オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
全677件中、221~240件目を表示
長い‥ついていくの大変
クリストファーノーラン監督作
みんな観てるし、長いので配信では集中力ないから劇場で行ってみた
褒めてる人多いけど、自分には難しかった‥
後半、たくさんの登場人物が出てくる公判シーン?ばかりでついていなかった
アカデミー賞らしい作品かなあ、なんかやっぱりフィクションが好きなんだな
アインシュタイン多め
アインシュタインの出番が結構多めでしたw
似てる! w
て言うか似すぎてて意識を持っていかれ過ぎて困った
むしろアインシュタインの映画観たくなるw
てかオッペンハイマーとアインシュタインてそんなに親交あったのか?
アカデミーも取ったしこれはいよいよ観に行くぜ!と気分も盛り上がってたところ、早々に縮小傾向で、コナン公開日には虫の息 wいつ打ち切りになるかと怖くなって有休取って朝から観に行く。
大画面のスクリーンで上映してる所も無く小さなスクリーンばかりで、客も朝イチとはいえかなりまばら。客層の年齢も定年後の爺さんばかり、、そりゃ爆死するわ
デカいスクリーンで観れなくなって後悔してたけど、観終わってからは、、高い金払わなくて済んで良かったwでした
デューンみたいに大画面で見るべきシーンなんてあった?
そういう意味でも、今までのノーランの大作気分で行くとガッカリするかも
点数低めなのは、いつもの思ってたんと違ったから…でもあるんだけど、そうでなくてもポイントを変えて撮ったら良かったのにと思わずにはいられなかった
最初から最後まで、ずーっと「オッペンハイマーは共産主義に加担したのか?」という疑惑についての話が何度も何度も出てきて…え?コレがこの映画のポイント?て思った。正直面白くも何ともない部分を掘り下げてる感じで、何でここを強調したのかサッパリだった
逆に、原爆開発や研究についてはお飾りみたいな扱いで、爆発シーンもショボい
そして実験成功から後の上映時間が長い長い!むしろそこからが本編 w何度か落ちた
あとセックスシーン含めて恋人との話全く要らんやろ?
コレ無くしたら2時間に収まるんじゃね?w
オッペンハイマーの苦悩とかも、描けば描くほどしらけてくるのは目に見えてるので、最初からどうでも良かったし
これを反戦映画とか被爆者のシーンが無いとか、、そういう目線で見るのは全然あたらないとおもた
これはオッペンハイマーがアカだったかどうかを問うた映画だからw
と言うわけでノーランさんには次回作に期待です
でもこれで日本では大損こいたろうな…😅
日本人だからこそ観る意味がある
日本人はどうしても目を背けがちなテーマ
しかし、アメリカという国の行動原理と思考を知る意味で、1人の人間を通して描かれる原爆の開発から日本への投下に至るアメリカの中身を描くこの映画を観ることには意味があると思う。
日本で公開されて良かった。
罪深い人類の物語
オッペンハイマーをプロメテウスに例えるというより、これはプロメテウスが火を与えた人類の物語の続きで、プロメテウスは今もなお責苦を追い続けているんだろうな。
と思ったわけで、テーマ性として、善悪とは、科学と政治とは、作ると使うとは、みたいな論点もあれば、イスラエル/パレスチナ問題に通じるユダヤ人の論点もあれば、原爆を日本に落とさなければ戦争は終わらなかったのか、また落とさないで終わりを迎えたとしたら世界の形はどうなっていたのかというif的な論点もある。
いろんな論点を問い続け、人類の罪に対して罰を受け続ければならない、この悲しい人類の物語について、じっくり考えるための作品。オッペンハイマーの功罪とか、彼が個人として負い続けなければならない永遠の責苦について考えさせられるのではなく、自分自身が負っている責苦をよく考えなければならない。
そして、彼が実際に責められたのは赤狩りを背景としたものなので、共産主義を改めどう捉えるか。また、現在の原子力政策をどう捉えるか、気候変動問題をどう捉えるか、いろいろ考えないといけない問題が沢山あるので、我々人類に思考停止に陥っている暇はそれほど残されてはいない。
栄枯盛衰オッペケぺ〰️
長い
