月のレビュー・感想・評価
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人の心とは
実際にあった障害者施設殺傷事件をモチーフにした作品。
カメラワークがちょっと特殊なのと、画面が暗めなので序盤から不気味な雰囲気が満載。
似たようなテーマのロストケアより犯人となる人物を丁寧に描写している。
実際の犯人を忠実に再現したらしく、より生々しく事件を浮かび上がらせている。
事件を起こす直前のさとくんと宮沢りえとの対峙シーンは必見。
さとくんと話しながら自問自答しつつ答えのでない問題に何とか答えようとする。
心がない人は人ではないと言い切るさとくん。
意思疎通ができなければ心がないと言い切れるのか。
精神科の施設に入れられても変わることなく早々に出てきてしまったのは現実の対応力の限界か。
重いテーマだが少しだけ希望のある終わり方だったのが救い。
回転寿司
人間とは?
2016年、やまゆり園における植松聖の為したことをモチーフとして描かれた本作。まだ記憶に新しく、自身がどう感じ何を考えたのか、今どう考えているのか、一定の年齢に達した者ならば皆が思考できるだろう。
今、障害者に関する施策は施設から地域へと題され、施設に収容して日常生活を送ることからの脱却を希求している。そのためにはマンパワーが絶対的に必要なのだが、生産年齢人口の減少が明らかに見込まれるこの国、社会福祉にかけられる予算も脆弱なこの国で可能なのか?という思いは拭えない。脱施設によって、結果家族への負荷が日常になるような。
人間って何ですか?と周囲に問いかけ、あなたは今幸せですか?と障害を有する者たちに問うて回る元施設従業員・さとくん。行動障害を有する者は、関わり方次第でその障害の発現も軽減するが、周囲の者が100%その障害に気を使える者ばかりではない。自身の子どもが突然噛まれたり叩かれたりすることを許容できる親は多くないだろう。それでもなお共生を模索しなければならないのは、理屈としては分かっているが、どこまでできるか?私には自信がない。
どの命も大切だが、時と場合によっては、という思考が私には確実にある。私はそんなに善人ではないのだろう。それでもなお、そこから目を逸らさずに、難しい答えのない問いを死ぬまで考え続けていくこと。その覚悟だけは持っておきたい。安易な答えに飛びついてしまうことなく。
見てもらいたい映画の一つ
見終わったあと、ものすごく疲れました。
色んなことを考えながら見たからかもしれません。答えは出ない…出ないと思います。
いろいろな人生で、経験したこともそれぞれ違うし、考え方も違うので。
でも、沢山の人に見てもらいたい映画の一つ。
俳優、製作者、この映画に携わった方達に感謝いたします。
演者の覚悟を感じる
問題提起になる作品だろう
障害者施設を舞台にした作品。おそらくあの事件に少なからず影響を受けているだろう。とても難しいテーマだし,見る人の立場によって色々な意見もあると思う。
私はこの映画で,改めて考えさせられた。
障害のある人との暮らしとは、自分の子供や親がそうだったらどうするか。
磯村の壊れている演技は、恐ろしかった。ああいう人は,きっと普通にいて、でもちょっと付き合ってるだけだとわからないのかもとおもう。
子供を病気で亡くした夫婦が、お互いを労わり合い,それゆえぎこちなく暮らす毎日。小説を書けなくなった妻を尊敬し支える夫。どちらかと言うとチャラい役の似合いそうなオダギリジョーの静かで誠実な演技に引き込まれた。
2人がこれから選択する道はどうなるかわからないけれど、希望を感じさせてくれたことは救いだった。
賛否両論ある作品を遂に観に行けた。
俺個人としては良かったと思う。
殺しの描写も酷いものではなかったし、
俺、自身いつも感じていた感覚だった。
自分は何のために生きているのか?
