月のレビュー・感想・評価
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完全に狂った方角を見つめている無垢な目
深い森の奥にある重度障害者施設。ここで新しく働くことになった堂島洋子(宮沢りえ)は“書けなくなった”元・有名作家だ。彼女を「師匠」と呼ぶ夫の昌平(オダギリジョー)と、ふたりで慎ましい暮らしを営んでいる。洋子は他の職員による入所者への心ない扱いや暴力を目の当たりにするが、それを訴えても聞き入れてはもらえない。そんな世の理不尽に誰よりも憤っているのは、さとくんだった。彼の中で増幅する正義感や使命感が、やがて怒りを伴う形で徐々に頭をもたげていく――(公式サイトより)。
原作者の辺見庸のことは「もの食う人びと」というルポタージュで知った。世界の紛争地等、わざわざ危険なところに乗り込んで、そこで食い物を分けてもらうというかなりどぎつい作品だ。その後、脳出血とがんを患い、創作活動をしてきた自らを奈落の底に叩き込むかのような、読んでて気が滅入る漆黒の作品をいくつか書き上げた。
本作もずーーっと不穏な空気が漂い続ける。「川の底からこんにちは」「舟を編む」を撮った石井裕也の、極めて微細な人間の機微を映像で表現できる才が加わり、陰鬱さは倍加した印象だ。鑑賞後、しばらくは閉口するほかない。
この陰鬱さの正体は、本作のベースとなった「やまゆり園事件」で、犯人が語った「意思疎通のできない重度の障害者は不幸かつ社会に不要な存在であるため、重度障害者を安楽死させるべきだ」という主張を聞いた当時のばつの悪さの復活である。
「思ったことない?一度も?」と問いかけるさとくんの目は、完全に狂った方角を見つめているが、無垢ではあった。正しい方角を見つめているが、狼狽を隠しきれない洋子と対峙する場面はまさに白眉である。「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」という言葉が示すように、洋子がさとくんに投げかけた言葉は、さとくんには届かず、そのまま自分に犀利な刃となって返ってくる。そしてその構造は、そのまま劇場内をも支配する。スクリーンから発せられた音と光に対する観客の反応が、思索が、言い訳が、錯乱が、そのまま自分に舞い戻る。嫌な映画である。
夜空に浮かぶ「月」は、自転の関係で、わたしたちに常に同じ面しか見せないのだそうだ。作中、頻繁に登場する「現実」というキーワード。わたしたちに見えている「月」をもってして、夜空に浮かぶあれを「月」と言えるのだろうか。宮沢りえ、オダギリジョー、磯村勇斗、二階堂ふみの怪演のシナジーが、闇夜に不気味に浮かぶ月光となって襲い掛かってくる。高畑淳子が絶妙に素晴らしい。
何か足りない感じがする
問題作であることが正しいと思う。
よくぞここまで描いたものだと思います。
この題材を、こんな風に作品にできる人が日本にもいるんですね。
あまりにひど過ぎて、思い起こすことすら拒否反応が出てしまうような事件がありますが、この事件もそのひとつで。
そうした事件は、そもそもフィクションの題材として扱ってはいけないもののような気もしてしまいますが。
それでもこの映画がてきて良かったと思うし、自分も見れてよかったと思いました。
まず前提として、映画としての出来はほんとに素晴らしくて。
その上で、描こうとしているものも、描き方も、自分はすごく共感できるし、納得がいったし、肯定したいものだと感じました。
見た人の中にほどうも、「さとくん」の論理や、主人公の自問自答を、事件を起こした側の意図を汲むようなものだと受け取って、それに批判的になる人もいるようだけど、それは例えばガリレオの天文対話を読んで天動説を主張しているととるようなものかと思います。
理解する力が欠如しすぎ。