オッペンハイマー=原爆製作者というイメージだったけど、あくまでもイニシアチブをとっていた人だったんだね
ま、色々な分野の専門家を集めて、早く戦争を終わらせることをパーパスに取り組んで、成功させた功績は大きいと思います(日本人の不得手な分野)
登場人物としてアインシュタインもでてきたのは、少し驚き👀‼️以外にオッペンも色男だったことや、騙されていたことも…
ノーベル(ダイナマイト発明家)も同じ境遇だったのかな〰️とか、あまり目立ちすぎると疎まれるのは全世界共通なんだな~とか、最後には天皇の戦争責任について(なぜ今も税金でのうのうと…)日本国民だけでなく、判断ミスで苦しんだオッペン達等々
内容としては…😞
この上無い描写力
原爆の父と評された物理学者オッペンハイマの苦悩の半生を描いた映画である。この上無い描写力はさすがはアカデミー賞作品賞を含む7部門を受賞しただけのことはある。特に映画館という大きな箱の中で視聴者の耳には主人公に差し迫る危機を掻き立てるような緊迫感が溢れる音が終始鳴り響いていた。それがオッペンハイマの世界観に導かれたままのあっという間に3時間が過ぎた。只、現代進行形シーンと懐古シーンが頻繁に入れ替わるのでとてもわかりにくかった。この映画はアメリカ人の視点で描かれており、会話としては出るが、広島。長崎での原爆投下のシーンは全く出てこない。もちろん被災国日本人の心情としては決して穏やかではない。今も原爆投下によって終戦が早まったと正当性を主張するアメリカ人は結構な数でいる。そんな中でよくここまで踏み込んだと思える内容だ。原発や原爆を恫喝に使う独裁者が出たり、今もガザでここまでやるのかと思うくらいの罪のない何万人の市民の悲惨な殺戮が繰り返されている。確かに重いテーマが背景にある。近年核なき世界がずいぶん遠のいたと感じている。本当にこのままで良いのか?この映画はそれを問い掛けているようにも思う。ぜひ観ていただきたい。
象牙の塔の外には獣たちがいる
伝記映画というより政治もので、時の人や権力者の栄枯盛衰を、審問の現場とそこで取り沙汰される過去の回想とで描く物語である。
つまり本作は昨年、海外でオッペンハイマーの伝記映画が公開されるという話題が届いた時に日本で懸念されたような内容でもなければ、平和団体が期待していたような内容でもなかったのだ。
さらに時系列をシャッフルした構成はやや難解である。室内の会話劇を主体とした本編が冗長になることを避けるためと、ノーラン監督の作風故に仕方がないことなのだろうが、普段映画館に足を運ばない人には結構辛い構成だったのではなかろうか。
戦中戦後のファッショントレンドを取り入れ老けメイクを凝らして観客の理解を助けようとはしているが、事実ベースの作品でもノーラン流を貫かなくてもなぁ、とも思う。
イデオロギーが二転三転する時世において、二足どころか何足も草鞋を履くことになった結果、足がもつれて転倒したまま消えていく人物は歴史において枚挙にいとまがない。原爆開発の中でプレイヤーでもありマネージャーでもあったオッペンハイマーもまた、沢山の役割と個人の見解や関心、公人としての立場の矛盾に足を取られていく。
戦争裁判と同様、事後のルールで過去の行いを裁くことの矛盾や、権限のないことに対する責任を問われる不条理が何とも恐ろしい。
余生にあるかのように池のほとりに佇むアインシュタインは、開発の舞台に上がらなかったifのオッペンハイマーでもあったのだろう。
焼夷弾、劣化ウラン弾、対人地雷、クラスター弾など、実戦投入後、破壊力と事後処理の厄介さから後年禁止される兵器は沢山ある。そして使用を禁止する法や条約を批准していない国や組織の戦場では、それらが今日も使われているのが現実だ。
核兵器に限らず、兵器開発の裏には開発者と政治家のジレンマがあることは想像に難くない。
史実のオッペンハイマーは公職追放の後にも原爆や核兵器について個人としてコメントを残している。重要機密に立ち会った過去があり学術的には依然重要人物であるため、冷戦下ではずっと監視下に置かれており、言葉選びには用心せざるを得なかっただろうが、核拡散の看板として振舞っていた時期よりは本心に因ったコメントをしていると見られている。
