たち。
父、妻と次男と犬に暴力を振るう愚か者。
兄、卑怯者でDV親父の共犯のくせに神の名をかたる愚か者。
役人、赤字を盾に犬保護施設を閉鎖する愚か者。
ヤクザ、子分を引き連れ弱いものから金を巻き上げる愚か者。
金持ち女、富を独占しそれを誇示する愚か者。
保険会社の調査員、嘘と銃で秘密を暴こうとする愚か者。
拘置所の夜勤職員、鍵をかけてドッグマンを閉じ込めている愚か者。
心ある人たち。
優しく弱く音楽好きの母。
養護施設でシェイクスピア劇を教えてくれた先生。
ドッグマンにヤクザ成敗を依頼する若者。
ライターをくれたパトカーのおじさん警官。
ドッグマンを受け入れるキャバレーのおじさんとドラァグクイーン達。
拘置所で面談を重ねるシングルマザーの精神科医。自身も夫から暴力を振るわれ離婚している。
そして、ドッグマン。
父と兄からの酸鼻を極める虐待と、犬と意思疎通ができる特殊能力。
彼なりの正義と犬たちを守るために犯罪を重ねる、愚か者。
ただ、実行犯は犬たちなので裁きようがない。
世界は彼を受け入れない。
居場所は隠れ家とキャバレーの舞台の上だけ。
その居場所も奪われてしまう。
この世界に彼の居場所はもうない。
犬たちに囲まれ犬の世界へ旅立つ男。
「人間を知るほど、犬への愛が深まる」
「犬たちの唯一の欠点は、人間を信賴することだ」
犬を飼ったことがある人なら、ドッグマンの言葉につい頷いてしまうのではないでしょうか。
最近のフィクションにありがちですが、本作も「男性」と「アメリカの国旗」は暴力と愚かさの象徴として描かれており、ドッグマンは女装することで自分の中の「男性性」を否定しようとしているように見えます。
ドッグマンを演じたCaleb Landry Jonesさんの静かな熱演は素晴らしいです。強いて言えば、エディット・ピアフのシャンソンも彼に歌って欲しかった!
ドッグマンが扮するのは、エディット・ピアフ(La Foule)、マレーネ・ディートリッヒ(Lili Marlene)、マリリン・モンロー(I Wanna be Loved by you)。この3人が男たちを懲らしめるという構図も洒落ています。
あと、youtubeで公開されているドッグトレーナー達の奮闘が楽しいmaking動画も必見です。
Pawsome
新作は「ANNA」以来とかなり久々のリュック・ベッソン最新作。規格外のダークヒーロー爆誕という宣伝文にまんまとつられて鑑賞。
ダークヒーローという点は謎の押し売りだったなと思いつつも、1人の男と犬との関係性や悲哀に満ちた人生を精神科医と共に辿っていくという静かな物語で意外でしたが、その意外性が面白さに繋がっていました。
子供の頃に暴力的な父親に監禁され、少しでも逆らったりすると銃で撃たれたりするなど酷い目に遭っていた幼少期のダグラスがその場にいたワンコたちと共に協力して状況を打破していく子供パートと、成人して大学を卒業して犬のブリーダーとして活動しながら、かつて演技やメイクを教えてくれた恩人の元に訪れると同時に現実を知ることになる青年パートと、ワンコたちと共に悪人を陰ながら成敗していく現代パートと大きく分けて3つの物語を現在のダグラスが語っていく作品でした。
父親がハイパークズなので、自分の思い通りにいかないとすぐに暴力を振るったりしますし、兄はすぐに父親に報告したりでダグラスが圧倒的に罰を受けていく様子はかなり辛かったです。
でも兄にはしっかりと報いを受けさせたのはスッキリしました。このシーンはワンコたちの連携っぷりが光っていてちょいコメディになっていた気がします。
青年期は恋をした年上の女性に旦那ができてしまった事に対してのショックと車椅子生活の自分にやるせない気持ちになって暴れまわりながらもワンコたちが宥めてくれたおかげでなんとか次の道を開拓する流れも成長が強く感じられました。
物語の肝になる会話シーンでは精神科医も元夫とのトラブルがあるからか、心にある傷に共感をしてくれつつも、結果的に犯罪に繋がっているというところにはしっかり叱ってくれるところに好感を持てました。ダグラスもしっかりと話を聞いてくれる彼女には心を開いて喋っていたので、ここの関係性がとても素敵でした。
ワンコたちがどの子も本当にお利口さんで見ていて癒されました。でも悪人たちを成敗する時は容赦なく襲いかかっていくので、そこは中々に恐ろしかったです。
連携プレーで一人一人仕留めて行ったり、敷いてるトラップを駆使してとっ捕まえてトドメを刺したり、ダグラスの元へと誘導したりと本当に従順かつスマートな行動に惚れ惚れしました。