はっきり言って、知的障害者のための支援が無駄だとかなんだとか、そういう類の考えを論理として否定するのはそれほど難しいことじゃない。
少なくとも、それよりずっと無駄なもの、ずっと悪どくて害のあるものなんて、いくらでも、数えきれないほど挙げられるし、そういうものに平気で大金をかけるのが普通な世の中だってのは、みんなわかってることでしょ。
だったら知的障害者のために金かける方が少なくとも「まし」であることくらい、いくらでも理屈はつけられる。
それでもさとくん的な考えは社会の中に生まれてしまうし、主人公のような問いかけは、現実に向き合えば向き合うほど、必ずどこかで出てきてしまう。
そこから目をそらしていては、それにきちんと対峙することもできないのだということを、教えてくれる映画だったと思います。
見たいものだけ見ていたいのが普通の人たち
記憶に新しいやまゆり園事件。衝撃的なこの事件をモデルに描いた本作は、制作陣・俳優陣の強い想いを感じるメッセージ性の強い作品でした。
覚悟はしていましたが、冒頭からずっと苦しい。明るい気持ちになれる瞬間はほとんどなく、不穏な空気を纏い続ける。終始じっとり不快。
目を背けたくなる恐ろしいこと汚いこと悲しいこと醜いこと、各所に配慮しつつもギリギリまで攻めていたように感じました。
さとくんが投げかける“普通の人”である主人公へ向けた言葉は、同じ“普通の人”であり綺麗事の世界で生きていたい私にもグサグサ刺さる。
かなり、くらう作品でした…。
映画としての面白みや倫理観への踏み込み方、放置したまま結末を迎えた問いもあったことなど不満もあり、満足度は少し低めでしたが、観て良かったです。
向き合う
ただひたすらに、あの狂気と向き合う時間だったと思う。
主人公の目線を通して、「ありえない」「馬鹿げている」と突き放し、目をつむる。知識として知ってるし、でも、自分からは関わらないし、違う世界の話と距離を置く。
そんな距離を、どんどんと詰められてくる展開で、見るのが苦しくなる。
映画の中でも、宮沢りえが、さとくんと話しているのに、いつの間にか自分と話しているように、逃がしてくれない。
そして、殺人が始まる。あの理論で行くと、解放。死んでよかったね。
いい訳ないとか言ってるけど、お前もその片棒をかついでるんだよって、訴えてくる。
あぁ、気が重い。ただただ気が重い。
だからこそ、違う、自分は違うと生きていかなければ行けないと思う。
終始「ホラー」のような演出
さて、珍しくサービスデイと祝日が重なり、上映も朝一の回と言うことで観に行かない理由がなくなり、重い腰を上げてバルト9へ参戦です。朝8時35分という早目の時間帯でしたが、シアター1の客入りは8割ほど。年齢層はやはり高めです。
本作、鑑賞前からすでに(本作を)観た方々の「ざわつき」を感じておりましたが、それもそのはずです。原作は辺見庸による「相模原障害者施設殺傷事件(2016年/平成28年)」という名で知られることの多い大量殺人事件をモチーフにした同名小説(未読)であり、石井裕也監督の自らの脚色です。ちなみに同事件をWikipediaで確認すると、事件後の社会に対する影響などを確認することができますが、この作品もおそらくは事件を風化させない意図もあるのだろうと思います。
そのため、当然の如く簡単に断ずることが出来ない案件でもあり、私自身本作を観てどう感じたかは「まとまりがつかない」と言うのが、正直な感想です。勿論、概ねは襟を正す気持ちで観ておりました。
ただ、多少なりとも制作サイドに対して引っかかっりを感じるところもあります。
例えばこれは恐らく原作の影響と思いますが、後に事件を起こす「さとくん(磯村勇人)」に対して(2度だったか)ヒトラーに例え、そしてハンナ・アーレントさながらの「哲学」的なセリフだったりは、何から何まで「モチーフだらけで」いささか欺瞞に見えかねません。
