月のレビュー・感想・評価
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さとくんというアンチテーゼを生んだ社会=私たち
相模原障がい者施設殺傷事件をモデルにした作品ということで、正直かなり身構えて鑑賞した。あの出来事をフィクションに取り込むことの是非自体に懐疑的な気持ちを持ってしまったというのが本音だ。
辺見庸の原作は未読だったが、それを読む代わりに「やまゆり園事件」(神奈川新聞取材班・著)というノンフィクションで事件の概要をさらっておいた。原作からは視点人物の変更などかなり構成を変えていると聞いたためでもある。
実際観てみると、本作は事件そのものの実情に肉薄する話ではなかった。植松聖をモデルにしたとされる「さとくん」(植松聖が小学生の頃実際呼ばれていたあだ名と同じ)が何故あのような思想を持つに至ったかという部分は、むしろあえてぼかして描かれているようにさえ見える。
実際、パンフレットにある石井監督のインタビューによると、「生産性のないものを排除する」という思想は今の社会そのものが帯びているものであるため、植松という個人を掘り下げることはしなかったそうだ。
それは結果的に現実の事件に対して謙虚であることにも繋がっているように見えた。完全な創作ならさとくん個人の内面はもっと踏み込みたい部分かもしれないが、そこは「今の社会」の一員である観客自身に自分ごととして考えさせたいというのが本作のスタンスだろう。
ただ一方で、それならさとくんのディテールをあそこまで植松に寄せる必要があったのだろうかという気もした。
キャスティングはさすがに手堅い。個人的には、オダギリジョー演じる昌平が特によかった。自分とは全く共通点がないが彼の悲しみや喜びには感情移入出来た。オダギリジョーは奇矯な役もすれば、市井の人の風情を出すことも出来て、あらためて演技の幅の広い役者だなと思った。
ちょっと驚いたのは、施設の風景の場面で実際の障がい者の方が出演していたということだ。和歌山県有田市の障がい者就労継続支援B型施設「AGALA」の協力で、利用者本人に映画の内容を説明の上出演の意思を確認し、保護者にも了承を得た上で出てもらったという。なお虐待の場面の障がい者は俳優が演じている。
題材が題材だけに監督の覚悟は伝わってきた。だが、いくつか引っ掛かりを感じた部分もある。
ひとつは、障がい者の問題だけでなく、東日本大震災のことや出生前診断のことを絡めていることだ。
言いたいことは何となく分かる。震災においては、綺麗事が真実を覆い隠す一面があったし、出生前診断は、優生思想に繋がりかねない危険をはらんでいるということだろう。それらは、重度障がい者の社会との関係や、さとくんに象徴される命を選別する考え方とたいして違わないのだと。
それでも、ただでさえ繊細さが必要な障がい者を取り巻く問題を語る中で、震災と出生前診断のことにさらっと触れて、障がい者の問題と共通点があるだろうといわれると、私自身はどうしても「同じ俎上に載せていい話なのだろうか」と思ってしまう。
洋子たち夫婦が出生前診断の結果を聞きに行く日を現実に事件が起きた日に重ねているのが分かったシーン(カレンダーに丸印を付ける場面)は、正直そこまでやるのか、と思った。
監督は、自分の子供が産まれた時に感じた「健康な子供じゃなかったらどうしよう」という気持ちを強烈な差別意識だとし、それは自身の狭量さや不寛容さのほかに、社会のせいでそのような気持ちを持つのだと言っている。
出生前診断を受ける人は、内なる差別意識からそのような選択をするのだろうか。選択の理由には、違う意味での切実な事情もあるのではないだろうか。経済的負担、既に障害のある子を持っていたり親自身が疾病などで体力的に障がい児の育児が難しいなど。海外では妊婦の権利として認められ検査に保険が適用される国もあるなど、考え方の分かれる問題だ。これはこれで、本来なら当事者への取材が必要なテーマではないのだろうか。
また、複数の重いテーマを重ねると、重すぎて受け止めきれない人も出てくるだろう(障がい者の物語だけでも正面から描けばそういう人は出るだろうが)。本作を監督の意図通りの重さで受容するには、観る側の心にもある種の余裕が必要だが、観客だってそんな余裕を持って生きている人ばかりではない。
より多くの人たちに受け止めてもらうためには、ただひたすら深刻な描写のみを積み重ねるだけでなく、ある程度の飲み込みやすさも必要な気がする。
もうひとつは、主要キャスト以外の施設の職員2人が、ただの差別意識の強い人間としてしか描かれず、その背景の描写が不十分に見えたことだ。