ラストシーンはイエスの前で力尽きたところに街中のワンコが集まってきてある種の大団円であり、でも悲しさは拭えないラストという観終わったあとのなんともいえない不思議な感じがそこにはありました。
ケイレブ・ランドリー・ジョーンズが好演すぎました。幼少期のトラウマやうまくいかなかったこれまでの人生を引きずる様子がこれでもかと伝わってきましたし、犯罪をしていくというのではなく、悪人のプラスをプラマイゼロに戻す姿勢も好きでした。
ドラッグクイーンになって不安定な足元を庇いながら一曲歌い切る様子も最高でした。カッコ良すぎます。
これは日本での宣伝文が良くも悪くも邪魔をしてしまっていたなと思いました。
もちろん自分みたいにダークヒーローに釣られて観にくる人もいると思いますが、普段ヒーロー映画をメインに観にくる人が今作を観たら確実に困惑すると思いますし、こういう静かな物語が好きな人はこの宣伝文ではなかなか寄りつかないだろうなと思いました。とても良い作品なのにここが本当に惜しいです。
口コミでどんどん広がっていってくれ〜と願っています。
鑑賞日 3/10
鑑賞時間 13:35〜15:40
座席 I-1
視覚的には刺激的だけどうーん。
ジョーカーと似ているところがあるのは多くの人が感じるところだと思います。
ダグラスは結果的に多くの人を殺しますが
シリアルキラーでもなければサイコパスとも違うし
『悪』の存在という雰囲気はしなくて
だから実の兄に制裁を加えた以降が
他人を殺すことに対する感じ方がいまいちわからない
ジョーカーみたいな自分を貶めて嘲笑う世間への復讐とは違うんだよね。
依頼があれば哀れなマーサを助けようとするわけだし
ドッグマンとしての生活も泥棒と、マーサを助ける依頼の他はどんな依頼があったのかよくわからなくて富を分配?
もハテナ
途中の恋よりはそちらの犯罪を膨らませてほしかったかな
舞台を通じて生きている事を感じる
というのはとても良かったし見せ場ではあるけれど
口パクなのはあちらの国のショーでは普通なのかな。
女装の格好で人を殺すシーンは
もう他の映画でも見飽きたかなぁ。
ラストシーンのスーツはどこから手に入れたのか不明だけど
私は神が好きだが
神が私を好きかはわからない
このセリフからのあのラストシーンは
とても心に残りました
でもあれ倒れて死んでないよね??
また捕まってあの部屋もどるの???
ビジュアル重視だったかなぁ。
エヴリンが見たキリスト
冒頭から惹き込まれ、精神科医エヴリンに紐解かれていくダグラスの過去。
質疑に対する回答が回想シーンとなり織り交ざるように進行していく物語。
心が張り裂けそうな暗黒の少年時代が語られるや否や私は打ちのめされてしまう。
しかし一方で、彼を明るく彩る記憶のかけらに少し助けられるのだ。
それは、母の陽気な後ろ姿と心地よい音楽、愛のない父から守ってくれる犬たちとの信頼関係、保護施設のサルマを通じて知る世界やほのかな恋。
だが、青年期には仕事も恋愛も期待と現実に翻弄され裏切りも受ける。
社会から突き放されたような疎外感が膨らむダグラス。
思うように動かない体では、バーの歌い手として脚光を浴び満ち足りた美しい表情でステージに立つのも、裏切りのない犬たちと生きる為に手を染める悪事もすべてが生命がけだった。
やがて巻き込まれていく不運を察知したとしても彼はそう生きるしかなかったのではないだろうか。
浅い呼吸と深いため息のせめぎ合いをコントロールしなければこの回想の緩急のつぎはぎをまともに縫い合わせようとするには冷静さを欠く、それ程に辛い半生だ。
そんなダグラスに同じ(闇の)匂いを嗅ぎ取られときのエヴリンは平静を装いつつもかなり動揺したようだ。
そして同時にダグラスへの同情が生まれたのをラストに向けて変わっていくエヴリンの眼差しが物語る。
ダグラス少年が受けた過酷な虐待は、あの状況をどう越えられるのだろう、いや越えられないんでは?と思うところまできていた。
それをどう乗り越えたか。
そして彼の一生をどう左右したのか。
彼が乗り越えたのは〝自分を置き去りにした母の本心の一部分〟と〝生きるために父に気に入られようとした兄がひとかけらのこしていた本心の一部分〟をみつけることができていたからではないか。
つまり、檻に隠された母からの差し入れと兄が投げ入れた白いハンカチがダグラスにもたらしたのは紛れもなく生きるための望みだった。
それを証拠にして〝生来の罪人はいない〟〝環境が人を追いつめる〟ことを信じ、彼はギリギリの精神を繋ぎとめたのだろう。
そして、その傍で生身の温もりで寄り添い続けてくれた互いの理解者である犬たちの存在だ。