そして、何といっても違和感なのが終始「ホラー」のような演出です。あくまで「モチーフ」とは言え、そのモデルとなる知的障害者福祉施設が実在し、そこに関わる人たちがいるわけですが、恐らくは「フィクション」を意識しすぎなのか、むしろミスリードすら感じる演出で、事件の当事者や関係者、または同様の境遇の方々に対する配慮については、若干如何なものかと感じます。
悪い作品ではないですし、目をそらさず語らなければいけない内容だと思いますが、個人的には「巧くない表現」かなと若干惜しい印象です。何だか、遅れてきて(劇場公開日は10月13日)ズケズケ申しましてすいません、と思いつつ、先日観た『愛にイナズマ』を思い出しながら「石井監督は難しい・・・」と思う帰り道でした。
社会の縮図
月
この事件で焦点を当てるのは容疑者では無く、日本(政府•行政)の障害福祉の実態だ。最重度の障害者のためを思って職員になった彼を真逆に仕立ててしまった現在の障害福祉制度。最重度の障害者は意思疎通が出来ないとして扱っているのは国であり、国の制度に文句を言わない障害者施設の経営者は定期監査(実地指導)で逃れられる。意見を言わない職員は障害者に何をしようと経営者は知らんぷりしてくれる。最重度の障害者を放置(映画の排泄物放置の場面)の施設はたくさんあることを、国も行政も隠している。そのことに疑問を持つ職員が狂ってしまう。容疑者の狂気性に焦点を当てるのではなく、国•行政及びそれに従う業界経営者と職員の実態にも触れたことは大いに評価される。事実にもっと突っ込んだ第二作を望む、国•行政が嫌う真の障害施設経営者より、
後味は良くない。。。
ただただ、苦しい。
磯村さん目当てで、とりあえず観ておこうかと。
そんなに直接的に描かれてると思ってなくて、普通に怖くてびっくりした。
というか、最初の二階堂ふみさんから怖すぎる。
二階堂さんが演じてた役はあの職場にいるから心が病んでしまっている人という認識でいいのか、それもよく分からず、ただただ怖い。
鑑賞後1番に思ったのは、これ遺族の人が見たらどう思うのかなっていうことだった。
モチーフですって言われてもなんかちょっと、リアルに作ればいいっていうものでもない気がして。
主役をさとくんにしてないから許されるのか?
でも師匠夫婦からも救いが何も見つからなくて、苦しい。
とはいえ、自分に優生思想がないとは言いきれないよなぁとか、改めていろいろと考えさせられることがあった。
観た後引きずるというのをレビューでよく見たけど、確かにこれは翌日くらいまで心に深く刺さった感じがあった。
考えるきっかけとしてはよかったのかなと思った。
あとは、役を演じ切った役者さんたちの覚悟とその熱演には敬意しかない。(もちろん制作スタッフの方も)
せめて人間らしく
2023年映画館鑑賞63作品目
11月12日(日)フォーラム仙台
スタンプ会員1500円
原作未読
原作は『赤い橋の下のぬるい水』の辺見庸
監督と脚本は『ガール・スパークス』『川の底からこんにちは』『舟を編む』『ぼくたちの家族』『バンクーバーの朝日』『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』『町田くんの世界』『茜色に焼かれる』の石井裕也
原作は2016年に起きた相模原障害者施設殺傷事件をモデルにしている
この映画はそれをベースにしている
堂島夫妻は映画オリジナルで原作は障害者の目線で話しが進んでいるようだ
タイトルの月とはなんなのかよくわからない
鎌の形を比喩してるのか
前半意味不明な実験的カメラワークが目障りだ
新人かよ
真に迫る人物のアップもやたら多かった気もする
前半の二階堂ふみによる演技力の圧力が凄まじかった