この世は地獄だ、そんな中でも自分らしく楽しく生きていかなければならない。
社会福祉の資格を取る為の実習で過去に就労支援施設で実習を30日間行った事がある。
その先で支援員の仕事をしたいと考えた事もあった、未だ資格が取れていないので叶っていないけれど…今は介護士として働いている。高齢者の分野でも同じ様な事は多く見てきた、未だに答えは分からない、、でも生きてくれている事で生きようと頑張る支援者の親が居る事もたくさん見てきた。それが自分の立場だったら?といつも考える。
あの事件はあくまでもキッカケにすぎない、、事件自体はとても残念な事ではあるけど社会が隠して行こうとしている事実は受け止めなければならない。
そして何もしないし見ようともしない人達が当たり前に居るのも現実だ。
どちらが健常者で障害者かを常に今の世の中が勝手に決めているだけだと俺はいつもそう思う。
同じ健常者を見ても嫌悪感を感じる存在は山ほどいる世の中で、、自分はどう生きて行こうかと改めて思わせてもらった気がする。
とことん"現実"を突き詰めた作品???
タイトルの末尾に???を付けたのは、さすがに無理があるんじゃ…って思ったからです。
*このような施設を訪問したことは無いので、入居者の方々の表現については触れません。
さすがに施設の場所を山奥すぎませんかマップで調べてみたら普通に県道沿いにありました。マイナスな面を表現したいのはわかりますが、あまりにも露骨過ぎると思いました。
また、主人公の小説家という設定は必要だったのかな?って感じました。確かにその方がキャッチーだし、様々な感情を表現するのが容易になるけど、実際職員さんの中にいらっしゃったのかな?
主人公→理想や非現実(震災の見たくないものを表現しない、亡くなった息子のことばかりなど)、
他の職員→現実(才能がない、読み聞かせは意味が無い、暴力を振るう)
という対比で物語が続く中で、小説家という設定がすごく物語を複雑にしているんじゃないかとずっと考えていました。
とにかく観ることが出来て良かったです。
でももう絶対に観たくないです。
描き方に疑問
元重度最重度知的障がい者施設の職員でしたので、この映画は観ないといけないと思い、観てきました。
まずは、施設の環境の描き方がマイナスの面だけを誇張して描かれていることが、とても残念です。映画のテーマに合わせてプラスの面はあえて捨てたのだとは想像しますが、現実もこうであろうと観た方が誤解されないか、悲しくなります。
パンフレットには、石井監督のインタビューの中に、「この映画で描いた、障害者施設で起こっていることに関しては、全部事実です。障害者施設の中のことに関しては、絶対に嘘はつくまいと思って、事実としてあったことしか描かないと決めていました。」「もちろん、僕が実際に見たのはそういう劣悪な環境の施設ばかりではありませんし、いままで問題があった施設でも、日々改善の努力がなされていることはきちんと協調しておきたいです。」と書かれていました。
監督が言われているように、プラスもマイナスも両面あるんです。それなのに、いろんな施設のマイナスのことだけ集めて、さも津久井やまゆり園の状況のように描くのはひどいです。
私も津久井やまゆり園の現状は、正直分かりません。でも、一度見学した際は、あんなに暗くないし、利用者さんはもっと部屋から出て過ごされていたり、日中活動をされていたりします。笑顔で快適な時間も当然あると思います。スタッフが支援する必要があるので、スタッフ同士であんなにゆっくり話している時間がないと思います。あと、同性介護も徹底されていると思います。施設の場所は自然豊かなところですが、あんな暗い森を超えないといけない場所ではありません。普通に県道沿いです。
一方で、一般的に知的障がい者の施設が、交通の便の悪いところにあり、たくさんの知的障がい者が大規模施設に入所し、地域で暮らすことができず、施設の中で心ない虐待にあってしまうこともまた事実であろうと思います。
なので、この映画が難しいテーマについて問題提起してくれたことについては、敬意を表したいと心から思いますが、あの事件を題材しているのならば、関係者を再度傷つけかねない表現は絶対に避けてほしかったと思うのです。
あとは、この映画を観て、自分自身の内面で起きたことを書かせてもらいます。