彼なりの解釈によるこの3つの真実がなければ、ラストの十字架までたどりつくことはなかった気がする。
精一杯の命を尽くし召され逝くダグラス。
彼は潮時を見極めたのだろう。
取り囲むように集まった犬たちの忠誠。
そこには、彼が「不公平への報復」のためだけではなく、やはり一番には愛を求めて生き続けていたことが強く表れていて余計に切ないのだ。
主演ケイレブが落ち着いた物腰、柔らかい口調で際立たせ圧倒的な悲哀の憑依でみせるダグラス。
その子ども時代を演じるリンカーン君の迫真のまなざしの凄み。
シーンに合わせ心を鷲掴みにする音楽。
どれもがぴたりと心に張り付いて沁みわたってきた。
冷たい広場の十字架に磔になったキリストにエヴリンは静かに祈りを捧げたことだろう。
彼が犯罪に手を染めた事実と、それに至る消えない事実を誰よりも深く噛み締めながら。
同じ匂いを嗅ぎ分け、そして託す
2018年のマッテオ・ガローネ監督のイタリア映画のDOGMANはみましたけど、暗くてちょっと難しくて、私的にはイマイチでした。
今回はもちろんケイレブ・ランドリー・ジョンズお目当て。しかも、リュック・ベッソン監督作品。
冒頭は Ikkoかよ!
Ikkoさん、ごめんなさいね🙏
マフィアにみかじめ料を取られ生活に困窮するランドリー(洗濯屋)のおばさんのために、ケイレブ・ランドリー・ジョーンズがいかにもな中南米系のマフィアを相手に一世一代の闘争を仕掛ける。
ランドリーつながりである。
リュック・ベッソン流の洒落か?
犬を使った鼠小僧的財産再分配を裏稼業とする犬の調教師兼ドラァグクイーン。
しかも、下半身まひで、両足に装具をつけて車いす生活。
物語はひとまず過去に遡り、警察署の嘱託医の精神科医に過去を打ち明けることから始まる。その彼女もまた、シングルマザーであり、父親のDVを経験していた。
実際の俳優の彼女もスタンダップコメディアンからのし上がった。
わたしはこういう映画が好きだ。
外国の映画動物会社は本当にすごいなぁ。
リュック・ベッソンの新作は新鮮でとてもよかった。
あと、ZZ Topがかかって嬉しかった。
旧約『ヨブ記』を思わせる、報われないダークヒーローと神(GOD)と犬(DOG)の物語。
『JOKER』みたいな話かと思ったら、
デイヴィッド・クローネンバーグの『ザ・ブルード 怒りのメタファー』と、
ディズニーの『101匹わんちゃん』混ぜたみたいな話だったな(笑)。
あるいは、『銀牙 ―流れ星 銀』とか。
アメコミヒーローでいうと、キャットウーマンの犬ヴァージョンといったところか。
にしてもこれって結局、
「GOD」を裏から見たら「DOG」だよね、
ってひとネタを膨らませただけの映画でしょう?
よくこんなの撮るよなあ(笑)。すばらしい。
宗教映画にして、お犬様の映画。
『ザ・ブルード』の「怒りの侏儒軍団」の代わりに、
犬が手足になってドッグマンのために頑張る映画。
女装家(トランスヴェスタイト&ドラァグクイーン)、虐待児童、身体障碍者(下肢麻痺)、保護犬、と徹底して「少数者/被差別者」に寄り添ったダークヒーローものでもある。
期待していたよりは、やけにチープでキッチュな映画だった。
でも、こういうリュック・ベッソン、俺は嫌いじゃない。
この人の本質は、むしろ徹底的なおバカさ加減にあると思うので。
頭の良い監督なので、デビューからしばらくは『グラン・ブルー』『レオン』『ニキータ』と、マトモな監督の振りをしてみせていたけど、演出の端々に「どこかおかしい」気配はなんとなく漂わせていた。
それが成功を収め、全権的な企画決定権を手に入れたとたん、いきなり『フィフス・エレメント』でその本性をあらわにしてみせた。
なんだこのおバカ映画?? 封切りで観に行った僕は最初軽く怒りまで覚えていたが、そのうち馬鹿笑いしながらリュック・ベッソンのファンになってしまっていた。
とりとめのないガキの夢想をそのまま映画にしたような変態映画。
なるほど、この人は本当はこういう心底どうでもいい映画を撮りたくて撮りたくて仕方がないのに、ぐっと我慢して今までマトモなふりを偽装してたんだな。
その心意気や良し。そうさ、監督なんてやりたいようにやればいい。
その後のタランティーノばりのB級活劇愛好路線は、みなさんもご存じの通り。
しかも、脚本・製作も含めて只事じゃない量産体制を敷いて娯楽映画界に貢献している。
ついでに、次々と娘みたいな齢の奥さんをすげかえていったり(ヒロスエ含む! あれでヒロスエが壊れたのをみんな忘れてるようだが俺は忘れていない)、セクハラで訴えられまくったりと、私生活がクッソろくでもなさそうなのもひっくるめて、俺はリュック・ベッソンが嫌いじゃない(笑)。