河村プロデューサーは、事件の背景には社会の構造があると言い、長井プロデューサーも、本作の挑戦を日本社会での生活の根底に流れるシステム自体を問うことだとしている。であれば、あの2人の職員が何故あのような差別的態度を取るに至ったのかという部分こそしっかり描くべきだったのではと思ってしまう。
昌平の職場の先輩の描き方もそうだ。あまりに作為的過ぎる極端なキャラクターで、彼をあのようにした社会の問題より、この先輩個人への嫌悪感が先に立ってしまった。社会の差別意識を、登場人物個人の行動のみで表象することは、見られ方によっては誤解を生むような気がした。
監督は、当時の施設の職員にはできる限りの取材をしたそうだが、かなり「難しかった」ようだ。そのため、ドキュメンタリーという手法では描けないからフィクションで、ということらしい。被害者遺族に取材を試みたかどうかは、私が読んだ範囲のインタビューなどでは言及自体ない。
物語では高畑淳子が遺族の代弁者になっていた。出演時間は短いが、当事者という意味ではさとくんと同じくらい重要な役だ。ただ、本作をもし遺族が観たらどう感じるか、私には全く分からない。
こういう問題を批判されるリスクなしに描くことは途方もなく難しいことだ。作中でさとくんが、洋子がきーちゃんの視点で小説を書いていることについて、利己的な側面があるのではと面罵した。そもそも原作がきーちゃん視点で書かれたものなので観ているこちらもどきっとしたが、監督は自分自身もそういう批判を受け得ることは承知の上ということなのだろう。
私自身は、重度障がい者がどう社会とつながっていくか、という問題については、まず知ることから始めたい、という気持ちになった。気になった点も書いたが監督の意図を感じとった実感もある。
重度障がい者が、施設ではなく、支援を受けつつ地域で暮らすという試みも近年進んでいるという。本作をきっかけに重度障がい者への理解を深める人が増えれば、その試みもいっそう進捗するのではないか。とにかく重い作品だが、そういう希望に繋がることを願う。
匂いは映像で伝わらない
生産性、という言葉が定着して久しい。いや、製造や仕事の成果という点で昔からあった言葉だと思うのだけど、人間を評価する尺度としてこれが定着してしまった。そのことをどう考えるべきか、過酷な競争社会に煽られてしっかりした議論ができないままに社会は動き続けている。あらゆる人間の評価が数字に置き換えられていきそうな時代になってしまった。
本作の題材となった事件は、そんな人間を生産性で判断してしまう社会の行き着く先を示したようで、大きな衝撃を与えた。だが、ニュースが出た時多くの人は、単純にクレイジーな人間がクレイジーな行動に出たという風にしか受け止めていなかったのではないか。
しかし、多くの人も、どこかにあの犯人にように、生産性を尺度に人間を評価する心情を抱えているのではないか。本作は犯人をクレイジーな人間として描かず、周囲の人間にも一歩間違えれば同じようになりそうな危険性も混ぜつつ描いている。
そして、現実を知るということの困難さも本作は浮き彫りにする。カメラは真実を映せるだろうかとこの映画は問うている。
カメラを通じてニュースを見るだけでは現実を知ることはできない。典型的なのが匂いだ。匂いはカメラに映らない。この映画はそのことに自覚的だ。きっとこの映画の作り手は、「誰も挑まない社会の現実を見せた」という自惚れはないと思う。津波直後の匂いも排泄物の匂いも映像では伝えられない、その限界をきちんと自覚しているのだと思う。
考えさせられる
見るべきじゃなかった
"さとくん"の言い分を明確に否定できなかった自分がいた。当事者に会った事も、施設を見学した事すら無いのに。
その後にあんなモノを見せられてしまった。
自分の無知さや愚かさ、偏った視野を痛感する。
アマプラにあったからなんとなく見てしまったが、正直見なければよかった。自分には負荷が強すぎた。
感想として、無知蒙昧であることはある意味では幸せなんだろう。
バカにされるかもしれないが、私はこれからも何も考えず、優しいものに囲まれて、臭いものに蓋をして生きてゆきたい。
映画として見応えがあったけど
自分はこういう仕事の経験がありますが明らかに誇張していたりありえないと思う所はいくつもあり、職員が職務放棄して最低な施設という描写の誇張が酷いです。
ですからこんなに壮絶と思わなかったというレビューを見かけますが現実はここまで壮絶じゃないよって思います。壮絶なのはこの映画に登場する職員が職務放棄しているから。
