月のレビュー・感想・評価
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向き合う
ただひたすらに、あの狂気と向き合う時間だったと思う。
主人公の目線を通して、「ありえない」「馬鹿げている」と突き放し、目をつむる。知識として知ってるし、でも、自分からは関わらないし、違う世界の話と距離を置く。
そんな距離を、どんどんと詰められてくる展開で、見るのが苦しくなる。
映画の中でも、宮沢りえが、さとくんと話しているのに、いつの間にか自分と話しているように、逃がしてくれない。
そして、殺人が始まる。あの理論で行くと、解放。死んでよかったね。
いい訳ないとか言ってるけど、お前もその片棒をかついでるんだよって、訴えてくる。
あぁ、気が重い。ただただ気が重い。
だからこそ、違う、自分は違うと生きていかなければ行けないと思う。
終始「ホラー」のような演出
さて、珍しくサービスデイと祝日が重なり、上映も朝一の回と言うことで観に行かない理由がなくなり、重い腰を上げてバルト9へ参戦です。朝8時35分という早目の時間帯でしたが、シアター1の客入りは8割ほど。年齢層はやはり高めです。
本作、鑑賞前からすでに(本作を)観た方々の「ざわつき」を感じておりましたが、それもそのはずです。原作は辺見庸による「相模原障害者施設殺傷事件(2016年/平成28年)」という名で知られることの多い大量殺人事件をモチーフにした同名小説(未読)であり、石井裕也監督の自らの脚色です。ちなみに同事件をWikipediaで確認すると、事件後の社会に対する影響などを確認することができますが、この作品もおそらくは事件を風化させない意図もあるのだろうと思います。
そのため、当然の如く簡単に断ずることが出来ない案件でもあり、私自身本作を観てどう感じたかは「まとまりがつかない」と言うのが、正直な感想です。勿論、概ねは襟を正す気持ちで観ておりました。
ただ、多少なりとも制作サイドに対して引っかかっりを感じるところもあります。
例えばこれは恐らく原作の影響と思いますが、後に事件を起こす「さとくん(磯村勇人)」に対して(2度だったか)ヒトラーに例え、そしてハンナ・アーレントさながらの「哲学」的なセリフだったりは、何から何まで「モチーフだらけで」いささか欺瞞に見えかねません。
そして、何といっても違和感なのが終始「ホラー」のような演出です。あくまで「モチーフ」とは言え、そのモデルとなる知的障害者福祉施設が実在し、そこに関わる人たちがいるわけですが、恐らくは「フィクション」を意識しすぎなのか、むしろミスリードすら感じる演出で、事件の当事者や関係者、または同様の境遇の方々に対する配慮については、若干如何なものかと感じます。
悪い作品ではないですし、目をそらさず語らなければいけない内容だと思いますが、個人的には「巧くない表現」かなと若干惜しい印象です。何だか、遅れてきて(劇場公開日は10月13日)ズケズケ申しましてすいません、と思いつつ、先日観た『愛にイナズマ』を思い出しながら「石井監督は難しい・・・」と思う帰り道でした。
社会の縮図
月
この事件で焦点を当てるのは容疑者では無く、日本(政府•行政)の障害福祉の実態だ。最重度の障害者のためを思って職員になった彼を真逆に仕立ててしまった現在の障害福祉制度。最重度の障害者は意思疎通が出来ないとして扱っているのは国であり、国の制度に文句を言わない障害者施設の経営者は定期監査(実地指導)で逃れられる。意見を言わない職員は障害者に何をしようと経営者は知らんぷりしてくれる。最重度の障害者を放置(映画の排泄物放置の場面)の施設はたくさんあることを、国も行政も隠している。そのことに疑問を持つ職員が狂ってしまう。容疑者の狂気性に焦点を当てるのではなく、国•行政及びそれに従う業界経営者と職員の実態にも触れたことは大いに評価される。事実にもっと突っ込んだ第二作を望む、国•行政が嫌う真の障害施設経営者より、
後味は良くない。。。
ただただ、苦しい。
磯村さん目当てで、とりあえず観ておこうかと。
そんなに直接的に描かれてると思ってなくて、普通に怖くてびっくりした。
というか、最初の二階堂ふみさんから怖すぎる。
二階堂さんが演じてた役はあの職場にいるから心が病んでしまっている人という認識でいいのか、それもよく分からず、ただただ怖い。
鑑賞後1番に思ったのは、これ遺族の人が見たらどう思うのかなっていうことだった。
モチーフですって言われてもなんかちょっと、リアルに作ればいいっていうものでもない気がして。
主役をさとくんにしてないから許されるのか?