後半は狂気に走る「さとくん」演じる磯村勇斗を引き立たせる必要があるので抑えめになったがやはり彼女の演技力はずば抜けている
殺戮シーンは殺人そのものは描いていない
これはこれで良い
『福田村事件』と違い俳優ではなかろう
本物の障害者の可能性が高くそれを求めるのは酷だし演出としてもこれが正解だと自分は強く感じた
さとくんの殺害動機は共感できないが批判する気にもなれなかった
呆れているわけではない
その理由をありのままに書けば削除されるだろう
ここで本音を書いても無駄である
人々はありのままなんて求めておらずそれぞれが共感できる自分なりの「優しい」世界のみをこころよく受け入れる
これに関してはご想像にお任せする
宮沢りえは実年齢より10歳近い若い役を演じている
堂島洋子のデビュー作は高く評価された
現場に出向き取材した東日本大震災を描いた小説のようだがその後は伸び悩んだ
編集者の意向でありのままを書けなかった影響もあるようだ
オダギリジョー演じる堂島昌平は売れないアニメ作家
彼は妻を師匠と呼ぶ
表現者として尊敬しているからだ
2人の間には息子がいたが喋ることができず3年のわずかな命だった
2人はそのため心の傷を抱えて生きている
無理に笑顔を作るも心ではいつも泣いていた
夫はしばらくのあいだ働いてなかったけれども最近マンションの管理人を始めたが思いのほか楽な仕事ではない
重度障害者施設では職員によって障害者があまりにも粗末な扱いを受けていた
洋子はその現実を施設長に訴えたがいわば馬耳東風だった
ラストシーンは回転寿司屋のテレビでニュースを知る2人
そのニュースをバックに愛を深める堂島夫妻
アオハルかよ
このズレ具合は石井裕也監督らしいといえばらしいかもしれない
アオハルといえば宮沢りえはすっぴんで臨んだ
年齢は50くらいになってしまいそれなりに皺はだいぶ刻まれた
それでも彼女のそばかすはそのままだった
『僕らの七日間戦争』や『みなさんのおかげです』の学園コントや初めて出した写真集(ヌードの方ではない)のあどけなさの痕跡がそこにはあった
それは彼女と年齢が近い自分の青春時代の1ページの片隅そのものだった
だからこそ宮沢りえのそばかすを見るにつけ感慨深くなるざるを得ないのだ
配役
元売れっ子作家で震災がきっかけで書かなくなり重度障害者施設の職員として働き始めた堂島洋子に宮沢りえ
人形アニメーション映画を制作しているがなかなか評価されない洋子の夫の堂島昌平にオダギリジョー
重度障害者施設の職員で作家志望だがなかなか評価されない坪内陽子に二階堂ふみ
重度障害者施設の職員で正義感が強すぎて狂気に走ってしまうボクサーでもあるさとくんに磯村勇斗
耳が聞こえないさとくんの恋人の祥子に長井恵里
さとくんの先輩にあたる重度障害者施設の職員に大塚ヒロタ
さとくんの先輩にあたる重度障害者施設の職員に笠原秀幸
施設の看護士役に井川あゆこ
洋子の友人で産婦人科医に板谷由夏
重度障害者施設の施設長にモロ師岡
陽子の父に鶴見辰吾
陽子の母に原日出子
洋子と生年月日が一緒の障害者キーちゃんの母に高畑淳子
石井裕也のインディーズ時代の作品『ガール・スパークス』に主演していた井川あゆこが久々に登場
セリフはなかったが嬉しかった
人の定義
目を背けてはいけない。それは分かっている。だけど、朝9時に見るもんじゃなかった。とにかくキツくて辛くてどうしようもない。犯人の気持ちも少しばかり分かってしまうからより一層。答えのない問いであるとは重々承知なんだけど、せっかく映画化したのなら、監督なりの考えくらいは提示して欲しかった。ただひたすらに事件の概要を説明するのは、とてもじゃないけど見てられない。