なのでこのお仕事を誰もやりたがらない仕事みたいに誇張してる描写が多いのはとても残念でした。
経験則から実際楽しいと思って続けてる職員さんも多いお仕事だと思うからです。
自分はメンタル病んで無理やり働いていたので辞めました。
あと作家の先生役もなんでここで働いてるのかよく分かりませんでした。
映画としては良かったと思います。
人の定義とは
題材はいい
綺麗事ではない暗部に焦点を当てて描くぞ、という意気込みは感じられたし、扱いの難しい問題を選んでいてすごいと思う一方で、技術が追い付いていない印象を受けた。
登場人物が全員他人に対して無神経で不躾すぎて、こんな社会人いないだろと思って冷める。いたとしても作中全員そうだからリアリティがない。
意地悪な職員も、意地悪な側面しか書いてなくて、この人たち待遇悪く仕事量もめちゃくちゃ多いだろうに、ただの悪人にしか書かれてない。
みんな演技がずっと浅い呼吸で深刻で暗くてつっかえるように喋ってて、違和感がすごい。
全員ポエマー。対応すべき対応をせず、謎のポエムを語りだす。全員サイコパスに見える。糞尿まみれで閉じ込められてた患者見て愕然としたり、見ちゃダメです!って目を逸らさせたりするのも、子供じゃないんだから、プロなんだから、ショック受けてないで何かすればいいのに。対応するか、応援よぶか、上に相談するか、もしくはめんどいし汚いからほっとこうなのか、何もなく、みんな黙って控え室に戻って抽象的なポエム語りして終わり。
基本的に登場人物の言動や行動が不可思議。
無傷で手ぶらで善の側に立とうとするのはずるいです、という言葉は良かった。
・宮沢りえ、磯村勇斗、二階堂ふみ。辺見庸の小説が原作。 ・まだ、言...
・宮沢りえ、磯村勇斗、二階堂ふみ。辺見庸の小説が原作。
・まだ、言葉にならない。対岸の火事とするには近い題材で、相模原の殺傷事件をモチーフに書かれた作品。さとくんにはならないけど、さとくんを幻滅させた職員側にはなりうる。社会の無関心への問題提起が、きょうされん何十年の歩みより強烈に、ストレートに社会に突き刺さったことに感銘を受けたのが一番大きい。映画館でもたくさん人がいたし。みんなはどう思ったんだろう。自分への反省や自戒はわいたろうか。などと、人の反応を気にしている時点で対岸の火事を決め込もうとしてるんだろうか。
・でも、意思表示がなくても、生きてるんだよ。家族の、誰かの生きる希望だったりするんだよ。「あん」の映画も思い出した。生きるって、狭い現社会での用/無用の表面的な物差しとは大きく離れた次元でみんな同じ重みなんだと思う。宗教性が自分のなかではわいてきた。
感想を書くの難しいが、、、
現実をベースにした小説で、素晴らしい作品。
概要は省略して、考えたことだけ。
登場人物のほとんどが鬱屈した思いを抱え、「生きる価値のある人間か」という問いに日々向き合っている。
人を「役に立つ/立たない」という基準で測るなら、自信を持って「役に立っている」と言い切れる人がどれほどいるだろうか。
しかし本来は、そうした尺度ではなく、「あなたの存在そのものが私に必要だ」と思ってくれる誰かがいれば、それで十分なのかもしれない。洋子と夫の関係が、まさにそうだった。
さとくんもまた、(彼なりに正しいと信じた)身勝手な“世直し”ではなく、彼女のために生きてほしかった。
ラスト、きーちゃんの母親の慟哭に、わずかながら救いを感じた。
障害を持つ人たち
心をえぐられる現実
学生の頃 認知症ケア施設へ訪れた時、正直きつい仕事だなと感じたのを覚えています。この作品に出てくるような重度の障がいをもった方へのケアは、当事者じゃないと本質的なことは分かりません。でも社会では見えないように隠している現実があることを浮き彫りにした作品でした。
従事してもいない私も、目を向けてこなかった偽善者だったのかもしれません。心をえぐられるものがありました。
施設のシーンは終始暗いので、とくに気分は下がります。
閉じ込めて、縛りつけて、少ない人数で夜勤をさせる、ほか職員の不毛な対応………どれも目を背けたくなる現実がありました。けれど、こんな環境を良しとしている園長や社会制度そのものへ訴えるべきだったと思うのです。
たいていは弱いもの、自分より力がないもの(自分勝手に決めつけたルールや線引きに当てはまらないもの)を排除する方向へ走ってしまう…
環境が、人を間違った倫理観に駆り立てていってしまうんだな、と感じさせられました。
実際はこれが現実なのかもしれません。
2016年のあの事件がこの映画ですべて分かるわけではないけれど、社会問題をテーマにした作品として、しっかり観ておくべきだと思います。