今回の『ドッグマン』は、あからさまに監督が「撮りたい」映画を「好きに」作った匂いが充満している。なんでドラァグクイーンなのか。なんで犬が自在に操れるのか。なぜに「死刑執行人」との対決シーンがあれだけチープなコント仕立てなのか(ほとんど『ホーム・アローン』だよね、あれw)。
いろいろとバランスの悪いところも含めて、リュック・ベッソンの男気と稚気と個性とやる気があふれかえっている。
俺は、こういう映画が嫌いじゃない。
― ― ―
本作の本質は、「宗教映画」なのだと思う。
幼少時から、ただひたすら神に試練を与え続けられる男。
そんななか、必死で生き続けなければならない辛い定め。
神を篤く信仰しているのに、神に振り向いてもらえない人生において、宗教は何のためにあるのか。神は自分に何を期待しているのか。
ここで扱われているのは、旧約聖書における「ヨブ記」に相当する重大なテーマだ。
いわゆる「神の試練」というやつである。
神(もしくは神と賭けをしたサタン)に10人の子どもの命を奪われ、すべての財産を奪われ、全身を覆う皮膚病に苛まれ、路上生活者にまで身を落とした義人ヨブ。どれだけマジメに生きても奪われるばかりの人生で、なお信仰は生きる拠り所たりうるのか? いかに正しく生きても試練ばかりを与えてくる神は、はたして信用たり得る存在なのか?
リュック・ベッソンが『ドッグマン』の全編を通じて必死で思索しているのは、まさに「呼びかけに応えない神」の意図についてだ。
その意味で、彼が本作に託したテーマはベルイマンやパゾリーニにも近いものだといえる。
教会前に落ちた十字架の影のなかでダグラスが横死するシーンは、まさに象徴的だ。
「I’m standing for you!」
これは、自分の脚で立っているという状況を表わすと同時に、「私はあなた(神)のしもべです」というイデオムにもなっている。
彼は、神の代わりに遣わされた守護天使たちである犬(GODの逆位)に見守られながら、神の恩寵を賜るかのように天へと召されていく。
教会、犬、野垂れ死に。あれ? なんかデジャヴがあるなと思ったら、『フランダースの犬』だったか。「もうこれからは寒いことも、哀しいことも、お腹がすくこともなく……」ってやつですね。……(涙)。
まあ、犬たちは別段ダグラスと一緒に天に召されるわけではなく、ちゃんと新たな「宿主」候補をすでに嗅ぎつけているんですけどね。……(笑)。
(書いた後で人の感想で「死んでいない」説を見て、ああそういう可能性もあるのかとw まあ続編の出だしですっくと立ちあがっても別におかしくはないんだな……盲点でした)
― ― ―
俺の実家は、犬を飼う家だった。
小学生のときは、柴犬、シェパード。
中学のときからは、ラブラドル・レトリーヴァー。
社会人になってからは、プードルとエアデール・テリア。
プードルには両親が子供も産ませて、最大で9頭が家のなかで暮らしていた。
なので、俺にはダグラスの言っていることがよくわかる。
よくわかるというか、当たり前のこと過ぎて、聞き流してしまうくらいだ。
犬は人間より信用できる。
犬は強くて勇敢だけどおごらない。
犬には人間の美徳がすべて備わっている。
犬を愛するほうが人間を愛するより容易い。
そりゃそうだ。俺もそう思う。犬は無条件に素晴らしい。
だが、ダグラスはその犬を使って犯罪をおかす。人を殺める。
犬に悪いことや殺人・食人までさせて、はたして愛犬家と言えるのか。
きっと犬好きのなかには、この映画にそんな反感を覚える人もいると思う。
ただ、これだけはいえる。
ダグラスにとって、犬はもはやペットでも友達でも仲間でもない。
犬は彼の一部であり、彼の生存本能の発露であり、彼と連動した「環境」そのものなのだ。
彼が生きるためにあがくとき、無条件に犬は彼のために動く。
彼が念じただけで勝手に最善の状況を組み上げていく。
それはすでにリアリティを超えたある種のオカルトであり、
宗教的にいえば、いわゆる奇蹟(ミラクル)というやつだ。
神はダグラスから、すべてを奪った。
代わりに神はダグラスに、犬を与えたのだ。
― ― ―
犬を手足に使って戦うといって、パッと思いつくのは、
●『刑事コロンボ』の第44話「攻撃命令」(2匹のドーベルマンに「殺しの合言葉」を覚えさせて、それを口にさせることで妻の愛人を遠隔で殺そうとする話)
●テレビドラマ『爆走!ドーベルマン刑事』(原作の要素が人名以外何一つ残っていない珍品中の珍品。犬みたいな刑事の話だったのが、なぜか警察犬を使役する黒バイ隊の話に!)