世界のステージを変えてしまったことに個人として向き合う彼の内心を重要視しているならば、公職追放後の描写があった方が良い気がした。
その時期を描かなかったことと、原爆被害を口頭と想像で済ませたことから、ノーラン監督がメインに描きたかったのはオッペンハイマーと核兵器の関係よりも、思想や大義というルーレット盤の上で戦争・人命・経済・科学という球が人間の感情によって回転している絵図や、先述の科学と政治のジレンマだったのではないか。
オッペンハイマーの半生を通り過ぎていく、労働者の権利のために左派の集会に集う人々、反ナチスの旗印の下で連帯するユダヤ系科学者、未知の破壊力に怯えながらも期待感を隠せない開発者たち、オッペンハイマーが発言力を持つことを嫌う軍部やストローズ、一人池を見つめるアインシュタイン、反枢軸から反共産主義に流れていく世相…を振り返ると、どうにもその印象が拭えなかった。
本国やヨーロッパ、日本以外のアジア地域において本作は昨年の夏に公開済である。本国を中心に同時期のビッグタイトル映画「バービー」と絡めて「バーベンハイマー」というフレーズが盛り上がり、二作が顔を合わせた96回アカデミー賞の会場でも度々そのワードが出て来た。
自分は夏の時点では日本で公開された「バービー」しか観ていなかったので、「バーベンハイマー」の流行は静観していた。
本作を観て改めて騒動を振り返ると、この作品を観た上で「バーベンハイマー」を冠した破壊的なコラージュ画像を作り賞賛した人々には、劇中で示されるオッペンハイマーの心の痛みは届かなかったのだろうな、と感じた。
優秀な科学者であるが優秀な人間ではない
原爆を開発したオッペンハイマー博士を描いた伝記映画ということから、原爆を描いているのに広島、長崎が描かれないのはおかしい、という論調が一人歩きしている。
映画を観ればわかるが、この映画は”原爆を描いているのではない”。
アメリカでヒットさせるためにオッペンハイマー=日本との戦争を終わらせた英雄、というイメージを覆させないため広島、長崎は描かれなかった、という推測も間違いと考える。
この映画は原爆を開発したロバート・オッペンハイマー(キリアン・マーフィー)の生き様と、水爆開発をめぐって対立する原子力委員会会長のストローズ(ロバート・ダウニーJr)の対立を中心に描いている。
基本2人の周辺で起こる事実しか映画には登場しないので、広島、長崎に関しては効果を実録した映像をオッペンハイマーが確認しているシーンとして登場する。
広島、長崎を映像として登場させたとしたら視点がずれてしまうし、そこに引っ張られあらぬ論評が巻き起こってしまうだろう。
この映画が描くのはオッペンハイマーの科学者としての功績と成果として生み出したものが大量殺戮兵器であることの苦悩。
一方、私生活では略奪婚に子育て放棄、不倫と人間的には不完全であったこと。
そして、英雄が一転、水爆に反対したことで、米ソ冷戦に巻き込まれソ連のスパイとみなされる国家権力の恐ろしさだ。
道徳観念が欠如した人間が研究の成果を目指して完成させた原子力爆弾。
そして、ドイツに投下するという目的を失った原爆を覇権の為に広島、長崎に投下してしまった国家の恐ろしさ。
もっと恐ろしいことは核兵器は一瞬にして世界を滅ぼす危険性を孕んでいるということだ。
この事はノーラン監督の前作「TENET」でも言及されている。
SF映画と伝記映画と表現は違ってもノーラン監督の視点は一貫している。
続・ゴジラ-1.0を見たい
この作品は賞狙いの作品。
いかにも審査員受けする、構成、編集だった。
庶民のための映画なら、女性関係や、公聴会を詳しくやる必要はなかったし、何よりも原爆投下の結果をさらりと流して、アメリカの世論に配慮していることが伺える。
ノーラン監督でさえ、広島、長崎の惨状から逃げた。
アメリカ政府はもちろん、世界中の人々が広島、長崎の結果を直視して、戦勝国と言えども、一般人の大量殺人に対する戦争裁判を受けばならないのに、どこも逃げ続けている。
戦勝国に何の裁きもしないから、ロシアはいい気になってウクライナに進攻するし、中国も台湾に進攻するかもしれない。