以前、施設で働いていた時のことを思い出しました。映画の中で描かれていたように、利用者さんは自傷が止まらなかったり、声を出し続けていたり、私自身が嚙まれたり、排泄物を投げられたりもありました。私の心の中で、怒りや憎しみが湧いたことがあったのも覚えています。自分の中の嫌な面をすごく体験させられました。キャパシティの狭い、優しくない、結局自分が大事で、楽をしたい、ズルい自分を痛感させられました。だから、この映画をみてそんな自分を思い出してきつかったです。それでも、チームで支援を考えて実践する中で、利用者さんの笑顔が増えたり、不快な声が減ったりしていくことも経験しました。心がないと映画の中で言われていましたが、私が出会った方達はみなさん本当に感受性が豊かでとても個性的でした。何年経っても忘れないです。元気に生きていて欲しいです。
自分自身の中に、悪意も好意も両方あり、その自分を見つめ、できることを見極めてやっていくことが大事なのかなと今は納めています。悪意はあってもいいと許すようにしています。いけないのは行為に出てしまうことなのです。
いろんな意味で心が動かされたので、ほとんど書いたことのない映画レビューを書かせてもらいました。
一生整理はつかないだろう
月とは、、
7年前に実際に起きた事件を元に作られた作品だが、フィクションとして成り立っているも
のの、やはり実際に起こった事件とは切りはなせない。
人間は自分以外のものを攻撃する生き物、特に弱者へと向きやすいもの。
障がい者施設での職員と入所者においても悲しいことにその構図が成り立っている。
かつては優生思想が幅を利かせていた時代、それに異議を唱える声はかきけされていた。
今はそうではない、と誰が言えるか、今でもその思想が私たちの心の奥底に潜んでいる、そして何かをきっかけにむくむくとあらわになる。例えば貧困、不幸、思い通りに行かない人生などをきっかけとして。
しかし、自分が嫌なものを排除する資格はない、目を背け見ないようにする、存在を否定する、それできるかもしれない。でもそれは事実ではないし、事実そこに人は存在する。
事実とどう向き合うべきか。
自分がもし障がい者だったら、と考えるのが一番単純で分かりやすいのかもしれない。
自分の身内が、とかでもいい。
月は太陽によって光る。太陽なければ月は暗い物体でしかない。
人もまた月のように 他者との関わりで光り輝く。自ら輝いているように見える人でも同じだ、人を輝かせることができる人こそ幸いなのだろう。
考えさせられるけど答えは出ない
石井裕也監督作品はわりと好きで見ています。たまたま同じ日に『愛にイナズマ』を見てから『月』を見ました。
全く別物のかなり重い作品。
施設の職員として、入所している障害者として、障害者の親として…感じ方は全く違うでしょうし誰が正しいとかもない。施設内での虐待やイジメはあってはならないし、どんな理由があろうと殺人は許されない。
しかしそういう世界に目を向けていなかった自分は何も言えないな。
どなたかのレビューにもあったけど、宮沢りえじゃなかったら見なかったしオダギリジョーがいなかったらもっともっと重い作品になっていたと思う。
経済合理性の思想に騙されてはいけない
まさか、『愛にイナヅマ』と同じ監督がほぼ同時期?に作った映画だとは⁉️
でも、この監督さん、主演俳優に〝顔〟で演技させるのが好きなのですね。宮沢りえさんが過去の辛い思い出と高齢出産の不安を重ねるあたりはまさに真骨頂。
(障害者に関わる様々な事象やご家族のことを想像すると、俯瞰的に考えることができなくなってしまうので、以下は敢えて当事者の方々とは距離をおいて書いてます。もしかしたら不愉快な思いをされるかもしれませんが、ご容赦ください)
さとくん勇斗さんが、元々持っていた正義感が蝕まれ追い込まれた挙句、狂気に変容する様も見事だし、彼が滔々と語る〝正論〟(ここでは敢えてそう言います)も説得力を持つことになる。
でも、経済合理性を盾に語る人間を誰が批判できるのだろう。
今の世の中は、コスパによる評価が社会の規範になってます。受験競争も社会人になってからの人事評価も目先の結果や成果ばかり追い求めてるから、みんな余裕を無くしてる。勉強が苦手でも気の優しい人間とか、要領は悪いけどなんだか芯は通ってる人間、そういう人は受験や就活という期間限定での競争からは結果的に〝排除〟されていきます。だから、〝大器晩成〟という言葉が死語になりました。
成長には個人差があるのに、それを待てない大人ばかりだから、こどものほうも自分だけがいち早く評価されたくて、人を蹴落とすことばかり覚えてしまう。