でも師匠夫婦からも救いが何も見つからなくて、苦しい。
とはいえ、自分に優生思想がないとは言いきれないよなぁとか、改めていろいろと考えさせられることがあった。
観た後引きずるというのをレビューでよく見たけど、確かにこれは翌日くらいまで心に深く刺さった感じがあった。
考えるきっかけとしてはよかったのかなと思った。
あとは、役を演じ切った役者さんたちの覚悟とその熱演には敬意しかない。(もちろん制作スタッフの方も)
せめて人間らしく
2023年映画館鑑賞63作品目
11月12日(日)フォーラム仙台
スタンプ会員1500円
原作未読
原作は『赤い橋の下のぬるい水』の辺見庸
監督と脚本は『ガール・スパークス』『川の底からこんにちは』『舟を編む』『ぼくたちの家族』『バンクーバーの朝日』『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』『町田くんの世界』『茜色に焼かれる』の石井裕也
原作は2016年に起きた相模原障害者施設殺傷事件をモデルにしている
この映画はそれをベースにしている
堂島夫妻は映画オリジナルで原作は障害者の目線で話しが進んでいるようだ
タイトルの月とはなんなのかよくわからない
鎌の形を比喩してるのか
前半意味不明な実験的カメラワークが目障りだ
新人かよ
真に迫る人物のアップもやたら多かった気もする
前半の二階堂ふみによる演技力の圧力が凄まじかった
後半は狂気に走る「さとくん」演じる磯村勇斗を引き立たせる必要があるので抑えめになったがやはり彼女の演技力はずば抜けている
殺戮シーンは殺人そのものは描いていない
これはこれで良い
『福田村事件』と違い俳優ではなかろう
本物の障害者の可能性が高くそれを求めるのは酷だし演出としてもこれが正解だと自分は強く感じた
さとくんの殺害動機は共感できないが批判する気にもなれなかった
呆れているわけではない
その理由をありのままに書けば削除されるだろう
ここで本音を書いても無駄である
人々はありのままなんて求めておらずそれぞれが共感できる自分なりの「優しい」世界のみをこころよく受け入れる
これに関してはご想像にお任せする
宮沢りえは実年齢より10歳近い若い役を演じている
堂島洋子のデビュー作は高く評価された
現場に出向き取材した東日本大震災を描いた小説のようだがその後は伸び悩んだ
編集者の意向でありのままを書けなかった影響もあるようだ
オダギリジョー演じる堂島昌平は売れないアニメ作家
彼は妻を師匠と呼ぶ
表現者として尊敬しているからだ
2人の間には息子がいたが喋ることができず3年のわずかな命だった
2人はそのため心の傷を抱えて生きている
無理に笑顔を作るも心ではいつも泣いていた
夫はしばらくのあいだ働いてなかったけれども最近マンションの管理人を始めたが思いのほか楽な仕事ではない
重度障害者施設では職員によって障害者があまりにも粗末な扱いを受けていた
洋子はその現実を施設長に訴えたがいわば馬耳東風だった
ラストシーンは回転寿司屋のテレビでニュースを知る2人
そのニュースをバックに愛を深める堂島夫妻
アオハルかよ
このズレ具合は石井裕也監督らしいといえばらしいかもしれない
アオハルといえば宮沢りえはすっぴんで臨んだ
年齢は50くらいになってしまいそれなりに皺はだいぶ刻まれた
それでも彼女のそばかすはそのままだった
『僕らの七日間戦争』や『みなさんのおかげです』の学園コントや初めて出した写真集(ヌードの方ではない)のあどけなさの痕跡がそこにはあった
それは彼女と年齢が近い自分の青春時代の1ページの片隅そのものだった
だからこそ宮沢りえのそばかすを見るにつけ感慨深くなるざるを得ないのだ
配役
元売れっ子作家で震災がきっかけで書かなくなり重度障害者施設の職員として働き始めた堂島洋子に宮沢りえ