●テレビドラマ『標的』第7話「殺意の調教」(多岐川恭の『的の男』を原作とする珍品)
●テレビドラマ『闇を斬れ』(天地茂主演の時代劇で、隠密犬の甲斐犬、風林と火山が大活躍する)あたりか。
あとは、『ジョン・ウィック』とか『少年ジェット』とか『猛き箱舟』の野呂とか『キャシャーン』とか『サスペリア』のダニエルとか。
犬小屋で人が飼われている設定だと、ジャック・ケッチャム原作の『ザ・ウーマン』とか。
なんにせよ、ダグラスの能力はちょっと単なる「犬を飼いならして」いる域をはるかに超えており、テレパシーの範疇に属する能力を発揮している。
最近のラノベで死ぬほど出てくるファンタジー職業「テイマー」(モンスターを手なずけて使役する職業)に近い存在といえばよいのか。
― ― ―
この映画で意外に良く出来てるな、と思うのは、主人公であるダグラスを「そこまで追い詰めきらない」ように、絶妙のさじ加減で「ゆるさ」が調整されているところだ。
たとえば、ダグラスは過酷な少年時代を生きるが、お腹に子供を抱えたお母さんはなんとか家を脱出することに成功する(『ザリガニの鳴くところ』を彷彿させる展開だが、こちらの子どもはしっかり汚く臭そうに描いているので、10倍『ドッグマン』のほうがまともな映画だと思う)。
保護施設でも、ダグラスは意外なほどに幸せな日々を過ごしている。
演劇少女との初恋は悲しい結末を迎えるが(『オペラ座の怪人』みたい)、少女は女優としてそれなりに成功して子供を2人作って引退する。そのあたりも変にドロドロさせたり、ダグラスに新たな罪を負わせたりしない。
ドッグシェルターを追い出されるのは災難だが、彼らは独力で自分たちの城を手に入れ、泥棒稼業ではあっても、自給自足の生活をちゃんと成立させている。
少なくともゲイバーでの毎週金曜日のショーは、ダグラスの表現者としての承認欲求を大いに充たしたことだろう。店のドラァグクイーンたちはみんな優しく親切だ。ここでも製作者はダグラスに「癒し」を敢えて与えている。
その後、彼らは何度か人間に手をかけることになるが、経緯を見るといずれも正当防衛に近いもので、なるべくダグラスに対して観客のヘイトを溜めないように気が配られている。
こうして、観客は「適度にダグラスに同情する」ように仕向けられ、そこまでヒリヒリしない微温的な空気のなかで、ダグラスの「活躍ぶり」をそこそこ楽しめるようにもてなされる。物語が拘置所での「昔語り」としてフラッシュバックで語られるのも、緊迫感を高め過ぎない穏やかさを生んでいる要因だといえる。
リュック・ベッソンは『ドッグマン』を、極限まで悲惨な物語にはしたくなかった。
彼はおそらくなら「寓話」を撮りたかったのだ。
あるいは「御伽噺」を。
ダークでキッチュではあっても、敢えてリアリティは欲しなかったし、ダグラスを気分が悪くなるほどに追い込みたくはなかった。
魔法の使える足萎えの青年と使い魔たちの物語は、メルヘンでなければならなかった。
その意味では、監督の意図は多少雑にではあっても、ちゃんと成功していると俺は思う。
― ― ―
音楽に関しては、エディット・ピアフの「群衆」とマレーネ・ディートリッヒの「リリー・マルレーン」が、ドラァグクイーンの演目として印象的に使われていた。
どちらも名曲中の名曲だし、自分にとっての愛聴歌でもあるんだが、これ明らかに口パクで元曲流してパフォーマンスしてるだけにしか聴こえないんだけど、それってどうなんだろう?? 口パクよりはちゃんと本人が歌ったほうがよほど良かった気がするけど。終盤で襲われるシーンでの、マリリン・モンローの「お熱いのがお好き」(モンローつながり)みたいに。
いや、「すげえ声真似」してるんだっていうのなら、それはそれでいいんだけど……。
ちなみに「リリー・マルレーン」は先月映画館で観たクストリッツァの『アンダーグラウンド』で主題歌扱いだった。あと、犬に餌をやるシーンでシャルル・トレネの「残されし恋には」が流れていた気がするが、ついこのあいだ映画館で観たジャン・ユスターシュの『ぼくの小さな恋人たち』のOPがトレネの「うましフランス」だった。
こういうのって、不思議に被るよね。
あと、保険屋と金の話をするときに、ダグラスがいきなり「マニ、マニ」と歌い出して、「マジ? ビリー・アイドル??」と一瞬思ったが、よく考えたらABBAだった(笑)。
あと、どうでもいいことだけど、『マエストロ』『枯れ葉』『瞳をとじて』『落下の解剖学』と、最近観た新作ではみんな主人公がバンバンに喫煙してるなあ。これも時代の揺り戻しってやつか。
最後に、パンフ掲載の風間賢二先生の解説は必読!! これこそが映画解説っていう腑に落ちまくりの分析になっていて、やっぱり他の論客とは格がぜんぜん違うなと改めて感心しきりでした。
もっとバイオレンスかと思った。
さほどのバイオレンスさはなく意外に普通な人とわんちゃんたちのホームアローン的な展開だった。それでもわんちゃん同盟の成り立ちはオリジナルで面白いし独特な世界観。見て損なしな仕上がりだった。
ケイレブ・ランドリー・ジョーンズの見事な歌声に魅了される!