受験競争も出世競争も自分が勝ち残るためには、自分が抜きん出る努力をするよりも他人を蹴落とすのが早道。自分のノートを貸して友達が自分よりいい点を取ってしまうなんて事態は全面回避したくなるから、助け合うよりもギスギスしていく。
経済合理性の方が人命より価値があるのだから政府も僕を褒めてくれる、と手紙を書く若者が出現したのは、ある意味で日本政府の国民教育の成果なのですね。さとくんにとっては、それはリアルな現実です。
勲章がもらえるくらいのことをしてるんだぜ、オレ。
宮沢りえさんが、さとくんとのやりとりの中で、自信を失っていくのは、クリエイターである作家ですら、経済合理性の思想に侵され、その論点で発想せざるを得ないから。
人間性の尊重や尊厳、福祉などの制度的な救済。
これらの概念は大人たちに余裕のある成熟した社会ならそれなりに備わっているもので、経済合理性の論点とは別次元のこと。金のことだけ考えたらムダと思えることを社会の枠に収めて運用できるのが成熟した社会。
自分の家族の問題を社会と共有するのが憚られるし、自分の事情に負い目を感じざるを得ないということは、この日本の社会がまだまだ成熟途上(むしろ後退かも?)ということだと思います。
でも、今の政治家は要領よく私利私欲を満たすコスパ脳はあるけれども、余裕を感じさせる成熟した大人とは程遠い人ばかりだし、中年も高齢者も全体的にはどんどん成熟とは反対の方向に時間を重ねている気がします。
小難しいことを長々と書きましたが、簡単に言えば、
フーテンの寅さんのような人が、自分の兄弟であってもにこやかでいられるし、一般社会の人たちもあんな非生産的な人はムダ、とか、あんな人に生活保護費が出るのは怪しからん、などと狭量なことをいうような社会だとすれば、成熟とは程遠い。
そういうことだと私は考えます。
気力体力が充実している時に観ること。
ヒトであることの判断
予想以上に、暗く重い雰囲気の濃厚な作品だった。
投げかけられた問題も難解すぎる。
正解なんて無いだろうけど、だからといって知らんぷりも出来ない、捨置けないタスクを受け取った気分。
心の無いモノは殺して(生命を破壊して)いいのだろうか?……
草刈りを延々としながら滔々と考えてた事があり、雑草を刈りとる事もまた生命を剥奪してる事なら、連続殺人者と似た行為なのか?と考えを巡らせた事もあったのを思い出させられた。
生きる事を許されない存在が有るとしたら、どんな生命体なのか?
生きてるだけで価値が有る、とどこかの政治家が言ってたが、深く掘り下げて考え、その真意を探ると複雑な思いに駆られる。
考えても仕方の無いところにまで展開してしまう……。
あなたは無傷で手ぶらで善の側に立とうとするなんてズルいですよ。
重いなあ。問題作だって言ってる人、現実を分かってないって憤る人、そういう人もいるだろうけど、こうして人の嫌がるところに手を突っ込んで問題提起をすることは評価すべきだと思う。少なくとも、知っていながら知らんぷりしているよりも。宮沢りえやオダギリジョーたち役者陣は、おそらく撮り終えた後に疲労困憊だったことだろう。観ているだけのこちらがこれだけ心が重くなったのだから。
検診で子供に障害が見つかった場合、96%の人が中絶を選ぶらしい。洋子(宮沢りえ)も問い詰められる。「同じでしょ?障害があったら中絶しようと思ったでしょ?あなたは無傷で手ぶらで善の側に立とうとするなんてズルいですよ。」見透かされているのだ。いい人であろう、常識人であろう、弱き者の味方であろうと思いながらも、いざ自分が「そちら側」の立場になるかも知れぬと察した時の、人間としての狡さ、小賢しさを。そして、それを素知らぬ顔で違いますよと言い返せぬ正直さを。そうさ自分だって、人には授かった命だからとか何とか体裁のいい言葉で善人振ってしまうんじゃないかと思うもの。心の中では96%の1人でありながら。この映画を観る行為だけで、さもこの問題を知っているかのような似非満足に浸ろうとしていたのだから。洋子の戸惑いは、自分の中にもあるのだ。せめて、そんな自分の中にある「善意のふりした悪意」に自覚していようと思う。
希望と絶望が同時に襲い掛かってきたようなラストは、今の世の中、この問題がまだまだ解決していない、いやむしろ解決のしようのない泥濘なのだと思い知らされたような気分になった。
撮るの大変だったろうな
答えは出ない
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