人形アニメーション映画を制作しているがなかなか評価されない洋子の夫の堂島昌平にオダギリジョー
重度障害者施設の職員で作家志望だがなかなか評価されない坪内陽子に二階堂ふみ
重度障害者施設の職員で正義感が強すぎて狂気に走ってしまうボクサーでもあるさとくんに磯村勇斗
耳が聞こえないさとくんの恋人の祥子に長井恵里
さとくんの先輩にあたる重度障害者施設の職員に大塚ヒロタ
さとくんの先輩にあたる重度障害者施設の職員に笠原秀幸
施設の看護士役に井川あゆこ
洋子の友人で産婦人科医に板谷由夏
重度障害者施設の施設長にモロ師岡
陽子の父に鶴見辰吾
陽子の母に原日出子
洋子と生年月日が一緒の障害者キーちゃんの母に高畑淳子
石井裕也のインディーズ時代の作品『ガール・スパークス』に主演していた井川あゆこが久々に登場
セリフはなかったが嬉しかった
人の定義
目を背けてはいけない。それは分かっている。だけど、朝9時に見るもんじゃなかった。とにかくキツくて辛くてどうしようもない。犯人の気持ちも少しばかり分かってしまうからより一層。答えのない問いであるとは重々承知なんだけど、せっかく映画化したのなら、監督なりの考えくらいは提示して欲しかった。ただひたすらに事件の概要を説明するのは、とてもじゃないけど見てられない。
見ている最中はそれほど気にならないのだけど、思い返してみればこの映画は何を伝えたかったんだろう?と疑問が浮かぶ。犯人は極悪人であるということ?人々全員、偽善者だということ?全員正しくて、間違っているということ?最初から犯人を主人公に当てて物語が展開されていたら、どのような映画になっていたんだろう。客観的に、他人事のように見るからこそ、心が重くなり、深く考えさせられるんだろうけれど、主人公の気持ちにこれっぽっちも同情できず、かといって周りの人間にも感情移入出来ず、ただひたすらに居心地が悪かった。
結局、主人公は過去を繰り返している。
長い年月をかけて、何も成長していない。それどころか後退しているまである。夫だけが前を向いていて、自分はずっと過去を背負っている。たまに八つ当たりしたり、感情的になって逃げ出したり。人間味があると片付けることも出来るんだけど、あまりに身勝手で、しかもこのテーマを描くにあたって必要な人物だったとも到底思えない。それは他の人物も同じ。モチーフにしているとは言えど、観客が頭に浮かべるのはやはりあの事件。表面だけを伝えるメディアと何が違うのか。
ジリジリと迫り来る音楽、そして絵の具をぐちゃぐちゃに混ぜたような汚い黒。映像作品としては文句無しに素晴らしい。140分を超える長尺だが、見事に魅せられた。役者の演技も怖い。魂を抜かれたような二階堂ふみの表情に、気分を悪くしてしまった。最高の役者だ。とても「翔んで埼玉」と同じ人とは思えない。だが、史実を元にした作品としてみた時、この期に及んで本作を制作した理由が見当たらない。そう易々と語れるようなものでないことは十分理解しているが、せっかくなら石井裕也らしく、ズバッと決めて欲しかった。ん〜...。また洗練して、映画化してくれないかな。
96%の選択
医療関係の仕事をしており、様々な施設の特殊な病棟やICUにも入ります。そこで様々な人を見てきました。
そして自分も心臓に障害を持って生まれました。
自分は手術という現代の技術で普通となんら変わらない生活と運動出来る身体になりました。
そのため感慨深いものがあります。
自分の子供が産まれる時も不安で仕方なかった経験があります。
今は染色体異常は出生前判断にて事前に判りますが、子供を持つ事は精神的にも経済的にも覚悟が入ります。ただ、産まれた子供は可愛いです。何も出来ないから可愛いのです。多分それはどんな人として生まれても可愛いのだとおまいます。しかしそれが他人の場合はどうでしょうか?