久し振りのリュック・ベッソン監督作品。
彼が描くフランスアクションなんだな。
“ドッグマン”と呼ばれる女装男の愛と暴力に満ちた切なくも壮絶な人生に生きた半生を描く~
今日は「DOGMAN ドッグマン」の鑑賞です。
この映画、予想を裏切る高評価でしたわ。
前半はダグラス(主人公)が家族からの暴力、虐待に耐え 沢山の犬達と一緒に小屋で隔離生活。普通なら気がオカシクなって死んでそうな環境を生き抜いて、警察に無事に保護される。何とも酷い話。父の放った銃が脊椎を損傷し 歩行や立つことが出来ない車椅子の身体障害者になってしまうのだ。
施設で出会った女性に、シェ-クスピアの戯曲や歌、演技をそして女性のメイクもばっちり教わるのである。元々女装趣味ではなく、生きてゆく為にお金を稼ぐ手段としてそれを遣っているのである。そして犬達との生活を守るために 住む環境も選び身体障害者の一人として自立して生きている。
犬を指示しての大富豪から盗みとかは確かに有ったけども、犬達以外に彼に手を貸す者はいない。完全にダークヒ-ロ-化を作り上げている。
一番驚いたのは、初めてのステ-ジで歌を披露する場面でしょうか。
予想外に素晴らしい歌のステ-ジで 魅了されてしまいます。
そこが素晴らしい所でしょう。
そして 終盤の地元ギャング等の襲撃に対峙し戦う犬と彼。
凄まじい打ち合い、彼のショットガンが炸裂!
この辺りは さすがベッソン監督の作品領域を感じますね。
足が不自由な男の 孤独さ、そして愛。そして彼を慕う犬達。
総てを告白した彼に 神(GOD ⇒ひっくり返ってDOG)の
許しは訪れるのであろうか。
必死に教会屋根上の十字架影を自分の足で目指し歩こうとする彼。
そこに 今までも、これからも自由に生きて行こうとする
彼の本心が伺える。
ご興味ある方は
劇場へどうぞ!
設定が突飛すぎる
設定が突飛すぎて感情移入できませんでした。そこが僕には雑に思えました。
例えば主人公・ダグラスの父は闘犬を仕事にしており、常に飢えさせておきたいため、犬に餌を与えると激怒します。その怒り方は尋常ではなく、とんでもない暴力を振るいます。ある日、ダグラスが犬に餌を与えていることを知ると、父はダグラスを檻に入れてしまいます。以来、ダグラスは犬とともに生活をすることになります。
この設定なんてまさに突飛すぎて感情移入できません。
また、ダグラスは「富の再分配」と称し、犬たちを富豪の家に侵入させて盗みを働きます。そのやり方は、たとえ本当に富を再分配していたとしても、到底、共感できるものではありません。しかもダグラスはお金に興味はないと言いつつも、富豪から盗んだ装飾品を自ら着用して舞台に出演し、金庫に保管しています。これって富の再分配と言えるでしょうか。
みたいな感じで、共感したり感情移入したりする要素がなく、突飛すぎるので、子どもが何の裏づけも検証もなく思いつくままアイディアを出して行って、それを繋げて映画にしたような印象を持ちました。
ただしこの作品の通底には常にキリスト教があり、それ故僕には理解ができなかったという面はあると思います。キリスト教や聖書の知識があればもっと違った印象を持ったのかもしれません。おそらくキリスト教社会で生きてきた人には理解できるのでしょう。でも僕には分かりませんでした。
じゃあこの作品が面白くなかったのかというと、そういうわけでもありません。ダグラスは自分の理解や常識の外にあるキャラクターなので、そういう人物が何を考え、どういう人生を送ってきたのかということには興味があったりします。だからこの作品が、ダグラスへのインタビューによって構成されているのは秀逸だと思います。ダグラスには共感できないけど、精神科医のデッカーには共感できるんですよね。
【犬の映画】
「レオン」の監督が描く、孤独な男の物語。女装の理由、車椅子の訳、そして沢山の犬達となぜ生きているかが次第に明かされていく。ノワールな雰囲気もさながら、ワンちゃん達の微笑ましい名演技にも注目。
◆概要
2023年・第80回ベネチア国際映画祭コンペティション部門出品。
【脚本・監督】
「レオン」リュック・ベッソン
【出演】
「ゲット・アウト」ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ
「フレッシュ」ジョージョー・T・ギッブス
「ザ・ベイ」クリストファー・デナム
【製作費】2000万ユーロ(約30億円)