重いテーマで押し黙る
二階堂ふみちゃんが
人の神経を逆撫でするような役で
磯村くんも
おかしな考えに取り憑かれていて
ああ人間の善意なんて
環境が最悪だと発露しないんだな
見えてないだけで世の中にはこんな環境がいくらでもありそうだ
平行して進む
宮沢りえとオダギリジョーの夫婦の再生の話が
希望見えるラストで終わるところが救いだ
信頼
これを観る人への強い信頼を感じる
題名の月とは地球からは月の一面しか見れない。人も事件でもそれを戒める映画、だから月だと思った。妊娠をして子どもが障害があるかも知れないと堕胎する事が障害者を心がないからと殺す事との違いがあるのか?自分の価値観で作品を褒める貶すは有なのか?文学は絶対真実だけで書かなければならないものなのか?文学の中の嘘が真実を表せているのかも?人が求めるものだけを書くことが読者は求めているのか?主人公の女性も心の声と会話する、堕胎をする時にそれに夫も参加する夫への信頼を感じる相手を信頼し話すお互いに悩み苦しみを共感するは素晴らしい。犯人の価値観を探りその両面から考える。ラストのあたりの回転寿司は色々なネタが写り結局世の中は多様性が大事だよと言っているのかも知れない。
あまりに救いがない
ところどころ考えさせられる言葉は散りばめられていたのに、この作品の鑑賞後感じるのは、彼を変えられなかった絶望感。あまりにひどすぎる。何を伝えたかったのか。
俳優 磯村勇斗さんが好きで、観たんだけど後悔悲しすぎるし悔しい。誰も止められなかったのか?作品の中だけでも踏み止まるラストを希望した。終わり方もえ?これで終わるのか。この映画を作る事で抑止力になると期待されたのか。
唯一よかったのは宮沢りえさんオダギリジョーさん夫婦のお互いを思いやり合う関係性。
自分用鑑賞ログ
さとくんは人として倫理的にではなく、生産性のある効率的な社会を目指して実行した。倫理って自分勝手な面があると思うがどうだろう。だから主人公の洋子は「絶対に認めない」としか言い返すことができなかったと思う。人間だから、一生懸命に生きてるから殺しちゃいけない。命があるから殺してはいけない。
さとくんが洋子自身が矛盾を伝える。
勝手に相手の気持ちになってるだけで本人は一生狭い部屋のベッドの上で生きる。それは人間らしいのか。自分だったら生きていて良かったと思うのか。もし、自分の子供が障害者だったら。意思疎通のできない子供を愛せるのか。そんな子供に自分の時間とお金をかけるのか。堕ろすことは命を殺していないのか。
何も言い返せない。
2度観て自分も何度も何度も考えた。何度考えてもさとくん側の人間。言い返すことができない。賛同者になりたく無いけど、どっちだと聞かれると賛同者になってしまう。
でも、犯行に及んだりしない。ヒトから産まれたヒトを殺してはいけないという法律があるから。それよりもそもそも、私は当事者ではないから。当事者でないからどうでもいい。
当事者になった時、分からない。きっと殺したくなるかも。子供がいないから今は分からないけど、子供が出来たのがわかったら出生前診断をして障害があったら諦めると思う。誕生する前の意思疎通ができない命に消えてもらうということだけど、これはさとくんの思想と違うのか。たぶん同じだと思う。意思疎通のできない人と意思疎通ができる人なら意思疎通できる人の利益が優先されているから。意思疎通ができないのなら、心がないのと同じだから。
綺麗事だけで済ましてはいけない。虫を殺す人がいるように命は平等ではないのが現実。
意思疎通のできない人は果たして本当に心がないのか。
元になった事件のWikiも見たが、被害に遭われ意識不明から意識が回復した男性が何度も「助けて」と言ったそうだ。なにを基準に心の有無が判断されるのだろうか。
障碍者をなんだと思ってるの?この監督の心根腐ってる。
津久井やまゆり園の入居者殺傷事件をネタにして怪奇映画を撮ろうと企む心根が腐ってるわ。障碍者を奇異なモノとして描くの冒涜でしょ。この監督なに考えてんの?コイツの顔面にゲ□吐き散らかしたい。
#恥を知れ #お好きな方はスルー推奨 #とてつもなく嫌い #最低な映画 #原作は全然違うって #監督の力不足 #星1つは私の中指 #そんなんじゃないでしょや感
救いの月
人として“汚いもの臭いもの”は、社会的弱者を苦しめる輩。それを隠蔽する社会。
映画でも多く描かれているが、例えば『トガニ 幼き瞳の告発』。声に発して助けを求められぬ聴覚障害の子供たちに聾唖学校の校長や教師たちがしたおぞましさ、警察や団体など町ぐるみの隠蔽…。これまで見た映画の中でも5本指に入る憤り!