幼少の頃近所に意思疎通が出来ない年上の子がいました。まるで獣のようなオムツをしたままの子でした。その家族はいつの間にか居なくなりました。
毎日布団が干してありました。
正直出生前判断は色々な意味で必要だと感じた映画でした。
さとくんほどでなくとも
高齢者施設勤務経験のある者です。
隠蔽された殺人や虐待、横領などを私は目の当たりにしました。いくつも。
役所に訴えても切り捨てられました。
この話は日本中のどこかの施設で起きています。有名な介護派遣会社のアンケートに6割の生活相談員が虐待を目撃したという回答を寄せています。
サニーライフや有名老健などいままでもあちこちで殺人は起きてきた。地元でも横領は頻繁に起きている。
他人事にしてはならない。これは映画の中だけではない。施設が暗いとか描写が暗いとか、そんな上っ面しか見えないのでしょうか。どんなに灯りがついていても虐待起きる施設は明るいですか?殺人が行われても警察も役所も動かない、そんな業界なのに。
目を背けないでほしい。どうか。
磯村勇斗さん、ありがとう
映画「月」を鑑賞しました。キャスティングが、とても良かったと思います。中でも、磯村勇斗さんの演じた犯人のエスカレートしていく異常さには、ぞっとしました。演者の覚悟を感じました。磯村さん、この役を引き受けてくれてありがとう。この作品が、多くの方に届きますように。
テーマは評価できるが
津久井の障害者施設で起きた大量殺人事件はとてもショッキングだった。殺された人の数もそうだが、事件を起こした犯人の主張の異常さに驚いた記憶がある。本作はあの事件をベースに作られたフィクション。そう思ってみても実際の事件はどうだったのだろう?と想像してしまう。
個人的にあの事件にひっかかっていたのは殺害した人数ではなく、犯人の優生思想だ。そういう意味で本作はそこに焦点を当てた部分もある。原作は未読だが、出生前診断も絡めた脚本は考えさせられる。でも、優生思想をふりかざす彼に対して、「私は認めない」だけでは弱いのではないかと感じた。ただ、それ以上に強さを持つ言葉を私達は持っていないかもしれない。あの事件をベースに映画を制作したという勇気だけは評価できると思う。
ただ、個人的には映画としてあまり評価できない。事件当日の犯人の行動や作家の洋子の夫との関係性に何かしらのおぞましさや感動を覚えることはなかったから。妙なカメラワークや演出に違和感を憶えることが多かったから?少し考えてみたがこれという答えは出ない。前述した「この事件を題材にする」という目的が強すぎたのかも。さとくんや洋子の心情がうまく描かれていなかった、もしくはさとくんの彼女が聴覚障害者とか女性同僚の家庭環境とかの設定が好みでなかったということかもしれない。観終わっても心が揺さぶられることはなかったなーというボーっとした感想しか浮かばなかった。
でも、案外こういう映画が日本の映画賞を受賞してしまう。あくまで個人の感想だが、テーマだけで評価されるのは避けてほしい。
誰もが思うこと
衝撃の問題作
原作は未読であるが、映画化するにあたりかなり脚色されているそうである。後で調べて分かったが、原作の主人公は本作にも登場する障がい者の”きーちゃん”ということである。映画は視点を変えて洋子というオリジナルのキャラクターを主人公にしている。ストーリーを語らせるにあたって、言葉を話せない”きーちゃん”では限界があるということで改変したのだろう。
洋子は、生まれつき障害を持った我が子を失ったトラウマから小説を書くことが出来なくなった主婦である。これを宮沢りえが熱演している。彼女の葛藤は画面からひしひしと伝わってきて、まずはこの存在感が素晴らしかった。これは本作オリジナルの美点だろう。
同じ施設で働く小説家志望の陽子や画家を夢見る”さとくん”との関係、常に優しく包み込んでくれるがどこか頼りない夫昌平との関係。こうした周囲との微妙な距離感を言葉を使わず繊細に表現しきった所は見事である。
また、それとは対照的に後半の”さとくん”との対峙では切実なる感情を爆発させ、この熱演にも見応えを感じた。本作は正に彼女のためにあるような作品となっている。
テーマも実に興味深く読み解くことができた。