今後広島、長崎の惨状を映画の一部として世界中に見せるためには、山崎貴監督が「ゴジラ-1.0」の続きとして、戦後の広島、長崎にゴジラを上陸させて欲しい。
IMAXで鑑賞
昨日観てきました。
久しぶりに映画の迫力ある映像と音響を体感できました。事実に基づくオッペンハイマーの生き様、どれだけの成功者も周りから妬まれ貶められる、人生とはこんなもんだってセリフありましたけどまさに人の一生を見ているようでした。
原子爆弾を作り出し使用するまでの流れは非常に納得がいくというか終わらせるために使用した、アメリカ人だけではなく日本人を救ってくれたことにとても感謝の思いです。今の平和な日本があるのはきっとナチスと戦うために努力した世界中の科学者のおかげだと思ってます。科学の進歩は人類にとって素晴らしいことです。想像は破壊からしか生まれない。自分はこの映画でオッペンハイマーのことをよく知ることができ興味が湧いたので色々彼のこと、彼のしたこと、調べてみるつもりです。
第2次世界大戦で原子爆弾の恐ろしさ、それよりも恐ろしい水素爆弾、世界を滅ぼす核拡散、核を搭載したミサイル(オッペンハイマーが飛行機に乗って見つめているシーン)未来を余地していたオッペンハイマーは誰よりも苦しみ戦って散っていった天才物理学者でした。家族のことや愛人、アカ狩りなどもあって気苦労が絶えない中、彼は立派に素晴らしい仕事をやり遂げたんだと思いました。感動しました。
24-041
アカデミー賞作品をやっと鑑賞。
豪華出演陣、やり過ぎな感じもする😁
原爆の父の栄光と挫折、苦悩と葛藤。
人には得手不得手があり、
信頼と裏切りや嫉妬、誰にでもあること。
原爆の父もひとりの人間ってことなんでしょうか❓
しかし愛人を振り回して振り回されて、
恐妻に叱責される。
とてもとても立派な人間には見えません。
日本人ゆえの踏み絵感
時系列は入り組んでますが、ノーラン監督作の中ではかなり分かりやすい部類に入るかと。
3時間、緊張感が持続し続ける構成はさすがの手腕。
同じく3時間あった、マーティン・スコセッシ監督のキラーズ・オブ・ザ・フラワームーン同様、登場人物の多さに対して各人物の説明がやや弱く、メインの3〜4人以外は関係性が把握しづらいのが難か。
主題といえる原爆に関しては、日本人としての知識や倫理観が、理解を深める材料にも、理解を妨げる壁にも感じられました。
世界唯一の被爆国として、原爆の悲惨さを訴えることは本当に大事であるけれども、そんな意識が逆に開かれた議論を妨げてはいないか、とは常々感じておりまして、そんな二律背反な意識を本作は激しく揺さぶってきました。
いやはや…重い作品でした。
作った学者と使った政治家
アカデミー賞を獲った情報以外は入れずに鑑賞
原爆を作った人というのは知っていたが、
核爆弾の使用をアメリカ側から描いただけと予想していました
作った側の苦悩は本人しかわからないが相当なものだったはず
学者としては天才でも、世渡りの才能は皆無
最初は観ないつもりでしたが、観て良かった
冒頭で明らか、ダメ男オッピー物語
開始早々、女性と深い中になるあの安易なくだりでピンときた。
こやつ、仕事しかできないダメ男だな、と。
その後のカラーパートでの聴聞シーンでも映像そのもの、包み隠さず公の面前で不倫を明かし、妻を傷つけながらもお互いの関係を信じて証言に現れる、と言ってのけるあたりなど、
アタマ良すぎるタイプに散見される、人としてアタマ、ワル、な展開に呆れてモノも言えかった。
そこは濁すか、否定するか、証言には来なくていいとむしろおもんばかるのが優しさでは。人の心がなさすぎて寒気すら覚えている。
高度な抽象を綿密と扱い、その中で正確さをつきつめる。
情緒を排した作業の日々に、消え失せたのはそうした優しさのみならず恐れもまたで、
恐れを知らないとは無謀であり、無謀こそ真に賢明な者なら徹底して回避する成り行きだろう。
あくなき探求心、研究の成果なのか、功名のためか、祖国への忠誠か。
いずれにせよ越えてはいけないそれが一線である、と芯から恐れを感じ取れなかった、
仕事に忠実なだけだった、感情薄い主人公の愚かさが徹頭徹尾、愚かしくも悲しみを誘い、そうじゃないでしょ、と言って聞かせたい腹立たしさを誘った。
最後、そりゃあ、後悔しても遅いし、ハメられても文句は言えないな、と。