本作開幕の旧約聖書からの引用。“かつてあった事はこれからもある。かつて起こった事はこれからも起こる”。
日本の障害者施設で…。ニュースで見て覚えている。そこで起こった凄惨な事件と、何故それに至ったのか…?
原作小説は障害者の視点で描かれているらしいが、映画は原作者をモデルにした主人公の視点で。
彼女はそこで何を見たのか…?
洋子はデビュー小説は売れたもののすぐスランプになり、今は全く書いていない。書けない。
夫・昌平は優しいが、バイトは長続きせず、趣味のような短編アニメーションの動画を作る頼りなさ。
加えて夫婦は障害を持った息子を3歳で亡くしており、その悲しみは未だに癒えていない。特に洋子は産んだ息子に障害を背負わせてしまった自分を責め続けていた。
しかし、それでも生きていかなければならない。
心機一転。長かった髪を切り、新たな職に就く。
その新しい仕事先は…
森の奥。
そこにある障害者施設。
介護職員の仕事。
想像以上に心身疲労するも、慣れぬ仕事に苦労したのは最初の内。徐々に仕事を覚えていく。
出会いも。年下の先輩で漢字違いの陽子。作家志望であり、洋子の事も知っていてはしゃぐ。
さとくん。障害者たちに自分で書いた絵本を読み聞かせる好青年。
きーちゃん。寝たきりの障害者で、生年月日が同じ事からシンパシーを感じ…。
施設は重度の障害者が多い。
寝たきりの者、意志疎通が出来ない者…。
決してそうなりたくて生まれてきた訳じゃない。何の不条理か人生の残酷か、そうなってしまったのだ。
誰にも責任は無い。洋子の亡き息子だって。
息子とも重なり、洋子は誠心誠意、障害者たちの介護に尽力するが…、
ある日見てしまう。職員による障害者への酷い扱いや時に暴力…。
そもそもこの施設自体、異様なのだ。
森の奥にあり、まるで世間から疎外され、隠されているよう。
隠されているのは建物だけじゃなく、上記の通りの仕打ち。障害者は暴れるからそれに対しての真っ当な対処。こんな事、日常茶飯事。
にしては行き過ぎている。嘲笑したり、侮蔑したり、頭を叩いたり、強引に押したり掴んだり、部屋に押し込んで…いや、閉じ込めて施錠。
施設内は終始暗くどんより。施設内も外も掃除が行き届いていないのか汚ならしい。
ほとんどの施設にある清潔感や温かさが微塵も無い。この施設に足を踏み入れた瞬間から、居心地悪さを感じた。
障害者施設の恐ろしい現実。
臆する事なく描いたスターサンズと河村光庸。日本映画でもKO級の問題作や社会派作を手掛けてきた河村氏にとってこれが最後のプロデュース作品になった。
オファーを受けた石井裕也も最初は怖さを感じたらしいが、絶対に撮らねばならないと思ったという。
日本映画の才人たちが並々ならぬ意欲で挑み、世に訴え、2023年の国内映画賞で軒並み高い評価を得たのだが…、
ちと違和感が。これが本当に障害者施設の現実か…?