【公開】2024年3月8日
【上映時間】114分
◆ストーリー
ある夜、1台のトラックが警察に止められる。運転席には負傷した女装男性がおり、荷台には十数匹の犬が乗せられていた。「ドッグマン」と呼ばれるその男は、自らの半生について語り始める。犬小屋に入れられ、暴力を浴びて育った少年時代。犬たちの存在に救われながら成長していく中で恋を経験し、世間になじもうとするも、人に裏切られて深く傷ついていく。犬たちの愛に何度も助けられてきた彼は、生きていくために犬たちとともに犯罪に手を染めるが、「死刑執行人」と呼ばれるギャングに目をつけられてしまう。
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◆以下ネタバレ
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◆DOGMAN
「神は人間に犬を与え給うた」との格言が記される冒頭。本作において神と犬が重要なキーである事もここに示される。ダグラスは犬を与えられた事も、小指を失った事も、脚を不自由にした事も神の思し召しと説く。ケージ内で兄が貼った「神の名のもとに」(IN THE NAME OF GOD)が、裏側からはDOGMANになる描写が秀逸。“神の名のもとに”という信念のもとに信じられない愚行を重ねる家族、その反対にケージという地獄の中でも犬との絆を築いていく表裏の図式が、映像としても文字面としても巧みに表現されていた。そしてこのシーンこそが、その後ダグラスが小指を犬に運ばせるまさにDOGMANとなった、象徴的なスイッチにもなっていたと思う。不運な少年期を過ごし障害までも負ったダグラスが、職を断られ続けるシーンに心が痛む。ついにありついたキャバレーの控え室でメイクを施す様子はどこか「ジョーカー」('19)を彷彿とさせる。しかし本作では、“神が与えたもうた”犬のおかげでダグラスも人の道を外す事はなかった。
◆犬
2023年の「パルムドッグ賞」は、「落下の解剖学」のボーダーコリーに渡ったが、本作のワンちゃん達にも同等の賞を与えてほしい笑。ギャングの“タマ噛み”から、泣き崩れるダグラスに何匹も寄り添う優しいシーンもあれば、ラストのギャングとの“犬殺陣”もある。ダグラスがケーキを作る材料を集めるシーンは特に、無塩バターの当番を待ち続けるコーギーが何とも微笑ましい。ダグラスが前半で語った、犬の唯一の欠点である“忠誠心”。まさにその通り、ダグラスにいつも寄り添い、時に悪行ではあるものの、その手足となって働く犬たちの存在がとても優しい。本作を見て犬が欲しくならない人はいるのだろうか笑。
◆ラスト
車椅子から立ち上がったダグラスに十字の影が重なり、まるでキリストのような肖像となるラスト。思えば、彼が車椅子を立つのは、ショーで“彼のなりたい何者か”になる時(エディット・ピアフになりきって歌うケイレブの恍惚の表情がとても印象的)。不自由な体になりつつも、冒頭の“神が与えたもうた”犬たちによって自由を得たダグラス。本作で終始、彼は冷静に神の存在を言葉にする。彼の最後の選択は、義賊としての行いから脱し、人に“与える”存在である神となる事を求めた、あのラストはそんな風に自分には思えた。ダグラスは、エヴリンが暴力夫に怯える“痛み”を理解し寄り添い、また棲家の番犬だったドーベルマンが彼女を見守るように佇んでいたのも、そう考えると頷ける。そんな“神”の存在が犬たちにも通じ合い、ダグラスの周りに次々と伏していくラストカットがとても印象的だった。
◆関連作品
○「レオン」('94)
リュック・ベッソン監督の代表作。ジャン・レノとナタリー・ポートマンの出世作でもある。Netflix配信中。
○「コロンビアーナ」('11)
レオン続編の頓挫後、そのアイデアを元にして作られた精神的続編。「ニキータ」('90)と合わせて実質的な三部作と言われている。Hulu配信中。
◆評価(2024年3月8日現在)
Filmarks:★×3.8
Yahoo!検索:★×3.1
映画.com:★×3.6
危険な映画
面白かった。DOGってGODの逆だから、キリスト教圏の人にとっては特別な意味合いをもった単語なんだろうなー、と思った。聖書では犬は悪い書かれ方をしていることが多いから、神に見放された存在、みたいな意味合いもありそう。