またちょうど鑑賞前日、「アインシュタインが娘にあてた手紙」というものの存在を知った。どうやら都市伝説のようなものらしいが内容は興味深く、「愛もエネルギーなら科学の範疇」と唱える「インターステラー」の元ネタではと気づき、本作は真逆と「科学が愛を失った成れの果て」を描いているのではと感じている。本編、日本の立ち位置はその一部に含まれている、程度で、原爆の功罪というよりも、主題はもう一回り大きい気がしている。
三時間が短かくてびっくり。
バストアップの多用される単調な画面を、煽り過ぎず、引っ込み過ぎず、音楽がちょうどいい具合に飾っていてこれまたよかった。
被爆の映像を挟むことはむしろ、それだけで見る人の思考を止めるだろうから、いらないと私は思う。
作った人は悪くない、使った人が悪い
原爆の父と呼ばれた、物理学者オッペンハイマー
彼の原爆開発成功に至るまでの姿、
そして原爆の脅威を知った後の彼自身による軍拡反対、水爆開発反対の意見、
それに対する周囲の渦巻く欲望・・・
アメリカの原爆はドイツを攻撃するために開発されたが、
ヒトラーの死後、ドイツは降伏、そして負けを認めない日本に対し、
原爆を投下することに・・・
この映画では時系列がシャッフルされ、カラーになったり白黒になったり、
また、登場人物も各自系列の中で多く出てくるため、観ながら混乱してしまいました。
ただ、さすがに原爆の完成が近づき、さらには日本への投下の話があがり、
8月6日とか、広島、長崎という単語が出てくると
胸に苦しいものが・・・
作った人が悪いのではなく、使った人が悪い
いつの時代も新たなものが生み出されると、こういった論議が行われるが・・・
映画冒頭、アインシュタインとの会話はなんだったのか、
それがエンディングでわかり、心に響いた
3時間、あっという間でした
ノーランが描く映画のキュビズムな手法
私は一応理系で科学史なども大好きな人間なので、おまけにノーラン映画の大ファンなので待望の映画でした。最初は次から次へと出てくる「現代物理学の巨人たち」にニヤニヤと。ただそんな私でさえ、「がっつり専門用語入れてくるなぁ」と、そこはぬかりのないノーラン監督。一緒にこのスクリーンを鑑賞している人の中で、今のセリフ、果たして何人意味わかっただろう、なんて無駄な同情することもしばしば。
で、着目したいのは今回のノーラン節なのですが、いつもの定番は案外軽めかと。時系列シャッフルは3つくらいですし、相変わらず伏線だらけですが、まあ解り易い方かな。ただ今回の監督の目論見は、ズバリ「映画のキュビズムな手法」ではないでしょうか(某有名画家の絵も解り易く入れてたしね)。オッペンハイマー博士だって人の子です。そりゃスケベでもあれば名誉欲もあり、主義主張を論じれば純粋な探求心もあり。こういった多角的な側面を我々に見せることで、ある一面だけでは人物は語ることのできない、複雑な人物像。原爆の是非ひとつとっても博士の心情は超難解、情報多すぎ、単純には評価できない、だからこそよりリアルに感じられる。なるほど、こう来たか。
主人公とと脇役の関係をこの映画らしく「核融合と核分裂」になぞって魅せるのも面白かったです。時代が変われば、当然関係性も変わっていく。昨日の友は今日の敵。これも人間のリアリティですよね。
後半はもう一人の主役ともいうべきストローズの話になるのですが、ダウニーJr.はさすがアカデミー賞の演技ではあるものの、ちょっと長いかなーと思いました。オッペンハイマー博士の名誉回復の意図もあったのかもしれませんが、アメリカ人好きな裁判もので名優の演技という保険かけてる気がして、そこが個人的に満点でない理由ですかね。赤狩りとか、日本人にはやっぱり印象が薄いのは仕方ないですしね。友情や夫婦愛もぬかりなく入れる、さりげなくはしてるけど、気が付くとそこもちょっとあざといかな。
最後に話題になった原爆投下の扱いですが、正直内容が薄くて無視に近いレベル。公開を見送るほどのものじゃなかったかな。あとフェルミの扱い少ないぞ、ノイマン名前さえ出ないぞ、結局あの方が最後持っていくんかーい、が個人的なツッコミポイント。総じて秀作でした。
全677件中、221~240件目を表示