障害者たちも奇行多く描かれ、施設や職員たちもかなり悪く描かれている。
全ての障害者施設がそうではあるまい。職員たちは親身になって介護し、障害者たちは安心して入所、家族も信頼する。そうだと信じている。
だがこれだと、何処もそうだと決め付け、誤った認識や誤解を増長させやしないか…?
ほんの一部に実際にある。
それから目を反らしてはいけない。見て見ぬふりをしてはいけない。
綺麗事だけにしてしまってはいけない。
洋子がそうだった。
デビュー小説は東日本大震災題材。
現地にも行き、あらゆるものを見た。救助活動や未曾有の災害にあってもまた生きようとする人々。尊いもの。その一方…
目を背けたくなるような惨状。汚ならしいもの、異臭を放つもの。こんな時こそ人と人が助け合わなければならないのに、瓦礫の中や遺体から金品を盗む輩…。
どちらが人の現実か…? どちらも人の現実なのだ。
しかし洋子は、小説の中で後者の現実を省いた。
出版社からの要請で、読者は美しいものを読みたがっている。そういうものだけを書けばいい。
事実、洋子の小説は賞を獲るなど好評得たものの、一部からは批判も。真に震災に向かい合っていない、綺麗事しか書いていない…。
洋子のファンの陽子だったが、ある時酒に酔った勢いで本音が出てしまう。それって偽善じゃないですか…?
書きたいのに書けない陽子。現実に向き合わず上っ面しか書かなかった洋子を、作家の端くれとして不満が抑えられなかった。
二階堂ふみが難しい役所を演じ切る。
本作の軸は障害者施設での問題と起きた事件だが、それに関与する人々の複雑な内面や個のドラマ巧みに描かれ、それが重層さを与えている。
再び洋子だが、40を過ぎて新たに妊娠が発覚する。
一度子供を失った洋子。新たな命の誕生に喜ぶかと思いきや、その胸中は複雑。
歳もあるが、産んでまた子供が障害を持っていたら…? それが怖い。もう自分を許せないだろう。
夫に妊娠を告げられず。そのまま中絶を考える。
夫の頼りなさも問題なのだ。優しいが、裏を返せばヘラヘラ笑ってるだけ。真剣に考え、向き合ってくれるのか…?
この夫婦のドラマも深い。『湯を沸かすほどの熱い愛』に続いてちと訳ありの宮沢りえ&オダギリジョー夫婦だが。
洋子と昌平、陽子。各々が抱えるものは重いが、最も深刻なのはさとくん。
穏やかな好青年だが、ある時の会食でドン引くような話を。
やたらと死に執着する。昔の死刑で、首吊りの際、首の骨が砕ける音。その際垂れ流される汚物の悪臭。音や臭いは大事。
何言ってんだ、こいつ…?
仕事にも疑問が沸いてくる。
部屋に閉じ込められた初老の障害者。部屋を開け、そこで目にしたのは…
裸に糞尿まみれ。こちらをじっと見据えたまま、自慰行為を。
自分が何をしているのか分かってるのか…?
人としての感情はあるのか…?
こいつら、何の為に生きているんだ…? そもそも人なのか…? こいつらの為に自分や世の中は何故親身にならなければならないのか…?
障害者に対する嫌悪が強くなっていく。
それに押し付けられて、押し付けられて、先輩からも嫌がらせを受けて、挙げ句安い給料。
そして彼の中で、倫理が崩れた。
ある夜の一室での洋子との対話…。
さとくんは障害者たちを人と見なさず、“無用なもの”と。ゴキブリと同じで、排除すべき。それはつまり…。
さとくんも人殺しは否定。あんなの人じゃない。だけど、これは違う。世の為になる事。だって、あいつらは人じゃないから。
勿論異を唱える洋子。彼らも人。何を言っているの…?
それに対するさとくんの辛辣過ぎる言葉に、見てるこちらの胸も抉られた。
あいつらを一瞬でも気持ち悪いと思った事ありませんか?
ハグや頬擦り出来ますか?
家族として迎え入れられますか?
そんな事ない! 出来る!
…と、堂々と言い返せない自分がいた。
障害者を温かく、優しく、何の抵抗もなく受け入れよう。
そうただ“思っている”自分や洋子や世の中多くは、言うだけの偽善でしかない。
本当に胸抉られた。
大丈夫。意志の疎通が出来ない奴らだけを排除します。
ちゃんと聞きます。あなたは人ですか? 話せますか? 感情ありますか?