ダークヒーローみたいな感じなんだけど、とにかく不遇な生い立ちや社会状況ゆえにそうなった、というところが、「ジョーカー」と同じ。
こういう映画が出てくるのは、貧富の差が拡大しているということと、それが原因で社会が不安定になっている(貧しい人たちの不満が鬱積している)ことの反映なんだと思うと怖い。犯罪者である主人公に共感してしまう危険な映画。
もともと主人公は健全なドッグシェルター(保護犬の施設?)を経営していたのに、公的資金の削減だとか近所の苦情とかでなくすことになって、そのせいで犯罪者であるDOG MANが生まれたんだと考えると、すごく示唆的だなと思う。
社会の暗部や解決が難しい課題があって、それをかろうじて引き受けてくれる、人がやりたがらないいわゆる汚れ仕事みたいのがあって、法の中で管理できてた状況があるのに、それを解決するんじゃなくて、安易に失くすとか見えなくすることで、管理不能な状況になる、っていう…。社会問題が悪化していくときって必ずこういう過程がある気がする。
ラスト、女性の精神科医がひどいことになるんじゃ…、という不吉な予感がしたけど、なんにもなくて良かった。でも、もしかしたら彼女が「痛み」を共有できる人じゃなかったら、助かってなかったんじゃないだろうか。
主人公の神様との向き合い方が面白かった。神様をうらむんじゃなくて、むしろ常に敬虔な態度をとっている。状況によって自分は悪人になった、と悟りきったように話すくだりは、仏教の考え方に通じるものがあるなー、と思った。彼が自分の行いに罪悪感を持たないのは、そうさせているのは神様だから、と考えている気がする。
「装うこと」もテーマになっている。シェイクスピアの演劇の場面では、装うことによって真実の自分を表現する、という考え方が語られる。これはヒーローが変身することによってパワーを得ることと何かつながりがあるように感じた。
悪役が男性や白人にかたよってるような気がしてちょっともやもやした。主人公がドラァグクイーンになったのは、(父親や兄と同じ)男性である自分を否定したかったから、と考えられなくもない。
ベッソンらしい一作
これは他の人が言っているようにファンタジーなのか?結構笑えるところもあったのでファンタジーコメディか?であればラストも理解できるかも。
なんでお母さんは出て行ってから通報しなかったのか?あまりにチンピラが弱過ぎ。エブリンのストーリーもあった方がストーリーに厚みが出たかも。ラストは考察すれば理解できるものなのか?
全体のストーリーは悪く無いが、尺が足りない。ドラマの方が向いているのかもしれない。にしても不思議な作品だった。
そして犬が1匹も傷つくことがなくてよかった!!
੯‧̀͡u\🐾
素晴らしかった 全体的にオシャレ とっちらかってはいるが何も考えずに観られた
ドラァグクイーンになって一発目のステージは何故か涙が出た
アジトでのドンパチはイマイチだったかなー ホームアローンみたいでちょっとコミカル過ぎ トラバサミ置いたり落とし穴があったり この作品には合わない気がする
ラストもオサレ 死に向かって歩ききった
【蛇足】ギャングのボスが街裏ぴんくに見えて仕方なかった
クライマックスは急に
のっけから重く暗い雰囲気がよし。犬ちゃん達が頑張っている。CGあったのかな途中から気がついて監督のこだわりがありそうだ。クライマックスの銃撃戦が急で気持ちが乗りませんでした。最後、?
口パク芸だけでなく
全編通じて演技がすごいですね、ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ!
アウトポストでも心に残っていたので、映画館行きましたが、よかったです。
セリフまわしや、視線、脊髄損傷の状態、でも立って闘う姿、ラストまでひたれました。
兄のふざけた横断幕を透かし見たダグには
ドッグマンになるのも神からの啓示っぽく、そのあとも存在を感じながらイヌたちと
生きていく
この人以外のキャスティングが思いつかないくらい、ダグラスでした
ネコだとムリだよねー、とか思いながらわんこたちの盗みのシーン、楽しく観ました♪
キャバレーのシーンもほんとにしびれます、心の中で総立ち&拍手、送ってましたもの。
エディットピアフにみえました〜
ベッソン監督なので過激アクションを期待してたんですが、主人公とわんこの演技を
堪能できて大満足な映画です
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