見ている最中はそれほど気にならないのだけど、思い返してみればこの映画は何を伝えたかったんだろう?と疑問が浮かぶ。犯人は極悪人であるということ?人々全員、偽善者だということ?全員正しくて、間違っているということ?最初から犯人を主人公に当てて物語が展開されていたら、どのような映画になっていたんだろう。客観的に、他人事のように見るからこそ、心が重くなり、深く考えさせられるんだろうけれど、主人公の気持ちにこれっぽっちも同情できず、かといって周りの人間にも感情移入出来ず、ただひたすらに居心地が悪かった。
結局、主人公は過去を繰り返している。
長い年月をかけて、何も成長していない。それどころか後退しているまである。夫だけが前を向いていて、自分はずっと過去を背負っている。たまに八つ当たりしたり、感情的になって逃げ出したり。人間味があると片付けることも出来るんだけど、あまりに身勝手で、しかもこのテーマを描くにあたって必要な人物だったとも到底思えない。それは他の人物も同じ。モチーフにしているとは言えど、観客が頭に浮かべるのはやはりあの事件。表面だけを伝えるメディアと何が違うのか。
ジリジリと迫り来る音楽、そして絵の具をぐちゃぐちゃに混ぜたような汚い黒。映像作品としては文句無しに素晴らしい。140分を超える長尺だが、見事に魅せられた。役者の演技も怖い。魂を抜かれたような二階堂ふみの表情に、気分を悪くしてしまった。最高の役者だ。とても「翔んで埼玉」と同じ人とは思えない。だが、史実を元にした作品としてみた時、この期に及んで本作を制作した理由が見当たらない。そう易々と語れるようなものでないことは十分理解しているが、せっかくなら石井裕也らしく、ズバッと決めて欲しかった。ん〜...。また洗練して、映画化してくれないかな。
96%の選択
医療関係の仕事をしており、様々な施設の特殊な病棟やICUにも入ります。そこで様々な人を見てきました。
そして自分も心臓に障害を持って生まれました。
自分は手術という現代の技術で普通となんら変わらない生活と運動出来る身体になりました。
そのため感慨深いものがあります。
自分の子供が産まれる時も不安で仕方なかった経験があります。
今は染色体異常は出生前判断にて事前に判りますが、子供を持つ事は精神的にも経済的にも覚悟が入ります。ただ、産まれた子供は可愛いです。何も出来ないから可愛いのです。多分それはどんな人として生まれても可愛いのだとおまいます。しかしそれが他人の場合はどうでしょうか?
幼少の頃近所に意思疎通が出来ない年上の子がいました。まるで獣のようなオムツをしたままの子でした。その家族はいつの間にか居なくなりました。
毎日布団が干してありました。
正直出生前判断は色々な意味で必要だと感じた映画でした。
さとくんほどでなくとも
高齢者施設勤務経験のある者です。
隠蔽された殺人や虐待、横領などを私は目の当たりにしました。いくつも。
役所に訴えても切り捨てられました。
この話は日本中のどこかの施設で起きています。有名な介護派遣会社のアンケートに6割の生活相談員が虐待を目撃したという回答を寄せています。
サニーライフや有名老健などいままでもあちこちで殺人は起きてきた。地元でも横領は頻繁に起きている。
他人事にしてはならない。これは映画の中だけではない。施設が暗いとか描写が暗いとか、そんな上っ面しか見えないのでしょうか。どんなに灯りがついていても虐待起きる施設は明るいですか?殺人が行われても警察も役所も動かない、そんな業界なのに。
目を背けないでほしい。どうか。
磯村勇斗さん、ありがとう
映画「月」を鑑賞しました。キャスティングが、とても良かったと思います。中でも、磯村勇斗さんの演じた犯人のエスカレートしていく異常さには、ぞっとしました。演者の覚悟を感じました。磯村さん、この役を引き受けてくれてありがとう。この作品が、多くの方に届きますように。
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