良からぬ事を考えるさとくん。
その時は思いもよらなかった。まさか本当に…。
今思えばさとくんの数々の言動は後の凶行のOUTサインだったのかもしれない…。
凄惨な事件を起こした犯人役。イメージ悪化にもなりかねない役所を、磯村勇斗が圧巻の演技力と存在感で見る者に印象付ける。
そのままあの凄惨な事件に突き進めば本作に救いは無かった。邦画史上屈指の鬱映画になっていただろう。
本作に救いはあった。
施設での非人道的な光景を目の当たりにし、洋子はそれを小説にする。
もう綺麗事だけは書かない。汚ならしいもの、嫌悪させられるもの、見たものを全て。
仕事も抑え、夫との時間も減らし、自分の全てをぶつける。
応援する昌平。
そんな昌平にさとくんが接触。昌平を慕い、あなたと僕は同じ。だから僕の考えをあなたは理解してくれる。
あいつらは無用な存在だと。
穏やかだった昌平が激昂。俺の息子も重度の障害者だった。俺の息子も無用な存在なのか!?
よくぞ言った!
そんな昌平に朗報が。動画アニメーションが海外で賞に輝く。全身で喜ぶ昌平。
洋子も遂に小説を書き上げた。
人生が燻っていた2人に、同時に良き転機が。
昌平は洋子が小説を書き上げた事を喜ぶ。
洋子は昌平が賞を獲った事を喜ぶ。
賞金で回転寿司を食べよう。2人の出会いは回転寿司。
賞金は僅か5万円だけど、何でも食べたいものを食べて。この5万円は5億円のような価値。
例えつらい事悲しい事あっても、人生必ずや花開く。
胸抉られ、息つまるような本作に於いて、救われた。
ラストの台詞。2人のこれから。子供の事。救われた。
オダギリジョーの好演。
宮沢りえのさすがの名演。
回転寿司で祝い中に、ニュースで知った。
あまりにも酷すぎる…。理不尽過ぎる…。
ちなみにこの事件、京都アニメーション放火殺人事件が起こるまで、単独犯で戦後国内で最多の死傷者を出したという…。
被害者や家族の事を思うと胸が痛い。何故彼らは、無情に殺されなければなかったのか…?
犯人“さとくん”は絶対に許せない。
しかし…。
誰か彼を救えなかったのか…?
洋子夫婦や我々のように救いの道はあった筈だ。
彼は凶行を犯してしまった。
もう彼を救えないのか…?
私(たち)に出来る事はないのか…?
いや、きっとある筈だ。
どんよりした夜の闇に、一筋の月の光が差し照らすようにーーー。
テーマがいいだけに、残念だった
これまでに無いテーマ、実力派の役者勢揃い、壮大な予告編を観て期待していたが、ガッカリだった。前半はくどく、わざとらしいカメラワークが続き、うんざりする。所々ジャンプスケアがあったり、何度も後ろを振り返ったり、中途半端にホラー要素が出てきたと思ったら、スーパーで子供のようにカートで遊ぶ夫、中年夫婦による若いカップルの様なイチャイチャを見せつけられ、とにかく軸がブレブレ。くどい演出はいいから、内容で魅せてほしかった。障碍者施設の裏側・全容が見たいのに人同士の感情の擦り付け合いのシーンばかりで、イマイチ感情移入しづらかった。この調子で2時間半続くのかと思ったら、急に夫がまともに働くようになり、あれだけ無神経な発言で場を凍らせた二階堂ふみが「自分には才能がないから」と言い訳して謝罪、磯村は感じのいい絵の上手い青年だったのに、急に優生思想に目覚め、サイコパスに豹変。前後半で別の映画を観ているのかと思った。職員たちが施設での過酷な労働を通しておかしくなったのだとしたら、宮沢りえが働き始めてから一気に崩壊していくのはタイミングとして不自然だし、もともと気が狂っていたならその描写が少なすぎるし。映画を通してジャンルも不明。殺戮のシーンでもっとバイオレンスに振り切るか、問題提起なら施設の残酷さを露骨に見せて観客に問いかけてほしかった。
役者の芝居は圧倒的、特に二階堂ふみと高畑敦子。完全に憑依している様に見えた。
石井裕也ではなく別の映画監督なら、このテーマをどう映像化したのか、考えざるを得ない。
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