実際に障がい者施設で起こった事件を題材にしているということで身構えてのぞんだが、確かにセンセーショナルな意欲作になっていると思う。ただ、それ以上に、ドラマの根本ではもっと普遍的な問題を問うているような気がした。
建前を重んじて事実を隠そうとする社会。真実を知りつつも見てみぬふりをする世間の風潮。そういったものに対する問題提起が感じられる。
例えば、酒に酔った陽子は、自分の才能の無さを棚に上げて、洋子が書いた東日本大震災を題材にした小説を「真実が描かれてない、綺麗ごとだけだ」と嫉妬混じりに糾弾していた。
陽子の両親は不倫を知っているが何事もないように円満な家庭を取り繕っていた。
昌平は洋子に気を使って我が子の死に一切触れず、そのせいでどこかギクシャクした関係になってしまっていた。
施設の所長は職員による暴行を知りつつも見てみぬふりをしていた。
そして、洋子自身も小説家として、母親として自分自身に嘘をついていた。更に、施設の問題を行政に告発出来ず、小説という形で表現しようとした。実際に行政がこの問題にどこまで対処できたかは疑問であるが、少なくとも彼女はそうするべきだったように思う。ところが、小説家としてのエゴが勝り、”綺麗ごとだけではない”作品を書くことで彼女は自分を優先させてしまったのである。結果、事件を止めることが出来なかった。
このように、ここに登場する人々は目の前の現実を見ようとせず、あるいは知っていてもその現実から逃げているだけなのである。
結局、この物語で最後まで現実に目を向け、自分自身に嘘をつかなかったのは”さとくん”だけだった…というのが実に皮肉的である。
もちろん彼の思考や行動には決して賛同することはできない。しかし、彼の言い分には、否定しがたい真理もあるように思う。
生産性のない障がい者は不要だ。意思疎通ができない者に生きる意味があるのか。障がい者施設で働く者は日々の激務から自らも精神を病んでこうした思考に陥ってしまうのは何となく理解できる。
そして、このような排除思考は、我々が暮らす一般社会でも、すでにまかり通っているのではないだろうか。自助努力が出来ない人間は切り捨てても良いといった社会の風潮、合理性を重んじて負け組が容赦なく見殺しにされてしまう競争社会。そうした思考が普通に蔓延しているような気がする。
劇中で洋子は”さとくん”のこの排除思考に論理的に反論することが出来なかった。それは彼女自身にもそうした思いが心のどこかにあったからであろう(実際に彼女は出産に迷っていた)。
もし自分があの場面の洋子の立場だったら”さとくん”をどう説得できただろう…と考えてしまった。彼の誤った思考を改心させるだけの言葉を自分も持ち合わせていない。
監督、脚本は「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」、「ぼくたちの家族」、「舟を編む」等の石井裕也。
施設のロケーションやデザインにホラー映画のような不穏さが漂い、少し作り過ぎという気がしてしまった。おそらく日常の中の非日常性を演出したかったのだろうが、ここまでくるとリアリティがかえって薄まり違和感を覚えてしまう。
また、突然ズーミングするカメラワークや斜め構図のアングル、スプリットスクリーンで分割される画面が、鑑賞のノイズになってしまった。
重苦しいテーマだけに、全体的にもっとシックな演出に徹した方が良かったのではないだろうか。奇をてらい過ぎという印象を持ってしまった。
心を壊さないで
公開を知って、まず原作を読んだ。記憶に新しい実際の大事件がモデルと知る。きーちゃんの視点で描かれており、かなり難解で、さとくんが凶行に及ぶ様が印象的だったが読みにくかった。
映画は分かりやすく描かれていたが、重い作品。画面も雰囲気も暗くて、照らす光が月だったのか。
感動というのではなく、つらい会話や場面で数ヶ所、涙してしまった。
二階堂さんの役どころが、セリフが率直で、障害者施設だけではない、社会全体を表していたと思う。見ない、隠す、綺麗事。そのとおりだな。
生と命と向き合うことは、しんどくて大変なこと。だからって。だからと言って。。
心がない、人ではないと、どうして決められようか。
磯村君は難しい役を見事に演じていた。
脇役多いけど、これからもずっと応援するぞー。
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